獣たちの王国 八 二人の兄

 次兄のケネスの家は、実家から数分の距離だった。

 ごく小さな萱葺の家。

 どこの開拓村でも普通に見かける貧しい農民の家だった。


 扉をノックすると、すぐに開かれてケネス兄が顔を出した。

「ユニか? 肝煎から聞いたよ。

 うん、昔の面影があるな……それにしても母さんそっくりになったなぁ。

 ああ、悪い。立ち話するつもりじゃなかった。

 さ、中へ入りな」

 兄に促されるままユニが家の中に入ると、薄暗い部屋の中に女が一人立っていた。


「俺の女房、アデリナだ」

 紹介された女は、黙ってぺこりと頭を下げる。

 少し猫背で、陰気そうな顔をしていた。

 ユニの微妙な表情に気づいたのか、ケネスが弁解する。


「こいつは人見知りが激しくてな。

 あまり明るい方じゃないが、悪い奴じゃないんだ。

 働き者だし、これで可愛いところもあるんだよ」

 夫の言葉にアデリナはうつむいて、ボソボソと何事かつぶやいて台所に引っ込んだ。


「まぁ、座れ。

 親父のところには行ったんだろ?」

「――ええ」

 ユニは短く答える。


 まだ、父親からなじられた言葉が胸に突き刺さったままだったからだ。

 だが、最も年が近く、喧嘩もしたが仲もよかった兄を前にして、少し気持ちが楽になっていたことも事実だ。


「お母さんも姉ちゃんも死んだって、あたし知らなかった……」

「ああ、仕方がないさ。

 魔導院は一切俺たちからの連絡を受け付けてくれなかったからな。


 ――母さんはお前が連れていかれてから、ちょっとおかしくなっちまってな。

 食事もあんまりとらないで痩せちまった……。

 そんな頃にこのあたりで流行病はやりやまいがわっと広がったんだ。


 ――母さんや姉ちゃんだけじゃない。

 あの時はずいぶん村の人も亡くなったよ」

「……そう」


 やはりあたしのせいか……。

 ユニは再び暗澹とした気持ちになる。


「……お前、ひょっとして親父に何か言われたのか?」

「えっ? ……いや、そんなことないけど」

「そうか? 親父も一時期おかしくなってなぁ。

 セシルさんのおかげだよ。今、何とかなっているのは」


「……そう、なんだ」

 母だけじゃない、父までおかしくなったのか……。


「ああ、お前の支度金で借金返したのはよかったんだがな。

 畑を買い増したり、家を建て替えたりして……母さんはずいぶん反対したんだよ。

 その支度金は、ユニが帰ってきた時のために取っておけってな。

 喧嘩が絶えなくって……それもあるんだよ。母さんがふさぎ込むようになったのは」


 そこへアデリナがお茶を持ってきてくれた。

 無言でユニの前に粗末な茶碗を置く。

 あまり香りのない、見るからに安そうなお茶だった。

 彼女はそのまま夫の横に座り、黙って下を向いている。


「それでお前、これからどうするつもりなんだ?」

 兄が場の空気をどうにかしようと言葉を継ぐ。

 アデリナがわずかに反応し、ちらっとユニの顔色を窺った。


「え? ……ああ、そうね。

 最近は辺境でオークの被害が増えているみたいだから、それを狩って暮らそうと思ってる。

 そんなことをしてる二級召喚士が多いらしいの」


「あのでっかいオオカミでか?」

「そうよ」

「大丈夫なのか……?」

「多分ね。

 あたしだってやったことないんだから、大丈夫かって言われても困るけど」


「まぁ、それもそうか。

 今日は泊まっていくんだろ?」

 ぴくっとアデリアの身体が硬直したのを、ユニは気づかなかったふりをする。

 この狭い家に泊まるのは、どう考えても迷惑だろう。

 ――かといって、父の家には戻りたくはない。


「大丈夫。野営するわ。

 魔導院じゃそういう訓練も受けるのよ。

 ライガ――あたしの幻獣だけど、彼がいればまず危険はないわ」

 気のせいかもしれないが、アデリナが安堵の溜め息をついたような気がする。


「……そうか」

 ユニはもう潮時だという顔で席を立つ。

 アデリナに「ご馳走さま」と声をかけ、邪魔したことを詫びて外に出ようとした。


 兄は何かを思い出したようにユニを呼び止めた。

「ユニ、ちょっと外で待っていてくれ」

