外法の村 十一 蒼龍帝

 四古都の一つ、蒼城市は白城市の東北東に位置するが距離はそう離れていない。

 参謀本部の要請で同市を守る蒼龍帝率いる第四軍が出動したのは、敵の敗残兵が東・北方面へ逃亡した場合に備えたもので、直接の戦闘に参加することは想定されていなかった。


 敵の規模からすれば、白虎ラオフウと第一軍だけで十分対処可能と思われたからだ。

 それでも四神獣である蒼龍グァンダオまで出したのは、敵の意図が見えないことに対するアリストアの用心だった。

 そしてそれは不幸にも適切な判断となった。


 蒼龍帝フロイアは逞しい黒馬に跨り、早足で部隊を進めていた。

 年齢は三十歳を少し超したくらいだろうか、白虎帝のエランとあまり変わらない。

 長身で均整のとれた体躯を軽装の鎧で包んでいる。鎧はメッキが施されているのかキラキラとコバルト色に輝き、とても目立っていた。


 艶やかな黒髪を男のように短く刈り、切れ長の大きな目とやはり大きく紅い唇が印象的な顔には一切化粧気がないが、美しい顔立ちであることは間違いない。

 蒼城市の市民には当然敬愛されているフロイアだが、特に女性たちには絶大な人気があった。


「何だあの化け物は?」

 フロイアは呆れた声をあげた。

 それは付き従う部下たちの思いを代表するかのような感想だった。


 何しろ遠目にもはっきりと分かる。白く気持ちの悪い三匹の蛆虫がもぞもぞとうごめいている。

 それがとんでもない大きさなのだ。


 蒼城市を進発する時点では、あのような怪物の存在の報告を受けていない。敵はあくまでオークの大群のはずだった。

 それが戦場に到達してみればオークの姿は見えず、冗談のような化け物がのたうっている。


「どうする? あなたよりずっと大きいわよ」

 フロイアは上を見上げる。彼女の頭上、かなり高い位置に蒼龍グァンダオの顎があった。


 グァンダオの体長は十二メートル程だが、尻尾が長いためで体格としてはラオフウと大差がない。

 もちろん両者とも巨大な生物であることに変わりはない。

 そんな龍を見慣れているフロイアでも、三匹のクロウラは桁外れの化け物に思えた。


 龍はフロイアのいる下を向いて「フン」と軽い鼻息を洩らした。

『確かにやっかいだな。

 止めることはできるだろうが……。

 あれはデカすぎるぞ』


 グァンダオの声が頭の中で響く。

 彼は白虎と違って人間の言葉を発することができないが、当然フロイアとは会話ができる。

 しかも、それと意識すれば、普通の人間とも意志を通じ合えるという特技をもっていた。


 蒼龍と呼ばれるが、グァンダオの全身は白に近く、わずかに青みがかった光沢があるに過ぎない。

 彼は白龍や氷龍などと呼ばれるフロスト・ドラゴンの一族なのだが、東方の守護龍のシンボルカラーが青(蒼)であることから〝蒼龍〟という名前に落ち着いたのだ。

 

 龍族にしては痩身であり、また龍の一般特徴として翼を持ち空を飛ぶこともできるのだが、この世界では能力に制限がかかるらしく、めったなことでは飛行しない。

 必要にかられて飛ぶことはあっても長い距離ではなかった。


 これが彼のプライドをいたく傷つけるらしく、何かというと自分は自在に空を駆けるドラゴンであることを強調する癖があった。


『ラオフウと小僧が来るぞ』

 グァンダオに言われるまでもなく、フロイアはみるみる近づいてくる白虎の姿を認めていた。


「フロイア、久しいな。息災か」

 白虎の背に乗ったまま、エランが大声で呼びかける。

 フロイアもそれに応えて怒鳴り返す。

「貴様も元気そうで何よりだ!

 わざわざ出迎えとは、そんなに私に会いたかったか?」


 二人は魔導院の同期生だったが、生まれ月の関係でフロイアの方が一歳年上だった。

 フロイアの方が背が高いこともあり、彼女にはエランを年下扱いしてからかう悪癖がある。

 だが、エランはじゃれ合うつもりがないらしい。


「すまん、今は時間がない!

 あの化け物を見ただろう。ラオフウでは止められなかった。

 雷撃どころか牙も爪も通らんのだ。

 頼む、グァンダオの力を貸してくれ!」


「わかったわ。後で奢りなさいよ!

