第七章 黒龍野会戦

黒龍野会戦 一 指名依頼

『ユニ、ライガ! そっちへ行ったぞ、気をつけろ!』

 頭の中でハヤトが発した警告が鳴り響く。

 ユニは柄に棒を取り付けて手槍状にしたナガサ(山刀)を構えた。

 ライガは近くの茂みの中に伏せて身を隠している。


 ユニが待ち構えている小さな草原に、ガサガサと茂みを掻き分けてオークが姿を現した。

 二メートルはある背丈以上に、でっぷりとした腹回りが目立つ、かなり体格のいいオークだった。

 身体中が傷だらけで、あちこちから出血しているが、気にもとめていないようだ。


 オークの周囲では、群れのオオカミたちがぐるぐると取り囲み、隙さえあれば飛びかかって噛みついている。

 しかし、大オークはそのたびに太い手足や棍棒を振り回して、オオカミたちを跳ね飛ばしていた。


 オオカミたちともつれるようにして、茂みの中から少し開けた空間に飛び出したオークは、目の前に立つ小柄な人間の女に気づいて怒号をあげた。


 このうるさいオオカミどものことは後でどうにかするとして、とりあえずはあの人間の雌をぶちのめしてやろう。

 オークは一瞬のうちにそう決意したようだった。


 それは弱い相手を目の前にした時の、典型的なオークの思考プロセスだ。

 身体中の血がたぎり、アドレナリンが疲労と痛みを消し去ってくれる。

 オークは喚き声をあげながら、棍棒を大上段に振りかざして、ユニ目がけて突進してきた。


 あと数メートルで、ちびっこい人間を叩き潰し、血と脳漿のシャワーを浴びられる。

 そうオークが確信した時だった。


 ほぼ真横から巨大な影が飛び出し、灰色の塊りとなってオークに体当たりしてきた。

 それは体長三メートルを超す巨大なオオカミ――ライガだった。


 オオカミは頭上高くに棍棒を振り上げているオークの腕に、巨大な顎で噛みついた。

 肘のあたりの肉がごっそりと抉り取られ、たちまち鮮血が噴き出す。

 しっかりとオークの腕に牙を突き立てたまま、飛びかかった勢いを利用してライガはぐるりと身体を回転させる。

 「バキッ」と気味の悪い音がして、オークの腕があらぬ方向へと捻じ曲がった。


 悲鳴とも怒号ともつかない叫び声を上げ、オークは身をかがめ、肘関節を破壊された右腕を抑えた。

 そのタイミングを逃すほど、ユニのオオカミたちでは間抜けではない。


 追ってきた群れのオオカミたちが次々にオークを襲い、手足の動きを封じる。

 そしてライガが首筋に牙を突き立て、オークの巨体を地面へと引きずり倒した。


 ライガはそのままオークの喉仏を噛み砕いた。

 動脈を食い破られ、噴出する鮮血が気道に流れ込む。

 オークは反射的に咳き込もうとしたが、血と吐しゃ物を詰まらせて窒息し、あっけなく絶命した。


 ライガはオークの息の根が止まったことを確認し、「べっ」と肉の塊りを地面に吐き捨て、ユニの元へ戻った。


「お見事! 完璧だわ」

 ユニは素直に賞賛の声をあげた。

 慣れているとはいえ、オオカミたちの狩りは実に手際がよかった。


 ユニはオークに近寄ると、膝をついて死骸を検分する。

 手槍状のナガサは脇に置き、もう一振りのナガサを腰の鞘から抜くと、膨れた腹に突き立てた。

 もう心臓が停止しているので、それほど血は吹き出さない。


 分厚い皮の下には、黄色い脂肪層がたっぷりと貯えられている。

 粘つく脂肪を分け広げ、固い筋繊維を切り開くと、むっとする臭気を放つ湯気が立ちのぼり、内臓が現れる。


 胃にナガサの刃を潜り込ませ、すっと縦に引くと、でろでろとした未消化の内容物が溢れ出てきた。

 ほとんど原型を留めていない流動物の中から、ユニは毛の塊りを拾い上げる。


「羊を食っているわね。仔羊かな? この腹を見る限り、ずいぶんと楽しい思いをしたみたいね」

 ユニは腰に下げていた手拭いで指先をぬぐい、今度はオークの頭部を手で押さえ、片耳を切り取った。


 豚のような耳はオークの特徴であり、その内側の皺模様は一頭ずつ異なっていると言われている。

 ユニは背負っていた背嚢を下ろし、油紙を一枚取り出すと、オークの耳を丁寧に包んで背嚢のポケットにしまい込む。


 これを村の肝煎きもいりの所へ持っていけば、依頼の達成が証明され、報酬を受け取ることができる。

 同時に国に対するオークの討伐証明書も発行してもらえるので、少ない額だが国からの報酬も入ってくるのだ。


「さ、行こうか」

 ユニはそう言って、ライガの背に乗った。


 オークの死骸は放置して行く。

 ここはタブ大森林の中である。

 ユニたちが姿を消せば、森の小動物――キツネ、タヌキ、テン、ネズミなど、そしてカラスやトビといった空の掃除屋があっという間に集まってくる。

 数日を経ずして死骸は骨だけとなり、バラバラになってしまうのだ。


      *       *


「ごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっ……」

 ユニの白い喉元が上下し、冷えたビールが滑り落ちていく。

「………プッハアァー!

