外法の村 十 白虎帝②

 エランが馬を駆って彼方の麦畑へと走り出すと、直衛に選抜された六騎が慌てて後を追う。

 すでにラオフウは敵を求めて走り去った後で、その姿は見えない。


 ものの十五分ほどで、前方に靄に包まれた黒い塊りのようなものが見えてきた。

 黄色い麦畑の中にシミのように出現した黒い塊りはどんどん大きくなり、異様な熱気をはらみながら迫ってくる。


 その数百メートル手前でラオフウは待機していた。

 エランはその隣に追いつくと、他の直衛に停止するよう命じる。ラオフウが待っていたのは、これ以上進むと巻き添えを食うという地点を示すためだ。


 オークたちの先頭は、突然現れた巨大な虎を前にして動きを止めている。

 そこへ後ろから進んできたオークがぶつかって渋滞を起こし、かなり混乱しているようだった。


「ゆけ!」

 エランの短い命令に、放たれた矢のようにラオフウが突進する。

 数十秒でオークの群れとの距離を詰めると、大きく跳躍して黒い塊りの中に飛び込む。


 運の悪いオークが数体、白虎の太い足で踏み潰されて地面に血と内蔵をぶち撒ける。

 慌てふためく亜人の群れを虎の前足がなぎ払い、また数体のオークが上半身をふっとばされ、あっという間にラオフウの周囲に空間ができる。


雷撃ライトニングを!」

 エランの声が届く距離ではないが、命令は伝わっているらしい。

 ラオフウは天を仰いで咆哮をあげる。


 十分離れているエランたちの周囲でも、空気がビリビリと震えた。

 それは、ずんと腹の底に響いてくるような大音響だった。

 白虎の咆哮とともに、それまで晴れていた空に突然、黒雲が渦を巻いて出現する。


 水の中に墨を流し入れたような不気味な雲のあちこちで青白い閃光が走り、数十本の光の柱が大地に突き刺さる。

 一瞬遅れてに耳をつんざく雷鳴が轟き、数十もの落雷が同時に起こったのだということがわかった。

 落雷の跡には、黒焦げとなったオークたちの死骸が、ぶすぶすと煙をあげて転がっていた。


「ラオフウ、雷陣ライディーンだ!」

 エランの命令が追い打ちをかける。


 再び閃光と雷鳴が轟音をあげ、今度は一本の巨大な光の柱がラオフウの体めがけてぶち当たる。

 巨大な落雷の直撃を受けても、白虎は何ともないらしく涼しい顔をしている。


 無数の落雷のエネルギーは白虎の体に蓄積し、パリパリと乾いた音を立てて青白い光が彼女の巨体を包み込んでいる。

 次の瞬間、ラオフウを中心とした光の輪が爆発したように周囲に広がった。


 逃げ惑うオークたちが、たちまち光の輪に追いつかれ、追い越される。

 青白い光とオークが交差したのは、わずか一瞬である。


 「ビクン!」とオークがのけぞり、体が跳ね上がる。

 全身の体毛が逆立ち、眼窩の水分が蒸発して萎びた眼球がからりと垂れさがる。

 あんぐりと開けられた口から、あり得ない長さの舌がだらりとはみ出している。


 全身の皮膚が黒く焼けただれ、ひび割れ、捲り上がる。

 体のあちらこちらで燐光を放つ小さな放電が起こり、「パリッ」とかすかな音をたてる。

 オークたちは自分の身に何が起こったのか理解しないまま、ばたばたと倒れていった。


 まばゆい光の輪は、エランたちのすぐ近くまで広がり、やっと消えた。

 もうもうとした煙が風で吹き払われた時、ラオフウの周囲に千体はいたはずのオークは、すべて焼け焦げた死骸となって地面に転がっていた。


「すっ、……すげぇ!」

 ごくりとつばを飲み込み、直衛の騎士の一人が呟いた。

 漂ってくる空気がきな臭く、口に入るとひどく酸っぱかった。


 〝雷を操る〟。それが神獣ラオフウの能力だ。

 それは王国の人間なら誰もが知っていることだったが、実際の威力を目にしたことのある者はごくわずかだった。


 一瞬で万に及ぶ敵の軍勢の一割を壊滅させた。これならば勝利は疑いない。

 後は逃げまどうオークどもを狩り洩らさないことだけを考えればいい……。

 誰もがそう思った、その時だった。


『エラン、何か様子がおかしいわ……』

 ラオフウの声がエランの頭に響く。

「どうしました?」

 白虎帝がいぶかし気な顔で答える。


『オークたちが混乱しているの。

 逃げ出してるのもいるわ』

「それは当然でしょう。

 あの雷陣を見て、冷静に留まっている方が異常ですよ」


『わたしの周囲でならそうでしょうけど。

 もっとずっと後方、魔法陣の近くのあたりの隊列が乱れているのよ。

 何か、あっちの方で異変が起こっているみたいね』


 オークたちは一斉に動いていたわけではない。

 彼らの軍勢の先頭は、今エランの眼前で粉砕されたが、オークの列はだらだらと魔法陣のあたりまで続いている。

 その長さは一キロ近い。


 魔法陣の周囲でまだぐずぐずしているオークたちにしてみれば、先頭の方で雷が落ちたのか、くらいにしか認識していないだろう。

