獣たちの王国 四 潜入指令

 その二日後、ユニは街の中核に聳える蒼城の前に立っていた。

 門衛にアリストアから出頭命令を受けていることを伝え、命令書と召喚士に交付されている身分証を示すと、すぐに通された。


 若い兵士が案内役で先導してくれたので、きょろきょろ見回しながら歩いても迷う恐れがなかった。


 蒼城はまたの名を〝ターコイズ城〟、あるいは〝麗しの蒼城〟と呼ばれる美しい城だった。

 その名のとおり、石材に青味がかった緑色凝灰岩(グリーンタフ)を使っているため、城全体が淡い青緑色で包まれているからだ。


 王宮や白城と比べるとこぢんまりとした印象だが、多くの中庭があって色とりどりの花が咲き誇っている。

 おそらくは女主人の趣味なのだろう、清潔で華麗な城だった。


 案内の者に通された部屋には見知った顔がいた。

 アリストアの秘書、ロゼッタである。

 顔を上げた彼女は、満面の笑みを浮かべてユニを迎える。


「まあ、ユニさん。

 魔導院のお仕事以来ですね。元気にしてました?」

 彼女はユニの手を握り、ぶんぶん振り回す。

 しかし、すぐにその笑顔が曇る。


「あら、またその格好に戻ったんですか?

 せっかく蒼城市まで来るんでしたら、もっとおしゃれをなさったらよろしかったのに……」


 ユニはこの三月末まで、王都の魔導院で短期の講師をしていた。

 その間は、大商人の娘であるエディスが用意してくれた衣服でそれなりの格好をしていたのだ。


 ユニが着た服や下着は、すべて派遣されていたメイドが持ち帰ってしまうので、洗濯の苦労もなかった。


 講師の契約が切れると、エディスは衣服をすべて預かり、彼女の家で保管すると宣言した。

 またいつ魔導院から講師の要請がくるかもしれないというのが理由だった。


 もとよりユニは提供された衣服を返すつもりだったから、異存はなかった。

 彼女の講義は院生から大いに歓迎されたから、確かにまた魔導院から講師の依頼があるかもしれない。


 一瞬だけ、ユニの衣服をエディスが「くんかくんか」と嗅いでいる情景が頭に浮かんだが、それはいくら何でもないだろう。

 ……と信じたい。


 とにかく、ユニは普段の格好に戻っていた。綿シャツに綿ズボン、革の上着にごついブーツ。

 これが辺境で生きる二級召喚士にふさわしい出で立ちである。


「ロゼッタさんはいつも出張に同行しているの?」

「まさか。普段は王都に残って事務処理をしているわ」

「じゃあ、今回は特別なの?」

「そっ、アリストア様におねだりしちゃったの!」

 ロベッタは嬉しそうだが、この話題はあまり触れない方がよさそうだ。


「副総長殿はいらっしゃるの?」

「ええ。お待ちかねよ。

 さあ、中へどうぞ」

 ロゼッタが扉を開けてくれる。


 ユニが中に入ると、思いがけない光景が待っていた。

 アリストアがソファーに横たわり、眠っていたのだ。

 これには案内したロゼッタも驚いたようで、「あらあら」と言って立ち止まってしまった。


 上司を起こしたものか、そっと毛布をかけてあげたらいいのか……。

 理性は前者を、感情は後者を熱烈に支持をしたが、ロゼッタは理性の人だった。

 そっと彼の肩に手を置き、優しく揺するとアリストアはたちどころに目を覚ます。


「あっ、いやっ。……ありがとうロゼッタ。

 つい眠ってしまったようだ。

 ああ、ユニ。ご苦労だったね」


 取り繕うようなアリストアの言葉に、ロゼッタは笑いを噛み殺して無言のまま隣室に下がっていく。

「だいぶお疲れのようですね」

 ユニは皮肉交じりに極上の笑顔を振りまいた。


「君に説明しても理解してもらえないだろうがね」

 アリストアは溜め息をついて、軍服についた埃を払っている。

「去年のクロウラ騒ぎの後始末はまだ終わってないのだよ」


「それはお気の毒様と申し上げておきますが……」

 ユニは「こほん」と可愛らしい咳ばらいをする。

「一年たらずのうちに三度目の出頭命令って、参謀本部は私を何だと思っているんですかね」


 アリストアは楽し気にユニの抗議を受け止めている。

「そうか、それはさぞかし迷惑だったろうな。

 うん、そうだ。

 ユニ、いっそのこと軍に入らないか?」


「はあ?」

 ユニは目を剥いた。


「君が有為の人材であることを、今や私はよく理解している。

 なに、二級召喚士を国家召喚士に昇格させた例は過去にもある。

 だから軍に来ないか?

