獣たちの王国 六 木馬亭

 夜七時、ユニは指定された時間に指定された店にいた。

 そこは先日、彼女がふらりと訪れ、あの女騎士が酔漢を叩きのめした店――木馬亭であった。


 扉を開けて店内を見渡すと、すでにテーブルについているゴーマが片手を上げている。

 ユニがそのテーブルの椅子に座ると、元気な女給仕、ケイトがぴょんぴょんと駆け寄ってきた。

 彼女はユニを覚えていたらしい。ぱあっという笑顔で顔をくしゃくしゃにして迎えてくれる。


「あー、お客さんまた来てくださったんですね!

 この間はごめんないさいね、変な騒ぎでちゃんとお給仕できなくって。

 でも、今日はその分頑張りますからねっ!

 お飲み物はエールでいいですか?」


 ユニがうなずくと、彼女はくるくるとカールしたおさげを揺らしながらリズミカルに戻っていく。


「何だ、お前この店知ってたのか?」

 ゴーマが驚いたような顔で尋ねる。

 彼のコートの中から鮮やかなオレンジ色をした火蜥蜴がちょろりと飛び出してきて、ユニの肩に駆け上がると、彼女の頬に頭を摺り寄せて挨拶をしてくれる。


「あら、お久しぶりね。元気だった?」

 ユニはこちょこちょとエルルの喉をくすぐってあげた。


「うん、この間偶然入っただけなんだけどね。

 あなたが指定してきた店がここだって知って、こっちの方こそ驚いたわよ。

 ゴーマこそ、ここは前から知っているの?」


「ああ、ちょっとした縁でね。年に二、三回は来ているかな。

 酒も料理も美味いし、さっきのケイティもそうだが、昔から気立てのいいが多いんでな。結構気に入ってるよ」

「その気持ちはわかるわー」


 ケイトが二人の前にエールのグラスと突き出しの小皿を置く。

 小皿には短冊形に切ったジャガイモを揚げ焼きにしたもの――いわゆるフライドポテトが盛り付けられている。


 ユニは心の中で「あら、今日のは普通のメニューなのね」と思う。先日のセリの根のおひたしは、新鮮な驚きがあっただけにちょっぴり期待していたのだ。


 だが、フライドポテト自体はビールのお供としては定番中の定番だ。文句があろうはずがない。

 さっそくフォークで突き刺して口に運ぶ。

 外側のカリッとした食感と、熱々でほくほくの中身がほろりと口の中で崩れる。

「!」


 ユニは目を見開いて驚きを表す。

 当然、塩か塩コショウで味付けされているのだろうと思ったら、まったく違う刺激と香気が口の中で爆発したのだ。


「これ……山椒だ。

 へー、そんな食べ方があったんだ。でも意外と合うのね」

 塩味とともにピリピリと痺れるような辛みが舌を刺す。そしてさわやかな香り。

 一口エールを流し込むと、強い苦みと濃厚な甘みのある強烈な風味にまったく負けていない。


 ゴーマは何度か食べたことがあるらしく、目を白黒させて黙々と食べているユニを面白そうに眺めている。

「ほんっと、お前って旨そうに食うのな」


 その声でユニは我に返った。

「そうそう、今回の依頼っていうか命令、ゴーマは断ったんだって?」

 ゴーマはちょっとばつの悪そうな、そして少し寂しそうな笑顔を浮かべる。


「ああ、いつエルルがいなくなるかわからない今の状況じゃ、俺は戦力外だよ。

 大体がむちゃくちゃな命令だからなー。そうじゃなくても断るだろ?」


「だよねー」

 ユニはがっつりとうなずく。

「でもお前、引き受けたんだろ?」

「あのアリストア先輩の前で、あたしがどうできるっていうのよ」

「違いない」

 ゴーマはクスクスと笑う。


「それで、今回の同行者に誰か推薦してくれるんだって?」

 ゴーマは困ったような、少し情けない顔になる。

「推薦というか……。お前に連れて行ってもらいたいんだよ」

「だから誰を?」


 ゴーマはもじもじとしている。

 四十過ぎの中年男のそんな姿にユニが引きまくっていると、ゴーマは小さな声で白状する。

「……その、俺の妹だ」


「はあ?」

 ユニはエールをぶっと吹き出した。

 いろいろと聞きたいことがありすぎる。


「ゴーマ、妹いたの?」

「俺にだって家族はいるぞ?

