外法の村 十七 消滅

 ユニはゴーマに詰め寄った。

「一か八かよ。エルルのブレスに賭けてみましょう!」


 エディスは少し懐疑的だった。

「でもエルルはドラゴンじゃなくてサラマンダーでしょう?

 それにあの巨人の背中三人分よ。

 この小さな火蜥蜴の炎が届くの?」


 さっきから考え込んでいたゴーマは、自分に言い聞かすようにゆっくりと答えた。

「いや、案外いけるかもしれない。

 サラマンダーのブレスも基本的にはドラゴンと同じものだ。

 サラマンダーは巨大化という進化かから取り残されて、龍の原始的な姿を留めている生き物だっていう学者もいるくらいだ。


 ――それに、こいつとは長い付き合いだからよく知っているが、ブレスは一部分でも当たればそこから一気に燃え広がる。

 それも内部からな。

 対象の面積はあまり関係ないんだ。

 ただ、三人同時となると厳しいかもしれん」


「一人ずつ順番にやっていったら?

 一時間くらい休ませれば、またブレスを吐けるんでしょ」

「それはそうなんだが……」

 ゴーマは再び考え込んでしまう。


 確かにエルルの負担を考えればそうすべきだ。

 ドラゴン族のブレスは、生命力そのものを吐き出す行為だ。

 身体の大きなドラゴンなら別だが、小さなサラマンダーであるエルルでは死の危険すらある。


 だが、ゴーマには悪い予感がする。

 王国で何が起きているかはわからないが、ろくでもないことに間違いはない。

 こちらが数時間手間取ることが、向こうでどんな結果につながるのか、見当がつかないのだ。


「ちょっと待ってくれ。

 エルルに聞いてみる」

 そう言うと、ゴーマは外套の中に潜り込んでいた相棒を呼び出す。


 あざやかなオレンジ色をした火蜥蜴はゴーマの肩に乗り、周囲を見回している。

「話は聞いたとおりだ。

 王国で何が起きているのか、正直俺は不安に思っている。

 だから、できることなら一気にかたをつけたい。

 危険なことはわかっている。あとはお前次第だ」


 エルルは大きな目でじっとゴーマの顔を見つめている。

 二、三度瞬幕がまたたいた。


 エルルの声はゴーマにしか聞こえない。


 しばらくして、ゴーマはエルルの喉を指でこちょこちょ掻いてやると「すまん」とつぶやいた。

「……エルルはやると言っている」


「じゃあ決まりね!

 あなたたち、聞こえてたでしょ?

 悪いけどちょっと背中を焼かせてちょうだい」


 ユニは明るい顔で巨人たちに呼びかける。ゴーマの逡巡はあえて無視する。

 ユニもまた、心の中でエルルに「ごめんなさい」と詫びていたのだ。


『うーん、人間の娘というのは恐ろしいものじゃな』

『まったくだ。

 まぁよい。人間の娘よ。

 わしらもこの世界に留まるのは本意ではない。

 いいかげん退屈もしておったしな。

 さっき言ったとおり、別に焼かれてもわしらは平気じゃから、試しにやってみるがいい』

 そう言うと、巨人の三兄弟はおとなしく背中を見せて横に並んでくれた。


 ゴーマはその足元まで近づくと、右手の上にエルルを乗せ、高く突き出した。

「うまくやろうぜ、相棒!