 そうすればいちいち出頭命令を出す手間も省けるし、成功報酬を払う必要もない。

 思う存分こき使えるわけだ。

 うん、これはいいアイデアだな……」


「ちょちょちょ、待ってくださいよ!

 今さら軍とかって……あの、冗談ですよね?」


「勝敗はついたな?」

「はい……降参です」

 アリストアはにっこりと微笑む。


「よろしい。

 そこでは本題に入るぞ。

 君にはある場所を探ってもらいたい。

 そこは全域が樹木に覆われていて、上空からの偵察では何もわからないのだ」

 そこで、潜入して現地の状況を掴むこと。

 ただし、そこに介入する必要はない。

 そこに誰がいるのか、何があるのか、何が起こっているのか。

 それを掴めば、後は撤退して報告してくれればいい。

 それだけの任務だ」


「……はあ。

 大雑把すぎて何もわかりませんが、とりあえずどこを探ったらいいのですか?」

「帝国領だ」


 〝空気が凍りつく〟という言葉が、これほど似合う瞬間はめったにないだろう。

 その凍った空気が溶けるまで、たっぷり十秒ほどかかった。


「……どこですって?」

「帝国」

 ユニはすうっと鼻から息を吸い込む。そして一気に喋り出す。


「バカですか?

 帝国領なんかにうちの国の召喚士が入ったら、見つかり次第「逮捕・拷問・死刑」のトリプルコンボですよ?

 だいたい幻獣をつれて帝国内に入って、召喚士だとバレないはずがないでしょう。

 下手したら戦争ですよ?

 参謀本部はそんなこともわからないバカですか!」


 アリストアはにこにこしてユニの爆発ぶりを見守っている。

 その顔を見て、ユニは気づいた。こいつ、わざとやってるな――と。


「まあ、こっちの話も聞きなさい」

 副総長殿はあくまで冷静だ。

「帝国領と言っても、ボルゾ川の対岸に渡れと言ってるのではないのだよ」

 ――何を言っているのだ、この人は?


「川の対岸以外に帝国領があるとでもおっしゃるのですか」

「ふふふ。それがあるのだよ……」

 何だろう、この腹の立つ物言いは? ユニの堪忍袋は限界に達しようとしている。


「ボルゾ川の下流の方に中之島があるのだが、知っているかね?」

「いえ、全然」

「あるのだよ」

「そうですか」


 この娘、拗ねやがったな……。アリストアはますます楽しくなってくる(どれだけ性格が悪いのだろう)。


「君も知っているだろうが、ボルゾ川は王国・帝国間の協定によって非武装地帯となっている。

 中之島はボルゾ川の中にある大きな島で帝国の領土なのだが、川の中にある島だから当然、非武装地帯に含まれている。

 ただし、いくら非武装地帯でも帝国領であるからには、王国の者が勝手に入ることはできない。

 そのため、この島に誰が、どのくらい住んでいて、どんな暮らしをしているのか、われわれには全くわからない」


「つまりそこを探れというわけですか?」

「そういうことだ」


「理由を伺ってもよろしいのでしょうか?」

「無論だ。だが、少し長くなるぞ?」

「構いません」


 アリストアはロゼッタが淹れてくれていたコーヒーのカップを手に取ると、一息に飲み干した。

 せっかく熱々だったのに、もうとっくに冷めている。


      *       *


 クロウラ事件の後、軍は〝穴〟周辺地域の危険性を認識するに至った。

 狂気の異端者・アルケミスによって、外法印や転移の魔法陣の情報が帝国に渡ったことは間違いないと見られていた。


 〝穴〟に近い地域でなければ、それらの技術が活用できないということもまた、知られてしまっただろう。

 そうなれば、王国が座して帝国の侵入を許すはずがなかった。


 軍はアルケミスが帝国の援助で築いた村を接収し、僻地防衛の拠点とすることにした。

 すでに同地には貴重な国家召喚士二名を当て、二個中隊規模の兵が派遣されていた。

 (国家召喚士が複数なのは交替任務のためで、常駐するのは一人だけだった。)


