黒龍野会戦 三 黒城市

 その二日後の昼過ぎには、ユニは黒城市に入った。

 黒城市は、王都、白城市に次ぐ国内第三の都市で、最大の商業都市でもある。

 それは、ボルゾ川舟運の終点として、物流の一大拠点となっているためである。


 同市の川港は王国最大の規模を誇っていた。

 また、ここはボルゾ川に二本の支流が注ぐ合流点になっている。

 一本は王都近郊のレマ湖を水源とするレマーノ川。


 もう一本はセノタ川というあまり大きくない川だったが、白城市を経由していたため、これを掘り広げて同市までの長大な運河(〝白運河〟という)とし、王国経済の大動脈となっていた。


 カシルから運ばれた物資は、黒城市でこの二本の川の船に積み替えられ、王都と白城市という国内一、二位の大消費地に送られる。

 王国の主要な輸出品である小麦などの農産物は、白城市を経由する逆ルートで海外へと移出されている。


 四古都のそれぞれの城が、その名称に則した色の石材を使っている例にもれず、市街の中核をなす黒城は、黒御影石くろみかげいし(閃緑岩)を多用して築かれており、表面が鏡のように磨き上げられている。


 そのため、別名を〝鴉城からすじょう〟とも言う。

 城壁の外部に新市街が広がっているのも、他の古都と同様だが、北側が川に面しているため、新市街は扇状の広がりを見せていた。


 城壁門の検問を通過して旧市街に入ったユニは、そのまま黒城を目指した。

 黒城は第二軍を率いる黒蛇帝の居城であり、軍の本部でもある。

 ユニは正門の詰所の番兵に、モラン村からの軍事郵便を出して、この件が軍事郵便に乗せられた経緯を聞ける部署に取り次いでほしいと頼んだ。


 恐らく門前払いだろうと覚悟しての行動だったが、それほど待たされずに城内から出てきた兵士は、担当部署に案内すると言ってユニとライガの入城を許可してくれた。


 これなら現地に行く前に、詳しい事情や自分の名前が出た経緯を知ることが出来そうだ。

 少し意外ではあったがユニは安堵した。

 普通、軍隊はあまり融通の利く組織ではないので、こうした要望は撥ねつけられるのが常なのだ。


 ユニは案内の兵士の後に付いて、物珍しげに周囲を見回しながら城内を歩いていく。

 黒を基調とした非常に美しい内装だったが、「うるわしの」と形容される華やかな蒼城と違って、落ち着いた大人の雰囲気が横溢している。


 そのうちふと違和感を覚えた。

 始めの内は、ユニの分厚い底のブーツが城の石床でコツコツという音を立てていたのだが、その音がいつの間にか消えている。

 廊下に模様はないが丈夫そうな絨毯が敷かれていたのだ。


 何度となく王都の城に出頭した経験のあるユニは、すぐに気がついた。

 一般の将校や兵士が詰める部署では、こんなことはあり得ない。

 これは高級幹部が出入りするエリアならではの特徴だった。


 〝とてつもなく〟嫌な予感がした。

 そして、嫌な予感はしばしば的中するという、この世の真理をユニは味わうこととなった。


 しんとした廊下をしばらく進んだ後、案内の兵士はとある扉の前で立ち止まった。

 分厚いマホガニー製の扉をノックすると、入室を促す女性の声が聞こえてきた。


 この声は聞き覚えがある。

 ユニはくらっと目の前が暗くなる感覚を覚えた。


 中に招き入れられると、果たして待っていたのアリストアの秘書、ロゼッタであった。

 身体の線がきれいに出た軍服を見事な姿勢で着こなし、結い上げられた金髪、銀縁の薄い眼鏡、完璧な化粧で武装した、秘書の中の秘書である。


 彼女はユニを認めると、顔中をぱあっと花が咲いたような笑顔で満たした。

 ユニの前に駆け寄ると、両手で彼女の手を握ってぶんぶん振る。目の前に案内兵がいなかったら、きっとユニに抱きついていたことだろう。


「まぁまぁ、ユニさん! お久しぶりですわ。

 蒼城でお会いして以来ですわね! お元気でした?」


 ユニもこの聡明な女性を好ましく思っている。

 やたらユニに対して親切であることは気がかりだが、べたべたすることは決してなかったからだ。


「おかげさまで。

 ロゼッタさんはどうして黒城へ?」

 彼女は、「あら意外ね」という顔をする。


「どうしてって、もちろんアリストア様のお供ですけど。

 蒼城の時と同じで、ユニさんにお会いできると聞きましたので、お願いして連れてきてもらったのよ」


 ユニはその言葉を聞いて、深い溜め息をついた。

 やはり掌の上で踊らされていたのだ……。


「それで、副総長殿はご在室ですか?」

「ええ、さっきからお待ちかねよ。

 さ、入って」

