秘匿名「R作戦」 六 娘たちの逃避行

 舟に揺られながら、ロゼッタは不安でいっぱいだった。

 ここまでオオカミの背中に乗せられていたのもそうだったが、このような小舟に乗るのも生まれて初めてなのだ。


 フェイは平気な顔で竿を手にして舟を操っている。

 ロゼッタの情けない表情に気づいたフェイはにかっと笑う。


「あー、大丈夫ですよ。

 あたし、カシル育ちなんで、舟の扱いは得意なんです。

 ――でも、そろそろ陽が落ちるし、上陸しないといけませんね」


 フェイは流れが緩くなる淵で岸に舟をつけた。

 全員を上陸させると、舟はそのまま流れに乗せて流してやる。

「舟、流しちゃって大丈夫なの?」

 ロゼッタが心配そうに訊く。


「多分二、三十キロは下ったから平気だと思うけど、ここに舟を結んでいたら上陸地点がバレバレです。

 舟の持ち主の人には申し訳ないけど、仕方ないですよ。

 後でアスカにお願いして、弁償してもらわないといけないわね……」


「それは、私に任せてくれる?

 全部私のせいなんだから……。

 それに、そういう手配は得意なのよ」

 ロゼッタはやっと自分にできることを見つけたようで、嬉しそうだった。


      *       *


 フェイたちは川から離れ、森の中で野営することにした。

 ――とはいえ、見つかりにくい茂みの中に乾いた落ち葉や枯れ草を集め、オオカミたちの間に挟まって眠るだけだった。

 暖かな南部地方とはいえ、時は一月下旬である。

 オオカミの毛皮に囲まれていなければ、恐らく凍死していただろう。


 問題は食糧だった。

 ジェシカがウサギを獲ってきてくれたが、フェイとロゼッタには火を起こすことができない。

 ウサギはオオカミたちの餌にして、フェイが持っていたお菓子をロゼッタと分け合って食べた。


 次の日、フェイたちは真っ直ぐ西を目指した。

 森さえ抜ければ、どこかの村か、あるいは村に繋がる街道に出るはずだった。

 食べられそうな木の実を探しながら歩いたが、季節は冬である。

 わずかな冬苺が見つかったくらいで、腹の足しになるようなものはほとんど手に入らない。


 幸い、途中で水の匂いを嗅ぎ分けたシェンカが泉を見つけ、水だけは存分に飲むことができた。

 二人は水辺に座りこんで、しばしの休憩を取ることにした。

「ああっ、帰ったら真っ先にお風呂に入るわ!」

 ロゼッタは力ない声で宣言する。


「そして着替えるの。

 私、絶対臭いわよね。さらわれてから、ずっと同じ下着だもん。

 こんな姿、アリストア様に見られたら、生きていけないわ……」


「あら、あたしがカシルで暮らしてた時は、下着なんて週に一度洗濯すればいい方だったわよ。

 水浴びも冬は月に一、二回だったし。

 臭いのなんてすぐ慣れるわよ」

 フェイは慰めるつもりであったが、あまり効果はなかったようだ。


 ぐったりしたロゼッタは、ふとフェイの方を見て訊ねた。

「ねえ、フェイちゃん。

 その腰のベルトについているの、何が入っているの?」


「え? ……ああ、これ?

