秘匿名「R作戦」 四 秘密の場所

 ユニは小さな溜め息をついた。

 そしてフェイのもとに戻るとこう告げた。


「ごめん、フェイ。

 あたしはちょっと仕事の話をしなくちゃいけないみたい。

 あなたはジェシカとシェンカと遊んでらっしゃい。

 オオカミたちは、あたしよりよっぽどこの辺の森に詳しいし、面白いところも知っているはずだから、案内してもらってね。

 多分、あなたも気に入るはずだわ。

 陽が落ちる前には帰ってくるのよ」


 フェイは元気よくうなずく。

 オオカミ姉妹と遊べると聞いて、何かのスイッチが入ったらしい。さっきまでのしゅんとした表情とは別人だ。


 ユニはライガにも言い聞かせる。

「ライガ、フェイを村の外まで乗せていって、ジェシカとシェンカと一緒に遊ばせてあげて。

 この辺の森ならそう危険なことはないと思うけど、念のため母さんヨミに付いていてもらって。

 どうせあの姉妹もフェイと同じで、遊び始めると夢中になるでしょうから、母さんには日暮れ前に連れ戻すよう頼んでね」


 ライガは『任せておけ』と請け負うと、フェイの上着の襟首を咥え、そのままひょいと空中に放り上げた。

 フェイは空中で一回転すると、すとんとライガの背中に着地する。

 見事なものだ。二人そろってサーカスで生きていけそうだった。


 ユニは将校たちの方に戻ると、作業小屋の中に入るよう促した。


      *       *


「ロゼッタが誘拐?」

 ユニは思わず大声を上げた。


「いつ? どこの誰に? 彼女は無事なの?」

 畳み掛けるユニを将校が落ち着くようにと制する。


「彼女が拉致されたのは三日前の早朝です。

 身代金の受け渡しは今日の夜の予定なので、恐らく現時点では危険はないかと。

 取引の方に関しては、警衛隊に任せています」


 とりあえずユニは安堵の息をついた。

「我々は独自にロゼッタ中尉の救出を目指しています。

 秘匿名〝R作戦〟――その実行部隊として、ユニ殿のお力を借りたいのです」


 少し芝居がかったライアン中尉の言葉に、ユニはいくらか疑いの目を向ける。

「あなたたち、何か楽しんでいない?

 ――まぁ、いいか。

 ロゼッタを救うというなら協力は惜しまないわ。

 詳しく話して」


 中尉は、犯人と思われる一味が、このカイラ村で食料を買い込んだこと。

 これまでの例から、ロゼッタは郊外、あるいは森の中にある使われていない小屋などに監禁されていると見られること。


 上記二点から、参謀本部はこのカイラ村近郊に彼女がいるのではないかと睨んでいることを説明した。


「……なるほど。

 それで、あたしのオオカミたちに捜索させようってことね?」

 ライアン中尉は「そのとおりです」と言って、テーブルの上に重そうな革袋を置いた。


「何か重要な情報を掴んだ場合はさらに割り増しを。

 救出に成功した場合には、これと同額を別にお支払いします。

 まぁ、その場合は、多分ファン・パッセル家からの礼金の方が、はるかに高額になるでしょうが」


「今は報酬のことは後回し。

 これはありがたく受け取るけどね。

 ただ、あなたたちのその――分析、でしたっけ?

 大甘だわ。

 よくアリストア先輩が黙っていたわね」


「それはどういう意味でしょう?」

 ライアン中尉の顔には「心外だ!」と大書してある。

「その、これまで人質が郊外や森の打ち捨てられた炭焼小屋や山小屋で見つかったっていうの、カシルの話でしょ?」

「そうですが……それが何か?」


「そりゃカシルは今、貿易で儲かっているものね。

 誰も森に入って木を伐ったり炭を焼いたりするわけはないから、そんな小屋もあるでしょうよ。

 人質を隠すにはうってつけだわ」


 中尉は黙ってうなずいた。

 ユニは「やれやれ」という顔で一つ咳払いをする。

 この出来の悪い生徒を教育してやらなければ……。


「あなたたち、王都で煮炊きや暖房をする時の燃料は何を使っているの?」

「それは……まきですが」

「それはどうやって手に入れるの?」

「商人から買いますよ。当たり前じゃないですか」


 中尉は「この娘は何を言っているんだ?」という顔をしている。

 ユニは小さく溜め息をついた。

 アリストア先輩、あなたは部下の教育にもう少し力を入れた方がいいですよ!