 両親は早くに亡くなったがな。

 妹がいたって別におかしくないだろう」


「まぁ、それはそうだけど……。

 で、その大事な妹さんを何でこんな危険な任務に連れて行けって言うのよ?」

「あー、その辺は大丈夫だ。

 俺の妹は強いぞ」


「いや、そういう問題じゃ、……ん?

 ひょっとして妹さんも召喚士なの?」

「まさか、一般人だよ。

 ただ、女なんだが根っからの軍人でな。

 しかも、何ていうか……」


 再びゴーマが言いよどむ。

 本能的な動きなのだろう、周囲を見回して、当の妹がいないことを確かめた上で、ユニに顔を近づけてそっとささやく。

「……俺よりもデカいんだ」


 ゴーマもかなり大柄な方だ。筋肉質で背丈は百八十センチ前後だ。それよりもデカい……?

 ユニは嫌な予感が……ではない、嫌な確信が湧き上がってきた。


「ねえ、ゴーマ。

 まさかとは思うけど、その妹さんって普段からプレートアーマーを着込んだりしていない?」

 ゴーマの慌てようは気の毒なくらいだった。


「おっ、おまっ……! 何で知ってるんだ?」

 ああ〝ビンゴ〟だ。ユニは心の中で盛大な溜め息をついた。


「多分、前回この店に来た時、あたしその妹さんを見ているわ。

 酔っぱらったゴロツキをぶちのめした上に、どっかの貴族に〝お尻ぺんぺん〟をかましていたわよ」


      *       *


 ゴーマの妹はアスカといった。

 彼よりも五つ下で、ゴーマが魔導院に入れられた時にはまだ一歳。いくつかの単語をやっと話し始めたくらいの幼さだった。


 ゴーマが魔導院に在学中、十五歳の時に両親が流行り病で亡くなったが、彼にはそれが知らされず、孤児となった妹は叔父に引き取られて育てられていた。


 彼が魔導院を卒業し帰郷した時に、初めてそのことを知らされたのだ。

 ゴーマはすぐに軍に入隊し、最低限の必要経費を除いた俸給をすべて妹のもとへ仕送った。それはそのまま妹の学費となり、彼女は上級教育が受けられるようになった。


 この時代、一応は義務教育として子どもは小学校に通わせることとなっていたが、違反しても罰則はなく、貧しい家庭では学校にやれないというのも珍しくなかった。

 普通の家庭でも、特に女子の場合は中学校どまりということが多く、それ以上の高等教育を受けられたのは、裕福な家庭に限られていた。


 彼ら兄妹の叔父は開拓村で働く農民で、善良な人物ではあったが、裕福ではなかった。

 アスカは中学まで通わせてもらえたが、それは叔父夫婦の経済状態からしたら、破格の扱いだったのだ(もっともそれは、アスカに託された両親の財産――実態はゴーマが魔導院に連れ去られた時の支度金の残り――によるものだった)。

 ちょうど彼女が中学を卒業した頃から、ゴーマが毎月俸給を仕送るようになり、兄の意向もあってアスカは上級学校へ進むことが許された。


 休暇のたびにゴーマはプレゼントを抱えて妹のもとへ帰った。

 彼にとって、妹はたった一人の家族である。彼女のためにはすべてを犠牲にする覚悟を決めていたのだ。


 アスカの方も、幼い時に別れた兄を記憶していなかったが、両親が亡くなった今、唯一の肉親である兄の存在を素直に受け入れた。

 頼るべき人を、本能的に悟ったのであろう。


 それだけではない、彼女は兄を熱烈に敬愛した。

 思春期に女子が抱きがちな肉親男性への嫌悪感も、軍務で数か月に一度しか会うことがない境遇が幸いして発生しなかった。

 むしろ、たまにしか会えないことで、兄への愛情と憧れを昇華させていった。

 要するに見事な〝ブラコン〟が出来上がったのである。

 