 兄ちゃん、お代わり!」

 ユニは空になったビアマグを高く掲げて注文の声をあげた。


 ユニが本拠地としている辺境の枢要村、カイラ村の居酒屋「氷室亭」で、ユニはお気に入りの冷えたビールを味わっていた。

「お前、ほんっと旨そうに飲むのな……」

 テーブルの向こうで呆れた声をあげるゴーマの姿はもうない。

『一人で飲むのは少し味気ないな……』


 ゴーマが消えてからもう二か月になるが、彼の消失は未だにユニの心に小さな瘡蓋かさぶたとなって残っていた。

 何の気なしにうっかりそれを剥いでしまうと、たちまち血が滲んでくるのだ。


「へい、お待ち!」

 威勢のいい掛け声とともに、店員がユニの前に新しいビアマグをどんと置く。

 そして名物の鶏の炭火焼きの皿もその隣に置かれた。狐色の皮の表面で脂がピチピチと踊っている。

 ユニのこよなく愛する好物である。


 フォークを突き刺すと、パリパリになった皮と弾力のある肉の感触が手に伝わってくる。

 そのまま口に運び、ひと噛み齧り取ると、口の中にたっぷりの脂と肉汁が溢れ、炭のよい香りが鼻腔から抜けていく。


 そしてすかさず冷えたビールを流し込むと、口の中の脂を洗い流してくれる。

 氷室亭のビールは、その名のとおり氷室蔵の氷でキンキンに冷やしてある。

 ユニが〝無限ループ〟と密かに名づけているこの組合せを堪能していると、背中の方から聞き覚えのある女の声がした。


「あー、ユニ姉さん見っけ! やっぱここかぁ」

 振り返ると店に入ってきた若い娘が、手を高くあげて振り回している。

 その手には何かの紙が握られてる。


 その娘はずかずかとユニのテーブルまでやってくると、遠慮なく向いの椅子を引いて腰を下ろした。

「昼間っからビールとは、いいご身分っすね~」


 いきなり皮肉めいた挨拶を投げかけてくれる。

 その表情には人懐っこい笑顔が自然と浮かび、憎めない性格の明るさが感じ取れる。


 彼女の名はマリエといい、カイラ村で掲示板の管理をしている若い娘だった。

 顔にそばかすの跡が目立ち、美人とは言えないが愛嬌のある元気な娘だ。


 彼女は寄ってきた店員にオレンジジュースを頼むと、ユニの方に向き直った。

「タカミ村に行ってたんだって?

 その様子じゃうまくやったみたいね」


「ええ、かなり羊を食われてたから、村の方は大損害みたいだったけどね。

 報酬も張り込んでたから、泣きっ面に蜂といったところよ」

「何でそんなになるまで依頼が遅れたのかしら?」


 その質問にユニはちょっと眉根を寄せた。

「そのオークね、羊をさらった後に自分の足跡を消してたのよ。

 多分木の枝かなんかを使って、足跡を消しながら帰っていったみたい」

「へー、オークがそんな知恵を使うんだ……」


「うん、単純な手だけどね。

 たまにそういう変な知恵がついたオークがいるのよ。

 牧場主は十頭くらい食われてから、やっと羊の数が足りないことに気づいたらしいわ」


「えーっ!