 彼女は歌うように答えて、次の間に続く扉を開けてくれた。


 ユニはうなだれたまま入室する。

 蛇のいる水槽に放り込まれたネズミの気分だった。


      *       *


「やあ、ユニ。久しぶりだね。

 長旅ご苦労でした。

 さあ、かけたまえ」


 長身で引き締まった身体、プラチナブロンドの髪を短く刈り込み、皮肉めいた笑みを湛えた唇の上に薄い口髭を生やしている。

 右側に嵌めた片眼鏡モノクルがキラリと光る。

 参謀本部の実質的な支配者、主席副総長のアリストア・ユーリ・ドミトリウス・スミルノフである。


 彼は上等の執務机のいかにも心地の良さそうな椅子に座っている。

 その机の前に、そこそこ上等そうな椅子が用意されていた。


 ユニは今日何度目なのか、数えるのを止めた溜め息を一つ追加して、勧められるまま椅子に腰かけた。


「どうした?

 ずいぶん元気がないようだが?」

 いかにも心配だ、という声音だが、その目元が笑っているのをユニは見逃さない。


「副総長殿、回りくどいやり方はおやめください」

「何のことかね?」

とぼけないでください。

 こんな手の込んだことをしないで、最初から出頭させてノルドへ行けとおっしゃればよいでしょう」


「君は何を言っているのかね?

 私は、君が指名依頼の件の経緯を知りたいと言うから、答えようと思っただけなのだが」

「そのために、わざわざ黒城市までいらっしゃったとでも?」


「まさか。

 私はたまたま巡検で黒城市に来ていただけだよ」

「でしたら、どうしてロゼッタが私に会えるからと付いて来ているんですか?」


「さて、何のことやら……」

 アリストアはくすくすと笑い出した。


「よかろう、そろそろ許してあげなければ、意地悪というものだ。

 まぁ、事の経緯はこういうことだ」

 彼は今回の件のあらましを語り始めた。


      *       *


 モラン村で家畜が襲われるという被害が出始めたのは、約一か月前のことだった。

 柵や家畜小屋の扉が破壊され、十羽ほど飼われていた鶏が全滅していたのだ。


 周辺には、人間に似た大きな足跡が残され、犯人がオオカミや野犬などではないことがすぐにわかった。

 村人は、初め雪深い山に住むといわれる雪男イエティの仕業だとささやき合ったが、村人の一人が「これはオークの足跡に違いない」と騒ぎだした。


 その男は、若いころに村を出て王国内を放浪したことがあり、辺境で何年か働いた経験があった。

 そこでオークの足跡も見たことがあり、それに違いないと断言したのだ。


 村人たちは半信半疑だった。この地方にオークが出たことなど一度もないから当然である。

 しかし、数日を経ずして再び被害が出た。


 今度は羊が一頭さらわれた。

 村人たちは堪らず隣村にある軍の駐在所に駆けこんだ。


 軍は近年の帝国の不穏な動きに対処するため、ノルド地方に数人の兵士を常駐させていたのである。

 現地を検分した兵士は辺境の出身者で、確かにそれは彼にも見覚えのあるオークの足跡だった。


 兵士は困惑しながらも、すぐに黒城市の警備本部に報告をした。

 その間、兵士たちが夜間の見廻りに当たっていたが、それをあざ笑うように数日置きに家畜の被害は続き、事態は徐々に深刻なものとなっていった。


 ほかならぬノルド地方で、住民の間に軍に対する不満や不信が高まるのは、是が非でも避けなければならなかった。


 黒城市からは早馬が駆けつけ、増員して当面の見廻りの人員に当てること、辺境から腕のよい召喚士を呼び寄せ、オークの討伐に当たらせること、召喚士に支払う報酬は軍が肩代わりすることが伝えられた。


 この件はすぐに王都の参謀本部にも報告された。同時に「適格な召喚士を紹介されたし」という依頼も上がってきた。

 黒城市の第二軍はノルド地方の人々同様、オークに対する知識や経験がほとんどなかったからだ。


 そこで、アリストアがユニの名前を出した上、急遽黒城市へ巡検という名目で出張ることになった、ということだった。


      *       *


「やはりそうでしたか……」

 ユニは再び溜め息をついた。

「君は始めから私が関係していると思っていたようだが、なぜかね?」


「報酬が高すぎます。

 銀貨五十枚なんて、普通の村が出せる額じゃありません。

 軍なら出せるでしょうが、まともな主計将校なら庶民以上に値切ろうとするはずです。

 こう気前よく出してくれるのは、副総長殿が噛んでいるのに違いないと思いました」


 アリストアは苦笑いを浮かべた。

「それは褒め言葉と受け取ってよいのかな?

