黒龍野会戦 十四 爆裂魔法

 戦いにおいてはよく、「不幸な偶然」という言葉が使われる。

 しかし、実際に〝偶然〟はあっても、それによって不幸な結果がもたらされるのは、人間側の判断ミスが原因であることがほとんどである。

 そんな〝偶然〟がその日、黒城市に通じる街道上でも起こった。


 王国の四古都を直線で結ぶと、縦長の菱形を描く。

 南北の赤城市と黒城市が最も遠く離れ、東西の蒼城市と白城市は比較的近い。

 アスカが率いる第四軍の増援部隊は、東の蒼城市を出立して街道上を北北西に進軍していた。


 一方、西の白城市を進発した第一軍の増援部隊は、黒城市へ通じる街道を北北東に向かっていた。

 兵力はいずれも千五百人規模である。

 第一軍の指揮官はアントン大佐、四十歳を少し越した若手と言ってよい将校だった。


 黒城内の野戦参謀本部で情勢会議が行われていた頃、アントン大佐率いる第一軍は、北上する街道が黒城市とノルド地方を東西に結ぶ街道と合流する地点に差しかかっていた。

 ここから東に向きを変え、黒城市までは二十キロ余り。予定よりも早いペースで進んでいた。


 帝国が不穏な動きを見せており、場合によっては軍事衝突が予測されている中での行軍だったため、アントン大佐は国内の移動にも関わらず、進路上への斥候を怠らなかった。


 間もなく先頭が街道の合流地点に達しようとしていた時、派遣していた斥候の一人が泡を食って戻ってきた。

 斥候の様子は只事ではなく、増援部隊の幕僚はすぐに指揮官の元へと斥候を通し、直接報告させることにした。


 アントン大佐は馬上のまま、息も絶え絶えになった斥候を詰問する。

「何事か!」

 斥候は荒い息の中から一言、絞り出すようなしゃがれ声で叫んだ。

「敵ですっ!」


 一瞬でその場の空気が張り詰める。

 大佐は馬から降り、斥候に水を与えるよう副官に命じた。

 水を飲み、いくらか息を整えた斥候は、堰を切ったように報告を始める。


「帝国軍がノルド地方に侵入した模様!

 自分はノルドに駐留していた第二軍の敗残兵に複数遭遇しました。

 彼らの話では、帝国軍主力はノルド東方の黒龍野付近に集結し、ノルド人保護のため進駐したと主張しているようです。

 その数は不明ですが、かなりの規模ではないかということです!」


 大佐は息を飲んだ。帝国はどうやってボルゾ川を越えたのだ?

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。


「それで、黒城はこのことを知っているのか?」

「駐留部隊から早馬が出たようなので、恐らくは……」


 アントン大佐は部隊に小休止を命じ、副官、参謀、各部隊長を集めて急遽方針を話し合った。

 問題は、自分たちが現時点で一番敵に近いまとまった戦力だということだった。


 このまま敵に背を向ける格好で、二十キロ以上を移動して予定どおり第二軍の指揮下に入るのか。

 それとも西進して帝国軍と対峙し、これ以上の侵攻を阻止すべきかということだった。


 黒城市に向かうのは無難である。命令に従うのは軍人の鉄則であり、誰からも非難される恐れがない。


 しかし、自分たちの部隊は実に都合のよい位置にいる。

 このまま西に向かえば、敵の予想を覆す短時間で迎撃部隊が出現することになり、彼らの作戦を阻害する存在になることが確実だろう。


 その場の意見は「西進すべし」がやや優勢だった。

 これが年中戦争をしている帝国軍だったら、どうだったろうか。


 王国軍はこの数十年、南方の第三軍を例外として、まともな実戦を経験していない。将兵が血気にはやるのは仕方のないことなのかもしれない。


 結局、判断は指揮官であるアントン大佐に委ねられた。

 彼は無能ではない。それどころか、王国最精鋭と謳われる第一軍の中でも、出世頭と目されている若手幹部であった。


 しかし、それだけに彼の心には強い敵愾心が巣食っていた。


 それは、第四軍からの援軍を指揮するアスカの存在であった。

 同じ大佐で大隊長でありながら、アスカはまだ三十代半ばだった。しかも女である。


 自分が出世スピードでアスカに劣っていると思われることはもちろん、同列と見られることさえ、彼は何よりも嫌っていたのだ。


 このまま黒城市に向かい、第二軍の指揮下に入れば、アスカと同じ立場で戦場に向かうことになるのは必定。

 それがどうだ。あの女を出し抜き、手柄を立てるチャンスが目の前に転がっているのだ。


 それを拾わぬ馬鹿がいるだろうか?


