秘匿名「R作戦」 二 二人だけの女子会

 話は二日前の日曜日に遡る。

 王都の繁華街、瀟洒な建物に付属する庭園に、何組かのテーブルと椅子が並べられている。


 その一つに、二人の妙齢の女性が向かい合って座り、お茶を楽しんでいた。

 卓上の茶器の傍らには、花のような形をした色とりどりの焼き菓子が皿に盛られている。


 女性はいずれも三十歳前後、身なりは年齢相応に落ち着いたものだが、上品でいかにも仕立てがよい。

 食事でワインでも飲んだのだろう、二人とも頬がほんのり赤い。


 一人はアリストアの秘書官、ロゼッタだ。

 もう一人は、彼女の女学校時代の親友、ドリスという。


 ロゼッタの女学校時代の友人は大勢いたし、親友と呼べる者も何人かいた。

 就職して離れ離れとなっても、若いころは頻繁に会って食事をしたり、お茶を楽しみ、時にはお酒を飲んで羽目を外すことすらあった。


 しかし、やがて女子会を楽しんでいた娘たちも嫁にいき、子どもを産んだ。

 一人抜け、二人抜け、気がつけば気軽に会って話のできる友は、同じ独身のドリス一人になっていた。


      *       *


「そっかぁー、あんた軍に入って十年経ったのかぁ……。早いわねー。

 あんたが卒業してすぐ軍学校に入るって聞いた時には、みんなびっくりしたもんだけどねぇ……。

 なんせロゼッタはあたしたち同期の首席だったからさ。

 しかも大商人のお嬢さんだもん、さっさと玉の輿に乗るもんだって皆んな思っていたのよ」


 ロゼッタは遠い目をして、無鉄砲だった娘時代のことを懐かしく思い返した。

「……そうね、あの時は自分でも、ちょっとどうかしてたと思うわ。

 最初は親の持ってきた縁談が嫌で、逃げる口実だったのよ。

 相手は名前を言えないけど、バツいちの大貴族でね。


 ――それに、自分の生きる道は自分で決めたいと思っていたのよ。

 軍隊だったら完全な実力主義の世界、身分も財力も関係ないもの。

 二年間の軍学校は新鮮だったわ。

 なにしろ女学校で教わっていたことと、真逆のことばっかりだったから……」


 ドリスは「ふふん」と軽く笑った。

「あたしはあんたが幸せなら、別に貴族の奥方だろうが軍だろうが、構わないんだけどね。

 ……でもさ、どうなのよ?

 あんたと会うのは半年ぶりだけど、その様子じゃ何も進展していないんじゃないの?」


 ロゼッタの頬の赤みがさっと顔全体に広がる。

 図星だったのだ。


「その――、あんたの思い人?

 勤務中はずっと一緒にいられるんでしょ。

 それが八年間……まったく! 何も! かけらも!

 ……なぁ~んも起きないって、ちょっと異常じゃないの?」


 ドリスはさっと左右をすばやく見回し、身を乗り出して小声で聞いた。

「ねぇ、……ひょっとしてそのアリストア様って、美少年とかが好きなんじゃない?」


「そんなことないわ!」

 思わず出た大声に、はっとしたロゼッタも慌てて周囲を見回す。

 大丈夫だ、庭のテラス席にほかの客はいない。

 彼女は咳払いをして落ち着きを取り戻すと、もう一度言い直した。


「あの方にそんな趣味はないわよ。

 ――そうね、多分問題は、あなたが言ったとおりだと思うわ。

 私とアリストア様が八年の間いつも一緒にいることなのよ」


 ドリスは少し不思議そうな顔をする。

「どういうこと?」


「いつも一緒にいる――それが当たり前、日常になってしまって、動かしようがなくなってしまっているの」

 ロゼッタは溜め息をついた。


「なんだ、わかっているんじゃない?

