黒龍野会戦 四 モラン村

 ノルド地方には四つの村がある。

 モラン村は最も西に位置する村で、半農半牧、それに山脈の麓にあることから、林業や炭焼きも盛んな所だ。


 ユニがモラン村に到着したのは黒城市を出た日の夕方だった。

 村の周囲には辺境のような頑丈な柵や土塁がない。

 わずかに放牧地を囲む柵があるだけだが、それも家畜の逃走を防ぐためのものだった。


 中央平野の村々は、外敵の侵入を想定していないので、それが当然であった。

 街道が集落に飲み込まれるあたりの両脇に、二本の柱が立っており、それがこの村の入口ということらしい。


 入口には王国の兵士が一人で門番をしていた。

 ユニが向かっていることはすでに伝わっているらしく、兵士が首から下げていた笛を吹くと、すぐに村の主だった連中が迎えに集まってきた。


 エイナルと名乗る初老の男が肝煎きもいりだった。

 村の人たちは、ほとんどが金髪碧眼で、背の高い者が目立つ。

 もともと白い肌なのだろう、肌は日に焼けているが黒くはなく、赤く染まっている。

 それがノルドの人種的な特徴らしい。


 ユニはエイナルによって村の役屋に招き入れられた。

 少し遅れて肝煎の補佐役らしい男が二人と、王国兵の部隊長らしい男も集まってきた。


 一同は大きなテーブルを囲むように座り、王国兵が作ったという村の地図が広げられた。

 そこには村の見取り図とともに、放牧場の範囲や家畜小屋の位置が書き込まれ、あちこちに日付とともに×印が書き入れられている。

 オークが家畜を襲った地点だ。


 ミリオン少尉というのがこの村に派遣されている王国兵の部隊長で、彼のてきぱきとした説明で現状が説明された。

 そこに時々肝煎のエイナルが口を挟んで補足説明をしてくれる。

 状況説明としては非常にわかりやすいものだった。


「それにしても、これまでオークの目撃報告がないのは妙な話ですね。

 毎夜巡回が行われているのですよね?」

 ユニが疑問を口にする。


 少尉がそれに答える。

「例えば、直近で起きた被害では、オークが侵入した地点がここ」

と、赤い×印の一つを示す。

「そして同時刻にわれわれが巡回していた地点がここです」

 彼が指し示した地点は、先ほどの×印とは反対方向、ずっと離れた位置だった。


「一事が万事この調子で、オークはわれわれの動きを見張っているかのような動きをしています。

 それに家畜が襲われた時、騒いだ様子がないというのも変なのです」

「鳴き声も上げないということですか?」


「そうです。そのためますます襲撃が気づきにくいのです。

 ユニ殿は辺境でそのような例をご存知ですか?」

 ユニは黙って首を振る。


「オークの足跡は残っているのですよね。

 追跡はしたのですか?」

「それが……。現場近くには足跡があるのですが、村を離れたところからは足跡が消えているのです」


 ユニは考え込んだ。

 ……妙だ。やはりこれは普通のオークではない。

「とにかく、明日の朝からオオカミたちで匂いを追ってみます。

 この地図はお借りできますか?」

 ミリオン少尉はもちろん、とうなずいた。


 肝煎のエイナルは、ユニを宿舎に案内するよう補佐役の男に指示を出し、必要な物や人では何でも言ってほしいと協力を確約してくれた。


 翌朝、ユニは肝煎とミリオン少尉の案内で、一番最近家畜が襲われたという現場を調査した。

 すでに群れのオオカミたちも集まって、周囲の臭いを嗅ぎまわっている。


 多くのノルド人たちも集まって、遠巻きにしてそれを見ていた。

 ただ、それはオークのことを心配してというより、見たこともない巨大なオオカミたちを見物しているという感じだった。


 オオカミたちは現場に残された足跡からオークの臭いを覚え込み、その後を追い始めた。