 そう言って奥の部屋(恐らく寝室だろう)に入っていった。


 ユニは少しとまどったが、急ぐわけでもないのでおとなしく外で待つことにした。

 家を出るときにアデリナに挨拶をしたが、彼女は黙って頭を下げただけで返事はしなかった。


 ケネスはすぐに家から出てきた。

 そして後ろを気にするようにユニの腕をとり、少し離れた木立の陰まで引っ張っていった。


「どうしたの?」

 怪訝な顔でユニが尋ねると、ケネスはユニの手を取り、その上に小さな革袋を乗せて握らせた。

 それは、先ほど父の家で突き返したものによく似ていた。


「……これは?」

「トード兄から渡されたもんだ。

 お前が村に帰ってきたら渡すようにってな」


 ユニが口紐を解いて手の平に中を出すと、金貨が五枚転がり出てきた。

 一人なら半年は余裕で暮らせる、いや節約すれば一年は暮らせるかもしれない大金だった。


「どうしたのこれ?」

 ユニが目を丸くして尋ねる。

「母さんがな、どうやったかは知らないが、お前の支度金の一部を隠しておいたらしいんだ。

 それを死ぬ前にトードに託したんだが、兄貴は親父と折り合いが悪くて村を出て行っちまって、俺にお鉢が回ってきたんだよ」


「でも、こんな大金……いいの?」

 ケネスは「何を言ってるんだ」という顔をする。


「当たり前だろう。

 お前、オーク狩りをするっていっても、ド素人だろ?

 最初からうまくいくわけないだろう」


 ユニは逡巡した。兄の暮らしは明らかに父よりも大変そうだった。

 きっとこのお金のことは奥さんも知らないのだろう。


「……確かに助かるけど、全部はいらないわ。

 魔導院から支度金も出ているし。

 半分兄ちゃんにあげる」


「バシッ!」

 小気味いい音がして、ユニは頭を兄の平手で張り倒された。


「なっ、何すんのよ!」

「バカ野郎、ガキのくせに生意気言うんじゃねえよ!」

 その言葉とは裏腹に、兄は笑顔だった。


「いいから全部持ってきな。

 ああ、それからな。

 どうせトードに会いにイド村にも行くんだろ?

 その村に〝シカリ爺さん〟って奴がいるんだ。

 本当の名前は知らねえけど、そう言えば村の連中なら誰でも知っているはずだ。


 ――森の中に小屋を建てて、炭焼きをしている変わり者の爺さんでな。

 何でも昔は森でクマを狩っていたそうだ。

 本当か知らないけど、オークも狩ったことがあるらしい。

 とりあえず、そこに行ってみたらどうだ?

 役に立つ話が聞けるかもしれんぞ」


 ユニは兄に礼を言って村の門へと歩いていく。

「トードに会ったら、俺がよろしくと言っていたって伝えてくれよー!」

 ケネスが思い出したように声をかけると、ユニは振り返って大きく手を振る。

 彼はその様子を笑顔でしばらく見守っていた。


 やがて家の中に戻ると、アデリナが心配そうな顔で立っていた。

「ユニさん、受け取ってくれた?」


 ケネスは笑顔で「ああ」と答える。

 彼女は安堵の溜め息をつき、「よかった」とつぶやく。


「だが、最初は半分俺にくれようとしたよ」

「やっぱりね……」

 そんな妻のようすを見て、夫は呆れたように声をかけた。


「まったく……。

 何もわざと嫌われるような真似しなくたっていいだろうに。

 ほんっとに不器用な奴だなぁ」

 アデリアは少し微笑んだ。


「いいのよ。

 ああしないとユニさん、うちが貧乏そうなのを気にするもの。

 下手したら仕送りだとか考えかねないわ。

 本当は子どもが生まれた時のことを考えて、節約してるだけなんだけどね。

 妹さんも、今は自分のことだけを考えていればいいのよ。

 学校を出たてで一人で生きていかなくちゃならないんだから……」

 そう言うアデリアの笑顔は、ケネスの言うように〝可愛い〟ものだった。


      *       *


 村を出たユニは、驚きで固まっていた。

 ライガほどではないが、巨大なオオカミが五頭、勢ぞろいしてユニたちを待っていたからだ。

 (この時はまだジェシカとシェンカは生まれていない。)

 オオカミたちはライガの姿を認めると、嬉しそうに駆け寄り、互いの匂いを嗅ぎ合っている。


「ちょっ、ライガ!

