陽だまりの部屋 三 救済学院
学校は新市街の中心部からは外れた、比較的閑静な街区にあった。
救済教団のシンボルである、蛇が絡みついた十字架を屋根に掲げた教会があり、学校はその裏手に建てられていた。
ゴーマはまず教会の受付で用件を伝え、取次ぎを頼んだ。
ほどなく案内役らしいシスターに連れられて学校の建物に連れて行かれる。
学校は木造の二階建てだが、壁は白い漆喰で塗られ、大きくはないがしっかりとした建物だった。
どこからか子どもたちの叫び声や笑い声が微かに聞こえてくる。
二人は応接室らしき部屋に通された。
部屋の中では二人のシスターが待っていた。
一人はきれいな白い髪をした恰幅のいい老婦人で、校長だと名乗った。
もう一人は教務主任をしているルシアナという中年の婦人で、痩せ形で眼鏡をかけていた。
互いに握手を交わし、ゴーマとフェイが応接の椅子に座ると、その向かいにルシアナが腰をおろし、校長は奥の机の席に座った。
受付でゴーマが書いた申込書に目を落としながら、ルシアナが話を切り出した。
「それでゴルディアス・ノートンさん、このお嬢さんが入学希望ということですね。
お名前がフェイ・ゲイブルさん。現在九歳ですか。
すると四年生に編入なさりたいのですね」
ゴーマは短い黒髪の頭をぼりぼりと掻いて困った顔をする。
「それがどうしたものか。
実を言うとフェイはこれまでまったく教育を受けていないのです。
二か月ほど前から文字の読み書きと基本の算数を教え始めたばかりなので、四年生では付いていけないのではと思います」
ルシアナが眼鏡の端を指で押し上げ、ちらりとフェイを見た。
「少しご事情をお伺いした方がよろしそうですね。
まず、フェイさんはあなたのお子さんではないのですね?」
「はい。彼女は孤児だったのを、私の妹が引き取ったのです。
ですから実際の保護者は妹なのですが、あいにく訳があって謹慎中で外出が出来ないものですから」
「謹慎? ……妹さんのお名前は?」
「アスカ・ノートンと言います。蒼龍帝のところで軍務についています」
「まぁ……」
ルシアナは小さく感嘆の声をあげ、後ろの校長の方を振り返った。
校長はにこやかな笑顔のまま小さくうなずいた。
「私どものような世間を知らない者でも、妹さんのお名前は存じておりますよ。
保証人としては申し分ありませんね」
ルシアナの態度は目に見えて柔らかくなった。
そして、少し心配そうな顔で質問を続ける。
「……その、少し聞きづらいのですが、フェイさんのお顔は多毛症でしょうか?
そのような病があると聞いたことがあります」
ゴーマは再び頭を掻いた。
「いや、病気ではないですよ。
フェイの母親は人間ですが、父親は獣人なんです。
おそらくその遺伝でしょうな」
ルシアナの表情に動揺の色が浮かんだのは一瞬だった。
「なるほど。本校を選ばれた理由がわかりました。
その件はお隠しになりますか?