 ――かくして、第一軍増援部隊千五百人は進路を西に向け、帝国軍と対峙するという道を選んだ。


 偶然は起こりえる。

 しかし、それが悲劇につながったというのなら、天を恨むのは筋違いというものだ。


      *       *


 敵の動向を探るため斥候を放つというのは、軍事作戦における「いろはのイ」である。

 戦い慣れをしている帝国が偵察を怠る愚を犯すなど、期待するだけ無駄というものだ。


 しかも、ノルド進駐軍(建て前)指揮官であるミア・マグス大佐は斥候に魔導士を使うという、およそ考え難い暴挙に出た。


 魔法研究が進んでいる帝国においても、魔導士は希少な存在だった。

 通常の編成では、中隊規模(五、六十人)に一名の魔導士が配置されれば〝恵まれた部隊〟だとされた。

 それが今回の進駐軍に配備された魔導士は百五十名。贅沢などというレベルではない。


 ただ、彼女が魔導士を斥候に使ったのには、それなりに理由がある。

 斥候に指名された魔導士たちは、いずれも〝念話〟が使えたのだ。

 当たり前だが念話もれっきとした魔法であり、超能力などという特殊技能ではない。


 ユニとオオカミたちがある程度離れても(頭の中で)会話ができるのと似ているが、相当の遠距離でも通信できる点が異なっている。

 情報伝達の即時性は、軍隊にとって〝夢〟と言っても過言ではないのだ。


 当然のことながら、ノルド地方に向かう街道は王国軍の進撃路となる。そこへ重点的に斥候を放つのは理の当然である。


 そのため、第一軍の増援部隊が単独で西進していることは、かなり早い段階で知られることとなった。

 マグス大佐は上機嫌であった。


 敵の部隊が黒城市に向かわず、直接こちらにやってくるのだ。奴らがろくな情報を持っていないのは明らかである。

 ノルドの村に駐在していた兵士を捕虜とせず、そのまま解放してやったのは〝当たり〟だった。


 彼らはこちらの正確な人数さえ把握していないだろう。

 黒城の連中が、あのいまいましいロック鳥を使ってこちらの数や配置を丸裸にしているというのに……。


「馬鹿な奴らだ……。

 馬鹿にはそれにふさわしい歓迎をしてやらねばなるまい」


 マグス大佐は部隊に指示を出し、大半の兵をノルド方面に下がらせた。

 そして自ら率いる三百人ほどの部下とともに、黒龍野を横切る街道上に進出した。


      *       *


 黒龍野はノルド地方東部に広がる泥炭地である。

 名前のとおり黒っぽい土が剥き出しになっており、表面は一見乾いているが、足を踏み入れるとずぶずぶと沈んでいく軟弱な地盤が続いている。


 伝説では、かつて王国を襲うため飛来した龍が、この地で村々を焼き払おうとしたことがある。


 ところが、龍の前に賢く美しい村娘が進み出て、まさに龍が火を吹こうとした瞬間に、いきなり自らの服を引き裂いて一糸まとわぬ全裸になったという。


 突然のことに驚いた龍は喉に炎を詰まらせ、代わりに黒い泥のような反吐へどを大量に吐き出して逃げていった。


 そのため、龍の反吐が堆積したこの平野には作物が育たず、泥を掘り出して火をつけると燃えるようになったのだという。


 実際には、この地は植物が腐って堆積した土地で、泥炭は石炭になる手前の状態だと思えばよい。

 泥炭は可燃物で、実際にノルド地方の人たちはこれを〝根っ子〟と呼び、掘り出して炊事や暖房などの燃料につかっている。


 ただし、それが一般に流通することはなかった。

 非常に質が悪く燃焼効率が低いこともあるが、それ以上に燃やす際に出る、ひどい煙と悪臭がその原因だった。


 帝国軍がノルド地方の東方、ちょうど黒龍野の西端に軍を展開したのは理由がある。


 自分たちは比較的しっかりとした地盤の上に陣を敷くことができるが、攻めてくる王国軍は黒龍野という泥濘地帯を渡らざるを得ず、騎馬突撃や歩兵の迅速な動きが困難になるからであった。