 さあ、薙ぎ払え!!」


 エルルの虹彩がすっと縦に細くなると、ふだんの数倍の大きさに口が広がる。

 その口の中が真っ赤に光り、それがどんどん白っぽくなっていく。

 そして白い炎が細い鞭のように飛び出し。左の巨人から右の巨人へと、舐めるように光が撫でていく。


 巨人の広い背中を三体分、エルルはブレスを吐き続ける。

 ブレスを吐き終わったエルルは半ば目を閉じ、大きく開けた口で苦しそうに呼吸していた。

 「ケヘッ」と小さな声を出して、喉にからんだ痰を吐きだしたが、それは血の塊りだった。


 案に相違して、エルルの放った炎の鞭は、巨人の腰の上あたりに黒い焦げ跡を残しただけだった。

 巨人の背中で炎をあげたのは一瞬で、火は消えてしまったように見えた。


 誰もが「ダメだったか」とあきらめかけた次の瞬間、突然焦げ跡から強烈な白い光が爆発的に広がり、一気に巨人の腰から肩先までを炎が舐めつくした。

 巨人たちは己れの背中が炎をあげて焼け爛れていくというのに、平気な顔で立ったままだ。


 ゴオッ!という炎の音が響く。

 パリパリという乾いた音を立てて皮がめくれ、次々に炭化していく。

 皮下脂肪が泡を吹いて沸騰し、蒸発していく。

 ぶすぶすと肉の焦げる嫌な臭いがあたりに漂う。

 オオカミたちはその酷い臭いに辟易し、一斉に顔をしかめた。


 三人の巨人たちの背中では早くも再生が始まっていた。

 ゆっくりとピンク色の肉が盛り上がり、少し遅れて分厚い皮膚がそれを覆い隠していく。

 再生は数分で終わった。


 巨人たちの背中は少し赤みを帯びたきれいな肌色となり、周囲の苔むした緑色の肌と極端な対照をなしていた。

 ……そして、そこにはあの三重の魔法陣の痕跡すら認められなかった。


      *       *


 同じころ、王国中央平野の白城市郊外では異様な光景が繰り広げられていた。


 凍りついた三匹のクロウラ。

 その側で監視している蒼龍グァンダオは、消耗しているのがはた目からも明らかだった。


 人間ならばぜいぜいと肩で息をしているような状態(もちろん龍はそんなことをしない)、それに近い雰囲気を漂わせている。

 グァンダオがブレスでクロウラの動きを止め始めてから、すでに丸一昼夜以上が経過していた。


 その間、放たれたブレスは実に十五回。

 凍ったクロウラが再び動き出すまで、わずか二時間程度しか持たなかった。

 しかも、わずかずつだがその間隔が短くなってきている。


 今、クロウラの周囲に広がる一面の麦畑では、地元の農民たちとともに、第一軍・第二軍の兵士たちが鎧を脱ぎ捨て、鎌や剣をを手にして小麦を刈り取っている。

 ちょうどクロウラを中心に、直径数キロに及ぶ小麦がすでに刈り取られていた。


 本来収穫は一、二週間先の話だったが、贅沢は言っていられなかった。

 農民たちの目の前を、軍の輜重隊の荷車がゴロゴロと行き交っている。

 荷台には乾いた柴と油の樽が積まれている。


 いざとなれば収穫に間に合わなかった麦畑はすべて焼き払うよう、輜重隊に命令が下されていた。

 少しでも命の糧、自分たちの小麦を救おうと、文字どおり農民たちは必死だった。


 もともと農民を出自とする者が多い兵士たちには、その気持ちが痛いほどわかる。

 それだけに兵士たちも真剣になって収穫を手伝う。

 黙々と働く兵士たちの数は両軍合わせておよそ一万に達していた。


 数時間前、消耗が激しくなってきたグァンダオの姿を見て、参謀本部を率いるアリストアは決断を下した。