 そう言えば何だろう。

 このズボン、ユニ姉ちゃんのを借りた奴だから……最初から付いていたのよ」


 フェイのズボンのベルトを通して、腰のあたりに黒い革の蓋つきケースのようなものが付いている。

 直接フェイには見えないので、これまでその存在を気にしていなかったのだ。

 フェイはお尻をロゼッタの方に向けて、中身を見てもらった。


 ボタン付きの蓋をぱちんと開けると、中には油紙でくるまれた包みが二つと、包帯がひと巻き入っていた。


「ありゃぁ、包帯があったんだ。

 あたしの肌着を裂かなくてもよかったのかぁ……」

 フェイは嘆きながら、油紙の包みを見てみる。

 小さい方の包みには「傷薬」と書いてあった。


 大きい方には何も書かれていないので、包みを開いてみる。

 中に入っていたのは干し肉だった。

 フェイとロゼッタは目を輝かせる。


 さっそく一枚ずつ分け合って口に入れてみる。

 干し肉はかなり固く歯応えがあった。

 それでも時間をかけて噛んでいると、次第に肉汁が染み出してきて、水も飲むと結構な満足感がある。

 肉は十枚入っていたので、とりあえず三枚ずつ食べ、残りはまた後にとっておくことにした。


「さすがはユニさんだわ!」

 ロゼッタは心から感謝して、二枚目の肉に齧りついた。

 しかし、フェイは一枚目の肉を咥えながら、横たわって休んでいるシェンカのもとに向かった。


 自分の肌着を裂いて作った即席の包帯を解くと、傷の様子を診る。

 もう出血は止まっている。傷口も塞がりかけてピンク色の肉が盛り上がっている。

「ちょっと染みるけど、がまんしてね」

 そう言うと、ユニの傷薬をたっぷりと傷口に塗る。


 ビクン! と身体が反応し、痛みに目を細めるが、シェンカは鳴き声も洩らさずおとなしくしている。

 新しい包帯をきっちり巻き付け端を結ぶと、「終わったわよ」と言うようにシェンカの胴をぽんぽんと叩く。

「よく我慢したわね。いい子だわ。

 傷口は舐めちゃだめよ」


 シェンカの手当てを終えると、フェイはロゼッタの側に戻ってきて、干し肉の続きを食べだした。

 ロゼッタはがっくりと肩を落とした。

 ああ……私ってば、大人として恥ずかしいわ……。


 二人はもぐもぐと干し肉を噛みながらぴたりとくっついている。

 ロゼッタはずっとジェシカの背中にしがみついていたので、オオカミの毛皮と体温であまり寒さを感じていない。

 フェイは歩きどおしなので、少し汗ばんでいるくらいだった。

 それがこうして座っていると、冬の寒気がたちまち二人の体温を奪っていく。


「ねえ、フェイちゃん。

 ずっと思ってたんだけど、あなた、ユニさんみたいにオオカミと話ができるの?」


 フェイは口をもごもごさせながら答える。

「んーん。全然わかんないよ。

 オオカミもユニ姉ちゃんが近くにいないと、あたしの言葉はわからないみたい」


「でも、ジェシカにシェンカ? ――二頭とあなたって、普通に会話しているように見えるわよ」


 フェイはごくりと干し肉を飲み込むと、にかっと笑った。

「ジェシカとシェンカは別。

 この子たちの言いたいことって、顔を見ていると何となくわかるのよ。

 あたしの言うことも、何となく伝わるみたい」


 フェイは言葉を切って少し考え込む。

「――そうね、言葉はわからないから、細かいことは伝わらないのよね。

 でもね、こう……顔を真っ直ぐ見て、相手の瞳をじっと見つめるの。

 そうするとお互いが心から思っていることって、通じるのよ」


「なるほどね~」

 ロゼッタは何となく納得する。

 そして、すぐ近くで寝そべっている二頭のオオカミたちを見やった。

「駄目だわ。私にはどっちがジェシカでどっちがシェンカか、全然見分けがつかないもの……」


 フェイたちは川の流れに乗って、思ったより森の奥まで進んでいたようだった。

 結局その日一日歩き通しても、森を抜けることはできず、二度目の野宿を余儀なくされた。


      *       *


『フェイとジェシカたちが戻ってこない?』

 ライガとヨミがカイラ村に戻ってくると、待っていたのは暗い顔をしたユニだった。

 ライガたちの捜索は空振りに終わったようだ。


「あななたたち、戻ってきたばかりで悪いけど、フェイと姉妹のこと探しに行ってくれない?」

 ライガたちは『わかった』と言い残して、森の方へ消えていった。


 それと入れ替わるように、南側を探しにいっていたトキとヨーコが戻ってきた。

 彼らもこれといった成果を挙げられなかったと報告してきた。

 そして、フェイたちのことを聞くと、すぐにライガたちを手伝うためにその後を追った。


 しばらく時間をおいて、最後に帰ってきたのがミナだった。ペアのハヤトの姿がない。