私どもとしてはあくまで病気ということで通してもよろしいのですが……」
「いや、それは無用に願いたい。
この子は獣人の子であることを誰にも恥じておりません。
だろ?」
ゴーマはそう言って笑顔でフェイの顔を見る。
フェイも真面目な顔でこくりとうなずいた。
「わかりました。
それで、先ほど読み書きを習い始めて二か月ほどと言われましたが、どの程度まで進まれましたか」
「あまり難しい単語がなければ、そこそこ出来るようになっています。
小学生低学年向けの本であれば、特に苦労せずに読めると思います。
書く方も同じですね」
「……始めて二か月でですか?」
「はい」
ルシアナが疑いを見せていることは無理もなかった。
「それならば、簡単なテストをしてみましょう。
学力を測るというより、知能検査が主な目的ですから、あまり緊張せずに受けてください。
その結果を見て、フェイさんの編入する学年を決めることにしましょう。
恐れ入りますが、来週の月曜日にまた学院に来ていただきます。
よろしいですか?」
そう言ってルシアナは立ち上がった。
「無論です」
と答えて、ゴーマもそれに倣う。
二人が握手を交わした後、ルシアナは背をかがめてフェイの肩に手を置いた。
「フェイさん、私たちは神の前ではすべての人が平等だと信じています。
ですから、あなたが獣人の血を引いていようとどうだろうと、ほかの生徒たちと同じ扱いをするつもりです。
あなたはこの学院で、見た目に惑わせられない本当のお友だちを見つけてください。
あなたにはそれが出来るような気がします」
彼女はそう言うと、フェイを軽く抱き寄せ、その頬にキスをした。
* *
「思ったより良さそうな学校じゃないか?」
そろそろ夕暮れが近い時間となり、新市街の通りは夕食の買い物に出てきた女たちでごった返してした。
ゴーマはフェイがはぐれないよう手をしっかりと握って、彼女の歩幅に注意してゆっくりと歩いている。
「そうね、嫌な感じはしなかったわ。
あたい、わかるんだよね。
あたいのことを嫌ったり馬鹿にしてる人って、どんなに笑顔でいてもわかるんだ。
あの人たちはそうじゃなかった」
「そうか、そりゃよかった」
しばらく二人は無言で歩いていた。
やがて蒼城の城壁が見え、二人は壁内の旧市街に入った。
広い大通りはずっと人通りが少なく、喧噪も聞こえてこない。
「ねえ、ゴーマ」
「ん? 何だ」
「あの学校のおばさん、あたいに友だちを見つけろって言ったよね?」
「ああ、言ってたな」
「本当に友だちって出来るかな?」
「出来るさ」
「どうしてそう思うの?」
ゴーマは歩みを止めた。
フェイは不思議そうに彼の顔を見上げている。
ゴーマはその場にしゃがみ込むと、フェイの顔を覗き込んだ。
「フェイ。お前がアスカの家に来て、最初に出来た友だちは誰だ?」
「え?」
ゴーマはにかっと笑った。
「俺だ。違うか?
お前と友だちになった俺が保証するんだ。こんな確かなことはないだろう?」
ゴーマはそう言って、フェイの頭をくしゃくしゃにして立ち上がった。
二人は再び手をつないで歩き出す。
しばらくして、フェイが前を向いたままぽつりと言った。
「そうだね!」
ゴーマの手を握る少女の手に、ぎゅっと力がこもった。
* *
翌週、フェイは救済学院で試験を受けた。
結果はその翌々日、ゴーマが一人で聞きに行った。
学院側が出した結論は、フェイを四学年に編入するというものだった。
その回答はゴーマを少なからず驚かせた。
彼は二年か三年あたりに入れればいいと思っていたからだ。
ルシアナ教務主任は穏やかな表情で説明してくれた。
フェイは非常に優秀な子どもで、現時点での学力が不足していてもすぐに追いつけるだろう。
もちろん、最初はある程度の苦労をすることを覚悟してほしいが、自分たちはあまり心配いらないと見ている。
歴史と科学は当面、別カリキュラムで学ぶことになるが、それ以外は四学年の授業についていけるはずだ――と。
ルシアナは頭を振って、最後に付け加えた。
「筆跡は頼りないのですが、フェイが書いた回答には綴り間違いが一つもありませんでした。
これは驚くべきことなんですよ。
頭がよいだけでなく、きちんと努力をしているようですね。
私はあの子に大きな期待を抱いています。
学院は彼女を歓迎いたしますわ」
* *
フェイはその翌日から学院に通い始めた。
彼女の転入はクラスにちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
担任のシスター・カレンは、初めのホームルームでフェイを紹介する時、きちんと彼女が獣人と人間のハーフであることを説明した。
その上で、もしフェイの見た目や血筋で彼女をからかう者がいたら、それはこの学院でもっとも哀れな人間として同情されるだろうと宣言した。
