黒龍野会戦 十二 練兵場の実験
翌日、黒城の練兵場でさっそく実験が行われた。
アスカは自分の大隊と選抜された増援部隊を率いて、その日の夕方に到着することになっていたので参加していない。
攻撃魔法を実際に防げるのかの検証も必要だったので、王国の魔導士がその役に当たった。
王国は召喚術に特化し、魔法では未開の後進国扱いだったが、魔導士がまったくいないわけではない。
仮想敵である帝国戦力を分析するためにも魔導士は必要な存在であった。
もっとも、王国の魔導士は帝国から見れば見習い以下レベルではあったが……。
とにかく第二軍専属の魔導士が、マジックアローという攻撃魔法が使えたので、彼がマグス大佐役となった。
マジックアローは光の矢を放つ魔法であるが、術者の魔力によって威力が変わる。
高位の魔導士が放った場合、城壁すら貫くと言われている。
王国の魔導士のそれは、盾で防げるレベルのものだった。
練兵場の中央に囮役のユニ、対魔障壁を張るマリウス、幻影の兵士を生み出すリリが集まっていて、それを遠巻きにするように第二軍の兵士たちが取り囲んで見物している。
かなり離れた階段上の閲兵席から、アリストアがメガホンを手に指示を出した。
「それではマリウス君、障壁を張ってくれたまえ」
マリウスは片手を挙げてそれに応えた後、印を組んで呪文を唱える。
まずは温度変化を遮断する魔法を張る。
これは寒地や酷暑地で使用する障壁魔法だが、対物障壁より魔力消費が少なく、効果範囲が比較的広いことで選ばれた。
続いて肝心の対魔障壁をそれに重ねるように展開する。
見物している多くの兵士たちのほとんどは実際の魔法を見たことがない。
マリウスの動きに「おお~」というどよめきが起きるが、障壁魔法は目に見えるものでないので、彼らはその雰囲気に感嘆しているだけだった。
準備を整えた合図に再びマリウスが手を挙げると、アリストアが階段下で控えていた魔導士に「やれ」と命じる。
魔導士は大げさな身振りでポーズをつけながら呪文を唱えると、「えいやっ!」という気合とともに術を発動させた(もちろん、そんな身振りや掛け声は術の発動とは何の関係もない)。
魔導士の上空に、見ようによっては矢と言えなくもない光の棒が三本現れ、ひょろひょろとユニたちに向けて飛んでいく。
「おおーっ!」
今度こそ地鳴りのような歓声が鳴り響き、初めて花火を見た子どものように兵士たちが拍手喝采をする。
魔導士は両手を挙げてそれに応え、大得意である。
大きな放物線を描いて飛んでくる光の矢を見ながら、マリウスは苦笑を禁じ得ない。
王国の魔導士の振る舞いは子どもじみていて、滑稽としか言いようがなかった。
帝国魔導兵のマジックアローならば、最低でも一度に十本以上は放つ。しかも直線的に高速で飛んでくるのが常識だ。
ユニとリリは万一のことを考え、頭上に向けて盾を構えているが、もちろんマリウスはそんなことをしない。
光の矢は空高くからのんびりと落ちてきた。
しかしユニたちの上空十メートルほどの高さで、三本とも何かに吸い込まれるように消えてしまった。
「おお~っ……!」
再びどよめきが起こった。見物の兵士たちが想像していたのは、障壁に光の矢がぶつかって撥ね返る光景であったから、少し意外だという感想がこもった反応だった。
マリウスにしてみれば、実験するまでもないことだったが、一応第一段階は大成功に終わったわけだ。
なぜだか得意満面の王国魔導士が下がり、続いて実験は第二段階に移る。
「ではリリ、周囲に幻影の兵士を展開してくれたまえ!」
アリストアの指示にリリは顔を真っ赤にしてもじもじしていたが、やがて思い切ったように大声で質問した。
「なっ、何人くらいの兵隊さんを出せばよいのでしょうか?」
「実戦では千人程度だろうが、練兵場の広さが足りん。とりあえず五百人ほど頼む」
リリは「わかりました」という意味の手を挙げ、ケープの中に隠れていた妖精を地面に降ろした。
幼児のような背丈で青白い燐光を帯びる妖精の姿に、見物の兵士たちはざわついたが、それほど大きな反応はない。
王国では召喚士が連れ歩く異形の存在には慣れっこなのだ。