 それだけなら、まぁ、それほど特異な話ではないだろう。

 可愛い妹がたった一人の肉親である兄を慕う――見方によっては、ほのぼのとした人情話だ。


 ところがこの兄妹の場合、少し事情が違ってくる。

 兄のゴーマは身長百八十センチ程の立派な体格だったが、妹はそれを超える成長をした。

 彼女が十七の頃にはゴーマの身長を追い越し、上級学校を卒業する十八歳の時には身長二メートルに近い、堂々たる〝大女〟となっていたのである。


 アスカ本人はそのことをあまり気にしていなかった。

 むしろ自分の体格と体力が、男性に負けないものだという事実を喜んだ。

 彼女は憧れの兄と同じ、軍に入ることを望んでいたからだ。


 実は、アスカが進んだという上級学校とは、軍の士官学校であった。

 士官学校への入学は狭き門だったが、彼女は兄に追いつこうという一心で勉学に打ち込み、見事難関を突破してみせたのだ。

 学業もまずまず優秀だったが、体力と武術では学内で三年間敵なしという成績であった。軍は在学時から、彼女の存在に興味を示していた。


 軍に入るとアスカは瞬く間に頭角を現し、女性としては異例な実戦部隊での出世を果たしていった。

 ゴーマが先代の白虎帝の消失とともに軍を辞めたころには、大尉に昇進し隊長として中隊を率いるまでになっていた。


 そのころには彼女も二十代の後半となり、責任ある立場となったためなのか、表面上は異常なブラコンが収まっていた(完全に治ったわけではないが)。

 彼女の所属する第四軍に新たな蒼龍帝として着任したフロイアに、強い忠義と敬愛の念を抱いたということも影響したらしい。


 以来、辺境で警備兵として生活するようになったゴーマは、年に数回妹が勤務する蒼城市を訪れ、彼女の行きつけの木馬亭で深夜まで語り合うことを楽しみとしていた。


 妹の出世は喜びながらも、その身の安全を心配し、早く嫁に行かないかとやきもきする――ゴーマはよき兄だった。

 最近ではアスカは大佐にまで昇進し、第一野戦大隊を率いるまでになっていたので、兄の心中は複雑なものがあった。


      *       *


「それで軍からの呼び出し先が蒼城市だっていうから、ついでに妹に会っておこうと思ったんだ。

 で、実際に昨日の夜に会ったんだが、あいつ何をやったんだか、軍から三か月の〝遠慮〟をくらったって言うんだ」


 ゴーマは「ああ、情けない!」と言わんばかりの悲劇的な表情をしている。

 多分、自慢の妹の経歴に一片の曇りも許されないと思い込んでいるのだろう。こっちの方こそ立派なシスコンに育っている。


 〝遠慮〟とは軍の処分(刑罰)の一種で、平たく言えば自宅謹慎である。日中は出歩けないが、夜間の外出は自由。〝蟄居〟や〝閉門〟よりは軽い、謹慎刑では軽度なものである。


「あら、遠慮なら大したことないじゃない」

「それがなぁ、期間が三か月だぞ?」

「ありゃあ……結構長いわね」


「だろう?