 何なのこの子たち?」

『何って、俺の家族――群れの仲間だよ』


「だからあんたの家族が何でここにいるのよ?」

『そんなこと俺が知るか。

 だが、家族は一緒にいるもんだろう。

 何も問題ないと思うが』


「ぐっ……!」

 ライガの言葉には、今のユニにとってきつい響きがある。

 家族は一緒にいるもの……。


『あんたってば……言い方ってものがあるでしょ』

 そこへ近づいてきた赤茶色のオオカミがライガをたしなめる。


 あ、ほかのオオカミの声も聞こえるのか――それはちょっとした驚きだった。

 そのオオカミは、すんすんとユニの匂いを嗅ぎ、優しそうな顔で目を細める。


『あなたがユニね。

 私はヨミ。ライガの妻よ。

 ごめんなさいね、このひとデリカシーがないから』

 彼女はユニの体に身をすり寄せる。尻尾がゆっくりと横に振れている。


 ほかのオオカミたちはまだ警戒を解かないのか、ユニの方には近づかず、ずっとその様子を見守っていた。


『多分、ライガが私たちを呼び寄せたんだと思うわ。

 オオカミは群れが家族で、単独で生きることなんて考えられないから。

 こっちはこっちで大変だったのよ。いきなり群れのリーダーが召喚されて消えちゃったんだから。

 とにかく、呼んでもらってホッとしたわ。

 ユニ、私たちのこともよろしくね』


 ヨミの落ち着いた声と態度は、不安定なユニの気持ちに染み入ってくる。

 言われていれば、同族意識の強い幻獣が群れを呼び寄せることがあると、魔導院で習ったような気がする。


 まだ深く物事を考えることに慣れていない、若いユニの決断は早かった。

「わかったわ。こちらこそよろしく。

 歩きながらでいいから、みんなのこと紹介してちょうだいね」


 ユニは脇街道をゆっくりと歩いていく。その両脇にライガとヨミがつき、ほかのオオカミたちは少し距離を置いてついてくる。

 村を出て数分もしないうちに、ユニは街道を逸れて小さなわき道に入っていく。


 途中、道端に咲いている花を見つけると、少しずつ摘んでいき、草の茎で縛って小さな花束を作る。

 ライガたちは何も質問をせず、黙って付いてきてくれる。それがありがたかった。


 やがて小さな広場のような場所に出ると、道はそこで終わっていた。

 ユニはオオカミたちに待つように伝え、ゆっくり広場へと入っていく。

 そこは村の墓場だった。


 粗末な墓標を確かめながら歩いていくと、墓場の隅の方で母と姉の墓標が見つかった。

 二人一緒に葬られたらしく、一つの土まんじゅうに二本の墓標が立っている。


 雑草はきれいに刈り取られ、少し萎れていたが花も供えられていた。

 どうやら誰かがきちんと世話をしているらしい。多分ケネス兄ちゃんだろうな。


 ユニは少しだけ安心した。

 そして摘んできた花を供え、祈った。

「ただいま。お母さん、姉ちゃん」

 そうつぶやいたユニの頬を大粒の涙が零れ落ちる。


 一粒、二粒、そしてとめどなく流れ落ちる。

 あ……、あたし泣いてるんだ。

 父の前でも、兄と会っても泣けなかったのに……。


 ユニは土まんじゅうに突っ伏して、思う存分泣き声をあげた。


 墓地の前で待っていたライガの耳がぴくりと動き、彼は腰を浮かそうとした。

『何かあったようだ。ちょっと様子を見てくる』

 すかさずヨミが叱りつける。


『やめなさいってば!

