学院の七不思議 二 魔女たちの巣窟
「でかっ!」
ユニの眼前に広がる白亜の邸宅は、「ドーン!」という擬音が背景に浮かんでいるのではないかと思わせる佇まいだった。
石造りの総二階建て、屋根にはドーマ窓が等間隔で並び、総大理石の正面玄関の二階部分には、サラセン風のバルコニーがしつらえてある。
よく手入れされ、色とりどりの花が咲く庭園の中央には、噴水つきの池が広がっている。
「これ、全部あんたの家なの?」
ユニの問いにエディスは平然と答える。
「そうですよ」
土地の高い王都で、これだけ広大な敷地を得るのにいくら支払えばよいのだろうか。
考えただけでめまいを起こしそうだった。
「正面のは本邸です。
私の部屋は別邸の方ですから、あの林の向こうですね。
さ、乗ってください」
エディスが指さした方角、正面庭園の左奥、遠くの方に緑の木立がかすかに見える。
あの先に別邸があるのだろう。
エディスに
「……そうですか。
敷地内の移動で馬車を使うのですか。
ここは何という国でしたっけ?」
ぶつぶつとつぶやいているユニを乗せて、一頭だての華奢だが贅を凝らした馬車が軽快に走り出す。
『ユニ、無事に戻ってくるんだぞ。
幸運を祈る!』
そう言って馬車を見送るライガの目は心なしかうるんでいる。
ライガはエディスから留守番を命じられていた。
この広大な庭園で自由に遊んでよし。
そして牛の枝肉丸ごと一本を支給という、彼女の提示した条件に転んだのだ。
主人を見捨てた裏切者・ライガの悲しげな遠吠えがかすかに聞こえる。
ユニはこれから訪れるだろう試練に不安を隠せないでいた。
* *
エディスの実家であるボルゾフ家は、ボルゾフ商会という、あらゆる商品の小売・卸しから輸出入まで扱う、いわば総合商社を営む王国一の豪商であった。
王国の経済は農本主義に基づいており、農産品の物納――年貢で成り立っている。
そのため相対的に物を生み出さない商人に対する課税が緩かった。
はじめはそれで問題なかったが、やがて社会の成熟とともに貨幣経済が発達すると、商人層への富の蓄積が加速していった。
飢饉や紛争などで国の財政が打撃を受けると、大商人は国や地方領主に金を貸し付け、彼らの力はさらに増大していく。
その暮らしは、下手な貴族など足元にも及ばない豪勢なものであった。
* *
実を言うとエディスはアリストアの依頼を受けて、ユニを自宅に招いたのである(その間の事情は後で述べる)。
「ふふふふふ、この日が来るのを何度夢見たことか!
ライガは買収したし、別邸の周囲には私設兵を配置したわ。
メイドたちは全員格闘技の有段者だし……。
くくくくくっ……絶対逃さないんだから!」
物騒な笑いを浮かべるエディスとうつろな目をしたユニを乗せた馬車は、数キロの道を駆け抜けて別邸に到着した。
ロの字型の回廊をなす広大な本邸に比べ、別邸はどうにか普通レベルの豪邸に思えた。
「はわー……。
これはこれですごいお屋敷ね。
この中にエディスの部屋があるんだ……」
「ユニ先輩、何をバカなことを言ってるんですか。
これ全部が私のお部屋です。
さあ、行きましょう。
私、嬉しくって三日前から準備してたんですよ!」
エディスは意気揚々とユニを引きずっていく。
華麗な彫刻を施された壁にはめ込まれた分厚い扉が使用人の手によって音もなく開かれ、二人を通した。
ユニがずるずると引きずられ、屋敷の中に飲み込まれていくと、再び扉は閉じられた。
しばらくすると「ガチャリ」という重い金属音が響く。
――外側から鍵がかけられた音だった。
エディスがユニを伴って(引きずって)邸内に入ると、そこには十人のメイドが二列になって整列し、待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ようこそおいでくださいました、お客様」
二列のメイドたちが一斉に唱和する。
制服と思われる濃紺のワンピースは膝下までの長さで、ウエストから下はふわりと膨らんでいる。その下は黒の長靴下にヒールの低い黒い靴を履いている。
袖はやはり膨らんだパフスリーブ、袖と襟からは控えめなレース飾りがついた白いブラウスが覗いている。
髪の長い者が多いようだったが、皆きっちりとシニヨンでまとめ、大きなレース飾りのついた白いカチューシャを付けていた。
タイプは違うが、いずれも若く美しい女性たちだった。
メイドたちの出迎えに気圧されたユニは、エディスの服の端を掴んで不安そうに後を付いていく。
一人のメイドがエディスたちを先導し、エントランスホールの
「こちらにご用意してございます」
そう言うとドアを開き、深々とお辞儀をする。
中に入ると、広々とした部屋のあちこちにさまざまな服がハンガーに掛けられ、あるいはベッドやテーブルの上に広げられていた。
スーツとスカート、ブラウスが中心で、長靴下、靴下留め、シュミーズやズロウスなどの下着類、スカーフ、ブローチやネックレスといった装身具までが用意されている。
ユニの背丈より高い巨大な姿見が、部屋の中央にでんと構えており、ファッションショーの開催を今や遅しと待ち構えている。
「……あのー、エディスさん?
