秘匿名「R作戦」 三 フェイの冬休み

 ファン・パッセル家の屋敷に投げ文があったのは、ロゼッタが失踪した日の深夜であった。

 小石を紙で包んで、ガラス窓めがけて投げ込むという、よくある手法である。


 内容は、ロゼッタを誘拐したことと、身代金として金のインゴット五本の要求。

 金の受け取りは蒼城市の指定の店、日時は二日後の夜八時とされていた。


 もし、軍に通報した場合には娘の安全を保障しない。

 金と引き換えにロゼッタの居場所を記した封書を渡すが、万一金の受け取り後に追手がかかった場合には、娘の居場所を移して売り飛ばす。


 ――そのような内容だった。

 ファン・パッセル家では娘の安全が第一なので軍の関与を迷惑がったが、それは聞き入れられなかった。


 王国では警察組織は独立した機構ではなく、軍組織の一部となっていて、名称も〝警衛隊〟と呼ばれている。

 参謀本部内で編成された捜索班は、誘拐当日のロゼッタの足取りを追い、中央公園で拉致されたことを突き止めた。


 また、カシル自治領内で活動していた誘拐グループが、最近中央平野に活動拠点を移し、すでに何件かの事件を起こしていることも掴んだ。

 身代金に金貨ではなく、地金を要求すること、人質との直接交換を避けることなど手口が一致していて、このグループの犯行とほぼ断定された。


 これらの情報ごと、事件は警衛隊に引き継がれ、捜査の専門家が対処することとなった。

 ロゼッタが有力商人の娘であり、参謀本部の事実上のトップであるアリストアの秘書官ということもあって、警衛隊が全力を尽くすだろうことは想像に難くない。


 警衛隊の方針は、取引場所の周辺に捜査員を配置、監視すること。

 二日後の取引では直接手出しをせず、犯人を尾行すること。

 ロゼッタの身柄を確保し次第、犯人を検挙すること――だった。


      *       *


 参謀本部、アリストアの執務室には二人の副官が揃っていた。

 ヤン大尉は秘書官代理として、上官の傍らで書類の束を胸に抱いたまま控えている。

 もう一人のリュック大尉は、アリストアの正面で直立不動の姿勢をとっている。


「納得いきません!」

 リュック大尉は大声で意見具申を続ける。

「警衛隊がその道の専門家であることは認識しております。

 彼らに捜査を委ねることにも反対いたしません。


 ――しかし、だからと言って、我々が何もしないというのは承服いたしかねます。

 ロゼッタ中尉は参謀本部の華、もとい! 参謀本部の仲間――いわば戦友であります。

 その危機を座して見るのみでは、軍人としての矜持きょうじに関わります」


 半ばあきれ顔でアリストアが尋ねる。

「それは……君個人の意見かね?」

「いえ、捜索班志願兵十二名の総意でありますっ!」


 リュック大尉はそう叫ぶと、懐から筒状に巻いた紙を取り出し、アリストアの執務机の上に置いた。

「……何だね? これは」

 大尉は上司の目の前で黙って巻紙を広げる。


 そこには、捜索班の総員十二名のサインと血判があった。

 アリストアは頭を抱えた。

「何もここまでやらなくてもいいでしょうに……。

 リュック大尉、君はもう少し理性的な人物だと思っていましたよ」


 参謀副総長は目を閉じ、小さくコホンと咳ばらいをした。

「――もちろん、ロゼッタは私の秘書官だ。

 部下を思わぬ上司がいるものか。

 ただ、捜査の現場に素人の我々が出て行っても、かえって迷惑をかけるだけだろう。

 一体、君たちは何をしようと言うのだね?」


 リュック大尉は「わが意を得たり」という笑顔を浮かべた。

「はっ!