 だったら話は簡単、固定化した日常を壊してしまえばいいのよ」

「だって、私はアリストア様の秘書官よ? 仕事は仕事だもん、それを放り出すことはできないわ」


 ドリスはロゼッタの手を握り、小さな子どもに言い聞かせるようにゆっくりと話す。

「何もそこまでは行ってないわ。

 変わらない日常に刺激を与える――それだけでいいのよ。


 ――いい? 男っていうのは独占欲の塊りなの。

 この女はいつも自分の側にいるって安心している限り、絶対に振り向くことはないの。

 逆に大丈夫と思っていた女が、誰かに取られそうになると、必死に守ろうとするわ。

 男はそういう生き物なのよ」


 ロゼッタは考え込む。

 ドリスの言うことは何となくわかる。

 アリストア様は私が離れていくなんて露ほども思っていないだろう。

 第一、私にそんな気が一切ないのだから。


「でも、具体的にはどうするの?」

「そりゃあ、ほかの男に取られるかもと不安にさせるのが一番ね。

 あんたのことだから、どうせ朝は早いし帰りは遅いんでしょ?」

「……ええ、まぁ」

 ロゼッタは渋々認める。


「簡単よ。

 いつでもいいから『今日は定時で帰ります』って言うのよ。

 多分『何か用事か?』って聞かれるでしょ。

 そしたら『殿方と食事の約束がある』って言うの。

 それ以上詳しいことを言っちゃダメよ」


 ロゼッタは慌てる。

「そんな……。

 私、食事をするような男性なんていないし――。

 第一、嫌だわ、そんなはしたないこと」


「バカね、本当に男性と食事する必要なんかないわよ。

 振りだけ。

 それでね、次の日に出勤する時、前の日と同じ服を着ていくの」


「ダメよ、そんなの!

 絶対アリストア様に気づかれるわ!

 あの方、そういうことには異常に目ざといんだから」


 ドリスはおかしそうに笑う。

「それでいいのよ!

 とにかく、一度試してごらんなさい。

 きっとその、アリストア様の態度が変わってくるから」


「……そういうものなのかしら」

 小さな声でつぶやいたロゼッタの表情は、ひどく不安げだった。


      *       *


 ロゼッタは毎朝五時前には起床する。朝食は家のメイドが用意してくれるので、寝かしておいたクッキーの生地をオーブンに放り込み、手早く身支度を整える。

 六時二十分には家を出て、歩いて三十分ほどの王宮に向かう。


 その日もいつもと同じように家を出た。

 前の日と同じ服を着ているので、どうにも落ち着かない。

 早朝で人通りもまばらだが、誰もが自分の服を見て嘲笑っているように思えて仕方がなかった。


 ドリスの指導で、今日は八時頃出勤することになっていた。

 いつもより一時間も遅いが、それでも規則上は遅刻にならない。

 それだけ遅ければ、絶対にアリストアが様子を見にくるし、ロゼッタの服装が前日と同じことにも気づくはずだ。

 ――というのが、ドリスが立てた作戦である。


 何もやましいことはない。軍の規則も破らない。

 誰からも非難される恐れのない作戦だと、ドリスは豊かな胸をそらして自慢をしていた。


 ――本当にアリストア様は、私のことを気にかけてくださるだろうか?