 グァンダオ!」

 フロイアは一瞬で状況を理解した。

 蒼龍もまたしかり。


 グァンダオはその場でぐっと四肢を踏ん張り身をかがめた。

 背中の二枚の翼を二、三度バサバサと動かしたかと思うと、脚で地を蹴り、大きく翼を羽ばたかせる。


 「ボン!」という音を立てて、巨大な空気の塊りが周囲の地面に叩きつけられた。

 近衛の騎兵たちが慌てて逃げようとしたが間に合わず、何騎かがばたばたと落馬する。


 体格に比べると面積が小さすぎる翼でどうやって飛ぶのかよくわからないが、蒼龍はあっという間に上昇し、クロウラたちの方へ飛び去っていった。


 龍の離陸による土埃が静まり、呆然とした騎士たちが我に返ったころには、すでにエランもフロイアの姿も消えていた。

 白虎とエランは白城市へと駆け戻り、フロイアは騎馬で蒼龍の後を追っていた。


 残された第四軍の兵士たちはフロイアの副官たちの指示でその場に待機となった。

 自分たちの主人を一人で敵前に送り出してしまったのは、騎士として恥辱を感ぜずにはいられなかったが、四神獣に仕える兵士たちはよく理解していた。

 自分たちが付いていっても何もできないばかりか、かえって足手まといになることを。


 エランがアリストアのもとに戻り、白虎の背中から器用に滑り降りたころには、空から降り立ったグァンダオが三匹のクロウラと対峙していた。

 その距離わずかに十メートル足らず。


 クロウラは蒼龍に気づいていないのか、はなから気にしていないのか、無心に目の前の小麦をむしり取りながらもぞもぞと前進してくる。

 自分よりはるかに大きな敵と向かい合うのは勝手が違うのか、蒼龍は慎重だった。


 姿勢を低くして口を開き、空気を震わすような咆哮をあげる。

 その口元からは白い蒸気のようなものが漏れ出ている。

 蒸気と違うのは、それが上に昇らずに、だらだらと液体がこぼれるように下へ流れていくことだった。


 グァンダオは再び吼える。

 クロウラは全く反応しないが、そんなことはどうでもよい。

 蒼龍に言わせればそれは戦いの礼儀であり、誇り高い龍族が欠かしてはいけない作法なのだそうだ。


 彼はクロウラと対峙した時にはすでに戦略を固めていた。

 白虎の雷撃も、牙も爪も効かなかったことはすでに聞いた。

 ならば自分にできることは一つしかない。

 