 クロウラの進路にあたる麦畑に毒を撒いたのである。


 薬師たちの指示で、虫に顕著な効果が認められている無味無臭の劇薬がいくつか選ばれ、それが何樽も集められていた。

 ぎりぎりまで使用を踏みとどまっていてのは、農地に及ぼす影響を懸念してであった。


 薬師たちの意見では、事後に汚染された麦畑を焼き払い、土壌を入れ替えたとしても、三年は人の食用にできる小麦は作れないだろうということだった。


 やがてクロウラが凍結から復活し、活動を開始してもグァンダオはブレスを吐かなかった。

 無論、蒼龍帝フロイアの指示である。


 三匹の巨大の蛆虫は、ゆっくりと動き出すと再び目の前の栄養豊富な餌に向かう。蒼龍の存在など、はなから無視している。

 目も鼻もないぬめっとした頭部にぽっかりと空いた口、それが地面近くに近づき、小麦をむしり取ろうとした。


 しかし、その時クロウラの動きがピタリと止まった。

 彼らはしばらく逡巡するように頭をゆらゆらと動かしていたが、やがてその頭を高くあげ、目がないのに周囲を見回すような仕草を見せた。


 そして、三匹とも一斉に向きを変え、毒に汚染されてない方角の麦畑に、地響きをあげて突進したのだ。


 それはこれまでにない、激しく、性急な動きだった。

 だが、クロウラたちは餌にありつくことなく、フロイアの命を受けたグァンダオが再び放ったブレスによって凍結し、動きを止められてしまった。


「毒はダメでしたね」

 悔しそうに若手の参謀将校がつぶやいた。

「あまり期待はしていなかったさ」

 アリストアは平然としている。


「それより、君は今のクロウラの動きをどう見る?」

「あれほど素早い動きができるとは、驚きです」

 残念、君の答えは不合格だ。アリストアは心の中で溜め息混じりに判決を下した。


 そこへ二人の会話を近くで聞いていた白虎帝エランが近づいてきた。

「アリストア殿、奴らずいぶん慌てていたようですね。

 何かまずいことでも起きたように」

「あなたにもそう見えましたか……」


 そう応じた瞬間、天啓が降りてきた。

「そうか……!

 クロウラのあれだけの巨体。維持をするのにどれだけの食糧が必要だ?

 あの化け物は喰い続けていないと餓死してしまうのじゃないか……」


 エランは「なるほど」という顔をする。

「そういえば、伝承ではクロウラは永久に大量の砂を食い続け、砂の糞をひり続けるとありましたね。

 奴らの世界の砂は、ある程度の栄養があるのでしょうか」


「そこまではわからんがね。

 エラン、君のラオフウにも働いてもらうよ」

 白虎帝は首を傾げた。

「何をすれば?」


 アリストアは凄絶な笑みを浮かべて答える。

「雷陣で麦畑を焼き払ってもらうのだよ。

 あの蛆虫どもには、もう一粒の麦だって食わせてやらんぞ!」


 そこへグァンダオを気遣ってそばに付いていたフロイアが戻ってきた。

「アリストア殿、そろそろグァンダオの限界が近いぞ。

 あと一度は何とかなりそうだが、二度は厳しいかもしれん」


 アリストアが険しい表情で答える。

「何とかもたせてください。

 どうしても時間が必要なのです!」

 そう言うとアリストアは副官や連絡将校たちに矢継ぎ早に指示を出す。


「フロイア、あなたの第四軍の兵も借ります。

 至急伝令を!」

 彼が何か〝手〟を思いついたのだと悟ったフロイアは多くを聞かない。


「内容は?」

「全員で麦刈りだ!