リリが妖精に何ごとかささやいているのを横目に、ユニはマリウスに小声で訊ねた。
「念のために聞くけど、この障壁って妖精の幻影まで邪魔しないでしょうね?」
マリウスは笑って顔を横に振る。
「大丈夫です。幻獣の特殊能力は魔法と根本原理が違いますから」
ユニが「ならいいわ」と言って前に向き直った瞬間、彼女の周囲にいきなり兵士の大軍勢が出現した。
黒光りする革の軽装鎧と兜は第二軍の基本装備である。ユニたちの周囲に現れた五百人の兵は、それぞれに槍、ハルバート、戦斧、抜身の剣を手にしていた。
兵士たちはその得物を高々と掲げ、一斉に
練兵場に響き渡る五百人の喊声に、見物していた兵士たちは声も出せず、つばを飲み込んで凝視するのみであった。
幻影の兵士がおとなしくなり、それぞれの武器を地面に突き立てて整列をすると、練兵場にしんとした静寂が訪れた。
しかしその静けさは長く続かなかった。
見物をしている兵士たちが、互いに顔を見合わせ、ひそひそとささやき合っている。
それはざわめきとなり、中には何かを叫び出す者まで現れた。
離れて見物していた兵士たちが騒ぎ出すまではある程度時間がかかったが、すぐ側で幻影の兵士たちを見ていたユニたちはすぐに異変に気づいていた。
幻影の兵士たちは何かがおかしいのだ。
確かに彼らは第二軍の兵士と同じ装備を身に纏っている。全体としてはそう見える。だが、細部に目を凝らすとそれがぼんやりとして曖昧なのだ。
紐の結び目、金具の装飾、階級章の星や線の違いといった細かいところが、ぼやけて判別できない。
一番違和感を抱かせるのが顔で、確かに目と鼻と口がついているのいるのはわかるが、個別の表情が掴めない。
しかも、どの顔も同じような印象しか抱かせず、出来の悪い子どもの粘土細工のようだった。
アリストアもすぐに違和感に気づき、慌てて駆け下りてきた。
幻影の兵士の集団を文字どおり通り抜けてくると、間近で見る兵士の細部がそれこそ蜃気楼のようにゆらゆらとしているのがはっきりわかる。
参謀副総長はユニたちのもとに駆けつけると、リリに詰め寄った。
「リリ、これはどういうことだね!」
軍の高官に詰問されたリリは、目に涙を浮かべ、怯えてユニの後ろに隠れた。
盾にされたユニはやむなく二人に割って入る。
「副総長殿は少し落ち着いてください。
リリも怯えないで。
昨日私たちに見せてくれた幻影は、私たちと寸分違わない姿だったわ。
どうしてこの兵士たちは細部がぼんやりしているの?」
リリは半べそをかき、時々声を詰まらせながらもどうにか説明した。
ミラージュが生み出す幻影は、基本的に召喚主のリリが見ているものや、その脳裏に浮かんだものを基にしている。
したがって、昨日は目の前にいるユニたちを完璧な姿で再現できたのだ。
リリの目を借りたミラージュの視線は、例えば背中などのリリには見えていない部分まで見通せるのだそうだ。
しかし、今回はリリの頭の中で作った〝兵士の大軍〟というイメージを再現しただけなので、装備の細かいところまでは再現できずにごまかさざるを得なかった。
ましてや五百人の顔を個別に設定できるわけはないので、顔もぼんやりとしたものになってしまったというのだ。
「では、見破られないような兵士は出せないのかね?」
「いえ、目の前にモデルになる兵隊さんたちがいれば、ちゃんと顔や細かいところまで再現できます」
「では、二、三人兵士を側に置いておけばいいのだな?」
「駄目です。それじゃ同じ顔の人ばかりになって、すぐにバレてしまいます。
千人の軍勢を作るのであれば、最低でも百人はいないとごまかせません」
「だったら、リリが後方の離れたところで兵士たちと一緒にいて、幻影だけをユニの周りに発生させるというのはどうだ?」
「それが……少しだったら大丈夫ですけど、千人の兵隊さんを展開させるとなると、それだけで端から端までかなりの距離になるはずです。
だとしたら、私が中心にいないとまずいです。
離れすぎると端っこの幻影がグズグズになりますから……。私が後方に下がると、一番遠い端っこが敵に一番近くになるってことですよね?」
アリストアは低く呻いた――が、すぐにマリウスの方を振り返る。