 そりゃ、飼い主の方がアホなんじゃないっすか?」

「……まったくだわ。

 普通は一頭でも足りなきゃ、その日のうちにすぐに気づくからね。

 飼い主は結構裕福らしくて、羊の方は人任せにしていたらしいのよ。

 それであっちは結構もめたらしいけど、あたしには関係ない話だからね」


 ユニは三分の一ほど残っていたビールを一気に飲み干すと、高々と手を挙げてお代わりを要求した。

「それで、あたしを探してたみたいだけど、何の用?」


「ああ、そうだった」

 マリエは運ばれてきていたジュースを一口飲むと、手にしていた黒い封筒をユニに差し出した。

「指名依頼よ」


 封筒の表には〝カイラ村気付 ユニ・ドルイディア〟と書かれた宛名紙が貼られ、指名依頼であることを示す印が押されていた。


 親郷の掲示板には、オーク討伐を主とした枝郷からの様々な依頼が寄せられる。

 誰がその依頼を受けるかは早い者勝ちなのだが、時々特定の人物を指名した依頼が出ることがある。


 当然指名料が加算されるので割高になるし、指名した人物が運悪くその親郷に滞在していないと、依頼の引き受けが大幅に遅れるリスクもある。

 逆に言えば、それだけ重要な案件だとも言える。


 ちなみに、これに似た〝準指名依頼〟というものもある。

 指名はあるものの、誰がその依頼を受けてもいいことになっていて、指名された人物が受けてくれた場合のみ、指名料が加算される方式だ。

 指名依頼での引き受けの遅れを回避する、次善の策と言える。


「最近ユニ姉さんへの指名依頼って、増えてきたよね~。

 人気者は大変だぁ」

「やめてよ。

 それでどこからなの?」

「んーとね、……モラン村だね」

「へ? モラン村って……そんな村、辺境にあったっけ?」


 ユニは辺境の南部をテリトリーとしているが、一応辺境全域の地理と村は把握しているつもりだった。

 モラン村というのは初めて聞く名前だ。


 マリエは「言い忘れた」といった顔で補足説明をしてくれた。

「ああ、ごめんごめん。

 モラン村はノルド地方の村なのよ。

 しかもこれ、軍事郵便で届いたから、ちょっとキナ臭いわよぉ」

 なるほど、黒い封筒はもっぱら軍事郵便に使用されるものだし、検閲済を示す赤い封緘ふうかんがしてある。


 王国では一応、郵便制度が成立しているが、それは極めて頼りないものだった。

 郵送を担っているのはほとんどが個人業者で、差出人が直接旅人や冒険者などに依頼する場合も多い。

 届くまでの時間もかかり、通常の旅行者が三日で着く距離を、郵便だと一週間かかるという例も珍しくなかった。


 一方で軍隊内の通信物は、専用の馬車、緊急の場合は訓練された鳥類(鳩や猛禽類)までも使用するので、圧倒的に到達時間が早かった。

 当然、一般の通信物は扱わないので、これは軍がその必要性を認めた特殊な依頼だということになる。


 ユニは目の前に差し出されていた手紙の封を切り、入っていた依頼状を手に取って、まじまじと内容を確かめた。

 折り目のついた紙片には、定められた様式で必要最低限の情報だけが書き込まれていた。


 〝依頼地:モラン村、指名者:ユニ・ドルイディア二級召喚士、依頼内容:オークの捜索、及び討伐、報酬:銀貨五十枚〟。


「銀貨五十枚?

 ずいぶん張り込んだものね……」

 ユニは少し驚いた。


 銀貨五十枚は金貨二枚に当たる。オーク討伐としては異例と言える高額報酬だ。

 彼女が数日前に討伐したタカミ村での報酬は銀貨二十枚。

 これでもかなり〝美味しい〟仕事だった。普通は銀貨十枚から十五枚が相場である。


 ユニはかつて、ある貧しい開拓村から、銀貨五枚という低額報酬の仕事を受けたことすらあるのだ。


「で、そのモラン村ってどこなのよ?

 ……ん? ちょっと待って、あんたさっき〝ノルド地方〟って言わなかった?」

「そだよー」

 マリエは平然と答える。


「いや、ノルドっていったら北西のどん詰まりじゃない!

 僻地って言えば辺境と大差ないけど、一応は中央平野よ。

 何でそんなところにオークが出るの?」


 マリエはグラスに半分ほど残っていたオレンジジュースを飲み干すと、はあっと溜め息をついた。

 半開きの目でユニの顔を見上げると、くたびれた声で答える。


「……ユニ姉さん、それをあたしに聞きます?」

 極めてまっとうな指摘を受けて、ユニの顔が少し赤くなる。


「そっ、それはそうよね。

 わかったわ。依頼は受ける。

 明日出立で、到着予定はその四日後と返信しておいてくれる?

 返事も軍事郵便で送れるんでしょ?」


 マリエが帰ると(ジュース代は初めからユニの奢りということらしい)、残ったビールと料理を片付けてユニも外へ出た。

 店を出ると、どこで待機していたのか、ライガがすっと側に寄って歩き出す。


 晩秋の冷えた空気が、酒で火照った頬を気持ちよく撫でていく。

 まだ午後の三時頃だろう。

 彼女は村の中心部にある軍の出先機関に足を向けた。


 そこで事務仕事をしている顔見知りの兵隊に、第四軍のアスカ・ノートン大佐宛の通信文を頼んだ。

 軍事郵便は基本的に一般人の依頼を断るのだが、宛先が軍人である場合は例外とされている。

 ただし、料金はかなり割高で、その辺は軍も抜け目がない。


 カイラ村からノルド地方を目指すとすれば、必然的に蒼城市を通過することになる。

 ユニは、ゴーマがこの世界から消えた時以来、訪ねていなかったアスカに会っておこうと思ったのだ。


「ノルン地方の地図が必要ね。

 どこに仕舞っていたかなぁ……」

 ユニは独り言をつぶやきながら、普段持ち歩かない荷物を置いてある農家の小屋に足を向けた。

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