 その連中が混乱しているのなら、ラオフウの言うように何かが起こっているのだろう。


 エランは直衛の騎士の一人を伝令に走らせる。

 魔法陣の周囲で監視を続けている部隊への警戒の呼びかけと、現状の確認のためだ。


 オークの後方の様子は遠くて詳しくわからないが、魔法陣の中に出現した小山はよく見えた。

 昨夜の雨で山肌が洗い流されたのか、茶色がかっていた色は白色に近くなっている。そればかりかてらてらとした輝きすら帯びていた。


「おい、あれ……今動かなかったか?」

 騎士の誰かの発言に、皆が一斉に目を凝らす。

 確かに丘と見えていた塊りがぶるぶると震えているように思えた。


 しばらくするとそれは確信に変わった。

 丘だと思っていた三つの塊りは、蠕動ぜんどうしながらゆっくりと動き出した。まるで巨大なウジ虫のように。


 誰かが呆れたようにつぶやいた。

「あれは……クロウラ……なのか?」


 それはあまりに大きすぎた。

 体高は二十メートル近く、体長は三十メートルほど、それが這い進むほどに低くなり高くなり、短くなり長くなった。


 わずかに丸い口らしきものは見えるが、それ以外、目も、ツノも、足も、毛もない――白くぶよぶよした巨大な蛆虫が三匹。

 それがぐねぐねと気味の悪い動きで迫ってくる。


「ラオフウ、オークは後回しだ!」

 エランの命令に白虎は矢のように突進する。

 一キロ弱の距離を数十秒で詰めると、咆吼とともに再び雷撃を放つ。

 耳をつんざく轟音と同時に光の槍が三匹の巨大な蛆虫に降り注ぐ。


 ……だが、クロウラには何の変化もなかった。

 何もなかったかのように前進を続けている。

 その後ろに隠れるように、混乱から回復したオークたちが続く。

 彼らはクロウラが自分たちに危害を加えないと知ると、よい盾ができたと喜んでいるようだった。


 ラオフウは怒りの咆吼とともにクロウラに飛びかかった。

 鋭い爪と巨大な牙を白い蛆虫の体に突き立てると、バチバチと青白い火花が飛び散る。

 噛みつき同時に電撃を放っているのがわかった。


 しかし白虎の爪も牙も、クロウラの表皮をゴムのようにへこませるだけで破ることができなかった。

 鋼鉄をも切り裂くと言われている彼女の武器が通用しないのだ。


 ラオフウとて十メートル近い巨体だが、クロウラはその三倍近く、体重に至っては一体何十倍あるのか見当もつかない。

 しかもそれが三匹同時に進んでくる。

 神獣・白虎といえども止める手立てがなかった。


 ラオフウは荒れ狂った。

 どうしようもない相手への怒りをそのまま後方のオークたちへとぶつけたのだ。


 白虎はクロウラの巨体からオークたちの群れの中に飛び降りた。

 すかさず派手な雷撃ライトニング雷陣ライディーンが哀れな侵略者の間で猛威を振るい、あっという間に数千の死骸が畑の中に転がった。


 その雷撃は、当然何度となくクロウラをも飲み込んだが、やはり何の痛痒も感じないのかクロウラはのそのそとした動きを止めない。

 それがますますラオフウの怒りを掻き立てた。


 クロウラを再び飛び越すと、エランとの間に置き去りにしてきた残り数千のオークたちの間を暴風となって駆け抜ける。

 青白い稲光が無数に輝き、逃げ惑うオークを追いかけていく。

 結局、一万ものオークの群れは、ものの数十分で壊滅した。


 髪の毛や全身の体毛がチリチリに焼けこげた一万の死体からは白煙があがり、強烈な悪臭が周囲に漂った。

 遠巻きに警戒していた兵士たちにもその臭いは届き、嘔吐する者が続出した。


 そのオークたちの死骸を磨り潰しながら三匹のクロウラはじりじりと進む。

 何か特種な能力を発揮して周囲を攻撃するわけではない。

 ただその巨大な体がのたうち、進むだけで十分な脅威となっていた。


 それだけではない。クロウラは麦畑の麦を丸い大きな口でむしり取っていった。

 歯も牙もない、ただぽっかりと穴が開いたような丸い口。

 内部の粘膜にはぶつぶつとした突起のようなものがびっしりと生えていて、それが歯のような役割を果たしているらしい。


 たちまち周囲の麦は広範囲に刈り取られていく。

 そして彼らの進路にあるものすべて、食いちぎられた麦はもちろん、小屋だろうが石造りの家だろうが、すべてが押し潰されていく。


      *       *


 エランはまだ興奮しているラオフウを下がらせ、自身も新市街の防衛線まで後退した。

 もはや彼らの備えは無意味だ。エランは防衛線を形成していた部下に指示を出し、新市街の市民たちの避難を優先させる。


「あいつら、麦だけ食っているならいいが……いや良くないか。農務大臣が見たら卒倒するだろうな」

 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはいつの間にかアリストアが並んでいた。その後ろには彼の幻獣、ミノタウロスも控えている。