 四肢を踏みしめ、首を低く地に這わせたグァンダオの口から吐き出される白い蒸気は次第に勢いが強くなり、しゅうしゅうと音を立てる。

 やがてそれは放射状に吐き出される煙のようになった。

 煙にさらされた周囲の小麦はたちまち白く凍りつき、パラパラと砕け、崩れ去っていく。


 しばらくするとグァンダオの体が青白い燐光を帯び、放射状の煙は収束し、白い光の奔流となって爆発的な勢いでクロウラに向かって延びていく。

 それが一匹のクロウラにぶち当たると、周囲はあっという間に白い蒸気に包まれる。

 光の奔流は次々に残りのクロウラにも降り注ぎ、周囲はもうもうとした蒸気で何も見えなくなってしまった。


 ややあって周囲に風が吹き渡ると、どうにか蒸気が薄れクロウラの姿が見えるようになった。


 三匹の蛆虫は健在だった。その圧倒的な質量は何も変わっていない。

 固唾を呑んで見守っていた兵士たちから失望のため息が漏れる。

 しかし、やがて彼らは異変に気づく。

 うねうねとうごめいていたクロウラが動きを止めていることを。


 クロウラはキラキラと陽光を反射しながら佇んでいる。

 彼らは凍りついていた。

 体のあちこちから小さな(実際には巨大な)つららが無数に垂れ下がっていた。


 〝氷結のブレス〟。それがグァンダオの能力だった。

 ドラゴン族のブレスは、種類のいかんを問わず相手の体内から作用するという特徴がある。

 外から凍っていくのではなく、敵を内側から凍らせ、絶命させるのだ。


「やったの?」

 愛馬を駆って近くまで駆け寄ってきたフロイアが問いかける。

『……いや、ダメだな。相手がデカすぎる。

 この化け物はまだ生きている。見てみろ、尻尾の方はまだ動いているだろ』


 グァンダオの言うとおりだった。

 どこからを尻尾と呼べばいいのかわからないが、とにかくクロウラの後ろの方は、前進するつもりなのかまだゆっくりと収縮を繰り返していた。

 蒼龍はのしのしとクロウラの後方に回り込むと、再びブレスを放つ。

 周囲が再び白い蒸気に包まれ、今度こそクロウラは完全に動きを止めた。


「これでも死んでないの?」

『ああ。中までは凍りきっていないようだ。

 多分これ以上は何回ブレスを吐いても同じだろうな。

 俺にできることはここまでだな』


「生きてるっていうことは……」

『ああ、いずれ再び動き出すな。

 それが数時間後か、半日持つか、俺にもわからん。

 とにかく動き出したら、またブレスのかけ直しだ』


「じゃあ動きを止めている間にこの化け物を殺す方法を見つけないと、永遠にいたちごっこが続くということね」

『……いや。いずれこっちの方が限界になる』

「どういうこと?」


『ドラゴンのブレスは……そうだな、お前たち人間にはわかりづらいだろうが、生命力そのものなんだよ。

 俺とて無限に吐き続けることはできない。

 早晩体力も精神力も尽きて、下手をするとくたばってしまう。

 こいつがどの程度の間隔で動き出すかにもよるが、数日動きを止めるのが精一杯かもしれないぞ』


「そんな……」

『いいか、俺はここを動けない。

 お前はエランやあの……何と言ったかな、ミノタウロスを連れている男と何かいい方法を考えてくれ』

「わかったわ。ごめんね、ここをお願い」


「そういうことだったか……」

 アリストアは天井を見上げるようにして呻いた。

 白城の一室、臨時の参謀本部となった部屋で、アリストア、エラン、フロイア、そして参謀本部の主だった将校たちが円卓を囲んでいた。


「何のことですか?」

 その場の一同の疑問を代表するようにエランが聞いた。

「ああ?

 そうか、そうだな……」

 アリストアは我に返ったような表情で冷静さを取り戻す。


「今回の事件、私には敵の目的が分からなかった。

 狂信的なカルト教団が起こした復讐か、裏でどこかの大国が糸を引く陰謀か、いずれにしろこんな限定的な手段で何ができるというのだ?

 陽動ならわかる。だが、周辺国に目立った動きはない。

 だったらこれは何を目的として起こした騒動だ?


 ――それがわからなかった。

 確かに召喚士に頼らずに異世界から怪物を呼び寄せる技術、大部隊を転移させる技術の実証実験としては意味があるだろう。

 だが、それならなぜ、われわれに手の内を明かす?


 ――推定でしかないが、どちらも〝穴〟という特殊な力場がなければ成立しない技術なのだろう。

 それがわかった以上、わが国が〝穴〟周辺の警備を固めるのは必定だ。

 それがわかっていて、なぜこんな馬鹿な真似をするのだ?


 ――だが、蒼龍帝の報告で理解した。

 奴ら、〝穴〟がなければ使えない技術にはさほど未練がないのだろう。

 おそらく敵は神獣の能力とその限界を計っている。


 ――四神獣が戦場に出ることは極めて稀だ。その能力についても半ば伝説化している。

 特殊能力は知られていても、それが実際にどの程度の威力なのかは誰も知らないのだ。

 自軍に損害を出さずに神獣の実力を測る、これは絶好の機会じゃないのか?


 ――おそらく避難民に混じって敵の間諜が観測しているのだろう。

 すでにラオフウの雷撃が一万のオークの軍勢も数分で壊滅させる力があることが明らかになった。

 しかも、その雷撃が効かない生物がいることまで知られてしまったのだ。


 ――この上 グァンダオのブレスが、どのくらいで限界を迎えるかまでもが知られてしまったらどうなる?

 未知の力を持った四神獣だからこそ抑止力として成立していたのだ。

 その威力の上限、行使の限界が知られてしまったら、対抗策が打てる。

 そうなれば、もはや四神獣は抑止力たり得ない。

 ……これは由々しき事態だぞ!」


 アリストアが一気に語った内容は、その場に重苦しい沈黙を呼んだ。

 その重圧に耐えきれなくなったわけではないだろうが、フロイアが口を開く。

「副総長殿の懸念はわかった。

 しかし、われわれは今、現実としてあの化物と対峙しているのだ。

 グァンダオが動きを止めている間にあれを殺す手段を見つけることが優先ではないか」


「当然だな。だが、物理的な攻撃に関して言えば望みは薄いだろう。

 ラオフウの牙や爪に勝る武器をわれわれが持っているかね?

 ……まぁ一応、不確実だがいくつか手は考えている。

 だが、できればぎりぎりまで使いたくないのだ」


「ウエマクとドレイクも出動準備をしているのだろう?