 うちの妹は、ただでさえ筋肉バカのトレーニング中毒だ。

 日中家の中で閉じこもっていろというのは拷問に近い」

「いやいや、だったら夜中にトレーニングでも何でもやったらいいじゃない」


「そうはいかんのだ。

 アスカは……なんていうか〝いい子〟なんだ。

 軍務でもない限りは夜八時になるときっちり就眠するんだ」

「そっ……それは確かにお行儀がいい妹さんね」


「だが、これには抜け道がある」

 ゴーマはぐいと身を乗り出して言う。


「遠慮の代わりに、蒼城市からの追放ということでも同等の処罰と見做されるんだ。

 もちろんその間にどこかで働くことは許されないがな。

 あんまり人目のない僻地に行って、どわーっと暴れてくるってのは、今のあいつに打ってつけの話なんだよ」

「それであたしに同行させようって?」


「そうだ。

 アスカは召喚士ではないが、剣術でも格闘術でも、実力はこの国のトップクラスだと言っていい。

 軍で多くの兵を指揮してきた経験もある。

 多分、俺よりも現場では役に立つんじゃないかと思う。

 頼む!

 どうか連れて行ってくれないか」


「それで、何だって妹さんはそんな処分を受けたの?」

 そう聞かれたゴーマは、バツが悪そうにボリボリと頭を掻く。

「……それが、聞いても詳しいことを言わんのだ。

 ただ、自分は悪くない。政治的な都合だ、としかな」


 ゴーマはがっくりとうなだれていたが、ふと気づいたように顔をあげる。

「そういや、お前が見たってって言う騒ぎ、その貴族とやらの名前はわかるか?」


 それを聞き出せないということは、ゴーマも相当妹に対して甘いのだろう。

 もうこの辺になるとユニにはあらかた事情が飲み込めていた。


「あー、確か〝エレノア公爵〟って言ってたわ。

 そんな偉い人が庶民の店に来るはずないから嘘だと思ってたんだけど、本当だったんだ」


「エレノア公爵?

 それ、……マジか?」

 ユニはこっくりとうなずいた。


「――あのバカ!

 そんなことをしでかしてたのか!」


 ゴーマは乗り出していた腰をどっかと椅子におろし、文字どおり頭をかかえた。

「エレノア公爵っていったら、現王妃の実家じゃないか!

 外戚だぞ?

 あんの脳筋娘……よりによって何てことを……」


「まあまあ、妹さんの言うとおり、彼女には何の落ち度もないわ。

 その下種げすな公爵が、ケイトを金で慰み者にしようとして連れ出そうとしたのを止めただけだから。

 もっとも、お尻ぺんぺんはやり過ぎだったかもね」


「ああ、それからもう一つ」

 思い出したようにユニが尋ねる。

「何だってゴーマの妹さんは、四六時中プレートアーマーを着込んでいるの?」


「ああ、これは俺の想像だがな、あれは一種の強迫観念みたいなものだな。

 あいつは男社会の軍の中で〝男に負けない〟ってことを生きる支えにしてきたんだ。

 だから体を鍛えるということに異常に執着しているのさ。

 日常的に金属鎧を着込むことで、体に負荷を与えようということらしい。

 さすがに風呂や寝るときは脱いでいるようだがな」


 なるほどなぁ……。

 兄のゴーマも十分に変わった人間だ。

 軍で准将まで出世しておきながら、辺境で警備兵になるというのは常識的には〝バカ〟としか捉えられない。


 ゴーマに言わせれば、軍に入ったのは妹の学資を稼ぐためで、彼女が自立できるようになった以上、軍にいる必然性はない。

 それでも軍に残ったのは先代の白虎帝に受けた大恩を返すためだったから、白虎帝が消えた以上は軍に未練はないのだそうだ。

「この兄にしてこの妹ありか……」


 先日の騒ぎで見たゴーマの妹には悪い印象がなかった――というより、ユニは彼女に好意を抱いた。

 危険を承知だというのなら、同行するのもやぶさかでない。

 ユニはそう心に決めていた。


 ただ、心の隅にチクチクとした痛みが走ったのも事実だった。

 その痛みとは、認めたくはない黒い気持ち――有体ありていに言えば嫉妬と羨望だ。


 ゴーマとアスカは、奪われた十二年という歳月を乗り越えて、再び家族を取り戻していた。

 それはユニが渇望しながら手に入れられなかったものだった。

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