 鎌が手に入らなければ剣で刈れと」


 それから数時間が経った。

 途中、またもや動き出したクロウラにグァンダオがブレスを放ち、動きを止めた。

 そして蒼龍は苦しそうな表情で「限界だ……」と告げた。


 次にクロウラが動き出せば、もはや止める手立てはない。

 その時は、彼らの進路にある食糧となりそうなものは、すべて焼き払われることになっていた。


 すでに軍の輜重隊が運んだ柴があちこちに積み上げられている。

 例え予想外の方向へ蛆虫たちが進んだとしても、スピードに勝るラオウウが先回りして、雷の力を使って一切を焼き払う手はずだった。


 王国でもっとも豊かな穀倉地帯。

 そこを焦土にするのである。

 深刻な食糧不足と物価の高騰、貧しい人々の暴動……今年の冬は最悪の事態を迎えることだろう。

 誰もが暗澹とした気持ちとなる。


 それでも、農民や兵士たちは一粒でも多くの小麦を救うべく、鎌をふるい、剣を使った。

 彼らの手は麦の葉で切れ、傷だらけになっていた。

 腰が痛み、汗が入り目が霞んだ。


 だが、拷問のような時間は長くは続かなかった。

 ――クロウラがまた動き出したのだ。


 凍結から目覚めたクロウラたちはもぞもぞと身動きする。

 彼らの意識は激しい空腹に支配されていた。

 このよくわからない世界に放り込まれて以来、周囲は常に食い物で溢れていた。


 それは故郷の砂よりも、はるかに栄養価が高い食糧だった。

 この世界の土は、とても口にする気になれない貧しい味だっただけに、それは僥倖だと言えた。


 ところが、何が起きたのかわからないが、彼らは昨日から何度も何度も眠らされてしまった。

 眠っている間は冬眠状態のようなもので、身体の代謝は極端に低下するが、それでも一日半もの間、何も口にできない状態が続いたのだ。


 彼らの一生は、ひたすら食べ続けることにある。普通ならとっくに餓死しているレベルである。


 再び目覚めた彼らは愕然とした。

 周囲に食糧の気配がしないのだ。

 クロウラには目も、耳も、鼻もないが、食糧となるものを知覚する機能は備わっている。


 彼らは焦った。

 食わなければ死ぬのだ。

 生物なら誰もが持つ、本能的な死への恐怖は、この化け物の身体を駆り立てた。


 三匹のクロウラは体を激しくのたうたせ、一刻も早くまだ刈られていない麦畑の方を目指して進みだした。

 しかも予想外の事態で、三匹がバラバラに違う方向を目指していた。


 小山のような巨体がピンピンと跳ねるように暴れ進み、激しい地響きで地面が揺れた。

 何人か運の悪い兵士が下敷きとなり、柔らかな地面にめり込んだまま圧死した。


 農民とともに収穫を手伝っていた兵士たちは、遠巻きにその様子を見ていた。

 あの化け物が進む先で、もうすぐ畑が焼き払われるのだ。

 自分たちは何もできずにそれを見ているしかないのか……。

 土で汚れ、真っ黒になった顔に涙が流れる。


 ――その時だった。

 三匹のクロウラに、いやクロウラを包む空間に異変が起こった。

 蜃気楼のようにゆらゆらと空気が揺れ、あれだけ巨大な化け物たちの姿がいきなり不明瞭になった。


 ――そして、音もなくクロウラは消え去った。


 大きな溝のような凹み以外、何の痕跡も残っていない。

 立ち尽くしていた兵士たちの手から、ぼとぼとと鎌や剣、ナイフがこぼれ落ちる。

 やがて多くの者が、ばたばたとその場に倒れ伏した。


 彼らは突然気づいたのだ。

 数時間にわたる収穫作業で、どれだけ自分たちの身体が痛めつけられていたのか。


 体の節々に激痛が走る。疲労が限界まで蓄積していた。

 一度倒れてしまうと、もう身動きひとつできない。

 だが、広大な麦畑のあちこちから聞こえてくるのは、苦悶のうめき声ではなく、気の抜けたような笑い声だった。


      *       *


 三人の巨人たちは、お互いの背中の魔法陣が消えていることを確認すると、満足したようにユニたちの方にゆっくり歩み寄ってきた。

 いつの間にか手足の枷は、壁の鎖につながったまま床に転がっている。


「あなたたち、どうやってかせを外したの?」

 たまらずユニが尋ねる。


『言わなかったかな?

 枷などわれわれにとっては何の意味もないと。

 この身を拘束していた魔法陣が消えた以上、何者もわれらを縛ることなどできんのじゃよ』


「……どうやら召喚は止められたようね」

 巨人たちは満足そうにうなずく。

『まさにしかりじゃ。

 あの芋虫は砂漠に覆われた故郷に還ったようだな』


「あなたたちはどうやって帰るの?

 何か方法はあるのかしら」


『心配はいらんよ。

 わしらはどこにでもあり、どこにもない存在じゃ。

 必要がなければ消えるし、おるべきところには現れる。

 この世界にはわしらは必要ない。

 消えるのは雑作もないことだ』


 巨人の一人がエディスに微笑みかける。

『そこの蛇使いの娘さんに詩編の続きを伝授できなかったのは心残りじゃが、わしらはもう留まることができんようじゃ』


 もう一人はユニに話しかけた。

『お主には世話になったの。

 いつかまた会うことがあれば、お主の所望する冷えたエールとやらを馳走してやろう』


「……はい?

 なんでここでエールが出てくるのよ」

 ユニが驚いて尋ねる。


『お主、さっき魔法陣が消えたことを確認した時から、頭の中で叫び続けておるではないか。

 うおおおぉー、終わったーっ!

