外法の村 六 空の旅

 アリストアの執務室を辞すると、扉の外ではライガが寝そべって主人を待っていた。それはいつもの光景だったが、その日は少し様子が違っていた。

 ライガの首元に小さな女の子がくっついていたのだ。


 おそらく六歳前後、少女というより幼女と言った方がよいかもしれない。

 白いレースをふんだんに使った可愛らしいワンピースを着て、肩まで伸びた黒い髪は先端がカールしている。


 白く小さな手をライガの首に巻きつけ、すやすやと眠っているようだった。

 それだけ見ると微笑ましい光景だったが、異様なのは幼女が仮面をつけていることだった。


 顔の上半分を覆う白い仮面。

 それは全体が薄い銀で造られ、小さな宝石で装飾された美しいものだった。

 目の部分はやはり銀色の鏡状のガラスがはめ込まれていて、彼女の表情を窺うことができない。


 それでもちょこんとした形のよい小さな鼻、ふっくらとしたバラ色の頬、赤くて小さいがぽてっとした厚みのある唇。――仮面に隠れていない部分を見るだけで、おそらくとんでもなく可愛らしい幼女だということが推測できた。


 ライガは少し情けない表情をして、幼女をどう扱ったらよいのかわからずに困惑しているようだった。

 ユニが部屋から出てくると、あからさまにホッとしたようすで、目をうるうるさせてユニに助けを求める。


「どうしたのよ。この、誰?」

『俺が聞きたいわ!

 お前たちが部屋に入ったすぐ後にやってきて、散々遊ばれたぞ。

 尻尾を引っ張られたり、背中によじ登って滑り降りたり‥‥。

 さっきやっとおとなしくなったところだ。


 ――きゃっきゃと笑うだけで言葉を話さないなと思ってたら、こいつ人間に見えるが幻獣じゃないか。

 とにかく、早いところ何とかしてくれ』


「え、幻獣? 人間じゃないの?