 同じような体格の馬に乗ってはいるが、横に並ぶと長身のアリストアの方が頭一つ高い。

「おや、参謀副総長殿。こちらに来られるとは聞いていましたが、前線にまでとは、熱心なことですね」


「今回は後手に回っているからね。多少は働こうという気にもなるさ。

 あいつら食事に夢中でのろのろしているのはいいが、まっすぐこっちに向かってくるのが困りものだね」


 エランは頷く。

「進路を変えなければ城壁にぶつかります。

 石造りといっても、あの巨体に耐えられるか怪しいものですよ。

 旧市街の避難準備も始めた方がいいかもしれませんね」


 アリストアはすぐ側で全身から不機嫌なオーラを放っているラオフウを見上げる。

「それにしても白虎が暴れ回るのは久しぶりに見ましたが、相変わらずこの世のものとは思えませんね。

 それなのにあの蛆虫ときたら、さらに現実離れしている。


 ――まるで子ども向けの紙芝居にでてくる怪獣でも見ているようじゃないですか。

 おまけに白虎は全く歯が立たたないときたものだ。

 どうしたものやら……」


 エランは自嘲ぎみに肩をすくめた。

 ラオフウは低い姿勢でかすかな唸り声をあげている。

 背中の毛が逆立ち、パチパチという音をたてて時々放電が起こっている。今の白虎の体に触れようものなら感電は必至だろう。


 そこに彼女の怒りと口惜しさが表れているのは傍目でも分かったが、尻尾の蛇は別人格なのだろうか、案外平気そうだった。

 蛇はひょいと二人の顔の前に割り込んできた。


「あら、ミノタウロスの坊や。神獣といえども相性ってものがあるのよ。

 理由はわからないけど、昔からナメクジとか芋虫とかタコとか、そういうのと雷は相性が悪いのよ。

 それとエラン坊や。旧市街の避難はもう少し様子を見てからでもよさそうよ。

 グァンダオが間に合うみたいだわ」


「分かるのですか?」

 「ほう」という顔でアリストアが尋ねる。

「長い付き合いだもの、気配で分かるわ。

 あの子の能力なら、クロウラも何とかなるんじゃないかしら」


「オークの大群もそうですが、クロウラが三匹ともなると、これ召喚士の仕業じゃないでしょう。

 一体何が起きているのですか」

 今度はエランがアリストアに尋ねる。


「私にもわからんよ。

 ただ、この災厄が人為的なものだということは明らかですね。

 多分、誰かがあの〝穴〟のようにでたらめに異世界と繋げて怪物どもを引っぱり込んでいるのでしょう。

 しかもそれをここまで転送させるとは……」


「一体なんのために?」

「そう、それですよ!」

 わが意を得たり、という顔でアリストアがまくしたてる。


「敵の意図が分からない。

 この騒ぎに軍事的な意味が見いだせないのですよ。

 北の帝国にも南の諸国にも大きな軍の動きはありません。混乱に乗じてわが国を侵略しようというわけではなさそうです。


 ――かといってこの化け物だけでは、さすがに王国が滅ぶはずもなし。

 やつら何が目的なのか、私が一番知りたいのはそこなんです」


「参謀本部でもわからないことを探りにいったという連中が気の毒ですね」

 エランは自分の副官の無邪気な笑顔を思い浮かべた。


「最初は出し抜かれたと思いましたが……考えてみればタイミングがよかったのかもしれませんよ」

 アリストアは意地の悪い笑顔を浮かべた。


「うちの副官を危ない目に遭わせる気ですか」

「必要とあればね」


「ほら、坊やたち。グァンダオが来たわよ」

 再び蛇が割って入った。

 その言葉どおり、北東の方角から軍勢が接近してくるのが見えてきた。蒼龍帝が率いる第四軍であることは明らかだった。


「時間がない。ラオフウ、乗せてくれ。出迎えにいく」

 エランの声だけがそこに残ったかのように、彼の姿がかき消えた。

 立ち上がったラオフウがエランをくわえ、器用に背中に放り上げるとそのまま走り去り、あっというまに小さくなっていく。


「便利でいいですね……」

 アリストアはミノタウロスの方を振り向いて笑った。

『君を背負って走ることなら私にもできるぞ。

 少なくとも人間よりは遙かに速いはずだ』

 ミノスの落ち着いた声が頭に響く。


「いえ、遠慮しておきます。

 参謀副総長があなたに〝おんぶ〟されて戦場を走る姿を見られたとしたら……考えただけで自決したくなりますよ」

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