そうは言っても、いたずら盛りの男の子たちがフェイを放っておくはずがなかった。
先生に見つからないよう、隙さえあれば彼女の服を引っ張ったり、足を引っかけようとしたり、顔の毛をつまもうとした。
しかし、孤児として一人で生き抜いてきたフェイにとっては、それらはまさに子どものいたずらに過ぎなかった。
最初のうちは、彼女はそうした妨害を完全に無視した。
だが、相手にされないと行為がエスカレートするのは世の常である。
だんだん授業を受けるのにも支障をきたすようになってくると、フェイはある日実力行使に出た。
これが普通の子どもであったら、まず先生に訴えたのであろうが、彼女はそうはしなかった。
午後の授業が終わり、先生が教室を後にし、みんなが帰り支度を始めようとした時のことだった。
フェイは自分の後ろの席の男の子、ニルスの方を振り返ると、いきなり彼の耳を掴んで引っ張った。
このニルスという子がいたずらの首謀者で、授業中に先生の目を盗んで何かとフェイにちょっかいを出していたのだ。
フェイはニルスの耳を引っ張ったまま、ずんずんと教室の前の方に彼を引きずっていった。
クラスメイトたちは何事かと驚き、フェイの行動を見守っていた。
「いてててて、放せよ!」
男の子の叫び声を無視して、フェイは床より一段高い教壇の上へ彼を引っ張り上げた。
ニルスはクラスでも身長が高い方だったが、フェイの方がはるかにそれを上回っていた。
ユニやアスカが彼女と初めて会った時、十二、三歳くらいだと思ったくらいだ。
恐らく獣人の血が影響しているのだろうが、彼女はクラスの誰よりも大柄で、力も強かったのだ。
「みんな聞いて!」
フェイはニルスの耳を引っ張り上げたまま、クラス中に呼びかけた。
「あたしはこの子に何度も『いたずらをやめて』と注意したわ。
でも、ニルスも、ほかの男の子たちもそれを聞いてくれなかった。
それなら、その報いを受けてもらうから、あんたたちもよく見ておきなさい!」
彼女はいたずらに加担していた男の子たちをも睨みつけた。
(ちなみに、フェイは入学に当たって先生から言葉遣いを注意されていて、自分のことを〝あたい〟と言うのをやめていた)。
そして、そこでやっとニルスの耳から手を放した。
男の子が解放された自分の耳に手を当てようとした瞬間、がら空きになった彼の腹部にフェイの拳が入った。
「ぐふっ!」
みぞおちに入った一撃に、ニルスは体をくの字に曲げて両腕で腹を抑えた。
そこへ今度はフェイの足が叩き込まれる。
股間を蹴り上げられたニルスは、悲鳴もあげることが出来ずに床にうずくまり、転げまわった。
フェイは喧嘩慣れしていたから、同年代の男の子に負けるとは思っていない。
だから、かなり手加減をしてやったのだが、男子にとっての股間の痛みは、手加減がどうこうという問題ではない。
フェイはパンパンと手を叩いてから、腰に手を当てて宣言した。
「いい、昨日までの分は水に流してあげる。
でも、明日からは一回何かされたら、絶対に一回ニルスと同じ目に合わせるからね!
それでもいいのなら、どうぞ何でもしてちょうだい」
* *
この事件は、結局フェイにとってよい結果をもたらしてくれた。
フェイはアスカの家に帰ると、ゴーマとアスカにその日、学校で起きたことや習ったことを話すのを日課としていた。
この件も、ごく当たり前の出来事として二人に報告した。
それ以前に、男の子たちにちょっかいを出されている話もしていたのだが、ゴーマが心配して「先生と話そうか?」と言っても、「我慢できなくなったら、自分で解決する」と介入を断っていたのだ。
したがって、フェイの武勇伝を聞いた二人の反応は、「ああ、やっぱりな」だった。
アスカは苦笑しながら、フェイをたしなめざるを得なかった。
「フェイ。
自分より弱い者に暴力を振るったのは、正しいことではなかったな。
多分、先生からお叱りがあると思う。
その時は、正々堂々とことの経緯を話して、自分の行動を弁護していいぞ。
ただし、手を出したことだけは非を認めて、そのニルスという男子にも謝るんだ」
フェイは納得しなかった。
「ちゃんと手加減したし、ああいう調子こいたおバカ男子は、一発殴っておくのが効くんだけどなぁ。
それじゃ、アスカがあたしだったらどうしていたの?」
アスカは「そうだな……」とつぶやいて少し考えると、にやりと笑った。
「私だったら、圧倒的な実力差を見せつけるな。
逆らったら次は酷い目をみると、相手が恐れるくらいのことをすれば、直接殴るのと同じような効果があると思うな」
「どうやって?」
「みんな石板を使っているんだろう?
その子の石板を拳で叩き割るとか、剣術の稽古で使う木刀を蹴りでへし折るとか……」
「おいおいおい、アスカ。
そりゃ女の子にするアドバイスじゃないだろう!
