獣たちの王国 七 帰郷

 魔導院を卒業すると、院生たちはそれまで接触を禁じられていた故郷の実家にいったん帰るのが普通である。

 国家召喚士となれた者は別だが、大多数の二級召喚士にとって、ほかに身を寄せる所はないのだから、至極当然だと言える。


 国からは彼らに対して〝支度金〟としていくばくかの金銭を支給されるが、その額はわずかなものだ。


 国家召喚士となる可能性を秘めていたからこそ、これまでの十二年間、莫大な経費を投じてきたのである。

 その可能性が断たれた今、国家が彼ら二級召喚士にこれ以上の経費をかけるいわれはなかった。


 ただ、幼い頃に親元を引き離され、十二年間一切の接触を断たれてきた子どもが、今さら帰郷して再び幸せな家族に戻れるだろうか。


 残念ながら、答えはNOである。

 もちろん、元通りとは言わないまでも、良好な親子関係を再構築する例もある。

 ゴーマの場合も、両親の死去という不幸はあったが、妹と家族の関係を取り戻したという意味では、そうした稀有な例と言える。


 だが、たいていの場合、再開した親子の間には深い溝が刻まれていることに気づかされるのだ。

 それは仕方のないことだった。

 それほどまでに国家魔導院という組織は罪深いものだったからだ。


 ユニも十八歳でライガと契約し、二級召喚士の判定を受けた後、故郷の村に向かった。

 ユニの故郷は辺境の北部地域にあるカイラギ村という開拓村だった。


 三メートルを超す巨大なオオカミ、ライガの背に揺られ、辺境に向かうユニの姿は行きかう人々の注目を浴びた。

 この時点では、まだライガは自分の群れを呼び寄せておらず、彼一頭だけがユニの頼るべき仲間だった。


 実際のところ、ユニは途方に暮れていたのだ。


 二級召喚士と判断された以上、これからは自力で生きていかなくてはならない。

 軍に入るという安直な手はあったが、どうも自分の性格には合いそうもなかった。


 ならば、辺境でオークを狩って生きるしかないのであるが、どうにも自信がなかった。

 ライガは『大丈夫だ。俺に任せておけ』と言ってくれるが、自分にオークを殺すことができるのだろうか……。

 そんな不安がつきまとっていた。


 しかし、ユニは世間の怖さも知らない、まだ十八歳の娘であった。

 彼女はどうにかなるだろうと気を取り直した。今は十二年ぶりとなる家族との再会の方が重大事だ。


 ライガの背に乗っているだけに、カイラギ村へは五日で着けた。普通なら一週間はかかるところだ。

 決してよい道とは言えない脇街道を進んでいくと、やっと前方に村の姿が現れる。


「はて、こんな感じだったっけ?」

 六歳の頃の記憶なので、あいまいで自信がない。

 だんだん、村が近づいてくるにつれ、門のあたりであたふたと人が騒いでいる様子も見えてきた。

 いつの間にか門の扉も閉じられている。


 いくら人間が乗っているとはいえ、三メートルを超す化け物みたいな大きさのオオカミがのそのそとやってくるのだ。警戒するなと言う方が無理というものだ。

 ユニもそれに気づき、かなり手前のところでライガから降り、そこに待機させて彼女単独で歩いていく。


「止まれ!

 何者だ、名前と用件を言え!

 それにあのバカでかいオオカミは何なんだ?」


 門番の男が、明らかに腰が引けた様子で大声をあげる。

 門番のほかにも、村の幹部と思しき中高年の男たちが数人集まっている。

 あまり若い男がいないのは、みんな外で農作業に当たっているからだろう。


 ユニは落ち着いて両手を挙げ、敵意のないことを示す。

「私はユニ・ドルイディア。

 十二年前、この村から王立魔導院に連れていかれました。

 魔導院を卒業し、二級召喚士となったので、生まれ故郷に戻ってきました。

 できれば両親に連絡をしていただけませんか?」


 比較的若い門番はきょとんとした顔をしているが、幹部たちはさすがによく覚えていて、顔を見合わせて驚いている。

 その中でも主だった者らしい七十歳くらいの老人が前に出てきた。


「おお、ユニか!