「マリウス、この障壁には何人の兵士が詰め込める?」
「はぁ……。無理をすれば五十人くらいは入れられるでしょうけど、それじゃ不自然すぎて敵に疑われますね。
多分、三十人くらいが限度じゃないですか?」
「……わかった。とにかくそれでやってみよう」
アリストアは閲兵席に戻り、急遽見物の兵士から三十人を選び、ユニたちの周囲に護衛という体裁で配置された。
それでリリに何度か幻影を出させてみたところ、幻影が三百人でも違和感が出ることがわかった。
どうにか不自然さがなくなる幻影は百人程度だった。
試しにリリの言うとおりに百人の兵士を集めてみると、確かに千人の幻影でも不自然さがでなかった。
単純に十倍の人数というわけではないということだ。
そんなわけで後半はぐだぐだになってしまったが、幻影兵の問題は別途検討するということになり、とりあえずこの日の実験は終了となった。
軍から与えられた控室に戻ったユニたち三人であったが、リリが泣き出してしまい、ユニは慰めるので手一杯になった。
マリウスはロゼッタが用意してくれたお茶とお菓子を優雅に楽しんでいた。
ユニとしては恨み言の一つでも言いたくなるというものだ。
「ちょっと、マリウス。
あんたも何かいい案を考えなさいよ。
もともとそっちの対魔障壁の範囲が狭いのが問題なんだから」
マリウスは肩をすくめる。
「無茶言わないでくださいよ。
でも、リリさんの幻影で出せる兵士って、面白いですよね。
なんかもっと有効な使い方があると思うんだけどなぁ……」
ユニはその言葉の反応を窺おうとリリの方を見やった。
しかし彼女はソファーの上に横たわり、ぐずったまま眠ってしまったようだった。
ユニは彼女を起こさないようにそっと側に寄り、毛布をかけてあげる。
そして、マリウスがお茶をしているテーブルの方に戻ると、お相伴することにした。
香りのよい上等の紅茶は心を落ち着かせてくれる。
皿の上には砂糖菓子のボンボンがのっている。
ユニは一粒とって口に入れてみた。
砂糖で固めた外側をカリッと齧ると、中から甘く刺激のある液体が溢れ出てくる。
シロップがたっぷり入っているが、間違いなく酒だ。それもかなり度数が高い。
たちまち喉から胃にかけて熱いものが広がり、身体がぽかぽかしてきた。
「相変わらずだなぁ……」
ロゼッタの心遣いに感心しながら、ユニはこのボンボンを全部食べてしまうのはもったいないと思った。
皿に手を伸ばそうとするマリウスの手を「しっしっ」と払って、何か入れ物にしまおうと自分の背嚢を手にした。
何か入れ物になるような缶があったはずだと、手を突っ込んでごそごそと手探りをすると、覚えのない手応えがあった。
背嚢に入れておく荷物はほぼ決まっており、手探りでも何かがわかるようになっている。
不審に思ったユニは、その物体を引っ張り出した。
取り出してみれば「ああ」と納得する。
師匠のシカリから渡された巻物をしまったまま忘れていたのだ。
忘れていたと師匠が聞いたらどやされる――いや尻か胸を鷲掴みにされるだろうな。
ユニは苦笑しながら元に戻そうとした手をふと止めた。
もう一度巻物を出して、包みと紐を解いてテーブルに広げる。
向かいのマリウスが不思議そうな顔でそれを見ている。
「何ですか、それ?」
「ねえ、帝国の魔法呪文って神聖文字で書かれているんでしょ。これ読める?」
マリウスは「はぁ」と言いながら巻物を覗き込んだ。
巻物をたぐりながら最後まで目を通すと、彼は顔を上げた。
「ずいぶん古いものですね。
いくつか読めない単語もありますが、猟師のおまじないや儀式のやり方が書いてあるみたいですよ」
「ああ、やっぱりね。
これ、猟師だった私の師匠からもらったのよ」
「そうでしたか……。
これなんか面白いですね。
山に入る時に唱える仲間の安全を祈る呪文ですけど、構造的には僕が使う障壁魔法と同じものですよ」
「へえ~。じゃあ、実際に効果があるんだ……」
「まぁ、感覚の鋭敏化、傷の治癒力アップが期待できますけど、多分術をかけられてもわからないでしょうね。
ただ、この巻物だけじゃ使えませんよ」
「どういうこと?」