フェイも『なるほど』って顔してんじゃない!」
ゴーマは慌てて話に割って入った。
そして彼はフェイの両頬に手を添えて、彼女の顔を覗き込んだ。
「いいか、フェイ。
お前は自分の力で問題を解決しようとした。
だけど、お前はまだ九歳の子どもなんだ。
子どものうちは大人に頼っていいんだ。
まず、先生に相談する。それで解決しない時は、俺やアスカを頼れ。
それはちっとも卑怯なことじゃない。わかったな」
真剣な表情で語りかけるゴーマに、フェイは納得するしかなかった。
彼女は目を伏せながら、小さな声で答えた。
「……わかった。明日先生に話してみる」
* *
しかし、翌日フェイが登校してみると、事件はすでに先生の知るところとなっていた。
いじめグループの男子たちが担任の先生に昨日のことを訴えたのだ。
カレン先生は一時限目の授業を中止して、この問題をクラスで話し合うことにした。
先生はフェイ、ニルス、そしていたずらに加担していた男の子たちを指名して立たせ、それぞれの言い分を聞いた。
男の子側は当然自分たちのしたことを棚に上げて、ニルスが一方的に暴力を受けたと主張した。
フェイは黙ってそれを聞いていた。
自分の番になったら、きちんと事実を話せばよいと思ったからだ。
ところが、男の子たちの主張が終わると、義憤にかられた女の子たちが次々に発言を始めた。
彼らが執拗にフェイをからかっていたこと、その行為がだんだんエスカレートしてきたこと、自分たちはフェイを守ってあげられずに、ただ見ていたこと、そのことで今、恥ずかしい思いをしていることなどを、競うように訴え始めたのだ。
これにはフェイの方が驚いた。
何しろクラスの女の子たちは、未だにフェイを遠巻きにして、よそよそしい態度を取っていたからだった。
カレン先生は、まずはフェイの言葉を聞くようにと女の子たちを制した。
フェイは淡々とことの経緯を述べ、自分が正しいと思ってしたことだが、暴力を振るったことについては自分が悪かったと、ニルスに対して潔く謝罪をした。
「ではフェイ、あなたはどうすべきだったと思いますか?」
「まず先生に相談すべきでした」
先生はその言葉を聞いて、にっこりと笑った。
そして教壇を下り、立っているフェイの側まで来ると、先生はフェイの手を取り、その場に膝をついた。
「私はあなたに謝らなくてはなりません。どうか許してください」
そう言って、彼女は深々と
これにはクラス中がびっくりした。
中でも一番驚いたのがフェイ自身だった。
この先生はどうして自分に謝っているんだろう?
カレン先生は立ち上がると教壇に戻り、フェイを着席させてから、生徒たちに語り始めた。
ニルスや男の子たちがフェイにいたずらをしていたことを、先生は気づいていた。
そして、そのことを教務主任と校長先生に報告したのだが、二人はシスター・カレンに何もせずに静観するよう命じたのだ。
フェイがこの問題に対して、どう対応するのかを見たいというのがその理由だった。
もちろん、あまり酷くなったら介入してもいいという条件付きだったが、フェイが困っているのを知りながら放置することは、彼女にとって大きな苦痛だった。
シスター・カレンがフェイに謝ったのは、そういう意味だった。
結局、フェイは自分の力だけで解決しようとして、暴力という間違った手段を取ったが、その背景には自分たち大人の責任もある。
最低限フェイは相手に怪我を負わせないように自制していたし、自らの過ちも素直に認めたので、今回の件については不問とする。
いたずらに加わった男の子たちは、全員フェイに謝罪して反省文を提出すること。
反省文には保護者の署名をもらってくること。
それが先生が下した判決だった。
* *
「ほら見ろ。
俺が言ったとおりだったろう」
ゴーマはそう言いながらフェイを抱き上げ、髪の毛をくしゃくしゃにした上、わき腹をくすぐって彼女に小さな悲鳴をあげさせた。
フェイはゴーマの膝の上で猫のようにだらんと仰向けになり、彼の顔を見上げていた。
「男の子たちのことは別に大したことじゃなかったんだけどね。
その後、クラスの女の子たちがいっぱい話しかけてくれるようになったんだ。
今日の帰り道も、途中まで三人の子と一緒に帰ったんだよ」
その三人の女の子の一人が、フェイの生涯を通しての親友となるのだが、それはまた別の話となる。
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