 それを避けるとなると街道を密集して移動するしかなく、帝国軍のかなり手前で大きく迂回して、街道の南側から攻め込むことになる。

 敵の攻めてくる方向があらかじめわかっているのなら、それはそれで与しやすい。


 果たしてアントン大佐が率いる第一軍の増援部隊は、進軍速度を重視して街道上を移動してきた。

 ただ、街道を逸れて南に迂回することなく、まっすぐに街道を進んでくる。


 その日の夕刻前には、斥候を兼ねた第一軍の先遣部隊が帝国の設けた検問に接触することになった。


 街道が少し小高い丘の頂上を通る所で、路上に丸太で組んだ馬防柵を並べ、槍を持った帝国兵が二人、手持無沙汰に立っている。

 先遣隊の隊長はその前に乗り付け、馬上のまま大声ですいした。


「貴様たち、帝国兵だな。

 こんな所で何をしている!

 ここはリスト王国の領土である。

 命が惜しくば早々に立ち去れい!」


 番兵は顔を見合わせ、ニヤニヤとしている。

 そして、後ろを振り返ると大声で仲間に呼びかけた。

「隊長ーーーー、こいつらこんなこと言ってますが、どうしましょう?」


 すると、丘の陰から帝国の軍勢がぞろぞろと姿を現した。

 数はおよそ三百人と見られた。


 その中から、栗毛の馬に乗った高級将校らしい女性が進み出てきた。

 大きな黒いマントを羽織り、その上に鮮やかな赤毛の髪が渦を巻いて広がっている。


 その女性将校は、先遣隊の隊長の数メール前までくると、いかにも馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 そして戦場で鍛えられたのだろう、ややしゃがれてドスの効いた声を張り上げた。


「この先は貴様らも認めるとおりノルド人の地、すなわちノルド地方である。

 ノルド人は帝国の忠良なる臣民である。したがって我々は、この地が帝国領であることを宣言する!

 われらは王国によって不法占拠されていたノルド地方を解放し、住民の安全と権利を保護するため駐留しているのだ。

 王国の犬どもこそ、さっさと立ち去るがいい!」


 先遣隊の隊長は耳まで真っ赤になった。

「なんたる無礼!

 その言葉、すぐに後悔することになるぞ!」


 そう言い捨てると、隊長は手綱を引いて馬の方向を変え、部下とともに走り去っていった。


 マグス大佐の側に、副官の男が馬を寄せた。

「大佐殿、やつら突っかかって来ますかね?」

 赤毛の指揮官は獲物をいたぶる猫のような表情で嘲笑った。


「来るさ。

 何しろ黒城に向かわずに、のこのこやってきた馬鹿者たちだぞ。

 黒城の本隊が到着するまで分散配置をして、遅滞戦闘に徹するような知恵があったら誉めてやるがな。

 こっちの本隊の隠蔽は抜かりないだろうな?」

「はい、幻影魔法を二重にかけてありますから、余程のことがなければ大丈夫かと」


 副官の答えに大佐はふと不安になる。

「おい、その幻影魔法は中の兵たちの視界にも影響するのではあるまいな?」

「いえ、そのようなことはありません」

 大佐は安堵の表情を浮かべた。


「それは重畳ちょうじょう。私の自慢の花火を部下が見られんのでは張り合いがないからな」

 副官は癇癪持ちで有名な自分の上司がいつになく上機嫌であるのに、背筋が寒くなるような恐怖を感じていた。


      *       *


 斥候を兼務した先遣隊の報告は、アントン大佐を激怒させた。

 敵の無礼な物言いに対してではない。その兵力についてであった。


「どういうことだ!

 最初の報告では、敵は数千ではなかったのか?

 それがよくて三百だと?