 現場から数十メートルほど離れると、兵士の報告どおり足跡は消え失せていた。


 それは明らかに意図的なものだったが、なぜ現場付近の足跡だけはそのままなのか、理解に苦しむところだった。

「どう、臭いは追えそう?」

『ああ、足跡は無くなっているが、臭いまで消えてるわけじゃない。大丈夫だ』


 ライガが請け負ったように、オオカミたちはあまり迷わずに進んでいく。

 臭いはまっすぐ西の方へと続いていく。どうやらオークは山岳地帯に隠れているようだった。


 ユニとオオカミたちは細い山道を登っていく。周囲の樹木はほとんどが広葉樹で、赤や茶色、黄色とさまざまな色に紅葉している。

 すでにすっかり葉を落とした木々も少なくなく、道は落ち葉で覆われていた。


 かなりの高さを登ったところで、道は鞍部に出た。

 そこでオオカミたちの動きに動揺が表れる。


 しきりに周囲を嗅ぎまわってうろうろしている姿を見て、ユニにも異変が伝わった。

「ライガ、どうしたの?」


『妙だ。ここで臭いがぷっつり途切れている』

 オオカミたちはしばらく周辺の臭いを探っていたが、やがて諦めて戻ってきた。

『駄目だ。どんな方法で臭いを消したのかわからないが、微かな痕跡すら見つけられない』

 ハヤトが悔しそうな声で報告してきた。


「仕方ないわね。

 とにかく、ここを中心として扇状に捜索範囲を広げていきましょう。

 いつものように二頭一組よ。

 ライガはここに残って。

 母さんヨミは中継役とジェシカたちのフォローをお願い」


 ユニは慣れた手順でてきぱきと指示を出す。

 ユニのオオカミたちは、こうした追跡や捜索でこそ本領を発揮するのだ。

 彼らは尻尾をぴんと立て、早い足取りで散っていった。

 ユニはここで動かずに、ただ待っていればいい。


「ねえ、このオークだけど、どう思う?」

『辺境に出る〝はぐれ〟じゃないことは確かだな』

 ライガは思慮深げな瞳で遠くを見つめたままだ。


「……ってことは、召喚オーク?」

『可能性は高いな。

 見廻りの裏をかいたり、足跡や臭いをきれいに消したりするには、人間の知恵がいる』


「だよねー。

 考えられるのは帝国しかないか……。

 あいつら、どこかで召還できるような場所を見つけたのかしら?」


 だとしても、どうやって彼らは王国領に侵入できたのだろう?

 ただ王国側に入るだけだったら、船をつかって夜間にこっそり渡ってしまえばよい。


 だが、ノルド地方の川岸はボルゾ川の源流部に近い急流地帯で、川岸は切り立った崖になっている。

 黒城市より下流なら渡河は簡単だが、オークを連れたまま、見つからずに移動するのは不可能と言ってよい。


      *       *


「くそっ、肝心のデカい奴が側を離れん!」

 男は舌打ちをすると、伸縮式の携帯望遠鏡を顔から外し、縮めて胸ポケットにしまい込んだ。


 ユニたちがいる場所から、二百メートルほど離れた森の茂みの中で、二人の男が地に伏せている。

「そりゃあ、召喚士を一人にしてオークを探しにいったんじゃ、幻獣失格でしょう」

 のんびりした若い男の声がそれに答える。


 二人とも緑や茶色の不規則な模様が入った迷彩柄のマントで身体を覆っている。

 望遠鏡を覗いていた男は長身で肉が薄く、銀色の細い髪を額で切り揃え、やはり細い切れ長の目をしている。


「どうすればあのオオカミは離れる?」

 男の薄い唇から、いらだたしげな質問が投げかけられる。

「あれはオークがどこにいるかわからないから、召喚主の近くで守ってるんでしょう。

 だったらオークの居場所を教えてやればいいんですよ」

 若者の答えは相変わらずのんびりしている。


 男はいら立ちを隠さないまま、再び聞いた。

「おい、マリウス!