なんですか、これは?」
半分泣きべそをかきながら、ユニはおそるおそるエディスの顔を下から覗き込んだ。
「ふんっ」と荒い鼻息をついたエディスは、腰に手を当て仁王立ちとなって哀れなユニを見下ろす。
「ユニ先輩、これは先輩が恥をかかないための最低限の用意です。
私が一、二度袖を通しただけですから、ほぼ新品に近いです。
もちろん、全部専門の者がきちんと洗濯をしてアイロンもかけています。
――スーツやスカートはユニ先輩の体形に合わせて仕立て直してありますからね。
ブラウスなんかはそのままだから胸のあたりがゆるいかもしれませんけど、直さずに着られると思います。
あ、もちろん下着は新品を用意しましたからご心配なく」
「……あの、もう一度聞くけど、これをあたしが着るの?」
「そうです」
「しつこいようだけど、これ全部?」
「当たり前です!
これでも最低限だと言いましたよね。
組合せやアクセサリーでバリエーションが増えるといっても、一か月間毎日違う服を着ていくには、これでも少ないくらいなんですから」
ユニは小声で抗議してみる。
「えー、二、三日交替で同じ服を着ちゃだめなの?」
「何を言ってるんですか! 一発で女生徒からバカにされますよ!
そんなことは、この私のプライドにかけて許しません!」
ユニは肩を震わせ、しくしくと泣き真似をしながら尋ねる。
「わかったわ。でも、全部試着しなくてもいいんじゃない?」
「却下です!
身体に合っているか、色合いが似合うかどうかをチェックしなきゃなりませんし、着こなしのコツも覚えてもらわないと……。
大丈夫、服飾係のメイドに手伝わせますから安心してください」
そこでエディスはいったん言葉を切り、コホンと咳払いをしてからユニに死刑宣告をくだす。
「ユニ先輩、その前に先輩にはお風呂に入っていただきます!」
「……へ?」
しばしの沈黙の後、ユニが間抜けた声をあげる。
状況を飲み込めない彼女にエディスが追い討ちをかける。
「お風呂です。
ハッキリ言いますが、先輩は獣臭いです! 犬臭いです!
まず、その年中着た切りの服を脱いでいただきます」
(ユニは小声で「ちゃんと洗濯してるもん」と抗議したが無視された。)
「もちろん下着も全部です。
すっぽんぽんになったら、家のお風呂専用メイド隊が全力をもって先輩を洗ってさしあげます。
脱いだ服は焼却処分したいとこですが、家で徹底的に洗濯をしてお返しします。
ただし、お返しするのは今回のお仕事が終わってからです。いいですね?」
もうユニは完全に涙目になっていた。
「そんなことしたら、オオカミたちが嫌がるわ。
あたしだって、あの子たちの匂いがしないと安眠できないのにぃ……」
「ダメです!
仕事優先です!
もう一度言いますが、女の子が犬臭いなんて言語道断です!」
ユニの目からとうとう大粒の涙が一滴こぼれ落ちた。
「ううう……ライガ、助けてよぉ!」
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