秘匿名「R作戦」 五 囚われの令嬢
「ほわぁ~、凄ーい!」
フェイは目を丸くして感嘆している。
オオカミ姉妹は尻尾をぶぶん振りながら、「どんなもんだい!」とドヤ顔をしている。
「奥、行ってみようか」
フェイが暗い洞窟の奥へと足を踏み出すと、姉妹はその先に立って駆けだす。
が、すぐに止まった。
「どしたの?」
怪訝そうな顔で訊くフェイは、オオカミ姉妹が緊張で身を固くしているのに気づいた。
フェイが手を添えている首の後ろの毛が、わずかに逆立っているのが感じられる。
「誰かいるの?」
フェイの問いに姉妹は同時にうなずいた。
オオカミたちは首を縦に振るのと横に振るので、イエス・ノーを表せることを学んでいる。
「何人?」
フェイはゆっくりオオカミたちの目の前で、指を立てる。
一本、二本、三本――三本目でオオカミが首を縦に振る。
「三人ね。
あなたたちが急に現れたら、絶対びっくりしてパニックになるわね。
二人はここでちょっと待ってて、あたしが先に行って様子を見てくる。
――もっとも、あたしの顔を見たって、たいていの人はびっくりするでしょうけどね」
フェイは苦笑して洞窟の奥へと歩き出した。
オオカミたちはおとなしくその場で待っている。
彼女は姉妹が自分の言うことを理解していることを疑いもしない。
五メートルほども進むと、暗い洞窟の先から明かりが洩れてきた。
やはり誰かいるようだ。
フェイは岩の角からそっと奥の様子を窺った。
洞窟の奥は、ちょっとした広場になっていて壁にかけられたランタンが薄暗くあたりを照らしている。
最初に目に入ってきたのは、毛布の上にぐったりと横たわった女性の姿だった。
眠っているのか、肩はわずかに上下しているが身動きをしない。
両手首は細いロープで縛られ、片方の足首もロープが巻きつけられ、地中深く埋められた傍らの杭に繋がれている。
少し離れたところで椅子に座った男が二人、ぼそぼそと話し合っている。
「兄貴ぃ、いいかげん飽きませんか?
いつまで続くんでしょうねぇ……」
「馬鹿野郎、これが俺たちの役目だろうが。
交渉は時間がかかる。それが常識だ。
どうせ今日の取引は成立しねえ。
それはボスも織り込み済みだ。
――勝負は三日後。
うまくいけば俺たちはずらかるし、駄目だったらこの女を連れてずらかる。
それだけだよ」
フェイは顔を引っ込めて、ごくりとつばを飲み込んだ。
よくわからないが、多分あの女の人は誘拐されたんだ!
どうする? いや、選択肢なんかない。
あの人を助けなくちゃ!
フェイはそろそろと後ずさり、オオカミたちの元に戻る。
姉妹と合流すると、フェイは二頭に状況を説明した。
指を二本出して、がおーと襲い掛かる仕草をする。
そして指を一本だし、おびえて縮こまる振りをする。
「悪い奴から女の人を助けるの。
協力してくれる?」
オオカミ姉妹は理解したらしく、尻尾を振りながらうなずいた。
フェイの説明ではっきりしたのだが、ジェシカとシェンカは匂いである程度の状況を把握していた。
人間の匂いは三つ。二つは男で金属の臭いもする。
武器を持っているのだろう。
もうひとつの匂いは女性。縄の臭いが混じっているから縛られているのだろう。
どっちが悪党だ?
応えは明白だった。
そこにフェイの説明があるのだから、姉妹は自分たちの役割をもう理解していた。
フェイは二頭に言い聞かせる。
「いい?
あたしが先に出て、あいつらの気を引くからね。
合図をしたら後ろから飛びかかって。
武器を持っているから気をつけてね」
そう言うとフェイは洞窟の奥へと小走りに進んでいった。
彼女の手には小刀が握られている。
ユニから森に入るときは必要だからと渡されたものだ。
ユニが普段使っているナガサより二回りは小さいものの、刃渡り十センチほどはある片刃のナイフだ。
フェイはほのかな明かりに照らされた空間に飛び出し、横たわった女性の前に駆け寄り、肩を揺すった。
「大丈夫? ねえ、お願い、起きて!」
突然出現した少女に、二人の男は同時に立ち上がった。
「何だてめえ?」
背の高い男がドスの効いた声を上げる。
「あっ!
――兄貴、こいつフェイじゃないですか?」
「何だと?