 我々は、犯行グループがこれまでしでかした誘拐事件の調書を徹底的に分析いたしました」

「調書? どこからそんなものを手に入れたのかね」

「お忘れですか? わが調査班には情報部からの志願者も入っております」


 アリストアは軽い眩暈めまいを覚えた。

「それは職権乱用……まぁ、いい。

 確かに情報分析は参謀将校が最も得意とするところだ。

 それで? 何が見えたのかね」


「犯行グループは、取引場所を常に繁華街、しかもかなりいかがわしい街区に指定してきます。

 今回の場所も同様です。

 ほとんどの場合、捜査側は尾行に失敗しています。

 奴らは非常に用心深い連中です。


 ――一方、これまでに救出された人質は、郊外の廃屋、森の中の炭焼小屋などで発見されています。

 今回の取引場所は、確かに都会の繁華街ですが、王都でも白城市でもありません。

 両市に比べて小規模な都市である蒼城市を、わざわざ選んだのはなぜでしょう。


 ――我々は、蒼城市に比較的近い辺境地帯、あるいは辺境に隣接する森林地帯にロゼッタ大尉が囚われていると推測しました。

 そこで辺境の各親郷に、最近見かけない余所者が入らなかったか問い合わせたところ、カイラ村に不審な者たちが立ち寄って、食料などを仕入れていったという情報を得ました」


「なるほど……。

 つまり君たちは、カイラ村近郊を捜索してロゼッタの監禁場所を探りたいというのだね」


 しかし、リュック大尉はかぶりをふった。

「いえ、一定量の食糧を仕入れるには親郷に頼るしかないわけで、必ずしも監禁場所がカイラ村近郊とは限りません。

 我々で広範囲を当てもなく捜索するのは愚の骨頂です」


「私もそう思うね」

 アリストアは同意した。

「であれば、君たちはどうするつもりなのかな?」

「副総長殿がやる〝いつもの手〟です」

 大尉は得意気な顔だ。


「私の……?」

「はい」

「いつもの手?」

「そうです」

「それは……つまり」


「はい、二級召喚士のユニ・ドルイディアに探させます。

 彼女の幻獣はこうした捜索にけています。

 ユニの拠点はカイラ村ですし、ロゼッタ中尉と親しいとも聞いております。

 協力は拒否できないはずです。

 逃げ道を塞いで彼女を働かせる――副総長殿のいつもの手ではありませんか?」


 アリストアは深い溜め息をついた。

『こういうのを何と言ったかな――そうだ、自業自得だ』


「いいだろう。

 ユニへの報酬は機密費から出していいから、十分手当してやってくれたまえ。

 それと、依頼は丁重にな。

 私はこれ以上、彼女の恨みを買いたくないのだよ」


      *       *


「うっわ~っ! もっふもふだぁ!」

 畜舎に元気のいい少女の歓声が響く。

 生まれて数時間だというのに、しっかりと足を踏ん張り、仔羊が母羊の乳を飲んでいる。


 フェイは横に渡した柵木から身を乗り出すようにして覗き込んでいた。

 ユニは慌てて彼女の上着の背中を掴み、落ちないようにと捉まえなければならなかった。

 その横で、牧場の主人がにこにこしながら解説してくれる。


「こいつは今年初めての仔羊だ。

 羊の出産は二月から本格的に始まるんだがな、この羊は少し早産だったんだが、無事に生まれてよかったよ。

 お、どうやら乳に満足したみたいだな。

 どうだい、嬢ちゃん。抱いてみるかい?」


 フェイが音速で振り返る。

「えっ! いいの?」

 主人は大きくうなずくと、横木を上げて中に入る。

 仔羊は逃げないので、簡単に捉まえて抱きあげると、「ほい」と言ってフェイに渡してくれた。


 生まれたばかりだが、仔羊は小型犬くらいの大きさがある。

 細長い足をじたばたしていたが、フェイがしっかりと抱きかかえるとおとなしくなった。

 腕の中の仔羊はミルク臭く、柔らかな体毛が暖かく、生きたぬいぐるみそのものだった。

 大きいな目に横長の瞳が濡れてきらきらしている。


「メエェー」

 仔羊がかわいらしい声で鳴くと、母羊も大きな声で鳴き返す。

「お母さんが心配しているわ。

 おじさんありがとう。この子、もう返してあげて」

 そう言うと、フェイは名残惜しそうに仔羊を主人に渡した。


「一か月くらいしたら、また来るといい。

 その頃には仔羊が三十頭は生まれているだろうよ。

 そりゃあもう、〝めんけぇ(可愛い)〟なんてもんじゃないぞ」


 フェイはぶんぶんと首を縦に振った。

「来るっ! 絶対来るよ。

 アスカに頼んで、必ず週末に遊びに来るから!」

 フェイの真剣そのものの眼差しに、主人の目が糸のように細くなる。


「おお、待っとるからな!