 ロゼッタの胸は不安でいっぱいになる。

 しかし、それはそれとして、今は一つの問題があった。


 家の者に心配されぬよう、いつもどおりに家を出たものの、どうにかして一時間半近くの閑を潰さなくてはならないのだ。

 こんな早朝に店を開けているのは、早出の労働者のための立ち食い飯屋くらいだった。

 彼女は仕方なく、王宮に隣接した中央公園に足を運んだ。


      *       *


 ロゼッタは朝露に濡れてまだ湿っているベンチにハンカチを敷いて腰を下ろし、バッグから小型の本を取り出して読み始めた。

 それは〝ベネット・ロマンス〟という、新書判の恋愛小説だった。


 通俗的で内容の薄い軽い読み物だ。

 女学生時代には夢中になって読んでいたが、軍に入ってからは見向きもしなくなった。

 しかし、かつてアリストアの幻獣であるミノタウロスの求めに応じて貸して以来、何となくまた読むようになっていたのだ。


 対立する名家同士に生まれた男女の悲恋。

 幼児の時、継母に捨てられた貴族の娘が、メイドとして勤める貴族の御曹司に見初みそめられる話。

 将来を誓い合った幼馴染が、数奇な運命にもてあそばれ、戦場で敵味方として再開する長編。


 毒にも薬にもならない恋物語が毎月大量に出版され、それなりの支持を受けている。

 売れない作家たちにとっては絶好の稼ぎ場だったが、それだけに競争が激しく、不人気な作者は容赦なく淘汰される。

 結果として、生き残る作家たちはそれなりの実力者であり、女性たちが好む人物や状況を設定し、とても読みやすい平易な文体を心掛けていた。


 ロゼッタは読み始めてすぐ、物語の世界に没頭した。

 ちょうどその日は、冬にしては珍しく暖かな日で、朝日を存分に浴びたベンチの周辺は、心地よい陽だまりとなっていた。

 厚手のコートを着ていたロゼッタは、胸元が汗ばんでいるのを感じ、脱がないまでも前を開けようかと本から目を離した。


 その時、斜めに影を伸ばしていたベンチと自分に重なるように、新たな影が現れたことに気がついた。


 誰か公園を散歩しているのだろう――始めはそう思っていたが、その影はゆっくりと自分に近づいてくる。

 彼女はその慎重さに違和感を覚えた。

 まるで足音を忍ばせているようではないか。


 ロゼッタが振り向こうとした時、一瞬早く何か白い布が彼女の顔に押し当てられ、太い腕が抱きかかえるように彼女の頭を抑え込む。

 顔の下半分を覆う厚手のナプキンのようなものから、甘ったるい刺激臭がして、喉を焼き、涙がこぼれた。


 彼女はとっさに立ち上がっていたが、背後から抑えられているために、手足が自由でも何もできず、声も出せなかった。


 じたばたしているうちに、不意に目の前が真っ暗になった。

 別の人物がいきなり目の前に現れたらしい。

 次の瞬間、ロゼッタのみぞおちに拳が打ち込まれ、彼女は身をくの字に折ったまま、枯れた芝生の上に崩れ落ちた。


      *       *


「おっかしいなぁ~」

 ガラガラと揺れる馬車の座席で男がぼやいている。

「何がだ?」

 隣りの席の男が興味なさそうに訊く。


「何でこの女、気絶しなかったんだろう?」

 男が顎で指した方、四人掛けの向かいの座席には、縛り上げられたロゼッタが転がっていた。


 馬車の天井で揺れるランタンの微かな明かりで、ぼんやりとその姿が浮かび上がっている。

 猿轡さるぐつわもかまされているが、まだ意識が戻っていないようだった。


「そりゃ、布で口を抑えたって気絶はしないだろう」

「いやいや兄貴、あの布にはケロロ……何とかってのを染み込ませていたんだよ」

「ケロロ……? ああ、クロロホルムのことか?」

「そう、それ!

 あれをハンカチに染み込ませて鼻と口を押さえるとすぐに気絶するはずだろ?」


 〝兄貴〟と呼ばれた男は、初めて目に興味の光を灯らせた。

「ありゃあ帝国でしか作られていない薬だぞ?

 王国には医療用にごく少量が輸入されているだけだろう。どうやって手に入れた?」


 男は兄貴分を驚かせたことが嬉しかったらしい。

「そこはホラ、じゃの道は海老エビって言うだろう?

 道具屋の親父に頼んでいたんだよ」


じゃの道はヘビだ、バーカ。

 そりゃ高かっただろうに」

「ああ。でもちょっぴりだったからな。

 あっ、ひょっとして俺、偽物を掴まされたんかな?」


「いや、あの親父はあこぎな商売はするが、それだけに物は確かだ。

 お前がバカなだけだよ」

 兄貴分の声は、すでに興味を失ったかのような声音に戻っている。


「いいか、クロロホルムを染み込ませたハンカチで気を失うなんてのは、芝居か小説の話だ。

 実際にはそんなこと不可能なんだよ」


 男はきょとんとした目をして反論する。

「えっ、だってあれ、外科手術の全身麻酔で使うんだろ?

 王国が法外な値段で輸入しているのも、ほかにいい麻酔薬がないからだって聞いたぜ」


 兄貴分は「ふん」と鼻で笑う。

「確かにな。

 だったらお前、手術の時どうやって麻酔をかけるか知ってるか?」

「……いや、そこまでは」


「クロロホルムは気化させてガスにするんだ。

 それを吸入器で患者に吸わせる。ゆっくり、少しずつだ。

 麻酔がかかるだけの量を吸わせるには、たっぷり三十分は必要になる。

 ハンカチを湿らせた程度の量で、数分しか吸わない相手が気を失うはずがないだろう。

 まぁ、せいぜい気分が悪くなるとか、頭痛がするとか、それが関の山だ」

 

「くだらない話はしまいだ。

 そろそろアジトだ。準備しろ!」

 言われた男は不満顔で渋々行動に移る。

 ロゼッタの身体に毛布をかけてぐるりと回し、簀巻きにする。


 馬車はガラガラと騒々しい音を立てたまま闇の中を駆けていった。

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