なるほど、その毛むくじゃらの顔……そうか、てめえがフェイか」
思いがけずに自分の名前を呼ばれて、フェイは驚きながらも警戒をさらに高めた。
「あたしはあんたたちなんか知らないけど。
気安く人の名前呼ばないでよ!」
背の高い兄貴と呼ばれた男はにやにやと笑いながら答えた。
「てめえは知らなくてもよ、俺たちは忘れるわけにはいけないんだよ。
てめえがカシルから姿をくらましたせいで、俺たちはドジ踏んだってことで、あそこにいられなくなったんだ。
――こりゃぁ〝飛んで火にいる夏の虫〟って奴だな。
おめえを手土産にすれば、またカシルに帰ることができる。
俺たちにも運が向いてきたってことだな」
フェイの方でもやっと思い当たった。
カシルで〝海馬の穴〟の主人に、フェイを売り渡すよう要求してきたという人身売買組織。
それがこいつらだったということらしい。
「へっ、カシルでクソみたいなことをしてきた連中は、王国に流れてきてもやっぱりクソみてえなことしかできねえんだな!
そうか、あたしを金持ちの変態に売り飛ばすことができなくて、カシルを追い出されたのか。
そいつはいい気味だな」
「おうおう、威勢のいい口をきくじゃねえか。
てめえ、俺たちに勝てるとでも思ってるのかよ。
初物は高く売れるからそっちは許してやるが、女にはほかにいろいろ突っ込む所があるってことを教えてやるぜ!」
下卑た笑いを顔に浮かべ、二人の男はじりじりとフェイとの距離を詰める。
フェイの後ろでは、目を覚ましたらしいロゼッタが悲鳴をあげる。
「やめなさい!
あなたたち、ちいさな子に乱暴するなんて、恥を知りなさい!」
男たちはげらげらと笑う。
「まぁ、あんたは身代金が入れば無事に帰れる身だからな。
好きにほざけばいいさ。
さて、このガキは縛り上げて俺たちの暇つぶしに使わせてもらうぜ」
男たちがフェイの小刀を取り上げようと手を伸ばした瞬間、フェイが「今だ!」と叫んだ。
彼らが反射的に振り返ると、もう目の前には牙をむいたオオカミの顎が迫っていた。
背の低い、小太りの男はナイフを握った方の腕をオオカミに噛みつかれ、バキッという音とともに骨を噛み砕かれた。
背の高い方の男は、とっさに左腕をオオカミの口の中へ押し込み、右腕に握った長刀を振るった。
「ぎゃんっ!」という悲鳴をあげてシェンカが飛び退る。
小太りの男を突き飛ばしたジェシカがそのまま背後から男に襲い掛かり、右腕を噛みちぎった。
絶叫を上げて二人の男が地面を転げまわるのを無視して、フェイはシェンカに駆け寄った。
「シェンカ、大丈夫?
ちょっと足見せて」
シェンカの左後ろ足が男の剣で切られ、出血している。
フェイは自分の肌着をまくり上げ、口に咥えて引き裂き、それを包帯代わりにして手早く手当する。
「そんなに傷は深くないわ。
骨折はしていないし、多分腱も傷ついていないと思う。
ユニ姉ちゃんの傷薬をつければすぐ直ると思う」
フェイはホッとした顔でシェンカから離れ、やっとロゼッタの方を向いた。
「大丈夫?
今、縄を切ってあげるから、少しおとなくしくしててね」
ロゼッタを縛るロープはかなり固いものだったが、ユニに渡された小刀はブツブツと簡単に切断していく。
――ユニ姉ちゃんは凄いなぁ……!
フェイは内心で舌を巻いた。
ロゼッタは事態の急変にやや呆然としていたが、やっと我に返った。
突然現れて、自分を救出した少女とオオカミ。
オオカミは並みの大きさではない。すぐにユニの顔が思い浮かんだ。
そして少女は顔一面に栗色の細い毛が密生している。
そんな少女がおいそれといるはずがない。
ユニから話を聞いていた、アスカが引き取ったというフェイに違いない。
「あ、ありがとう!
あなた、アスカさんとこにいるフェイちゃんね。
それで、この子たちはユニさんのオオカミ?
どうしてあなたたちがこんなとこにいるの?」
フェイは驚いてロゼッタの顔を見る。
「おばちゃん、あたしのこと知ってるの? アスカやユニ姉ちゃんのことも?」
「おっ、おば――!」
ロゼッタは絶句した。
面と向かって〝おばちゃん〟と言われたのは生まれて初めてだ。
顔が真っ赤になるが、さすがに怒るわけにもいかない。
この少女から見れば、三十歳の自分は確かに〝おばちゃん〟に違いない。
「――とにかく、あなたはどこから来たの?」
「カイラ村だよ。
ユニ姉ちゃんとこに遊びに来てるの」
「よかった。カイラ村なら軍の出張所があるわね。
お願い! 村まで連れて行ってくださいな」
フェイは少し考え込んだ。
「それはいいけど――おばちゃん、あの崖登れるかなぁ……。
ジェシカに乗せてもらうとしても、おばちゃんは重そうだから大変そうだわ」
再びの「おばちゃん」攻撃!