 それで、今回の君の役目だが、オークを探し出して討伐するのは当然として……」


 アリストアが言葉を切ったところで、大きな溜め息をついてユニがその先を引き取った。

「なぜノルド地方にオークが現れたのかを探ること。

 もし、そこに帝国の関与が疑われるなら、大事になる前にそれを暴いて叩き潰せ。

 ……でしょうか?」


「すばらしい!」

 アリストアは満足げな顔で、小さな拍手をした。

「お褒めにあずかり恐縮です」


 ユニはにこやかな笑みを顔に貼りつけて答えたが、心中では物騒なことを考えていた。

『くそっ、一度でいいからアリストア先輩の股間に蹴りを入れたいわ!』

 思わず鉄板が仕込んである自分のごついブーツに視線が走る。


 アリストアはユニの心中に気づかぬまま軽くうなずいた。

「では、下がってよろしい。

 ……そうだユニ、今日の宿はもう決めたのかね?」


「いえ、これからですが……」

「では、ロゼッタに言って宿の手配をしてもらいなさい。

 費用は軍が持つ。

 君が言うように、われわれはよく働く者に対しては気前がよいのだよ」


 なんて嫌味な奴だ!

 ユニは椅子を蹴飛ばしたいという誘惑を必死で押さえ、「失礼します」とだけ言って退室した。


 控えの間に下がると、ロゼッタがすぐに熱々のコーヒーと砂糖菓子を出してくれた。

 そしてユニが何か言う前に、彼女は宿の名前と住所を書いたメモをすっと差し出した。


「ユニさんのことは伝えてありますから、こちらにお泊りください。

 不都合がありましたら、アリストア様のお名前を出せば、大体解決すると思いますわ」


 呆れるような手際のよさだった。

 恐らくユニが訪れる以前に手配を済ませていたのだろう。

 にこやかな笑みを浮かべているこの超絶美人を、出来ることなら嫁に欲しいユニは思う。


 しかし、ロゼッタがあの嫌味な上司に好意を抱いていることは、何となくユニにもわかった。

 世の中は間違っている!

 何度目になるのか、ユニはまた溜め息をついた。


      *       *


 ロゼッタが手配してくれた宿は、ユニが苦手な高級宿ではなく、そう大きくはないが清潔で居心地のよさそうな所だった。

 彼女が別れ際に「この宿の魚料理は絶品らしいですわ」とささやいてくれたので、ユニは大いに期待していた。


 黒城市は川に面しているし、カシルから新鮮な海の幸も送られてくるため、魚料理で有名なところだ。

 ライガが宿の空いている馬房で気持ちよく過ごせているかを確認してから、ユニは湯を浴び、さっぱりとして食堂に降りてきた。


 食堂は宿泊客で半分ほど埋まっていたが、酒場のような騒がしさがなく、落ち着いた雰囲気だった。

 給仕が椅子を引き、ユニを座らせるとメニューを差し出す。

 彼女はそれを断って、ビールとお勧めの魚料理を中心に見繕ってくれと頼んだ。


 やがて運ばれてきた料理は、ほとんどが初めて目にするものだった。

 強い粘り気がある海藻を刻んだ酢の物、生の魚の切り身の表面を軽く炙ったもの、大きなエビをクリーム煮にしたもの。

 どれも珍しいだけでなく、味もよくユニを満足させた。


 そして、メインの一皿は魚の姿揚げだった。

 二十センチはあろうかという魚を、丸ごと油で揚げたものらしい。

 大きな口を開け、胸びれを広げ、膨れた腹、ぴんと尾びれを立てた姿のまま揚がっている。


 そこに熱々のたれがかかっている。

 少しグロテスクなその魚を、運んできた給仕は〝ハタハタ〟という海の底に棲む魚だと教えてくれた。


「油で二度揚げしてありますから、頭も骨も、すべて食べられますよ」

 給仕の言葉に、ユニは恐る恐る魚にナイフを入れる。

 パリパリと音がして、案外抵抗なくナイフが入っていく。


 フォークで切り分けた身を口に運ぶと、白身の魚はつるりとして軽い弾力がありながら、とても柔らかくコクのある味がした。

 骨はもちろんだが、頭も給仕の言うとおり、サクサクとした軽い焼き菓子のような食感だった。

 小麦粉をまぶして揚げられパリパリになった皮には、甘辛いたれがじんわりと染み込んでいて、なんとも味わい深い。


 膨らんだ腹には大きな卵を抱えている。

 切り分けてみると、透明な粘液が糸を引く。


 口に入れると強い粘り気を感じる一方、やや大きめの卵の粒は歯ごたえがあり、噛みしめるとプチプチと音を立てる。

 味も上等だが、一匹でさまざまな食感の違いを楽しめる魚だった。


 後でロゼッタにお礼の手紙を送っておこう。

 ユニは満足して部屋に引き上げながら、そんなことを考えていた。

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