黒龍野会戦 八 もう一つの指名

 王都から解放されたユニが、カイラ村に戻ったのは五日後のことだった。


 この春から村のはずれにある農家の小さな小屋が、カイラ村でのユニの居住地となっていた。

 農家のあるじはミムラというまだ五十代半ばの寡婦だった。

 農作業は二人の息子に任せ、彼女自身は自分の畑で好きな作物や花を植えているという、いいご身分の女性である。


 ユニが借りた小屋は、亡くなった彼女のご主人が半ば趣味でやっていた蔓細工の作業小屋だったらしい。

 ここを年契約で借り、持ち歩かない荷物や書籍、季節の衣類などを置く倉庫とする一方、カイラ村に滞在している間のねぐらにもしていた。


 ユニはここに荷物を置いて着替えをすると、さっそく氷室亭に飲みに出かけた。

 指名されて王国の端っこまで出かけた挙句、魔法で殴り倒されて拉致された上、自白剤で廃人にされる危機に遭った。

 どうにか切り抜けたというのに、毎度お馴染みの情報部の尋問で十日以上軟禁され、やっと帰ってきたのだ。


 どうして飲まずにいられようか。


 秋の陽は早くも沈み、村は夜のとばりに包まれつつある。飲むにはいい頃合いだ。

 馴染みの店の扉を潜り、自分の定位置である片隅の薄暗い席に向かうと、意外にもそこには先客がいた。


 村の掲示板の管理をしているマリエだ。

 なぜ彼女が? と不審に思いつつ、ユニはその向かいの席に腰かける。


 マリエはだらしなくテーブルに顎を乗せたまま、ちらりとユニを見上げて片手を上げた。

「やっほー、ユニ姉さん。

 もー、おっそいじゃん、何してたのよ?」

 彼女の顔の横にはビアマグが置かれている。


 ユニは溜め息をつきつつ、手を挙げて店員を呼ぶ。

「そっちこそ何してんのよ。

 あんた、お酒飲めないんじゃなかったの?

 ――っていうか、未成年じゃなかったっけ?」


 マリエは〝ふにゃあ〟とした笑顔で、手を横にふる。

「いやいや、先月十八歳になりましたとも(王国の成人年齢は十八歳)。

 もうね、酒でも男でも、なんでも来いですよ!」


 ユニが彼女のビアマグを覗き込むと、ほとんど中身は減っていない。多分、一口飲んだだけなのだろう。

「その辺にしといたら? あんた、確か肝煎の親戚なんでしょ。

 変な噂が立ったらご両親が泣くわよ」


 注文を取りに来た店員に、ユニは自分のビールとともにマリエのためにレモン水を頼んだ。

 そして、彼女のビアマグを取り上げると、遠慮なく中身を一気に飲み干す。


「ぶっは~!」

 若い娘らしからぬ音を立てて口元をぬぐうと、ユニは空になったビアマグで「コツン」とマリエの頭を小突いた。

「それで、何であんたがここにいるの?」


 マリエは目をごしごしとこすってから、やっと顔を上げた。

「姉さんが今日帰ってくるって聞いたから、待ってたのよ。

 それなのに、いくら待ってても来ないしさー」


 彼女はわざとらしく頬をぷうと膨らます。

 ユニはそのほっぺたをつまんでねじりながら、少し大きな声を出した。

「だーかーらー! なんの用で待ってたのって聞いてるのよ!」


「いだだだだだ、ちょっとユニ姉さん、痛いわよ!

 ……えっとね、あれ何だっけ?