さらに「重そうだ」という追撃!
ロゼッタはヒットポイントを大幅に削られて落ち込む。
ロゼッタはどうにか気をとりなし、苦笑しながら口を挟んだ。
「あの……フェイちゃん。
私、ロゼッタって言うの。
よかったら〝おばちゃん〟じゃなくて、ロゼッタって呼んでくれると嬉しいな」
フェイは素直にうなずく。
「ねえ、ロゼッタさんは、ここにはどうやって来たの?」
「どうやってって……そっちの方からだけど……」
ロゼッタが指さした方には、フェイたちが来たのとは別の洞窟が延びている。
フェイはあまり悩まず、そちらに向かうことにした。
その洞窟はかなりの距離があり、抜けて外に出てみると、フェイたちが来たのとは対岸の地上部分に通じていた。
「じゃあ、帰ろうか――ああ、ロゼッタさん、それは駄目だね」
ロゼッタは何を言われたかわからず、きょとんとしている。
彼女は拉致された時、そのままの格好だった。
足にはヒールの高い靴を履いていた。
とても森の中を長時間歩けるようなものではない。
「しょうがないね。
ジェシカ、ロゼッタさんを乗せてあげて。
シェンカは足を引きずっているから無理しないで。
あたしは歩いていくから大丈夫よ」
怖がるロゼッタを無理やりジェシカの背中に乗せ、膝と踵を締めて下半身を安定するようレクチャーしているうちに、ふいにオオカミたちが緊張した。
毛が逆立ち、低い唸り声が洩れる。
「どうしたの、敵?」
二頭がうなずく。
「奴らの仲間ね。何人かわかる?」
フェイはオオカミたちの前に手を出し、ゆっくり指を立てていく。
一本、二本……八本目で二頭が同時にうなずく。
「八人か……。多いね。
方向はどっち?」
オオカミたちが向いた方向は、まさにフェイたちが帰ろうとしているカイラ村の方だった。
「やっぱり村に戻らせないつもりだわ。
逆方向になるけど、仕方ないわね。
行先はあんたたちに任せるわ。
とにかく安全なところまで距離を取らなくちゃ」
* *
フェイたちの逃亡ははかどらなかった。
フェイは徒歩だし、シェンカは足を怪我してひきずっている。
ジェシカはロゼッタを乗せているため、早く歩けない――ロゼッタが大人の女性で重いことと、乗り方が下手で急ぐと落としそうになるからだった。
それでもオオカミたちは先を急ごうとする。
姉妹たちの様子で、フェイにも追手が迫っていることがわかる。
恐らく洞窟内に転がっていた仲間から、ロゼッタが逃げたことと、逃がしたのがカシルを追われる原因となったフェイであることを聞いたのだろう。
追手が簡単に諦めそうにないことは、フェイにも予想がついた。
それなのに追手を引き離すどころか、オオカミたちの焦りようからすると、むしろ距離を詰められているようだ。
追手は武装しているだろう。
シェンカは怪我をしているし、自分とロゼッタというお荷物もいる。
八人で取り囲まれたら、ジェシカだけではとうてい守り切れない。
フェイたちは川沿いにひたすら下流へと向かっていた。
あまりにもわかりやすい逃走経路だが、オオカミたちが迷わず進んでいるということは、ほかに選択肢がないのだ。
追手の網が狭まっている――ひしひしとそれが感じられた。
ほかにうまい手も考えつかず、ひたすら先を急いでいたフェイの目に、妙なものが映った。
川岸の先に、小さな小屋らしきものが見えてきたのだ。
だが、小屋と言うには小さすぎる。
近づくにつれ、その正体が見えてきた。
川漁師が雨を凌ぐためだけに建てた、やっと一人が入れるくらいの
同じようなものは、カシルの近くの川でもよく見かけた。
あれがあるということは、もしかして――。
フェイはオオカミたちを追い抜いて走り出した。
東屋のあたりを目指して川岸を滑り降りると、果たしてそこには杭に繋がれた小舟が浮かんでいた。
オオカミたちに声をかけて呼び寄せると、彼女たちを舟に乗せ、
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