 無論、覚えておるとも。

 それはご苦労なことじゃった。

 すると、あのオオカミは……」


「はい、私が召喚し、契約した幻獣です。

 人に危害を加えることは絶対にありませんので、呼んでもいいですか?」

「ああ、構わないとも。

 気を悪くしないでおくれ。みんな幻獣なんてめったに見ないからな」


 ユニはライガに来てもよいと伝えると、再び村人たちの方へ振り返る。

「すみません、何しろ六歳の時に村を出たきりなので、自分の家がどこかもはっきり思い出せないんです。

 どなたか案内していただけると助かるのですが……」


 ここで村人たちがどうしたものかと顔を見合わせる。明らかに困惑の表情が浮かんでいる。


「まぁ、そうじゃな。

 自分の家に帰るのは当然だろう。

 わかった、案内しよう。

 バートは畑に出ているはずだ。誰かに呼びに行かせよう。

 ……まさか父親の名前は忘れていまいな?」


「さすがにそれは……」

 ユニは苦笑いを浮かべた。


 ユニの相手をしてくれた老人が、どうやら案内してくれるようだった。

「あの、失礼ですが肝煎きもいりさんでしょうか? お名前を教えてください」


「ん? そうじゃ。名前はイーノスという。よろしくな。

 お前さんがここを出た時は長衆おとなしゅうだったが、覚えていまい」

「すみません」


「なに、構わんさ。

 お前さんのおかげで、当時この村はずいぶん助かったんじゃよ。

 ちょうど不作が続いておって、年貢の軽減がなければ大変な目に遭っていたじゃろう。

 お前の親父殿も、支度金で借金を全部返すことができた。

 今の家は、その後で建て替えたものじゃから、記憶とはだいぶ違うだろうな」


 そんなことを話しながらしばらく歩くと、やがて一軒の家の前で肝煎が立ち止まった。

 ユニも、ユニたちの後をおとなしくついてきたライガも立ち止まる。


「ここじゃよ」

 その家はやや広いとはいえ、ごく普通の農家だった。

 ユニの記憶の中の家はとても狭かったから、まったく印象が違う。

 彼女はさっそく扉に手をかけようとしたが、その目の前にイーノスの手が伸び、それを遮った。


「まあ、待ちなさい。

 家に入る前に話しておくことがある」

 ユニは何だろうと首をかしげ、次の言葉を待つ。


「お前の母親――ノラは亡くなってしまった。もうおらんのじゃ」


「え?

 何を……」

 完全に不意打ちだった。


 ユニの幼い頃の記憶、その大半を占めていたのは優しかった母の姿だった。

 いつもユニを甘やかし、何でも言うことを聞いてくれた母。

 いつも笑顔を湛えながら、どこか淋しげだった母。

 魔導院に連れて行かれる日の朝、ずっとユニを抱きしめて泣いていた母。


 その母が死んだ?


