黒龍野会戦 十三 ノルド進駐

 ユニは群れのオオカミたちと別れ、マリウスやライガとともに城内に戻ろうと、新市街の大通りを歩いていた。


 その時、どこか遠くの方から悲鳴や怒号が聞こえてきた。

 すぐにライガが背筋を伸ばし、耳を立てて様子を窺う。


『ユニ、馬の蹄の音が聞こえる。

 道の端に寄れ。かなり飛ばしているぞ!』


 ライガの忠告でユニはマリウスの袖を掴み、大通りにはみだして果物を売っている商店の脇へ引っ張り込んだ。


 程なく地鳴りのような蹄の音が聞こえてきて、砂埃が上がっている様が見えてきた。

 轟音はどんどん近づき、泡を吹いて疾走する馬の姿がはっきりと見えてきた。


 何かの異常を伝える早馬に違いない。

 買い物客で賑わっていた大通りは、たちまち逃げ惑う女たちの悲鳴で満たされた。


「ドカドカドカッ!」

 腹に響く地鳴りを残して、あっという間に馬は駆け抜けていく。


 蜘蛛の子のように追い散らされた人びとは、埃をかぶったまま呆然としてそれを見送っていた。

 ユニたちが城門に着く頃には、異変はすでに城中に知れ渡っていたようだ。

 門番はユニたちの姿を認めると、持ち場を離れて向こうから駆け寄ってきた。


「ユニ殿、マリウス殿!

 アリストア閣下が至急おいで下さるよう探しておられます。

 早くこちらへ!」

 兵士の先導でユニたちも駆け足にならざるを得ない。


 案内の兵士は城門に戻ると、同僚を見向きもしないまま「後を頼む!」とだけ叫んで駆け抜けていく。

 ほかの門番たちが敬礼で返したところを見ると、城門警備の隊長なのだろう。


 ユニは途中で走るのをやめ、ライガに飛び乗った。

 その方がよほど効率的だ。

 おかげで先導する兵士に声をかける余裕ができた。


「何が起きたの?」

 兵士は振り返りもせず短く叫んだ。

「帝国が侵入したようです!」

「どこに?」

「ノルドだそうです!」


 ユニとマリウスは思わず顔を見合わせた。

『どうやって?』

 二人の声が同時に発せられ、重なった。

「あんたたちが山越えしてきたルートってことは?」


「無理です!