「どうしたの? ハヤトは?」

 ユニの問いに、舌を出して荒い息をしているミナが報告した。


『ロゼッタは見つからなかった。

 でも、森の中で、数日以上野営をしていた跡を見つけたの。

 二頭立ての荷馬車と一頭立ての客車、それに馬が三頭つながれたまま残っているわ。


 ――でも、その一頭立ての馬車の中にロゼッタの匂いが微かに残っていたのよ。

 臭いからするとほかの人数は八人。

 森の奥へ入っていったみたいなの。今ハヤトが跡を追っているわ』


「わかった。

 フェイのことがあるから、あたしはここから動けないの。

 その野営の跡は、間違いなく犯人一味のものだと思う。

 ライアン中尉を呼んでくるから、悪いけど彼をそこまで案内してくれるかしら。

 その後はハヤトを追って。

 何かわかったら、また知らせにきてほしいの。いい?」


 ユニはミナをその場に残して、ライアン中尉たちが滞在している軍の出張所へ向かった。


      *       *


「何かありましたか!」

 血相を変えて飛び込んできたユニを見て、ライアン中尉は反射的に尋ねた。


「森の中で犯人の野営地を見つけたわ。

 馬三頭と馬車が二台放置されている。

 馬車にはロゼッタの匂いが残っているから、拉致したことはまちがいない」


 中尉の顔がみるみる明るくなる。

「それで、犯人たちは?」

「森の奥へ入ったみたいで、今うちのオオカミが跡を追っている。

 いずれ犯人たちが野営地に戻ってくるのは間違いないわ。

 あなたは、村の警備兵を借りて野営地に向かって」


「わかった。

 クルト少尉、肝煎きもいりのところに行って、借りられるだけの警備兵を集めてくれ」

 そう言うと、ライアン中尉は懐から小さな紙片を取り出し、細かな字で手紙を書き出した。


「それは?」

 ユニの問いに、中尉は手を休めないまま答える。

「伝信です。

 アストリア様に報告をします。

 君、鳩の籠を持ってきてくれ」


 中尉に声を掛けられた兵士が奥へすっ飛んでいき、すぐに鳩の入った籠を持って戻ってきた。

 ライアンは書き終えた手紙を小さくたたみ、くるくると筒状に丸める。


 兵士に鳩を抱きかかえさせると、脚に付けられた金属の筒に手紙を入れ、蓋をした。

 そのまま鳩を受け取って外に出ると、夕焼けで茜色に染まった空へと放った。


「これで明日の朝には王都に届くはずです。

 警備兵が揃い次第出発します。

 ユニ殿も同行いただけますか?」


 ユニは口惜しそうな顔でライアンに詫びた。

「すみません。

 こちらはこちらでちょっと問題が発生して、私は動けないのです。

 うちのオオカミに案内させますから、中尉はその後に付いていってください」


      *       *


 ライガとヨミ、それに後から追いついてきたトキとヨーコは、昼間ヨミとフェイたちが別れた場所から跡を追い始めた。

 姉妹たちははっきりした目的があったらしく、寄り道せずに移動しているので、追跡は容易だった。

 すぐに彼女たちの目的地が三階の滝だということがわかる。


『おかしいわね。あの滝には一度行ったはずだけど、どうしてまた行こうとしているのかしら?』

 ヨミが不審な顔をする。

 もう陽は落ちて、あたりは薄暗くなっているが、オオカミたちは夜目が効く上、匂いを追っているからには歩調が緩むことはない。


 フェイたちの匂いは滝近くの茂みの中に入り込み、どんどん高度を下げていくとともに、足元の道幅が狭く険しくなってきた。

『なんだ、こんな道通ったことないぞ。

 あいつら、フェイに危ないことをさせるなって、口を酸っぱくして言われているのに、こんなとこに来やがって!』


 ライガはお冠だ。

 フェイには狼人間ライカンスロープの血が混じっていることもあって、群れのオオカミたちは皆、自分たちが彼女の保護者だと思っているのだ。


 茂みを抜けると、そこはもう崖の中ほどだった。

 オオカミたちは臆することなくひょいひょいと狭い足場を下っていく。

 川岸まで降りると、滝から降り注ぐしぶきで地面が洗い流され、匂いはほとんど残っていなかった。

 しかし、この先行ける場所は滝そのものしかない。


 ライガたちは滝の水しぶきに辟易しながら崖の行き止まりまで進む。

『なるほど、ここから飛び移って滝の裏に入れるのか……』

 霧のような水しぶきを通して、向こう側に足場のようなものが見える。


 ライガたちは次々に滝の裏に飛び移り、暗い洞窟の奥を進んでいく。

 いったん水で消えていたフェイたちの匂いが復活し、明確に彼女たちの足取りを示している。

 暗闇の中を躊躇なく進む先頭のライガが急に立ち止まった。


『どういうことだ?