 ……ってことは、ひょっとしてエディスの?」

 ユニが驚いてエディスの方を振り返ると。彼女は苦笑いを浮かべて幼女を抱き上げた。


 解放されたライガは立ち上がって身体をブルブルッと震わせると、さっとユニの背後に隠れた。

 いや、ライガとしては隠れたつもりだったのだが、小柄なユニ身体から大半がはみ出している。


「ごめんなさいね、ライガ。お守りをありがとう。

 ユニ先輩、ゴーマさん、この子は私の幻獣エウリュアレ、私は〝エリー〟って呼んでいます。

 見てのとおりの子どもなので、いろいろ迷惑をおかけするかもしれませんが、戦闘では役に立ちますからお許しくださいね」


 エディスに抱かれた女の子は仮面で表情が見えないが、よく寝ているようだった。

 無意識にエディスの首に両腕をまわして抱きついたまま、目を覚まさない。


「エウリュアレ……って。

 驚いたな、こんな小さな子どもの姿をしているなんて思わなかったぞ」

 ゴーマが恐々こわごわと女の子の顔を覗き込む。


「おい、……この仮面、大丈夫なのか?」

「ええ、目の部分は水銀を間に挟んだ二重のガラスでできていますから、完全に視線を遮断しています。

 そもそも魔術的な処理をした仮面なので、彼女が自分から外そうとしない限り、はずみで取れるようなことはありません」


      *       *


 エウリュアレは〝ゴルゴン〟という種族だ。ゴルゴン三姉妹と言った方がわかりやすいだろう。

 人間型の幻獣で、その能力は石化、すなわち彼女たちの目を見た相手を石に変えることができるのだ。


 ゴルゴン三姉妹の中では末娘のメデューサが最も有名であるが、エウリュアレはその姉(次女)とされている。


 魔導院で過去にゴルゴンが召喚されたことは何度かあったが、成熟した大人の女性や半人半蛇の怪物であったりと、形状は一定していない。

 エディスの話では、召喚士が心に思い描くイメージに影響されるのではないかということだった。


      *       *


「まぁ、確かに戦力としては申し分ないわね。

 それで、明日はどこから出発するの?」

 ユニはエディスからアランに視線を移す。


「王宮の中庭からです。

 食料は積んでおきますし、現地に籠ごと降ろしますから、あまり大掛かりな準備はいりません。

 ゴーマさん、ユニ先輩の宿へは軍から迎えの馬車を向かわせることになっています」


「でも、アランは向こうに着いたらいったん帰るんでしょ。帰りはどうするの?」

「籠には一人用の運搬スペースが組み込まれていて、分離できるようになっているんですよ。

 僕はそれに乗って帰ります」


      *       *


 翌日はどんよりとした曇り空だった。

 まだ少し薄暗い王宮の中庭には、探索に向かう一行とアリストア、その副官らしい若い士官、秘書のロゼッタ、そして警備の兵士が数人いるだけだった。


 ロック鳥が運ぶ〝籠〟は、小さな平屋建ての家に近いものだった。

 屋根に巨鳥が掴みやすいよう、T字型の太い部材がついている。

 扉を開けて籠の中に入ってみると、内部はやはり普通の家のようで、居間と二つの寝室、小さな台所とトイレ、そして角に分離できるという小さな部屋があった。


 普通の家と違うのは、椅子やテーブル、ソファなどが床に固定されていることだった。

「結構揺れますから覚悟してくださいね。

 人によっては酔う方もいます」

 アランからそう言われても、対策の立てようがないので、ユニは考えないようにする。


 もっと哀れなのはオオカミたちだった。

 ライガは平然としてあちこち匂いを嗅ぎ回っているが、残りのオオカミたちは居間の片隅に固まって恨めしげな目でユニを見詰めている。


 ジェシカとシェンカの姉妹だけは興奮して、隙さえあればユニを質問攻めにする。

『ユニ姉、あたしたちお空飛ぶのー』

『ねーねー、じゃんぷより高く飛ぶのー』

「そーね、あの鳥よりは高いとこ飛ぶはずよ」

 ユニが窓から指さす先に、トビだろうか、はるか上空で小さく輪を描く鳥が豆粒ほどの大きさで見える。


『すげー、ちょーこえー』

『こわいのこわいの、飛んでゆけー』

『それ知ってるー! どどんぱだー』


 相変わらずわけのわからないことを口走る姉妹を適当にあしらい、ユニは着替えや手荷物を長持ちのような箱にしまい込んだ。

 なぜだかオオカミたちの間にはエウリュアレが混ざっていて、右手にヨミの尻尾、左手にはエルルの尻尾を捕まえたまま眠っている。

 気の毒なサラマンダーは少女から逃れようとジタバタしている。


「では、行きますよ」

 アランの合図で、天井のはめ殺しになった分厚い丸窓から入る光が陰り、軽い衝撃とともに籠がふわりと宙に浮く。

 巨鳥が羽ばたくたびに、全身がすうっと落ちては持ち上げられるような、気持ちの悪い感覚が繰り返し襲ってくる。


 オオカミたちは全員情けない顔をして頭を床にぴったりとつけている。

 永遠に続くかと思うほどの時間が過ぎ、ユニがトイレに行って吐いてこようかと悩んでいると、十分な高度を稼いだのかロック鳥は羽ばたきを止め、滑空に移った。


 不快な上下動が終わったのは助かったが、今度は風の抵抗のせいか籠全体が斜めに傾いている。

 アランは馴れているのか涼しい顔をして椅子にかけているが、ほかの三人は皆、青い顔をしている。


 ユニは早々に片手を上げる。

「ごめん、降参だわ。ちょっと吐いてくる」

 ユニは壁に手をつきながらよたよたとトイレに向かった。


 結構な時間が経ってからユニはトイレから出てきて、台所で口をゆすぐと斜めになった床を慎重に歩いてくる。

 戻ってきたユニと入れ違いにエディスが立ち上がり「あたしも……」と言ってトイレに向かおうとした。


 ユニはその肩に手をやり「ちょっと、エディス」と言って何やら耳打ちをした。

「そんな!

 ……無理です。私、できません!」

 そう言って彼女は椅子に座ると机に突っ伏してしまった。


「どうした?