 そうそう、姉さんに指名依頼が来てたのよ。

 それを教えてあげようと思って、待ってたんじゃない。

 ねー、あたし偉いでしょ?」


「指名って、どこの誰から?」

「んー、……これ」

 マリエは服のポケットから白い封筒を取り出した。


 今度は軍事郵便ではないようだ。

 中の紙片を改めると、確かに指名者はユニとなっている。

 発信元はイド村だが、誰が出したかという個人名は書かれていない。

 依頼内容は「クマ狩り」とある。

 そして報酬は……銅貨五枚。


「銅貨五枚?」

 思わずユニは声に出した。それほど馬鹿げた額なのだ。

「でしょー?」

 がばっと顔を上げたマリエが同意をする。


 「いくら相手がクマだって、今日日きょうび銅貨五枚はないわよねー。

 依頼人の名前もないし、そんな失礼なの、姉さんは断ると思ったんだけどさー。

 一応あたしも掲示板の管理を任されているわけよ。

 伝えないわけにはいかないのよね。

 ねー、あたし偉いでしょ?」


「あー、偉い偉い。

 ほれ、レモン水飲みなさい。

 それとこれ、受諾ってことにしといて。

 明日行ってみるわ」

 ユニはマリエにレモン水の入ったグラスを押しつける。


 マリエはきょとんとした顔でレモン水を受け取った。

「へ? ユニ姉さん、こんな依頼を受けるんですか?

 銅貨五枚でわざわざイド村まで?

 イド村って、北部じゃないですか?」


「まぁ、そうなんだけど。

 ……ちょっと心当たりがあるのよ」

 イド村からの発信。そして、クマ狩りの依頼で自分を指名する。

 誰なのかは容易に想像がついた。あの〝エロ爺〟に間違いない。


      *       *


 翌日、ユニはイド村に向かった。

 マリエが言ったように、そこは辺境でも北部に位置する村なので、南部のカイラ村からはかなりの距離がある。


 途中で一度野宿することになるな……。ライガの背に揺られながら、ユニはぼんやりと考える。

 イド村は何年振りだろう?

 確か最後に訪ねたのは、四年近く前のことだ。


 群れのオオカミたちは、いつものように街道から少し離れて並走していたが、ジェシカとシェンカの姉妹が退屈したらしく、ユニの側へとやってきた。


『ねーねー、ユニ姉ー』

『イド村って、何かあるのー?』

 ライガの両側から挟むように近寄ってきた姉妹は一度に話しかけてくるが、ユニは慣れたものだ。


「んー、どうして?」

『父ちゃんたちが、なんか嬉しそうなのー』

『母ちゃんが懐かしいってー』

『怪しい匂いがするのー』

『夫婦の秘密かもー』


 そう言われてユニは気づいた。

「そっかー、あんたたちが生まれたのって、前にイド村に行った後だもんね。

 知らないのも当たり前か……」


 ミナの妊娠が明らかになったのは、イド村から戻ってすぐのことだったのだ。

 久しぶりに群れに生まれる新たな命に、オオカミたちはもちろん、ユニも興奮して大騒ぎだった。

 この生意気な姉妹も、もう三歳半になるのか……。

 