 さすがに四神獣が揃えばどうにかなるのではないか?」

 フロイアの発言に、その場の多くの者がうなずいた。


 しかしアリストアの答えはにべもない。

「君たちは私の話を聞いていなかったのかね。

 これ以上、敵に神獣を見せてやれと?

 しかもクロウラは灼熱の砂漠地帯で穴を掘り、地下を移動する怪物だと言われている。

 ドレイクの炎はラオフウのいかずち同様効果が薄いだろう。

 ましてや、ウエマクの力で地中に埋めたらどうなる?

 あいつらは地表に小麦という餌があるから潜らないだけなんだぞ。

 穴を掘る手間が省けたと喜ばれるのがオチだ」


「あの化物は召喚士が呼び出したわけではないのですね?」

 誰もが下を向いてしまった中、エランが考え込みながらアリストアに尋ねる。


「われわれはそう見ている。

 〝穴〟周辺の力場を利用した特殊な魔法陣によって、異世界とこの世を無理矢理つないだ結果だというのが一致した意見だ」

「それならば……」――エランがなおも問う。

「まぁ、〝穴〟の存在はどうしようもないでしょうけど、その魔法陣を壊すか消すかしたらどうなりますか?」


「知ってのとおり召喚士が呼び出す幻獣は、契約の儀式によってこの世界に定着する。

 あの化物は契約なしに迷い出てきた、非常に不安定な存在のはずだ。

 だから魔法陣を打ち消すことができれば、おそらく元の世界に帰ることになると思う」


 アリストアの言葉にあちこちから安堵の溜息とともに、ざわざわとした囁き声が起こった。

「すでに私の副官エディスを含めた探索チームが〝穴〟の周辺に送り込まれたと聞いています。

 彼女たちにその役目を果たしてもらうのが妥当な案だと思いますが……」


 エランの提案を予想していたように、アリストアは溜息とともに組んだ両手の上に顔を埋めた。

「それはそうなのだが、連絡手段がないのだよ。

 彼らに命じたのは敵の本拠地の位置と状況の把握だ。

 今、ここで起きている事態を彼らは知らないのだよ。


 ――まあ明日にはアランが帰ってくるはずだ。

 折り返し命令を伝えたとしてもさらに二日かかることになる。

 そこから魔法陣の捜索と破壊に挑んだとして……それまで蒼龍のブレスは持つと思うか?」


 再び重苦しい沈黙が場を支配する。

 それを無遠慮に打ち砕いたのは伝令将校だった。

 カツカツというノックの音。

 「入れ」という返事も待たずに開かれた扉から姿を現した将校は、すばやく敬礼して報告する。


「申し上げます!

 クロウラ三匹が活動を開始、蒼龍が再びブレスを放って動きを停止させました!」


「バカな!

 まだせいぜい二時間だぞ?」

 信じられないといった顔でフロイアが呻く。


 アリストアの心の中に自嘲の笑いが洩れる。

「ふふふ、結局彼らに頼るしかないとは……。

 こちらの状況を知らないというのに、どうにかしてくれるかもしれないと期待する?

 どう考えても虫が良すぎます。

 参りましたね。捨て駒扱いだということはとっくにバレているでしょうし。

 ……私はとんでもない悪役になってしまった」


 アリストアは立ち上がると連絡将校に指令を出す。

「軍の倉庫、民間の薬種問屋、どこでもいいから毒をかき集めろ!

 クロウラの進路にある麦畑にぶちまけて、効くかどうか試してやる。

 薬師たちにはできるだけえげつないものを用意するよう伝えろ。

 蛆虫どもに味覚があるとは思えんが、できるだけ無味無臭のやつがいいとな」


 参謀将校の一人が慌てて抗議する。

「そんなことをしたら土壌汚染が……」

「ならば代案を出してみろ!」

 アリストアの冷たい声が将校の言葉をさえぎり、そのままエランに声をかける。


「エラン、別室へ来てください。

 最後の手段ですが、いよいよという時にはラオフウに無茶をしてもらいます」

「なんだか面白そうな話ですね」

 エランが笑顔で応えるが、その目は笑っていない。

 アリストアはほかの者にてきぱきと必要な指示を伝えると、白虎帝と打ち合わせをするために部屋を後にした。


 すれ違ったフロイアは、彼の唇が動いているのに気づいた。

 何を言っていたのか彼女には聞こえなかったが、それはおよそアリストアらしくない言葉だった。


「神よ、あの者たちにどうかご加護を!」

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