マリウスは一瞬躊躇する。ユニにはわかりやすい説明をしないと、また怒り出すのではないかと不安がよぎったのだ。
「一応文字としては読めるんですけど、発音がはっきりわからないんです。
神聖文字はその組合せで同じ文字でも複数の発音があって、どう読むのが正しいのか、すぐにはわからないんですよ。
古代の魔導書が発見されても、その魔法が解読されて使用できるようになるまで、何十年もかかるのはざらですからね」
「へぇ~。でも、これあたし読めるよ」
「え? どうしてですか」
「師匠から口移しで習ったからね。
じゃあ、この呪文を唱えれば、例えばあたしの群れのオオカミたちに魔法をかけることができるの?」
「そうですね。呪文対象は狩りの仲間ですから、理屈としてはそうなりますね」
「面白そう!」
ユニは「ぱぁっ」と表情を明るくして叫んだ。
「ねっ、魔法が実際に発動しているかどうかって、わかるものなの?」
「え、ええ。一応、簡単な魔導感知器具みたいなのはありますから……」
「だったらやってみましょ!」
ユニは有無を言わさず、マリウスの手を引っ張って部屋を出ていった。
扉の外でのんびり寝ていたライガが慌てて後に続く。
ユニはそのままマリウスを連れて黒城市の城外に出た。
途中、城門では当然のように止められたが、アリストアの名前を出して門番を黙らせた。
いくらマリウスが亡命希望者で、現在軍の作戦に協力しているとはいえ、立場としては重要な捕虜の扱いである。
普通ならこんな恐ろしいことはできないだろうが、ユニとしてはアリストアへのせめてもの意趣返しであった。
黒城市新市街の端に達したところで、群れのオオカミたちが集まっていた。
ユニとマリウスを認めると、オオカミたちは一斉に毛を逆立て、牙を剥いて激しい威嚇の姿勢を取った。
彼らにしてみれば、マリウスはモラン村でユニを誘拐した憎い敵のままであったから、無理もないことだった。
ユニはオオカミたちの誤解を解き、今は味方だから仲良くするようにと命じたので、彼らは不承ぶしょうそれに従う。
彼らの目の前、はるか先には白運河の堤防が見える。そこまでは雑草が生い茂る平坦な野原となっていた。
ユニはオオカミたちを前にして、師匠から叩き込まれた呪文を詠唱した。
「オドニ エド メド マメニセノ ヒトセ チトセ……」
一、二分で呪文は唱え終わったが、見た感じオオカミたちには何の変化もない。
「どう、みんな何か感じる?」
オオカミたちに訊ねても、『言われてみれば何だか身体が軽いような重いような……』とはっきりしなかった。
マリウスは腕にはめた魔力計を覗き込んでいる。
腕に巻きつけたバンドに丸い輪がついており、輪の真ん中に細い糸が張ってある。
手首にもバンドが巻かれ、それには細い鉄の針が立っている。
腕を真っ直ぐに伸ばし対象となるものに向け、針と糸とが重なるようにして覗く。
対象に魔法反応があれば、輪の中の糸が震えてそれとわかるという仕組みの魔導具である。
それをオオカミたちに向けると、細い糸がふるふると細かく振動する。
「成功ですね。魔法は発動しています」
マリウスはそうユニに告げた後、ふと気づいたように付け加えた。
「そのまま実際の狩りのように、オオカミたちを動かしてもらえませんか?」
「いいわよ。
じゃあ、ライガが獲物役ね。
みんな、いい?」
ユニの合図で真っ先にライガが飛び出し、それを追って勢子役の女衆が扇型に展開して追いかける。
トキとハヤトは先回りしてライガの鼻先を抑えようと、猛然と先を急ぐ。
淡褐色に染まった初冬の広い野原をオオカミたちが広範囲に展開し、枯草を蹴散らしのびのびと駆けていく様子は、爽快でどこか美しさすら感じる光景だった。
マリウスはどんどん遠く、広く離れていくオオカミたちに次々と魔導計の照準を合わせていく。
どんなに離れても輪の中の糸は震え続け、ユニが祈った仲間への加護が有効であり続けていることを示していた。
「なるほどねぇ……」
満足げな顔で群れのオオカミたちの動きを見守っているユニの隣りで、マリウスは自分の思考に沈み込んでいった。
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