 犬に比べてオオカミの成熟は遅いが、一般に二歳程度で成熟したと見なされ、仔を産むこともできる。

 だが、長命な幻獣である彼らは、体こそ大きくなっても精神的な成長はさらに遅く、姉妹はまだまだ子どもだった。


 そして、低霊格のオークやゴブリンと違い、霊格の高い幻獣はおしなべて出生率が低い。

 オオカミたちは霊格的には中程度であるが、群れに仔オオカミが生まれるのは十年に一度ほどらしい。


 ユニが感慨にふけっているのを誤解して、姉妹たちは騒ぎ出す。

『なにー? 思わせぶりなセリフだー』

『セレブのぶりぶりざえもんだー』

『脚本がなってないぞー』

『にゅーさんきん摂ってるのかー』

 彼女たちが時々訳のわからないことを言いだすのも、いつもどおりなのでユニは気にしない。


「ちょっと思い出に浸ってただけよ。

 ハヤトやミナが懐かしがってたのは、昔イド村の近くの森で一年くらい狩りをして暮らしていたからよ。

 みんなその暮らしが気に入っていたから、また行けるのが嬉しいんでしょうね」


『そっかー。狩り楽しいもんねー』

『そんで今回はクマさん狩るんでしょ。クマさんつおい?』

「そうねー。うん、オークほどじゃないけど結構手ごわいわよ。

 村の人だけではどうにもならないでしょうね。

 でも、最近はクマ狩りの依頼は珍しいのよ」


      *       *


 タブ大森林で、食物連鎖の最上位にいるのがクマ(灰色熊)だ。

 大きいものは体長二~三メートル、体重四百キロを超す例もある。

 雑食性で、かつては家畜を襲う被害が頻出し、二級召喚士たちに駆逐依頼がくることも珍しくなかった。

 ところが近年はその数が激減し、家畜を襲う被害もほとんどなくなってしまった。


 その原因は、意外にもオークであった。

 三十年前のサクヤ山の大噴火とともに出現した〝穴〟は、王国に蓄積していたひずみの産物であり、その溜め込んだエネルギーを解放するために、この世界と幻獣界をでたらめにつなぎ続けている。


 「でたらめに」と言いながら、実際にはつながり易い幻獣世界――すなわち霊格の低い幻獣の世界が選ばれることがほとんだ。

 その結果、タブ大森林のあちこちにオークが出現して辺境に被害をもたらしている(ゴブリンやコボルトなども出現するが、森林内で餓死してしまうことが多い)。


 オークが始めから辺境の近くに出現する場合もないではないが、たいていは広大な森林の中に迷い出る。

 彼らは生きるため、森に棲息する動物を捕まえて食糧としながら、やがて家畜という豊富な餌のある辺境へと流れてくる。


 ところが、オークは狩りが下手な種族で、俊敏な小動物を捕まえることを苦手としていた。

 そんな彼らが格好の獲物としたのがクマだったのである。


 クマは長い年月、常に襲う側であったため、オークと遭遇しても逃げずに立ち向かってきた。

 体格的にはオークとほぼ互角、いや、素手であればクマの方が有利であっただろうが、オークは武器を手にしていた。


 それは素朴な棍棒であることがほとんどだったが、オークの恐るべき膂力で振り回されると十分な威力を発揮した。


 巨大なクマを一頭倒すと、当分の間は食い物に困らない。

 そのためオークたちは、タブ大森林の中で生き延びることができた。〝穴〟の出現から十年近くは、辺境でのオーク被害がまだ少なかった理由である。


 しかし、オークがクマを倒し、食い続ければ、当然クマの数が減っていく。

 食物連鎖の頂点に立っていたからこそ、彼らの繁殖能力は高くはない。

 生物は一定の生存数を割り込むと、急激にその数を減じていく。

 辺境でクマの数が減少するのと反比例して、オークの被害が急増したのはそのためだった。


      *       *


『ねーねー、ユニ姉』

『クマさん美味いのー?』

 姉妹の質問にユニは考え込む。


「……そうねー。

 ちょっと臭みがあるから、あたしはそんなに好きじゃないけど、群れのみんなは気に入ってたわね。

 でも、上手に臭みを抜けば美味しいのよ。

 特にスープにすると、少しの肉でも旨味が出るの。

 食べると体が暖まるってのもあるわね」


『そっかー、クマ鍋だね』

『おおー寒い季節は鍋に限るぜー』

「あんたたちは生で食べるんでしょ。

 まったく、猫舌のくせに」

『ちっちっち、そこは狼舌と言ってくり~』


『お前らいい加減にしろ!』

 突然、ライガがイライラした声で姉妹を叱りつけた。

 姉妹はびくっとして、尻尾を下げてへっぴり腰になる。


『じいちゃん、どしたー?』

『ぽんぽん痛いか?』

『いいから、お前たちは母ちゃんミナのところに戻れ。

 あんまりユニの邪魔をするんじゃない』

 ライガはむすっとした声で答える。


 姉妹は『ちぇー』と言いながらも、素直にライガの言うことを聞いて街道を離れていった。

「どうしたのライガ? 珍しい」


『いや、なに。

 あいつらの話を聞いていると、腹が減ってイライラしてくる。

 ……白状するが、俺もクマ肉は大好物でな。

 しばらく食ってないから、その……すごく楽しみなんだよ』


 ちょうど街道の反対側から歩いてきた近隣の農民が、驚いたように立ち止まってユニたちをやり過ごした。

 むすっとした顔の巨大なオオカミの上で、若い娘が笑い転げていたからだった。

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