「王都で――いや、中央平野で消費される薪の大半は辺境が供給しているわ。

 調べた訳じゃないけど、多分七割くらいはそうなんじゃないかしら。

 タブ大森林の針葉樹を伐り倒して、数年乾燥させてから薪や材木に加工しているの」


「――乾燥させるのですか?」

 ユニは軽い眩暈めまいを覚えた。

「あのねぇ……生木が燃えると思ってるの?

 乾燥もさせない材木で家を建てたりしたら数年で崩壊するわよ」


 彼女は気を取り直して続ける。

「とにかく、王都の人たちの薪のために――いえ、お金を稼ぐために、辺境じゃ毎日のように森に入っているの」

 ライアン中尉は「なるほど」という顔だ。


「本当にわかっているの?

 辺境じゃ現在進行形で人間が森を侵食しているのよ。

 森の中には平地と同じくらい人の目があるのよ。

 そんなところに放置された小屋が存在すると思う?」


「あ……」

 ようやくライアン中尉も気づいたようだった。

「辺境の人だって煮炊きをするわ。

 でも、金になるとわかっている薪を使うと思う?

 ここじゃね、みんな毎日森に入って枝を拾ってくるのよ。

 放置された小屋なんかあったら、たちまちバラされて焚き木にされるわ」


 ユニはぐいと中尉の前に顔を寄せる。

「ましてや今は冬。

 暖房に使うから、みんなかなりの奥まで枝を拾いにいくわ。

 そんな森の中に人質を隠せると思うの?」


「――う……」

 中尉は言葉も出ない。ユニの言うことはもっともだった。

 ユニは少し気の毒になってきた。

 この辺で許してやるか……そんな気分だ。


「多分、参謀副総長殿はその程度お見通しよ。

 それでもあなたを私の所によこしたってことは、ロゼッタが辺境に隠されているという見立て自体は間違っていないということよ」


 ライアン中尉はうなだれていた顔を上げた。

「そうなんですか?」

「ええ」

 『それがあの人の性格が悪いところなんだけど』と思うものの、それは口に出せない。


「炭焼小屋や用具置場の線は薄いけど、森には地形的に人が近づかない場所が確かにあるわ。

 洞窟とか岩場、薮の奥とかね。

 その辺を中心に捜索してみるわ」


      *       *


 ほっとした表情のライアン中尉に対し、ユニは確認をする。

「ところで、ロゼッタの持ち物とか用意してる?

 ライガ以外は彼女の匂いを知らないのよ」


 ライアン中尉はクルト少尉に目配せする。

 少尉は肩から下げていた鞄から油紙でくるまれた大きめの包みを取り出した。

「ロゼッタ中尉の寝間着です。ご実家から洗濯前のものを無理を言ってお借りしてきました」


 ロゼッタが聞いたら嫌がるだろうな、と思ったが、正直ありがたい。

「わかったわ。

 探す範囲が漠然としているから、結構時間がかかりそうね。

 そっちの交渉の行方も知りたいから、まめに連絡が取れるようにしましょう」


 そこでユニは少し顔を曇らせた。

「でも、身代金の取引は今日の夜なんでしょう。

 その結果を待ってからの方がいいんじゃないの?」


 ライアン中尉は心配ないといった面持ちだ。

「それなら気にしないでください。

 取引が成功して居場所がわかればそれに越したことはありません。

 ただ、我々は今夜の取引についてはあまり期待していないのですよ」


「どういうこと?」

「相手は誘拐専門の、いわばプロです。

 警衛隊が周囲に張り込んでいることなど予想しているでしょうし、簡単に見破ると思うのですよ。

 だから、一回目の取引には応じずに、ファン・パッセル家に脅しをかけるつもりではないでしょうか。

 これまでの例を見ても、大概二度目の交渉で人質が解放されていますから」


      *       *


 結果から言えば、ライアン中尉の予想は的中した。

 この日の夜、指定されたいかがわしい酒場を訪れたファン・パッセル家の執事であったが、誘拐犯たちは現れなかった。

 代わりに店の者から渡された手紙には、こう書かれてあった。


 俺たちを舐めるな。

 娘の命が惜しくないのか?