 あれはオークと魔導士の組合せだからどうにかなった。

 軍が越せるような道じゃない!」

 マリウスの声は息が切れて途切れがちだった。


 黒城内は酷く混乱していた。

 帝国の侵入が予期されていたため、第二軍は訓練中の部隊や休暇中の兵までも召集されていた。

 しかし予想侵入経路が不明のままだったため、どこに配備していいのかわからず準待機という態勢だった。

 それがいきなりの敵出現である。混乱しない方がおかしい。


 ユニたちは城内に入り、さらに内部の高級将校たちが所在するエリアへと進んでいった。

 途中二度にわたり憲兵隊のすいがあったが、先導の兵士がアリストアの署名入りの命令書を顔に叩きつけるようにして示し、難なく通過していく。


 ユニたちが案内されたのは、黒城内に臨時に設けられた野戦参謀本部であった。


 先導してきてくれた兵士は、扉の前で警備していた兵にアストリアの命令書を渡し、「お連れしました」と報告すると、そのまま踵を返した。

 すれ違いざま、その兵士が小声でささやいた「ご武運を!」という言葉が、ユニの耳に残った。


 警備兵に扉を開けてもらい、ユニたちが中に入ると(なぜかライガも通された)、ちょうど若い参謀将校が状況説明を始めるところだった。

 一番奥の上座に座っているアリストアは、ユニたちの姿を認めると軽くうなずいた。

 すかさず若い兵士が空いている椅子を引いて、ユニたちを座らせる。


「先ほどクリスト中尉が強行偵察に出ました。すぐに正確な敵の数と侵入ルートが明らかになると思います」

 参謀将校は説明の前に、そう前置きした。


 クリスト中尉とは、ロック鳥を使役する国家召喚士、アランのことだ。一年前にユニと冒険をともにした時には少尉だったが、その後に昇進したらしい。


「そのため現状では、早馬で伝えられた部分的な状況しか把握できておりません。

 まず、敵の位置ですが、ここ――」


 そう言いながら、参謀将校はテーブル上に広げられた地図の一点を指示棒で指し示した。

 そこには赤い色で塗られた凸型の木片が置かれている。


「ノルド地方の東部、こくりゅうと呼ばれる泥濘地帯の西端です。

 敵の主力はここに集結していますが、ここからノルド地方の四か村に部隊を派遣して、すでに各村を掌握しています。

 ノルドに派遣していたわが軍の将兵は抵抗を試みましたが、寡兵のため制圧されたようです。

 早馬はこの際の混乱に乗じて脱出したとのことです」


「では、派遣隊は全滅したというわけか……」

 年配の将官が呻くような声をあげた。

 彼は参謀将校ではなく、第二軍の指揮官の一人らしい。


「いえ、それが……」

 説明役の将校がその推測を引き取る。

「派遣部隊は全員武装解除された上、ノルド地方東端で解放されたようです。

 彼らは現在、徒歩で黒城市を目指しています。途中の村で馬を調達した者が先行して先ほど城内に到着しています」


 室内にざわめきが起きた。

「敵は捕虜に取らなかったということか?」

「殺しもせずに解放だと? 帝国らしくもない……」


 先ほどの第二軍の将官が説明役の参謀将校に尋ねた。

「それで、先に戻ったという兵は何と言っているのかね?」


「はい。帝国軍は彼らを解放する際、我々はノルド人の安全と正当な権利を護るために進駐した部隊だと告げたそうです。

 戦争のためではなく、住民保護を目的とした、あくまで進駐だと主張しているようです」


「ふざけたことを!」

 誰かが吐き捨てるように叫んだ。


「だが、帝国としては名分が立ったということか……。

 しかし、どうやってノルドに兵を送ることができたのだ?」

「まさか帝国は転送陣を……!」


 アリストアはその声を制するように片手を上げた。

「ここには事情を知らない人間もいる。

 軽率な物言いは慎みたまえ」

 注意された参謀将校は真っ赤な顔をして「申し訳ありませんっ!」と謝罪する。


「まぁよい。君の懸念については心配無用とだけ言っておこう。

 それでハルト君、敵の規模については?」


 促されたハルト大尉(説明役の将校)は慌てて言葉を継いだ。

「撤退してきた兵の見立てですから正確ではありませんが、少なくとも五千以上。

 恐らく八千から一万人規模だと思われます」