 彼らの第一の任務は、帝国軍のボルゾ川渡河を監視・阻止するというものだった。

 川の監視はかなりの広範囲にわたるため、各地に監視小屋を建て、兵士たちは数週間単位のローテーションを組んで、泊まり込みの監視を続けていた。


 そうした監視活動の成果とも言えるが、一か月ほど前にボルゾ川の王国側の岸に、十人以上の帝国軍兵士の死体が流れ着いているのが発見されたのである。


 兵士たちは革の軽装鎧を身に着け、全身が黒づくめで顔にも黒のペイントがなされていた。

 死因は刃物による斬殺、または弓矢による射殺であった。


 そして地元の川漁師によれば、川の上流から流されてきたのであれば、死体は中之島の北側――本流に乗って、もっと下流の方で打ち上げられる。

 この場所に漂着したということは、死体が中之島の南岸から投げ込まれたに違いない、ということだった。


 ボルゾ川は大河と呼ばれるだけに、下流域では二キロから三キロメートルという相当の川幅となる。

 その広い川の中央部分に存在する中之島は、幅一キロ弱から二キロ、長さは八キロ近いかなり大きな島である。


 上流から流されてきた砂が堆積してできた砂洲ではなく、もともとは陸地――ボルゾ川の北岸であったと言われている。


 かつてボルゾ川は、中之島のあたりで大きく南に蛇行していた。

 それが約二百年前に大洪水で流路が変わり、中之島の北側が本流となってまっすぐ流れるようになったのである。


 その結果、中之島は帝国領の北岸から切り離され、川の中に取り残された島となった。

 島の南側を流れる蛇行したかつての川筋は、直線的に流れる北側の瀬に水量を奪われ、水深だけはあるものの緩やかな流れの淵となった。


 人が住んでいるかも怪しい川中の島、しかも自国の領土内だというのに軍を送る。

 それも特殊部隊らしい兵士たちが、返り討ちにあって川に投げ捨てられたのだ。


 帝国は条約違反を犯してまで何をしようとしていたのか。

 そして、派遣部隊を殺害したのは何者なのか。

 〝穴〟や〝外法の村〟にごく近いということを考えると、帝国の動きはアルケミスの引き起こした事件と何らかの関係があると疑わざるを得ない。


      *       *


「それを探ってほしいのだよ」

 アリストアは嬉しそうに言う。


「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや……!」

「どうした、十回ゲームか?」

 ユニはぶんぶんと顔を振る。


「いや、そうじゃなくって!

 ヤバいでしょう、それ!

 帝国の特殊部隊を皆殺しにするような敵がいるところに潜入しろって、正気ですか?」

 アリストアは溜め息をついて落胆する。


「ユニ、考えてもみたまえ。

 帝国の部隊は君の言うとおり、全滅したのだろう。

 ということは、いま現在あの島には、帝国軍がいないということになる。

 しかも、帝国軍と戦ってそれを倒したということは、島には帝国と敵対する勢力がいるということだ。

 それはつまり、われわれと同じ立場ということにならないかね?