 冷えたビール飲みてぇぇええー! ――とな。


 ――この娘オオカミの頭を通じてガンガン聞こえてくるわい。

 ビールとはエールのようなものじゃろう?

 わしらの世界でも、ドワーフどもが美味いエールを造っておるぞ。

 約束しよう。再び会うことがあったら、必ず飲ませてやるわい』


 笑いながら三人の巨人たちは霧のように消えていった。本当に自在に姿を消せるらしい。

 ユニは少し笑いながらつぶやいた。

「ええ、楽しみにしているわ」


      *       *


『あー? 戻ったー!』

『変な感じー』

 巨人が自分たちの世界に還ったことで、ジェシカとシェンカも元に戻ったようだった。

 楽しい遊びが終わってしまったような、少し残念そうな顔をしている。


 ユニは姉妹をねぎらう。

「あんたたち、今回はお手柄だったわ。

 あんたたちがいなかったら……。

 やめときましょう。恐ろしくて考えたくもないわ」


 ユニは「ふう」という小さな溜め息を一つついて、くるりと振り向いた。

 そしてゴーマとエディスに明るい表情で語りかける。

「なんかいろいろあったけど、うまい具合に解決したみた

いね!

 多分王国の方もなんとかなったと思うわ。

 めでたしめでたし!

 さあ、帰りましょう」

 しかし、意外なことにゴーマとエディスの視線は冷たい。


「お前、普通事件が解決したら、まず仲間の苦労をねぎらうのが先だろう。

 それがなんだ?

 頭の中はビールを飲むことで一杯か?」

「ユニ先輩、情けないです。失望です!」


「え?

 ちょ、待って!

 なんでさっきの巨人の声が聞こえてるの?

 あれはジェシカたちを通して私の頭の中にしか聞こえないはずなのに……」


 ゴーマが「はぁぁ」と盛大な溜め息をつく。

「お前なぁ……。

 自分で全部同時通訳していたのを覚えてないのか?

 おもいっくそ大声で喋ってたぞ」


「……へ?

 ああああああああ~っ!

 しまったぁ~!!」

「ユニ先輩、情けないです。軽蔑です!」


 三人組のへたくそなコントを無視してオオカミたちは出口へ向かう。

 ライガはふと振り返り、ゴーマの傍らで主人を見上げているエルルに声をかける。


『馬鹿どもは放っておけ。

 どうだ、乗っていかんか?

 今回の一番の功労者はお前だ。

 ゴーマの小僧は強がっていたが、巨人三人に途切れずブレスを吐き続けたんだ。

 お前のように身体の小さなサラマンダーにとって、命を削る危険な行為だったんじゃないのか?

 少しは威張っていいだろう』


 エルルはライガの言葉が理解できるのか、少し考えこんでいるようだった。

 やがて鮮やかなオレンジ色の体をくねらせてライガのもとへ走り寄り、そのまま頭の上まで駆け上った。


 ライガの頭の上で、エルルは誇らしげに脚を踏ん張り、大きな目を見開いて周囲を見下ろしている。

 ギャーギャー言い合っている人間どもを尻目に、ライガは群れの仲間に声をかける。


『さあ、帰るぞ。英雄の凱旋だ!』


      *       *


 翌日、ロック鳥が運んできた籠の前で、ユニたちは遅い朝食を摂っていた。


 オオカミたちが獲ってきた野ウサギをユニがさばいて作ったシチュー、乾パンにチーズを乗せて焼いた主食に目玉焼きというメニューだった。

 外で食べているのは、籠の中にアルケミスの死骸を運び込んでいたからだった。


 死体袋に密閉されているとはいえ、さすがにその隣りで食事をする気にはならない。

 本来であればオークやゴブリン、そして帝国軍の兵士の死体も持ち帰るべきなのだが、すべて石と化したり、毒でぐずぐずに腐れ落ちてしまったので諦めざるを得なかった。


 かろうじて帝国軍兵士の認識票だけは回収したが、帝国がこれらの者たちの軍籍を認めるはずがない。


「アラン、早く来ないかな~」

 シチューを飲み込みながらユニがつぶやく。

「あいつがここを立って今日で五日目だから、多分そろそろ来る頃だろうよ。」

 ゴーマがのんびりと言う。


「早いとこ王都に帰って冷たいビールが飲みたいわぁ!」

「もう、ユニ先輩はそればっかりですね!