「それはまた、微妙な数だなぁ……」

「いや、住民保護のための進駐だと言い張るのなら、いい人数ではないか」

 あちこちから声が上がる。


 帝国が本気で王国に攻め入るつもりなら、一万人でも全然足りないのだ。

 もしそうなら、恐らく二十万から三十万規模の兵力が必要だろう。

 一万人の兵力であれば、黒城の第二軍だけで対処が可能な規模である。


「敵の狙いは二つ考えられる」

 アリストアが落ち着いた口調で雑多な発言を抑えにかかる。

 たちまち室内には静寂が支配し、軍の頭脳と称賛される男の発言を待った。


「まずはノルド進駐を名目に、こちらを挑発して本格的な戦争の端緒とすること。

 どういう手段でノルドに進出したのかはわからんが、大隧道の中に十万人規模の後続を隠しているのだろうな。

 もう一つ、考えられるのはウエマクを引っ張り出して、その能力を推し量ること。

 私には後者の方が本命であるように思える」


 怪訝な顔をしている者が多いのを見て、アリストアはさらに補足を加える。


「先のクロウラ事件で、帝国はラオフウとグァンダオの戦力についてある程度見極めたと思われる。

 南方のドレイクは別にして、帝国としては北方の護りであるウエマクこそが最大の関心事だろう。


 ――何しろウエマクはこの国が始まって以来、ほとんど戦いに関与していない謎の神獣だからね。

 ただ〝地脈を操る〟と噂されているだけで、黒蛇帝と王以外、誰もその真の能力を知らないのだ。


 ――相手の力も知らずに突っ込むのは愚か者のすること。

 奴らは例え一万人の兵を犠牲にしてでもウエマクの情報を手に入れたいと思うだろう。

 だからこそ、爆炎の魔女などという大物まで引っ張り出した――私はそう思う」


 アリストアはいったん言葉を切った。

 それを待っていたかのように、参謀本部に充てられた会議室の扉をノックする音がした。


 「入りたまえ」という声を待たずに、扉は乱暴に開かれた。

 厚手の毛皮でできた防寒服と革手袋、額に上げられた防塵眼鏡。

 たった今まで空を飛んでいましたと言わんばかりの格好。

 偵察の専門家であるアラン・クリスト中尉である。


 金髪の巻毛に青い瞳。少年のような顔立ちは相変わらずだが、どこか大人びた表情も垣間見える。

 アランはずかずかと部屋の中央まで進み出ると敬礼し、簡潔に報告した。


「ノルド東方の黒龍野前に展開する帝国軍はおよそ一万。

 侵入経路はノルド北方のボルゾ川。

 昨日まではなかった橋が架かっております!」


「馬鹿な!」

「橋だと? いつの間に!」

 集まっていた参謀将校の半数以上が立ち上がって叫ぶ。

 アランの報告はそれ程信じがたいものだった。


 確かにノルド地方北側を流れるボルゾ川の川幅は狭い。

 その分、深い峡谷となっているのだが、それでも橋を架けようとすると五十メートル以上の長さとなるはずだ。

 それだけの構造物を一日で作り上げ、川に架けるなど……。


「不可能だっ!」

 若手の技術将校が口から唾を飛ばして絶叫する。


「……それが、そうでもなさそうなんですよ」

 アランが少し困ったような顔で、ようやく口を挟んだ。

 彼はテーブルの側まで歩み寄ると、卓上に転がっていた指示棒を手に取って地図の一点を指し示した。


「橋が架かっていたのはボルゾ川のこの地点です」

 そしてそのまま指示棒を少し上にずらす。


「ここが〝大隧道〟の出口です。

 そこから川への最短地点に橋が架かっていました。

 恐らく帝国は大隧道の中で橋を組み上げ、完成に近い形にしてから引き出し、川へ運んだものと思われれます。

 かなりはっきりしたわだちの跡がついていましたから、まず間違いないかと……」


「だからそれが不可能なのだ!」

 先ほどの技術将校が顔を真っ赤にして怒鳴った。


「いいか、五十メートルの橋をどうやって運ぶ?

 十トン、百トンの重量じゃないんだぞ?

 数千トンの重量物だ。牛馬を何千頭も用意してどうにか動くレベルなんだ。

 そんなこと、あり得るはずがない!」


 技術将校は口から唾を飛ばして畳み掛ける。

「万一にでも運ぶことができたとしよう。

 だが、どうやって川をわたす?

 五十メートルの橋を岸から押し出すのか?