 次に警衛隊を連れてきたら、もう取引はしない。

 少し歳は食っているが、なかなかの上玉だ。高く売り飛ばせるだろう。

 それでよければ好きにするがいいと、主人に伝えろ。


 そして、翌日の深夜にまたロゼッタの実家に投げ文があった。

 二度目の取引はまた二日後、場所はやはり蒼城市、ただし一回目とは別の店が指定されていた。


      *       *


 カイラ村郊外で、ユニはオオカミの群れに指示を出していた。

 すでにロゼッタの衣服で彼女の匂いをオオカミたちに覚えさせてある。

 二頭一組で捜索に当たるのは、オーク狩りの時と一緒だ。

 痕跡を見つけたら、一頭は報告のために戻り、もう一頭は追跡を継続する。


 オオカミたちは自分たちの食糧確保のため、普段からカイラ村近郊の森で狩りをしているので、人間が潜めそうな場所には詳しい。

「それじゃ、ライガと母さんヨミ、ハヤトとミナ、トキとヨーコさんの三組で分散して探してちょうだい。

 ハヤト組は北、トキ組は南、ライガは母さんと合流してから中央を探してもらうわ」


『ジェシカとシェンカはどうするんだ?』

 ライガが訊ねる。

「あのたちには、そのままフェイの相手を頼むわ。

 夕方までには帰るように、念を押しておいてね。

 みんなも、夜になったらいったん報告に帰ること。いいわね!」


 オオカミたちは「承知!」の一言を残してさっと散っていく。


      *       *


 フェイは午後の時間をジェシカ・シェンカのオオカミ姉妹と遊び倒していた。

 オオカミの背中にしがみついて、森の中を走り回るだけでも無茶苦茶面白い。


 木の枝、茨の切れ目、岩の隙間をわずか数センチの余裕さえあれば、矢のようなスピードで駆け抜けていくのだ。

 現代で言うならジェットコースターだろうが、迫力が全然違う。


 きゃいきゃい叫び声を上げて喜ぶフェイに、姉妹は調子に乗って、背中に乗せかえるたびにもっと早く、もっとぎりぎりにと競うものだから大変である。

 お目付け役で付いてくるヨミはハラハラのしどうしだった。


 川の水が三段になって落ちる滝、村々が一望に見渡せる高台、目もくらむような深い渓谷……姉妹たちの〝とっておき〟の場所に、フェイは惜しみない感嘆と称賛を贈った。


 広々とした野原では、一緒に野ウサギを追いかけまわした。

 ウサギ狩りに飽きて、そのまま二頭と一人で取っ組み合いをしているところに、匂いを追いかけてライガがやってきた。


『お前ら、どんだけ走りまわっているんだ?

 後を追っかけるだけで一苦労だったぞ。


 ――ヨミ、仕事だ。

 ユニの知り合いが誘拐されて、この付近に監禁されているらしい。

 俺はお前と組んでこのあたりを探すことになった』


 ヨミはホッとした様子だった

『わかった。

 ――正直、このたちの面倒を見るのは心臓に悪いから助かるわ』


『ねー、じいちゃん。あたしたちはー?』

『お前たちはフェイと遊んでていいぞ。ただし、あんまり危ないとこには連れて行くなよ。

 それと、夕方までには必ずカイラ村に帰れ。

 いいな』


 姉妹は尻尾をバッサバサと振って歓迎の意を示した。

『フェイー、あたしたちだけで遊んでいいって!』

『ばあちゃんいなくなるから、もっと秘密の場所を見せてあげるー』


 フェイは二頭の首を両手で抱いて、姉妹に両側からべろべろ舐められた。

「くすぐったいーっ!

 そっかぁー、もっとい遊んでいいのね?