 私はお風呂に入りたいですよ」

 エディスがぷんすかして抗議する。


 ユニは不思議そうに彼女を見る。

「えー、水浴びならしてるでしょ。

 確かに今の時期じゃ水が冷たいけど、別にお湯じゃなくたって平気じゃない?」

 エディスは盛大に溜め息をつく。

 この先輩は乙女のたしなみというものを何と心得ているのだろう?


「……決めました!

 王都に戻ったらユニ先輩を家のお風呂に入れてやります。

 それでうちのお風呂専任メイドのフルコースを堪能させてあげますわ!」


「あはは、そりゃ楽しみね~」

「約束ですよ!

 絶対ですよ!

 うちに遊びに来てお風呂に入るんですからね!」

「はいはい、わかったわよ」


 二人のやりとりを聞き流しながらゴーマはネルの袋に入れたコーヒーを煮出している。

 物珍しそうにジェシカとシェンカが、クンクン匂いを嗅いでのぞき込んでいる。


『変な匂いー』

『焦げてる匂いー』

 姉妹の声で、ユニもコーヒーの香りに気がつく。


「あー、いいわね。

 ゴーマ、あたしにも一杯ちょうだい」

「おお、エディスはどうだ?」

「私はコーヒー苦手」

「わー、子ども舌だー」


 ユニが笑い、エディスがぷうと頬を膨らます。

 平和な時間が流れていくが、お約束でそれは長くは続かない。

『ユニ姉ー、鳥さん来たよー』

『めっちゃあせってるー』


 姉妹の声で空を見上げると、上空からロック鳥が石ころのようにまっすぐ落ちてくるのが見えた。

 その姿はみるみる大きくなり、ユニたちの頭上数十メートルのところで、盛大な羽ばたきを繰り返し急制動をかけた。


 周囲には暴風が巻き起こり、テーブルがわりにしていた木の切り株に並べられていたシチューも、ゴーマ自慢のコーヒーも、すべてが風で吹っ飛んでしまった。


 三人とエウリュアレ、オオカミたちは飛ばされはしなかったものの、土埃りで真っ白になった。

(エルルはゴーマの上着の中にいたので何ともない。)


 ドンッ! という音とともに乱暴に降ろされた個人用カーゴの扉が開き、アランがよたよたとよろめきながら駆けてくる。

 さすがに慣れたアランでもフラフラになるほど、乗り心地を無視した飛行を続けてきたのだろう。


 少しかわいそうになった一同は、台無しになった食事とコーヒーについては不問にしようとうなずき合った。


「よう、アラン。来るとは思っていたが早かったな。

 実に、その、何だ……ご苦労さんだな」

 ゴーマが彼を迎えた第一声は、微妙なねぎらいの言葉だった。

 アランの到着は予定より二日早いが、それは彼らにとって予想されていたことだった。


      *       *


 三日前の朝、アランは王都の参謀本部へ帰還すべく中央平野の上空を飛んでいたが、白城市の郊外にさしかかったところで異変に気づいた。


 上空からもはっきりとわかる巨大な魔法陣が目に飛び込んできたのだ。

 そして魔法陣と白城市の中間あたり、広大な麦畑の中に三匹の巨大な蛆虫が横たわっている。


 麦畑はあちこちが焼け焦げて真っ黒になっている。

 そればかりか、その近くには蒼龍グァンダオの姿まで認められた。

「何が起こっているんだ?」

 パニックになりかけたアランの頭の中に、ピートの声が鳴り響く。

『おい、下にアリストアがいるぞ』


 猛禽類の桁外れの視力は、はるか上空からでも人間の区別がつくらしい。

 アランはロック鳥に着陸を命じ、何はともあれと上司の元に向かった。


 アリストアはアランを捕まえると、早口で目下の状況を説明した。

 そして、この状況を根本的に解決するには、ユニたちが元凶となっている召喚と転送の魔法陣を破壊するしかない。


 それを彼らに一刻も早く伝えるよう、厳命されたのである。

 アランはそのまま飛び立ち、夜も徹して飛び続けてユニたちの元へたどり着いたのだった。


      *       *


「皆さん、よくぞご無事で!」

 その場で敬礼をしたアランの顔は深刻なものだった。

「緊急事態です。驚かずに聞いてください!