 そんなことをしたら、自重で崩壊するのが目に見えている!」


 技術将校は机の端を鷲掴みにして、周囲の参謀将校たちを睨みつける。

 誰も彼の気迫に反論ができないでいる。


「あの~……」

 その静寂を破って、のんびりした声が室内に響いた。

 ユニはその声が自分の隣りの席から発せられたので慌ててしまった。


「ちょっ、マリウス!」

 小声で叱り、服の裾を引っ張ったが、彼はそれを無視して立ち上がった。


「それについては僕から説明できると思うんですが……」

 部屋中の視線が、元帝国軍の魔導士だという若者に集中した。

「魔法は、その性質によっていくつかの系統に分けられます。

 その一つに重力系魔法というのがあるのですが、ご存知ですか?」


「グラビトンとかかね?」

 中年の参謀将校が「そのくらいは知っている」と言いたげな顔で答える。


「ええ、それが代表的な術ですね。

 グラビトンは対象周辺に作用して、重力を大きくすることができます。

 それによって相手の動きを制限したり、敵そのものを圧し潰す攻撃魔法ともなります」


「だから何だと言うのかね?」

 中年の将校が少しイライラした声を上げる。

「重力系魔法は文字通り重力を操る魔法ですから、グラビトンとは逆に重力を小さくすることもできるんですよ」


「あっ……」

 声を上げたのは、先ほどの若い技術将校だった。

 マリウスはちらりと彼に目をやり、説明を続けた。


「重力を小さくする――つまり、重量物を数十分の一の力で動かすことが可能になります。

 実際、帝国軍では緊急の移動の際にはよく使われる手段で、この魔法を習得している魔導士の数も多いんですよ。


 ――しかも重力系は、数少ない広範囲に作用する魔法です。

 多分、百人――いや、五十人も魔導士を集めれば、数十頭の牛馬で橋を運べると思いますよ。

 川を渡すのも、同じ原理で対岸まで折れずに渡せたんじゃないでしょうか。

 もっと小さい橋ですけど、工兵隊付きの魔導士がよくやっていますよ」


「……なるほどね」

 アリストアが溜め息交じりにつぶやいた。

「ことほどさように、王国は魔法について無知であると……君は言いたいのだな?」


「そこまでは言いませんが……」

 にこにこしながらマリウスが答える。

 それは「ええ、幼稚園児並みですね」と答えているのと変わらなかった。


「それでも、できるだけ軽量化した臨時の橋でしょうから、今頃大急ぎで補強をしているんじゃないでしょうか」


「そのとおりです。

 橋の周囲ではかなりの数の人間が作業していましたし、相当量の材木が集積されていましたね」

 魔導士の推測をアランが裏付けた。


「橋の幅はどのくらいだったかね?」

「およそ三メートルほどでした」

 アランの答えを聞いて、アリストアは難しい顔をした。


「恒久化されるとやっかいだね。

 敵は退路と増援の手段を確保したわけか……」


「なるほど、状況は理解した」

 野戦参謀本部に張りのあるバリトンの声が響いた。

 はっとして、ユニは声の主の方を見た。


 それはアリストアの隣りに座る人物から発せられた言葉だったが、ユニはその存在に気づいていなかったことに驚いた。


 窓のカーテンは閉められていたが、まだ昼である。明かりは十分に入っていた。

 それなのに光線の具合だろうか、アリストアの隣りだけがぼんやりと暗く、陰になっていたのだ。

 そしてその人物もまた、全身を黒い装束に包んでいた。


 黒い艶消しの革鎧は、第二軍の軍装である。

 さらにその男は肩から黒いハーフマントを垂らしている。

 髪も瞳も黒い。口元と顎にたくわえた髭も黒かった。


 長身のアリストアよりも頭一つ背が低い。

 その代わり体格はがっちりとしており、幅も厚みもあった。

 年齢は四十歳だと後で知ることになったが、五十代と言われても信じてしまっただろう。


 彼こそ第二軍の将にしてこくウエマクの召喚主、黒蛇帝ヴァルター・グラーフその人であった。

 黒蛇帝は立ち上がったまま、低いがよく通る声で続けた。


「第一軍、第四軍からの増援は、いずれも本日中に到着の予定だ。

 ボルゾ川下流域に展開させている部隊も呼び戻しているところだ。

 それを待って明日未明に出陣する。


 ――城市を空にするわけにはいかんから、三千の兵を残す。

 したがって黒龍野に向かうのは、増援を含めて一万の兵力となる。

 最前線に立つ国家召喚士だが……」


 黒蛇帝は言葉を切って、横に座るアリストアの方を見た。

「知ってのとおり、第二軍の国家召喚士は三名。うち一人は城市に残さねばならん。

 戦力が足りん。

 アリストア殿、ミノタウロスの力もお借りしたいのだが……よろしいかな?」


「無論です」

 アリストアが即答する。


 黒蛇帝は満足げにうなずいた後、意外なことを口にした。

「アリストア殿、第四軍の増援が到着したら、ノートン大佐を同道して私の部屋に来てほしい。

 それとユニと言ったな、君もだ」


 突然、自分の名前を呼ばれたユニは、驚いて思わず立ち上がった。

「わっ、私ですか?」


「そうだ」

 いかつい黒蛇帝の顔に、微かな笑みが浮かんだ。

「ウエマクがお嬢さん方と会いたいと言っておるのだよ」

 黒蛇帝の太い眉の下で、片目がしかめられたように細くなった。


 それがウインクだということにユニが気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。

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