 この障壁、念話を使えるのか?」


「大丈夫ですよ、少佐殿。

 これは臭いを遮断しているだけですから。

 しかし、こんな障壁魔法、習った時は何に使うんだろうと思ったもんですが、オークの臭いを隠したり、オオカミに気づかれずに近づいたりと、案外役に立つもんですね~」


 若い男はマリウス中尉。

 夏に中之島の戦いでマグス大佐に同道していた障壁魔法のスペシャリストだった。


 中肉中背で色白の整った顔立ちに、栗色の巻き毛をやや長めに伸ばし、いつも笑みを湛えた人懐っこい表情をしていた。

 それがマグス大佐同様、〝少佐〟と呼ばれた男をいらだたせていた。


 少佐は身を起こすと、両手で複雑な印を結び、何ごとか呪文を唱えた後、静かに瞑想しているようだった。

 目を開けた少佐は再びマリウスの隣りに伏せ、ユニの様子を窺いながら、冷たい笑いを浮かべた。


「オークを動かした。

 あのデカいオオカミを引っ張り出すぞ!」


      *       *


 ユニの傍らで座っていたライガの身に「ビクン」という緊張が走った。

 それは即座にユニにも伝わる。

「どうしたの?」


『何かあったらしい。

 切羽詰まった感じはしないから、恐らくオークの痕跡か、オークそのものを見つけたんだろう。

 ここじゃ詳しいことがわからん。ヨミのところに行ってみるから、ユニはここを動くなよ』


「わかった。

 今回のオークは一筋縄じゃいかないと思う。

 みんなに無理をしないよう伝えてね」

『ああ』

 短い返事を残して、ライガは走り去っていった。


 ユニとオオカミたちはある程度離れていても意思の疎通ができる。

 大体互いが目視できるくらいの距離だ。

 それ以上離れると、ユニにはオオカミたちの声が届かないが、同じ群れのオオカミ同士だとかなり離れていても意志が通じる。


 しかしそれにも限界があって、一定以上の距離になると意思の伝達が不可能となる。

 それでも何か緊急事態が起こったり危険が迫ったりした場合、その感情だけは伝わるのだ。


 扇状に広がって探索に向かった六頭のオオカミたちとの通信を、扇のかなめの位置でヨミが中継することで、相当の遠距離でもライガに〝何ごとかが起きた〟ことを伝えられるのである。


 伝わってきた〝信号〟からヨミの方向は感じられるので、ライガはその巨体を軽々と操り、森を、茂みを、岩肌を矢のように駆け抜けていく。

 妻との距離をかなり詰めたらしく、やがて互いの思念が通じるようになった。


『どうしたヨミ。何があった?』

 駆ける速度を緩めずにライガが呼びかける。

『ああ、あんた。

 トキたちがオークを見つけたらしいの。

 みんなが集まって、あんたの方へ追い立てようとしたんだけど、思うようにいかないのよ。

 かなり体格のいいオークみたいで暴れまわっているようだわ。

 トキとハヤトだけじゃ抑えきれないみたい。

 手伝って! あたしも行くわ』


 ヨミはもはや中継者として後ろに下がっている必要がなくなったので、夫とともに参戦するというのだ。

 ヨミに追いついたライガが現場に到着すると、そこでは睨み合いが続いていた。


 身長二メートルを超す大柄なオークが、接近して噛みつこうとするオオカミたちを武器を振るって追い散らしている。

 オークが手にしているのはいつもの棍棒ではなかった。


 鉄製のハルバート、鑓と斧(片側が斧、もう片側はピックという鋭い突起になっている)が合体したような物騒な得物である。

 これをぶんぶんと振り回すものだから、オオカミたちはうかつに近づけないでいた。

 しかも、このオークは革の鎧まで装着していたのだ。


『まずいな。やはり召喚オークか……』

 かつて辺境の村を襲ったオークの群れと似たような装備もその証拠だが、ライガは自分と同じ召喚された幻獣を見分けることができた。


 ということは、どこかに召喚主の人間が潜んでいて、オークに指示を出しているに違いない。


『ヨミ!

 俺はハヤトたちと一緒にこいつを牽制する。

 お前は女たちで周辺を探れ。

 どこかにオークを召喚した奴がいるはずだ!

 そっちを倒す方が手っ取り早い』


 ヨミはミナとヨーコ、それにジェシカとシェンカの姉妹を率いて森の中に消えていく。

 召喚主を生け捕りにできたらそれに越したことはない。


 それはライガも十分わかっている。

 だが、この鉄の武器を振り回すオーガは危険すぎる。

 ライガにとってはユニの手柄よりも群れの安全の方が優先する。

 ユニも同じ考えなのは、以前ケド村でオークの召喚主をためらいなく殺したことで証明されていた。


 ライガは恐ろしい唸り声を上げながら、オークと正対した。

 オークの方も、これまでとは違う巨大なオオカミの出現に、犬歯をむき出しにして吠える。


『ハヤト、トキ!