 楽しそう!」


 彼女たちの様子を見ていたライガが目を丸くする。

『おい、ユニがいないからフェイが何を言ったかわからんが、何だかお前たち言葉が通じているんじゃないか?』


 ヨミも同意する。

『そうなの。このたち、お互いに言ってることがわかるみたいなのよ』


 ジェシカとシェンカは尻尾を振りながらフェイの顔を舐め続けている。

『そだよー、フェイの言葉はわかんないけど、何を言ってるのかは大体わかるー』


 ライガは言葉に詰まった。

『……それは――後でユニに話してみなきゃならんな。

 とっ、とにかく行くぞ、ヨミ。

 お前たち、くれぐれもフェイを危ない目に遭わすんじゃないぞ!』


 そう言い残して、ライガはヨミを連れて森の奥へと消えていった。


      *       *


『さて、じいちゃんとばあちゃんはいなくなったわけだが――』

 ジェシカがおもむろに口を開く。

『今後の方針を立てるべきですじゃ』

 シェンカがうなずいた。


「なになに、この後どうするか相談してるの?」

 フェイがキラキラした瞳で二頭の間にもぐりこむ。


『となれば、あそこに行くしかないわねー』

『群れのみんなも知らないとこだからねー』

「なに? そこ、面白いの?」

 姉妹は顔を見合わせてにやりと笑う。


「あー、二人だけでずるいーっ! 早く連れて行ってよぉ!」

 フェイはそう言うなりシェンカの背中に飛び乗った。

 二頭は互いに目配せして、一斉に駆けだした。


      *       *


「あれぇ……ここって、さっき来た滝じゃないの?」

 フェイが言うとおり、そこは川が三十メートルほどの断崖を三段になって流れ落ちる滝だった。

 姉妹は顔を見合わせると、なぜか得意げな顔になって断崖の側の茂みの中に入っていく。


 枝や茨をすり抜けていくので、フェイはオオカミの身体にぴたりと伏せてしがみつかなければならない。

 視界もさえぎられて、どこをどう通っているのかもわからないが、オオカミたちが道を下っているのだけは感じられた。

 やがて、茂みを抜けると一気に視界が開ける。


 フェイは自分が崖の中腹を降りていることに気づく。

 それは、道と呼ぶにはあまりに頼りない、細い足場に過ぎない。

 下を覗けば垂直の崖、上を見上げれば青い空だけが見える。


 二頭のオオカミは、ひょいひょいと細い足場を速足で駆け下りていく。

 姉妹が滝の下に降りようとしていることは明白だった。


 フェイは心臓がドキドキと早鐘を打っているのを感じた。さすがに怖い。

 だが、オオカミの背中にしがみついていると、不思議と安心感に包まれてくる。


 数分も経たないうちに彼女たちは川岸に降り立った。

 目の前には轟音と水しぶきを上げて流れ落ちる滝、泡立ち渦を巻く滝壺、何事もなかったかのように流れ去っていく水流があった。

 水しぶきは霧となり、フェイたちをあっという間にずぶ濡れにする。


 一体どうするのかとフェイがいぶかしんでいると、ジェシカとシェンカは迷うことなく滝の真下へと向かっていく。

 轟音は耳をつんざくほどになり、飛び散る水しぶきに小さな虹がかかっている。


 細い川岸が崖とぶつかり、行き止まりになっているところまでくると、先頭を行くジェシカがくるりと向きを変え、いきなり滝に向かって跳躍した。

 フェイは思わず小さな悲鳴を上げた。

 てっきりジェシカが滝に身を投げたのかと思ったのだ。


 ところが、流れ落ちる滝の陰からひょっこりとジェシカが顔を出した。

 そうやら滝の裏側に飛び移ったらしい。

 ジェシカがOKを出したらしく、フェイを背負ったシェンカも続いて跳躍した。


 一瞬、激しい水しぶきが背中を叩いたが、すぐに潜り抜け、彼女たちは滝の裏に立っていた。

 見ると、滝の裏は洞窟になっていて、奥へと続いているらしい。


 ここが群れのオオカミも知らない、姉妹だけの秘密の場所だった。

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