「驚くのも無理もないが……。

 こればっかりはどうにもならん。

 お前が魔導院に連れて行かれた後、ノラはずっと泣き暮らして元気がなかった。

 あまり食事も進まないようで、ずいぶんと痩せておった。


 ――そのせいなのかもしれんが、流行病はやりやまいに罹って、あっさり逝ってしまったんじゃ。

 お前が村を出て、一年もたたないうちにな」


 イーノスは淡々と話すが、その目にはユニに対する同情と憐憫が宿っていた。

「バートも相当落ち込んでおった。

 だが、お前の兄姉たちも残されていたから、その面倒を見ながら畑仕事をするわけにもいかなくてな。

 人の勧めもあって、次の年には後添えをもらったのよ。


 ――今、この家にいるのはセシル――後妻さんじゃ。

 再婚後に生まれた子どもも二人いる。

 ……セシルは気立てのいい女じゃよ」

 肝煎は言い訳をするように最後の言葉を付け加えた。


「あ、兄は、トードとケネス、それからクレアも一緒ですか?」

「いや、ケネスは独立して家を建て、そこに住んでいるよ。結婚して女房もおる。

 トードはイド村に婿入りしておる」


 イーノスは二人の兄の消息を説明してくれたが、なぜか六つ上の姉、クレアについては触れなかった。

 ユニは、それを変だとも思わなかった。大方どこかに嫁いだのだろう。どうせ父に会えばわかるだろうと思ったのだ。

「――そう……ですか」


 ユニは混乱していた。

 だが、そこにいつまでも突っ立ってもいられない。

 ライガにその場で待つように言いつけ、とぼとぼと扉に向かった。


 軽くノックをすると「はーい」という明るい声が応える。

 閂がはずれる音がして、扉が開くと四十歳を過ぎたくらいのふっくらとした女性が顔を出した。


 彼女――セシルは笑顔で扉を開けたが、そこに立っている見知らぬ娘に一瞬で笑顔が引っ込んだ。

 そして背後に寝そべっている巨大なオオカミに気づくと、悲鳴をあげようとした。


「待て待て! セシル、落ち着きなさい」

 慌ててイーノスが割って入る。

「この娘さんはユニじゃ。

 あんたも覚えておろう。魔導院に行ったノラの娘だよ。

 学院を卒業して戻ってきたそうなんじゃ。

 あのオオカミはユニの幻獣だから、心配はいらないんだよ」


「ユニ……ちゃん?」

 セシルの顔に浮かんでいた驚きが、別の種類のそれに変わったのがわかった。


「本当に?

 ……そういえば面影があるわね。目元なんかノラにそっくりだったけど、もうノラの若い時に瓜二つじゃない」

 そう叫ぶと、彼女は両手を大きく広げ、ユニの身体を抱きしめる。

 ユニは少し複雑な気分になる。どう対応してよいかわからなかったのだ。


「ああ、ごめんなさい。

 とにかく家に入って!」

 セシルは笑顔でユニを迎え入れる。


 中に入ると、そこには五歳と十歳くらいの二人の男の子がいた。

 すぐに母親の陰に隠れてもじもじしている子どもたちを押し出すようにして、セシルが紹介する。


「アドレーとカルロよ。

 一応あなたの弟になるわね。

 あんたたち、ユニお姉ちゃんよ。

 前に話して聞かせたことがあるでしょ?

 国の魔導院で勉強して召喚士になった偉い人なのよ」

 男の子たちは恥ずかしいのか、ちゃんと挨拶もせずに、母親の腰に掴まっている。


 ユニは苦笑いを浮かべた。

「しょうがないわよね。

 いきなり初めて会った人がお姉さんと言われても……ね。

 いいわ、外のライガと遊んでらっしゃい」


 ユニは男の子たちが外のライガを気にしているのに気づいていた。

 心配そうなセシルに、「大丈夫。ライガはあたし以上に知性があるし、絶対噛んだりしないから」と安心させた。

 男の子たちは、たちまち扉をすり抜けてライガに飛びかかっていく。


「ごめん、ライガ。

 少しの間でいいから、子どもたちの相手をお願い」

『俺は我慢強い方だからな……。借りは返せよ』

 ユニは心の中でライガに手を合わせる。


 ユニは台所のテーブルについて椅子に腰かけた。

 セシルが紅茶を淹れてくれる。香りからして安物だとわかるが、口には出せない。


 ユニは家の中を見まわしてみる。

 何一つとして記憶にないものばかりだ。

 家を建て替えたのだから当たり前なのだが……。

 だが、それ以上に感じざるを得ないものがある。

 家の中の空気だ。


 この家には匂いがある。

 それは、セシルという女が作り上げた、彼女と息子たちの生活の匂いだ。

 絶対に他の女の存在を許さない、主婦の誇りに満ちた匂い。

 そこにはユニの母であるノラの痕跡など、どこにもなかった。


 二人はお茶を飲みながら、はかどらない会話を続けていた。

 セシルは母の実家の近所に住んでいたそうだ。歳は母よりも上だが、仲がよかったらしい。

 幼いユニを抱いてくれたこともあったそうだ。


 ――居心地が悪い。

 ユニはさっきからいたたまれない思いで座っている。

 ここはあたしの家じゃないんだ。

 自分がいていい場所じゃない。

 セシルという女が築いた彼女の城なのだ。


 拷問のような時間がゆっくりと過ぎていき、やがて外の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 「うおっ!」という叫び声が洩れてきたのは、外で子どもたちを遊ばせているライガの巨体を見て驚いたのだろう。


 バタン! と音を立てて扉があき、ユニの父、バートが飛び込んできた。

 野良着のまま、額に汗をかき、顔も手足も泥で汚れている。

 だいぶ歳をとっているが、ユニの記憶にあるとおりの父の姿だった。


「ユニ……なのか?」

 バートは呆然としている。

 そして、父の口を洩れて出た言葉は、意外なものだった。


「お、……お前が行っちまったから、ノラは死んじまったんだぞ……。

 痩せて、ガリガリになって、頭までおかしくなっちまった。

 看病してたクレアまで死んじまった!