 まずは足を止める。

 隙は俺が作る。いいな!』

 ライガはそう叫ぶと、助走なしでオークに飛びかかった。


 オークは顔を醜くゆがませた。彼なりに笑ったらしい。

 愚かなオオカミを両断しようと、ハルバートが真横に振るわれた。

 しかし、ライガの跳躍はオークの予想を上回る早さと高さだった。


 オオカミは、風切音をたてて振るわれたハルバートの柄を「トン」と踏み台のように脚で踏みつけると、身体をひねりながらもう一段高く跳躍した。

 巨体がオークの頭上で猫のように回転して飛び越し、無防備に空いたオークの後頭部を支える首を狙う。


 ライガにハルバートを踏みつけられたオークは、前につんのめったが、すぐに頭上を振り返って新たな一撃を見舞おうとした。

 彼の注意が上に向けられた瞬間を、ハヤトとトキは見逃さない。

 両側から低い姿勢で飛び出し、オークのふくらはぎにその牙を突き立てた。


 そのままオオカミたちは首を乱暴に振り回し、オークの足の肉を抉り取って飛び下がった。

 オークの革鎧は上半身と腰を守っていたが、足は剥き出しになっていた。


 オークは悲鳴と怒号が入り混じったような叫び声をあげ、ハルバートをでたらめに振り回した。

 もちろん足を攻撃した二頭はもう十分な距離を取っているし、ライガもすでに着地して相手の間合いを出ていた。


 肉を抉り取られた足は血に染まり、オークの足元を濡らしたが、倒すまでには至らない。

 彼の戦意は一向に衰えていなかったが、新たに出現した大オオカミが油断できない相手だと思い知ったようだった。


 オークは武器の構えを変え、ハルバートを振り回すのではなく、鑓のように突き出す方針に切り替えた。

 その方が無駄な動きがなくなり、素早く攻撃を繰り出せる。


『チッ! やはり召喚主が近くで見ているな。

 対処が的確だ。

 女たちはまだなのか……』


 ライガとしても手詰まりになった。

 また自分が囮の攻撃を仕掛けて、逆方向から仲間を突っ込ませるか……。

 しかし、そんなフェイントは簡単に見破られそうだ。

 どうする? どうする?


 その時、「ぎゃーっ!」というけたたましい悲鳴が上がった。

 同時にオークの挙動が怪しくなる。

『ハヤト、トキ!

 こいつの足止めを頼む!』

 そう言うなり、ライガは悲鳴の聞こえた方角に飛び出していった。


 一分もかからずにライガはその場に駆けつけた。

 林間の小さな窪地に大量の落ち葉が吹き溜まっている所から、シェンカが中年の男の首を咥えて引きずり出しているところだった。


 どうやら落ち葉の中に潜り込んでいたらしい。

 それらしい場所に携帯用の望遠鏡が転がっていた。

 シェンカは得意げな顔でぶんぶん尻尾を振っている。


『よくやった。

 その男を寄こせ』

 シェンカはその命令に抗った。


『えーっ!

 たいちょー、これは自分の獲物でありますぅ』

『馬鹿もん!

 さっさと渡せ。

 お前らに人間を殺させたら、俺がユニからどんだけ責められるのかわかっているのか!』


 ライガが牙をむき出し、鼻に皺を寄せて恐ろしげな表情を浮かべると、シェンカは渋々と男を解放した。

『じいちゃんのいけずー』

『空気読めー』

 姉のジェシカも便乗してぶーたれるが、ライガは歯牙にもかけない。


 他のオオカミたちに囲まれ、逃げることもできずに震えている男の側にのそのそと歩み寄った。

『お前に恨みはないが、悪く思うな』


 もちろん、ライガの言葉は男の耳には届かなかい。

 ライガは何のためらいもなく、巨大な顎で男の頭部を丸ごと咥える。

 そのまま軽く力を込めると「ボキッ」という音を立てて首の骨が折れた。

 男の身体がびくびくと痙攣し、やがて力が抜け動かなくなる。


 ライガがハヤトに呼びかける。

 このくらいの距離なら問題なく話ができるのだ。


『召喚主は殺したぞ。

 そっちはどうだ?』

『オークは消えた。

 助かったよ』


 ライガたちが戻ると、さっきまでオークがいた場所には、革鎧とハルバートが転がっていた。

 血が染み込んで黒く濡れている土だけが、オークの痕跡だった。


『武器と鎧は後で村の連中に運ばせればいいだろうが、召喚主の死体は連れて帰らなきゃならないだろうな。

 村まで咥えていくのは大変だ。

 ユニに頼んで背中に縛りつけてもらうしかないな。

 俺はユニを迎えに行く。

 ヨミも一緒に来てくれ。

 ほかのみんなは死体を見張っていてくれ。

 気を抜くなよ。もしこいつの仲間がいるとすれば、奪いに来るかもしれんぞ』


 そう言うと、ライガはヨミを伴って小走りに駆けだそうとした。

 しかし、彼はその場で突然立ち止まった。

 顔を上げ、耳をぴんと立てて、何かを聞こうしているかのようだった。


『どうしたの、ライガ』

 ヨミが不審な顔で尋ねる。

『おかしい……』


 ライガはブルブルッと身体を震わせた。

『これだけの距離だとユニの声は聞こえないはずだが……。

 嫌な感じが伝わってきた。それも助けを求めるような……。

 いや駄目だ、もう聞こえなくなった。

 ――畜生! こっちは囮だったか!』


 ライガは先ほどの指示を撤回し、群れ全員でユニの元へ戻るよう即断した。

 そして、誰よりも早く森の中に飛び込んでいった。

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