 ちょいと身体も冷えただろう。どれ、そろそろ母屋に戻ろうか。

 うちのかかあが熱々のクリームシチューを食べさせるって張り切っていたからな」

「ホント? あたし、シチュー大好き!」


 そう言うと、フェイはぱたぱたと母屋に向けて走っていく。

「何か、すみません。

 あのとおり落ち着きのない子で」

 ユニが申し訳なさそうに謝ると、主人は「がはは」と豪快に笑い飛ばした。


「ええってことよ。

 何だかうちの孫の小さかった頃を思い出すよ。

 あのふわふわした顔も、仔羊みたいでめんけぇじゃないか」

 主人は心から楽しそうな表情をしている。


 ユニはホッと胸を撫でおろす。

 フェイをどこかに連れていくたびに、彼女の毛におおわれた顔を気味悪がられるのではないかと不安だったのだ。

 だが、初めこそギョッとするものの、実際にはフェイと数分話をするだけで、たいていの人は彼女を普通の女の子として扱ってくれた。


      *       *


 フェイは今、救済学院の冬休みでユニの元に遊びに来ていた。

 王国では新年から新学期が始まる。

 通常は年末年始に二週間程度の冬休みがあるのだが、救済学園ではそれが一週間ほどと短く、その代わりに一月後半にも一週間の休みがある。


 この期間は学院の経営母体である救済教団が信仰する唯一神が、この世で死を迎えたのち復活した記念日の前後にあたる。

 さまざまな宗教行事があり、学院の教職員も教徒であるためこれに駆り出され、実質的に授業ができなくなるため休暇が設けられているのだ。


 フェイの面倒を見ているアスカは、この休暇中にフェイをカイラ村にいるユニのもとに預けた。

 フェイは港町のカシルで生まれ育ち、アスカとともに王国内に移ってからは蒼城市で暮らしている。

 いずれも都会であり、フェイは川を別にすれば、ほとんど自然と触れ合った経験がない。


 辺境で過ごすことで、自然と戦い、共存する人々の暮らしを学ばせたい――アスカはそう思ったのだ。


 昨日の夕方、アスカの馬に乗せられてカイラ村に着いたフェイは、田舎の暮らしを満喫していた。

 麦藁の芯を麻袋に詰めた〝しべ布団〟、鶏の鳴き声とともに起床する朝、生みたての卵を集めるのも手伝ったし、今は生まれたばかりの仔羊を見せてもらった。


 朝食後、心配そうな顔で帰っていったアスカのことなど、もうすっかり忘れているようであった。


      *       *


 牧場主の母屋で、羊肉のたっぷり入ったクリームシチューをたらふく食べ(フェイは二度もおかわりをして、おかみさんを喜ばせた)、フェイは満足して帰途についた。

 ユニは彼女と手をつなぎ、並んで歩いていく。ライガはその一メートルほど後をついてくる。


「あたし、来月になったらアスカにお願いして、絶対また仔羊を見に来るわ!」

 フェイは厳かに宣言した。

「そうね、フェイがよい子にして勉強もちゃんと頑張ったら、アスカも許してくれるんじゃないかな」

「あら、あたし成績いいのよ?」


 ――実際、フェイは数々の問題を起こしながらも、成績は優秀で常に学年の三番以内に入っていた。

 半年前までは、一度も学校に通ったことがなかったことを考えれば、これは驚異的なことだと言える。

 スポーツにおいては、文句なく学年の一番を独走していた。


「ねえ、フェイ」