 ユニ、お前エディスに何を言ったんだ?」

 ゴーマの問いに、ユニは力のない笑顔で答える。

「いや、便器から下界が見えたもので……」


 アランは大した問題ではないという顔で解説する。

「あまり気にしないでいいですよ。

 どうせこの上空からだと、大でも小でも霧のようになって拡散しますから」


「いーやーっー!」

 叫んだきりエディスは顔を上げない。

「気持ちは分かるけど、無理に我慢をすると体に悪いわよ。

 どうしてもって言うなら洗面器を使う?」


 ユニは辺境暮らしが長いせいで、そのあたりの割り切りが早いが、お嬢様のエディスにはどちらの選択もハードルが高そうだった。


 ゴーマは溜め息をついてアランに指示を出す。

「アラン、オオカミたちのこともある。

 降りられそうなところを見つけたら一度休憩を取ろう」


 結局、今日の野営地まで一気に飛ぶ予定が、昼食時にいったん降りて休憩を取ることになった。


 ロック鳥が上空から見つけた空き地に降下して籠を下ろすと、エディスとオオカミたちが先を争って扉に殺到する。

 外へ飛び出したエディスは茂みを目指して走っていったが、籠の中まで「つーいーてこないでーっ!」という叫び声が響いてきた。


 軽い昼食を摂ったあと、お茶を飲みながらしばらくくつろぐことができたが、正直ありがたかった。

 斜めに揺れる籠の中では、せっかく食べた食事もすぐに口から出ていきそうな気がする。


      *       *


「昨日のアリストア様のお話を聞いていて思ったんだけど……。

 清新派が起こした騒ぎは勝手に開拓を始めたことがきっかけだったわよね」

 やっと落ち着いたエディスが、湯気のたつ紅茶をすすりながらユニに尋ねた。


「私も何度か行ったことがあるけど、辺境の開拓民って、たいがい貧しいでしょう?」

「そうね。親郷の人たちは割と余裕のある暮らしをしているけど、枝郷だと食べていくのがやっとの人が多いわね」


「開拓って、最初に森を切り拓いて、家を建てたりするわけでしょう。

 でも切り拓いた土地がすぐに畑になるわけじゃないのよね」

「ええ、羊が飼えるようになるまで二年くらい、畑から暮らせるだけの収穫があがるまで三年から五年はかかるって言うわ」


「それまでの生活ってどうしているの?

 羊を買うお金だっているでしょう?

 ちょっと考えただけでも結構な金額になるって、私でもわかるわよ。

 なんで貧しい開拓民にそんなことができるのかしら?」


 ユニは懐かしく思う。

 ユニ自身、初めて辺境を訪れた時は同じ疑問を抱いたものだ。

「それは、お金を出す人がいるからよ。

 親郷が出すこともあれば、貴族や地方領主、大商人なんかが出すこともあるわ。

 エディスのお父さんも多分、何箇所か開拓村にお金を出していると思うわよ」


「そんなことをして儲かるものなの?

 だって、開拓した土地は農民のものだし、税金は国が半分持っていくわけでしょう?

 出資者は土地を半分貰えるとか、何か特典があるのかしら?」


「あー、それはちょっと違うわね。

 開拓しても土地は農民のものにはならないのよ。土地はあくまで国のものなの。

 開拓民には、その土地を耕すことができる〝耕作権〟が認められるだけなのよ。

 これは別に開拓村に限ったことじゃなくて、王国のすべての農地が同じことなのよ」


「え? じゃあ貴族や地方領主が持っている領地はどうなの?」

「同じよ。あくまで土地は国のもの。

 ただ、そうした領主は徴税権を持っているだけなのよ」


「そうなんだ……。

 それじゃあ、ますます分からないわ。

 開拓の出資者はどうやってお金を回収するの?」


「うん、開拓村を拓くには許可が必要だってことは、昨日も言ってたわよね。

 昔は農民が開拓の申請をすると、国がその土地を調査して有望だと判断されれば許可が下りたの。

 土木工事なんかは国の負担でやったし、開拓が軌道に乗るまでの必要資金は低利で貸し出されて、しかもその半分は途中で返済を免除されたのよ。


 ――ところがだんだん国の財政が逼迫してきて、開拓の許可が下りないようになってしまったの。

 ただ、それでは開拓が進まないでしょう。国の収入だって増えないわけよ。

 それで国は、開拓を自己資金で行った場合、〝心労免しんろうめん〟を与えることにしたの」


「なんですか、その心労免って」

「形の上では『よくやった、ご苦労さま』という〝ご褒美〟ね。

 国が農民にかけている年貢のうち、四割の徴税権を開発資金の出資者に与える制度なの。

 だから国は農民から生産高の三割の年貢を取り、出資者は二割の年貢をとることになるわね。


 ――この心労免は売買取引ができるから、長期に保有してじっくり利益を出すこともできるし、短期で売り払って資金を回収することもできるのよ」


「あっ、それじゃあ清新派が三割の年貢しか納めないと言ったのは……」

「そう、今では心労免開拓しか行われていないから、国に三割を納めるっていうのは、ほかの開拓村と何も変わらないの。


 ――清新派は出資者に与えられる二割の年貢を、単独の村ではできないような灌漑工事や、新たな開拓の資金にしようと考えたのよ。

 国からしたらほかの開拓村と税収は変わらないし、本来国がやるべき公共工事を農民自身がやってくれるという話だから、何も文句がなかったのよね」


「そういうことでしたか……」

「だから清新派の主張は筋が通っているし、彼らの姿勢は開拓民に寄り添った立派なものだと思うわ。

 ただ、それが宗派内の争いで潰され、追放されたからといって、女たちをさらってオークの子を産ませたり、武装したオークを送り込んで村を襲うなんてことをするかしら?」


「……」

「多分、何か別な理由があるだろうさ」

 ゴーマが話に割り込んできた。


「それを探るのもユニ、お前さんの仕事だ。

 まったく参謀本部副総長殿は、軍籍のない二級召喚士にとんでもないことを要求してくれるよ。

 さあ、そろそろ出発するぞ。


 ――お前のオオカミたちが籠の中に入ろうとしないんだ、少し手を貸してくれ」

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