 こういう時は一人にしてあげるものよ』

 ヨミの尻尾はゆっくりと横に振れていた。


      *       *


 イド村はカイラギ村から半日強の距離だった。

 ユニはカイラギ村の郊外で野宿をして、朝早くに出発したので午前中のうちにはイド村に着いた。


 村の入口では、昨日のカイラギ村以上の混乱が起きていた。

 今度はユニのことを知る人が少なく、さらにオオカミは六頭に増えていたからだ。


 ちなみに昨夜野宿をした際に、ユニは群れのオオカミたちと一頭ずつ挨拶を交わし、どうにか群れの一員として彼らに承諾されたようだった。

 挨拶といっても、ユニにとっては言葉をかわすことで済むのだが、オオカミたちは全員ユニのお尻の匂いを嗅ぎにくるので、相当に恥ずかしいものだった。


 結局、イド村の門番たちは畑仕事に出ていたトードを急遽呼び戻し、どうにか村に入ることを許された。

 ただし、オオカミたちは村の外で待機となり、家畜を襲わないかと見張りがつけられた。


 長兄のトードはユニよりも十二歳年上だった。

 年の近かったケネス兄やクレア姉と違い、トード兄はもう父親の農作業を手伝っていたし、あまり遊んだ記憶がなかった。


 ユニにとっては兄というより叔父といった感じだった。

 ユニと再会すると、トードは懐かしそうに破顔した。


「ユニか? 大きくなったなぁ!

 って言うより、母さんそっくりになったぞ」


 トードはユニを自宅に案内してくれた。

 自宅といっても、婿入りした妻の実家である。

 そこそこ大きな家で、暮らしは裕福そうだった。


 家にはトードの妻子のほかに、やはり農作業を中断して帰ってきた義父もいて歓待してくれた。

 何しろ辺境では召喚士がとても尊敬されている。

 婿とはいえ、親族から召喚士が出ているというのは、彼らにとっては鼻が高いことのようだった。


 ひとしきり互いの近況を話し合ったりしたところで、ユニはトードの家族に気を遣いながら礼を言った。

「トード兄さん、あの……ケネス兄ちゃんから預かりものを受け取ったわ。ありがとう」


 兄はすぐに何のことかわかったらしい。

「ああ、気にするな。あれは母さんに頼まれただけだからな。

 ところで親父に会ったんだろ。どうだった?」


 ユニは答えづらい。

「うーん……。家が建て替わっていたから、自分の家って感じじゃなかったわ。

 セシルさんはいい人だったけど……。父さんは少し変わったような気がする」


 トードは少し難しい顔をする。

「あれでもだいぶ落ち着いてきたんだがな。

 一時期は酷かったんだ。

 酔っぱらって暴れることが多くてな」


「……やっぱり、お母さんと姉ちゃんのことで?」

「ああ。自分はとっとと再婚したくせにな。

 かわいそうなのはセシルさんだよ。

 お前、親父に何か言われなかったか?」


「……」

 ユニは答えることができなかった。


 トードは大きく溜め息をついた。

「やっぱりな。

 ユニは何も悪くないんだ。気にするな」

 ユニは小さくうなずいた。


 父はもう新しい家族をつくって新しい暮らしをしている。

 自分がいれば嫌な記憶と感情がよみがえるばかりだろう。

 トード兄は婿養子だ。ユニの面倒を見るわけにはいかない。

 ケネス兄はあまり豊かな暮らしではなさそうだから、ユニが転がり込んでは迷惑でしかないだろう。


 結局、自分は一人で生きて行かなくてはならない。

 いや、ライガと群れのオオカミたちと、新しい家族を築いていかなければならないのだ。


「それで、お前はこれからどうするつもりなんだ?」

 帰郷してから三度目の質問だった。

 兄の問いに、ぴくりと妻や義父が反応する。やはりユニが兄を頼るのではないかと警戒しているのだろう。


「辺境でオーク狩りをするつもりなんだけど……。

 ねえ、ケネス兄ちゃんから聞いたんだけど、この村に〝シカリ爺さん〟って人がいるんだって?」

「ん? ああ、炭焼きの爺さんだな」

「会ってみたいんだけど、居場所を教えてくれる?」


      *       *


 この後、ユニは〝シカリ爺さん〟の小屋を訪れ、結局一年の間、彼のもとで狩りとサバイバルの知識を身につけることとなる。

 愛用するナガサとその使い方も彼から教わったものだ。


 この話はいずれどこかで語られることになるだろうが、今は船曳街道に話を戻す。

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