 ほら、昔から言うだろう。〝敵の敵は味方〟だと」


「……本気で言ってるんですか、それ」

 アリストアはちらりと上目づかいにユニを見ながら答える。

「だったらいいなぁ……的な希望的観測だがね。

 希望を持つのは大切だぞ?」


 ダメだ。この人のペースに嵌められたら、有耶無耶のうちに押し切られてしまう。

 そう判断したユニは、実質的な情報をかき集めようと話題を変えた。


「侵入経路と撤退手段は確保されているのですか?」

「ふむ、まずはいったんアルケミスの村――今は軍の拠点となっていて、第八駐屯所というのが正式名なのだが、兵たちは〝防人(さきもり)村〟と呼んでいるようだな。

 そこへ向かってもらう。

 ただし船は使えないので、船曳街道を行ってもらう」


「陸路ですか? 三週間はかかりますよ。

 どうして船が使えないのでしょう?」

「情報漏洩を防ぐためだよ」


 ボルゾ川は物流の大動脈だけに、王国、帝国ともに相手方の動向には神経を尖らせている。

 特に大兵力の移動、武器弾薬などの各種物資の集積には、必ず船が使われるので、自然と監視は厳しくなる。


 両国とも、相手方の主要な川港には情報員を送り込んだり、協力者を確保して、変わった荷物や人物が乗下船すれば、すぐに情報が得られるようになっていた。

 ほとんどの場合、協力者とは地元の漁民や沖仲(おきなか)仕(し)(船の荷揚げ、荷降ろしをする人足)だった。


 彼らにとってはよい小遣い稼ぎとなるため、昔からこうした協力者はいくらでもいたし、彼ら自身そのことに罪悪感を持っていなかった。


 川港がそんな状態なのに、ユニがオオカミたちをぞろぞろ引き連れて船に乗ったら、一発で帝国に気づかれてしまうのだ。


 ついでに言えば、アランとロック鳥は防人村周辺の測量と帝国への強行偵察任務で酷使されており、ユニの輸送に回せる状況ではなかった。


「でも街道を使うにしたって、ライガを連れていたらすぐに知られちゃうでしょう」

「ああ、それは大丈夫だ。帝国の協力者は船で行き来する者以外には関心を示さない。

 陸上だったら軍を移動させても知らんふりをするだろう」

「どうしてです?」


「彼らは別に帝国に忠誠を誓っているわけではないんだ。

 船で行き来する者や品に異変があれば通報して報酬をもらう。それだけのビジネスライクな関係だ。

 その代わりに異変を見逃さないという責任を持つ。

 それは彼らが四六時中川を見張っていられるからできることだ。


 ――ところが陸上はそうではない。

 たまたま見かけた異変を報告していたら、今度は陸上にまで責任を持たされてしまう。

 そしてもし見逃したら、責任を取らされるのだ。

 彼らはそんな割に合わない仕事はしない。

 だから陸上で何を見ても口をつぐむのだよ」


 ユニはアリストアの説明に納得せざるを得なかった。

「陸路で日数がかかってもかまわないのですか?」

「一日を争うような緊急の案件ではないからな」

「その〝防人村〟に着いた後は?」


「現地で詳しい情報を得てから、カシルに向かってもらう」

「カシルって……自由都市の?」

「そうだ。そこで島への侵入・脱出を手引きしてもらえるよう手配してある」

 

 ここでユニはさっきから気になっていたことを尋ねる。

「ところで副総長殿。今回はゴーマにも出頭命令が出ていたと思いますが?」

 アリストアはほんの少し顔を曇らせた。


「彼とは先ほど話をした。――断られたよ。

 最近サラマンダーの里帰りの頻度がどんどん上がっているらしい。

 いつそれが起きるかわからない状態では、作戦に参加することが不可能だそうだ。

 もちろん、幻獣がいなくても軍人としての彼の能力は高い。

 だが、やはり幻獣と引きはがされると、気力が続かないらしい。

 君と同行できないことをずいぶん悔しがってはいたが、その辺の判断は間違っていないだろう」


「では、私とオオカミたちだけで?」

「いや、もう一人つける。

 エディスは無理だが、国家召喚士を誰か同行させるつもりだったのだが……」

 めずらしくアリストアが言いよどむ。


「ゴーマに推薦する人物がいるというのだ。

 話を聞いて私も納得したのだが……」

「誰ですか、それ?」


「それはゴーマが直接君に話すそうだ。

 ロゼッタに聞きたまえ。時間と店を指定されているはずだ。

 その人物の実力は私も保証するよ。まぁ、……多少訳ありだがね」


 そんな言い方をされて安心できるはずがない。

『最後の一言は絶対わざとだ』

 口には出さなかったが、ユニはそう確信した。

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