 白城市郊外十数キロの地点に巨大魔法陣が出現、およそ一万のオークが出現しました!」


「ほー、オークも出たのか……」

 ゴーマはのんびりと応じる。

 その反応にむっとしたのか、アランは「これならどうだ!」と続ける。


「オークは白虎帝とラオフウにより殲滅されましたが……」

「クロウラが出たか。

 三匹だろ?」

 ゴーマの言葉にアランは目を見開き、あんぐりと口を開ける。


「ど、どどどどど、どうして知ってるんですか!?」

 ニヤリと笑ったゴーマは、それには応えず質問をする。

「それで、白虎はクロウラを倒したのか?」


「い、いえ。

 ラオフウの攻撃は一切クロウラに通じませんでした。

 蒼龍帝が援軍に駆けつけ、グァンダオがブレスで動きを止めています。

 ただ、敵を凍らせても絶命には至らず、数時間で活動を再開の繰り返しとなっています!」


 ラオフウがクロウラを倒せなかったというのも、蒼龍のブレスにも耐えたということも驚きだった。

 クロウラとはそんなに強靭な怪物だったのか……。


「それは見たかったわね!」

 ユニが残念そうにつぶやく。

 エディスも同じ思いのようだった。

「まったくです。

 四神獣の二体が同時に見られるなんて、めったにあることじゃないですからね」


「ちょっ、先輩方、さっきから何を呑気に……!」

「あー、わかってるって」

 ゴーマがアランの言葉を遮る。


「アリストアの野郎のことだ。

 クロウラ出現の原因はこっちにあるだろうから、それを探し出せ。

 そして〝なんとかしろ〟って言ってるんだろ?」


「そのとおりです。無茶な命令だってことはわかっています。

 しかし、今はそれ以外の手段がないんですよ。

 このままじゃクロウラが白城市の新市街を押し潰して、城壁さえ破られるかもしれません。

 そうなったらどれだけの被害が出るか……」


 アランは必死だった。ゴーマは笑いを噛み殺して説明する。

「まー、落着け。

 アルケミスの爺いは見つけたが、もうくたばっていた。

 だが、幸いなことに大体の事情は知ることができた。

 クロウラが出現するための魔法陣も見つけた。

 それも〝なんとか〟した。

 どうだ、安心したか?」


「は……、はい?」

「昨日のうちにクロウラは消滅したはずだよ。

 いいか、アラン?」

 ゴーマはアランの目の前にぐっと顔を近づけて宣言する。

「〝状況終了〟だ」


 頭が真っ白になって呆然としているアランを見て、ゴーマは十分満足したようだった。

 苦笑いしながらユニとエディスが彼に代わってこれまでの詳しい出来事を説明する。


 アランはやっと事態を飲みこむと、全身の力が抜けたようにその場でへたり込んだ。

「そうだ、それなら一刻も早く戻らなきゃ!

 皆さん、出立のご用意を!」


『まあ、もちつけー』

『しゃざいとばいしょうをようきゅうするー』

 さっきから側に来て四人のやりとりを面白そうに見ていた姉妹が茶々を入れる。


「そうよ、落ち着きなさい」

 ユニが笑いながらアランを座らせる。


「ピートにだいぶ無理をさせたんでしょう?

 今日はゆっくり休ませてあげなさい。

 参謀本部の連中は事情を知りたくて気が狂いそうになっているでしょうけどね。


 ――でも、もう一日くらい待たせても死にはしないわ。

 その程度の意地悪をする権利が、私たちにはあると思わない?

 ねえ、ゴーマ。

 悪いけどさっきのコーヒー、もう一度淹れ直してくれるかしら」


 ふわりと晩秋のさわやかな風が吹きわたり、平穏な時が再び流れ始めた。

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