 ロゼッタの匂いが混じっている。

 それに大勢の男の匂い、それに血の匂いもする……』


 ライガは後に続く仲間たちに合図をし、慎重に歩を進める。

 やがて微かな明かりが見えてきた。

 洞窟の奥、小さな広場のようなところが、消えかかったランタンに薄ぼんやりと照らされている。

 そろそろと岩陰から顔を覗かせると、そこには先客がいた。


『なんだ、ハヤトじゃないか。何でここにいるんだ?』

 ハヤトも驚いた顔をしている。

『それはこっちのセリフだ。

 みんな揃ってどうしたんだ?』


 オオカミたちは合流して互いの情報を突き合わせた。ハヤトがそれをまとめる。

『ここにロゼッタが監禁されていたのは間違いない。

 フェイとうちの娘たち(ハヤトはジェシカたちの父親)が偶然それに鉢合わせて、彼女を救い出したらしい。

 見張りは男二人で、それは娘たちが倒したようだが、血の臭いからすると、どうもシェンカが怪我をしたらしい。


 ――俺が追ってきた男たちは、その後にここに来たようだ。

 怪我をした仲間を回収して、そのままフェイやロゼッタの後を追ったらしい』


 ハヤトが情けなさそうな顔で大きな溜め息をついた。

『まったく、うちのバカ娘たちは何て無茶をするんだ。

 そのまま戻って皆に報告すれば人間の兵隊も使えたし、もっと簡単にロゼッタを救出できたのに……』


 ライガが慰めるようにハヤトの顔を舐めた。

『起きてしまったことは仕方がないさ。

 あの姉妹へは、ことが終わったら折檻してやろう。

 今はフェイとロゼッタの跡を追うことが先だ』


      *       *


 ハヤトを加えたオオカミたちは、再びフェイたちの跡を追跡する。

 ライガたちが追ってきたのとは別の洞窟を通って地上に出ると、そこにミナが待っていた。

 再び互いの情報を確かめ合い、追跡を開始する。


 ジェシカがロゼッタを背負い、フェイはシェンカに乗らずに徒歩で移動しているようだった。

 やはりシェンカは怪我をしたのだろう。


 彼女たちはカイラ村の方向とは真逆の東へ、川沿いに逃げている。

 恐らく追手を避けてのことだろう。

 そして川漁師の休憩小屋らしきところで匂いがぷっつりと途切れた。

 ここから舟に乗ったらしい。


 オオカミたちはその場で追跡の方針を話し合った。

 フェイたちが舟で移動したということは、追手との距離をとるため、かなり下流まで進んでいると思われる。


 川沿いを追跡していけば、いつかはその上陸地点とぶつかり、再び匂いを追跡できるだろう。

 そうなれば、足の遅い彼女たちに追いつくのは造作もない。


 問題は、フェイたちが川のどちら側に上陸したかがわからないため、両岸を調べていかなければならないことだ。


 川を移動する舟はよいだろうが、川沿いに岸を移動するとなると、楽な道ばかりとは限らない。

 というか、そもそも道がないのだ。

 簡単に後を追えるとは思われない。


 ライガはこの場で野営することを決断した。

 もう日が暮れている。夜間の移動は非効率で疲労も激しい。

 群れのオオカミたちは、午後からずっと走りどおしで食事もとっていない。

 女衆には少しでも身体を休めて体力の回復に努めさせた。


 ライガはハヤト、トキとともにカイラ村にいったん戻ることにした。

 ユニに状況を報告し、彼女に合流してもらうこと。

 そして村から食料を仕入れて運ぶことが目的である。


『時間が惜しい、行くぞ!』

 そう言い捨てて森の闇へと消えていくライガの後を、二頭のオオカミが追っていった。

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