 ユニが語りかけると、「なに?」という顔で、まっすぐこちらを見つめてくる瞳が眩しい。

「確かに仔羊は可愛いわね。

 でも、牧場のおじさんは、羊が可愛いから飼っているわけじゃないのよ。

 羊毛を取るため、肉として食べるためなの」


「うん、知ってるよ」

 フェイの答えはくったくがない。


「シチューに入っていたお肉、柔らかくて美味しかったでしょ?

 あれはラムって言って、生まれて一年ぐらいの仔羊の肉なのよ。

 今日、あなたが抱いた仔羊も、いつかは殺されて食べられてしまうの」


 つないでいたフェイの手がぴくりと震えた。

「あたしたちが食べるもの、すべてはもともと生きていたのよ。

 肉や魚だけじゃないわ。野菜だって、穀物だって、鳴いたり動いたりはしないけど、ちゃんと生命があったのよ。

 その命をいただいて、あたしたちは生かされている。

 だから、その命に感謝することを忘れないでね」


 フェイは黙ってうなずいた。

 泣かせたかな? とユニは思い、彼女の表情を窺った。

 案に相違して、フェイは至極真面目な顔で考え込んでいた。

 しばらくの沈黙の後、彼女はぼそりとつぶやいた。


「そうね。

 カシルでその日の食べ物の心配をしていた時は、そんなこと考えもしなかったわ。

 生きることに必死で、周りで一緒に寝起きしていた子が冷たくなって動かなくなっても、何とも思わなかった。

 でも、今は仔羊が食べられてしまうと聞いただけで、涙が出そうになる……。


 ――ねえ、ユニ姉ちゃん。

 あたし、これでいいのかな?

 カシルでドブの中に頭を突っ込んだまま死んでいった友だちは、今のあたしを見て、何て言うのかな……」


 ユニはかける言葉を見いだせなかった。

 ただ、あまり背の変わらないフェイの頭を抱き寄せ、頭を撫でてやることしかできなかった。


 ユニは心中歯噛みをしていた。

 あたしは馬鹿だ! いっぱしの大人気取りで偉そうなことを言って……。

 フェイの生きてきた環境を知っていながら、こんな甘ったるいお説教をよくもできたものだ。


 二人はそのまま何も言わず、ユニがカイラ村での滞在先にしている農家の作業小屋に戻ってきた。


 その扉の前に、二人の男が立っていた。

 ライガがすっとユニたちの前に出た。

 フェイの手を握るユニの指に力が入った。


 ――軍人か?

 逆光でよく見えなかったが、どうやら兵士のようだ。

 ユニはフェイにそのまま待つように、ライガには彼女の護衛を任せて、一人前に進む。


 ユニの姿を認めると、背の高い兵士は笑顔を浮かべて近寄ってきた。

 村に駐屯している兵ではない。彼らとはみな顔見知りだ。


「ユニ・ドルイディア二級召喚士殿ですね?

 王宮で何度かお見かけしましたが、こうして直接お会いするのは初めてです。

 参謀本部のライアン中尉と申します」

「同じく、クルト少尉です」

 小柄で灰色の巻き毛の兵士も手を差し出す。


 二人と握手したユニは渋い顔をして二人を見上げた。

「ははは、ユニ殿。

 顔中に〝嫌な予感がする〟と大書してありますぞ。

 お察しのとおり、我々はアストリア様からの使者ですが、私たち参謀本部全員の願いでもあります。

 どうか、お話を聞いてください」

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