 われわれは職業軍人だぞ。報告がそんないい加減なことでどうするんだ!」


 しかし、街道を迂回して敵の後方まで進出させた斥候も順次戻ってきて、同じ報告を上げた。

「敵に後続なし」


 結局、ノルド村から逃げてきた兵たちは、敗残兵にありがちなことだが、敵の勢力を過大に報告して、自分たちの醜態の言い訳にしたのだろうということになった。


 そうとなれば、こちらの兵力は単純に五倍。どこかに予備の兵を隠しているとしても、こちらより多いということはないだろう。

 恐らく、遭遇した帝国兵は先遣部隊で、後続の本隊を待っているのだと判断された。


 それならば、後続が到着する前に敵を蹴散らしノルドを取り戻すとともに、一刻も早く帝国の進入路を発見してこれを断たなければならない。


 方針はすぐに固まった。もうじき日が暮れようとしている。

 夜戦では数の優位が揺るぎかねない。今は時間との勝負だった。


 第一軍増援部隊は冬の早い落日を気にしながら、一散に敵を目指して駆けだしていた。


      *       *


「おお! 来た来た! 馬鹿が土煙をあげてやって来たぞ!」


 望遠鏡を片目に当てながら、マグス大佐は歓喜の声を上げた。

 彼女は傍らの副官に望遠鏡を渡すと、ふんふんと鼻歌を歌いながら馬を降りた。


 大佐は、彼女から受け取った望遠鏡で敵の様子を窺っている馬上の副官を見上げた。

「騎馬隊が六百、歩兵が七百余りといったところか。輜重隊はだいぶ離れているな」

 副官は上司の見立てを肯定した上で、騎馬隊と歩兵の間も距離が開いている点を指摘した。

「なに、騎馬隊をまとめて始末すれば、歩兵など烏合の衆だ。私の術を使うまであるまいよ」


 赤毛の魔導士は街道の中央で仁王立ちになり、呪文の詠唱を始めた。

 長い長い呪文が続くうちに、大佐の前の空中に赤く光る魔法陣が浮かび上がった。


 続けてオレンジ色の魔法陣が現れ、次に黄色、緑色、水色、青、紫――最終的には七色の魔法陣が連続して浮かび上がった。

 王国軍の騎馬隊が街道を疾駆する土埃は、もう肉眼でも確認できる。


 延々十分にも及ぶ呪文がやっと終わり、最後に大佐が一言「バモス」と唱えた。

 その瞬間、浮かんでいた魔法陣は吹き飛ばされたように消え失せ、やがて遠方から腹に響く地鳴りのようなものが聞こえてきた。


      *       *


 疾走する騎馬隊で、真っ先に異変に気づいたのは馬たちであった。

 突然足元の地面が揺らぎ、馬たちは棒立ちになった。

 騎士たちは落馬しないよう馬を抑えるのに手一杯で、事態の把握ができない。


 誰かが「地震だ!」と叫んだが、事態はそんなものでは済まなかった。

 ぐらぐらと揺れる地面には亀裂が走り、さっきまで道路だった地面が大きな土の塊りとなった。


 そして、それは突然爆発した。


 大地が火を吐き、岩混じりの大量の土砂が数十メートルもの上空へ吹き飛んだ。

 炎の塊りは巨大な綿あめのように膨れ上がり、その直径は百メートルにも及んだ。


 そして、塊りであり続けることが限界を迎えたのだろう、炎の柱がでたらめな方向に弧を描いて飛び散り、黒い煙は数百メートルもの高さまでのぼっていく。


 地面から吹き上げられたのは土の塊りだけではない。バラバラになった人や馬の脚、胴、尻、首、そして何だったのか判別できない肉の塊りが、炎と一緒に空高く舞い上がっていった。


 高温の炎で兵士の皮膚はめくれあがり、肉が焦げ、脂が泡立ち、血が蒸発していく。

 それらが落下してくる頃には、もはやどんな生き物だったのか想像することも困難な、炭化した塊りとなっていた。


 際限なく降り続ける黒い塊り。風に舞って漂う白い灰。


 気がつけば、街道を中心とした半径百メートルほどの範囲で、地面ごとすべてのものが吹っ飛んで、バラバラになっていた。


 六百騎の騎兵は消滅していた。

 魔法の範囲から外れた歩兵たちは、飛んでくる灰と煙で顔を黒く染めたまま呆然として立ち尽くしている。


 第一軍の増援部隊、千五百の軍勢は半数近い兵力を一瞬で失って壊滅した。

 残る過半の兵たちは指揮官を失い、ただうろたえるばかりで、やがて元来た方向へと散り散りに逃げ出していった。


 これがミア・マグス大佐の爆裂魔法だった。


 一般に魔法は強力になるほど作用範囲が狭くなる傾向にある。

 彼女の爆裂魔法は、すこぶるつきに強力で、しかも攻撃範囲が広い。

 そのためこの魔法は〝攻城魔法〟という特殊なカテゴリに分類され、帝国でも同種の魔法を操る者は他に一人しかいない。


 ミア・マグスは帝国と対立する国々にとっては恐怖と憎悪の対象であり、敵国でその名、その顔を知らぬ者はなかった。


 しかし、彼女に直接会った先遣隊の隊長も、その報告を受けた指揮官であるアントン大佐も、彼女が〝爆炎の魔女〟であることに気づかなかった。


 アントン大佐が戦後に二階級特進し、念願だった将官になれたのは、せめてもの慰めである。

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