 なんでお前だけ……そんなノラそっくりの顔をして生きているんだ?」


「あんたっ!」

 セシルが悲鳴にも似た叫び声をあげ、バートはハッと我に返る。


「あ……いや、すまん。

 俺は何を言ってるんだ……。

 ユニ、忘れてくれ。お前があんまりノラそっくりになってたんで、つい……。

 お前が悪いわけじゃないのはわかっている。頼む、忘れてくれ」


 ユニは何も言えなかった。

 だが、父の言葉はユニの胸を深くえぐった。


 あたしのせいでお母さんは死んだの?

 クレア姉ちゃんまで死んだなんて……。

 それもあたしのせいなの?

 全部あたしのせいなの?


 それからしばらくの間、バツが悪そうにしてあれこれ話しかけてくる父にどう答えていたのか、ユニは覚えていない。

 気づいた時には、父が心配そうな顔で「で、これからどうするつもりだ?」とユニの顔を覗き込んでいた。


「あ? えっ、ええ。

 とりあえず辺境の村を回ってオーク狩をしてみようと思ってる。

 だから、あちこち旅をして歩くことになると思うわ。

 あんまりここにも帰ってはこれないかな……」


「そっ、そうか。

 でも大丈夫なのか? オークはえらく凶暴だって聞くぞ」


 父は明らかに安堵したような表情を浮かべている。

 なんだか浮かべている笑顔も卑屈なもののように思えてきた。

「平気よ。別にあたしがやるわけじゃなくて、戦うのは幻獣だから……」

「そうか……」


 父の様子に落ち着きがない。ちらちらとセシルの方に視線を送っている。

 セシルは夫の視線を捉まえると、奥の長持の方へと向ける。

 バートはしぶしぶといった格好で奥へと行き、長持の蓋を開けて、中から何かを取り出して戻ってきた。


 机の上に置かれたのは、小さな革袋だった。

「これは?」

という顔でユニが父の方を見ると、彼は覚悟を決めたように革袋の口紐を解き、中身を机の上に広げた。

 銀貨が五、六枚に銅貨が十数枚、乾いた金属音を立てて出てきた。


「お前が魔導院に行ったときにもらった支度金の残りだ。

 本当はもっとあったんだが……。

 借金を返したのと、畑を買い増したり、家を建て替えたりといろいろあってな。

 すまんがこれだけになってしまった。

 これでもないよりはましだろう。持っていきなさい」


 そう言いながら、父はユニの目を見ている。

 その表情は、彼が本当は何を言いたいのか、雄弁に物語っていた。


 ユニは小さな溜め息をついて、貨幣を革袋に戻し、父の方に押しやった。

「これはいただけないわ。

 学院を卒業した時に、ちゃんと支度金をもらっているの。

 だからこれはもらわなくても大丈夫よ」


 父は慌てたように戻ってきた革袋を手に取り、懐にしまった。

 明らかに安堵している上に、同じような表情がセシルの顔にも浮かんでいた。

 ユニは自分の判断が正しかったのだと理解した。


 十八歳のユニに、この時の父を理解しろというのは酷だったかもしれない。

 ユニはただただ父が情けなく、裏切られたという感情で心が塗りつぶされていた。


 そして父に「母と姉を殺したのはお前だ」となじられたことが大きな傷となって、もうそのことだけしか考えられなくなっていた。


 もう外は夕方になろうとしている。

「あの……私、ケネスお兄ちゃんのところへ行ってみたいんだけど……。セシルさん、場所を教えてくれませんか?」


 セシルに兄の家を教えてもらい、外に出る際に、ユニは父とセシルに「落ち着いたらまた顔を出します」と言った。


 多分、もうこの家に来ることはないだろうな、と思いながら。

 そして自分の家ではない、誰かの家を出た後、ふと気づいた。


 お母さんと姉ちゃんが死んだというのに、どうして自分の目から涙が出ていないのだろうと。

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