外法の村 五 外法印

 アリストアの説明が続く。

「回収された死体は僧形であることと、国外追放者に強制される手首の入れ墨から、清新派の僧侶だということがすぐに判明した。

 男の出身地を調べさせたが、一歳の時の儀式(召喚士能力の判定試験)で鈴が鳴らなかったことは複数の証言が取れた。

 つまりこの男が召喚士の能力を持っていなかったことは明らかだ。

 これが二つ目の事実だ」


 アリストアは机の前に立つ四人の顔に順番に視線を向けてから、「ふう」と息を吐いて天井を仰ぎ、正面に向き直ると再び話し始める。


「この男の背中には、手首とは別に一面に彫り物があった。

 素人目でも分かるような複雑な魔法陣だ。

 私は魔導院の審問官――あの爺さまたちを地下の死体安置所まで呼び出して、どういうものかを尋ねたのだが、誰も見たことのない魔法陣だと言う。


 ――ところが審問長官だけは、男の背中を見た途端、顔面が蒼白となり、脂汗をかいて震えだした。

 明らかに〝知っている〟と白状したようなものだな。

 それなのに長官は頑として口を開かないのだよ……」


「それでは、どうしたんですか?」

 好奇心に負けて、再びユニが口を挟む。


 あの男の背中の彫り物が魔法陣だということは、ユニだって一目で分かった。

 恐らくそれがオークの召喚と関係しているのだろうという想像もついた。

 魔法陣がどういうものなのか、知っているとすれば魔導院の審問官だろうとアリストアが目星をつけたのは、さほど不思議なことではない。

 彼らは幻獣召喚に関する研究と知識の集積に一生を捧げている者たちだ。


「まさか審問長官を拷問にかけるわけにもいくまい?」

 アリストアは『あ、これは悪いことを考えている笑いだ』と誰でもわかるような笑みを浮かべた。


「仕方がないので、思い出してくれるまで魔法陣を眺めていただくことにしたよ。

 安置所は狭いから窮屈かもしれないが、静かに考えられるように扉を閉めて、死体と二人きりにしてさしあげた。

 まぁ、数日経った死体が少し臭うのはやむを得ないだろうな」


 ユニは心の中で突っ込みを入れる。

 『アリストア先輩、それを世間では〝拷問〟と言うのですよ』と。


「翌日、朝食のお誘いに行ってみると、幸いご老体はすっかり思い出したらしくてね。

 すべてを話してくれることになったよ。

 せっかく用意した朝食を断られたのは心外だったがね……」

 アリストアは尋問のくだりを実に楽しそうに話していたが、ここでまた真顔に戻った。


「その魔法陣は、魔導院の中でも門外不出とされているもので、代々の長官しかその存在を知らないものだそうだ。

 〝法印ほういん〟と呼ばれていてね、これを人間の体に刻み込めば能力がない者でも召喚が可能になるそうだ」


「そんな便利なものがあるんだったら、わざわざ国中の子どもを調べて召喚士を探さなくてもいいだろうに……」

 たまらず今度はゴーマが口を出す。


 アリストアが片手を上げて、それを制した。

「外法印は万能ではないのだそうだ。

 第一に霊格の低い幻獣しか呼び出せない。

 魔導院で保管されている外法印ではゴブリンしか呼び出せないらしいのだ」


 ゴブリンは〝小鬼〟ともいわれる精霊の一種だが、人間の子どもくらいの体格で、大きな群れをなしていない限り人間の脅威とはならない。


「ところが、男の背中の外法印は、ゴブリンを示す神聖文字が別のものに書き換えられているそうだ。

 おそらくオークを意味する文字だろうと長官は言っていた。

 外法印が生み出されたのは遙か昔のことだが、その当時さまざまな実験が行われたらしい。


 ――多くの幻獣の名を使って外法印による召喚が試されたが、成功したのはゴブリンだけだったそうだ。

 その成功した外法印だけが魔導院に伝えられ、ほかの幻獣を表す神聖文字は失われたということだ」


「そして第二に、外法印による召喚には場所の制限があるらしい。

 具体的には魔導院の召喚の間、あそこ以外では召喚そのものができないそうだ。

 これが三つ目の事実ということになる。


 ――なぜ清新派に外法印が伝わったのか。

 どうやってオークの神聖文字を知ったのか。

 召喚の間以外の場所でオークが召喚できたのはなぜなのか。

 ……ここからは事実ではなく、推測に基づいた仮説ということになるから後で話そう」


 アリストアの前に立つ三人は『おあずけかよ!』という表情を隠そうとしない。

 ただ、アランだけが何ごとか考え込んでいる。


「さて、四つ目の事実だ。

 オークの集団はまずダキニ村を襲って全滅させ、次いでケド村を襲撃した。

 そこで我々は、ダキニ村を襲う前の奴らの足取りを追った。

 まぁユニのオオカミたちほど優秀ではないかもしれんが、わが軍にも軍用犬というのがいるからね。


 ――彼らを使って追跡した結果、オークたちはイネ村の東方約十キロメートルの地点に出現して、そのままダキニ村に向かったことがわかった。

 出現地点は森林の中だが、小高い丘状の小さな広場のようになっていて、直径十メートルほどの円形に草や灌木が焼けただれていたということだ。

 跡を掻き消されていて鮮明ではないが、どうやらこれも魔法陣のように見えたそうだ。

 これが捜索隊の兵士がスケッチしたものだ」


 アリストアは机の上にかなり大きな紙を広げた。

 そこに描かれているのは確かに魔法陣のようで、細かい文字や模様は分からないが、大ざっぱな円と直線は見て取れる。


 一斉に覗き込む四人のうち、アリストアはユニに訊ねる。

「ユニ、君はこれをどう見る?」

「あの男の背中の彫り物――外法印に似ているように思います」


「私も同意見だ。

 この魔法陣の先には一切オークの痕跡を発見できなかった。

 奴らはここに忽然と出現してイネ村に向かった。

 私はこれを審問長官に見せて意見を求めたのだが、彼はあっさりと答えを導き出してくれたよ。


 ――そもそも外法印は、人間の体を触媒とし、さらにその場に潜在する力を借りて、現世と幻獣界を無理矢理繋いでしまう魔法陣だ。

 かなりざっくりした説明だが、魔法陣の左半分が人間の住む現世を表していて、右半分が幻獣界を表しているのだそうだ。


 ――ではもし、右半分の幻獣界の部分を書き換えたらどうなるだろう。

 もっと具体的にいえば、左半分をそのまま対照して右半分に書き込めば、現世と現世をつなぎ合わせる魔法陣ができるはずだ」


「審問長官に言わせると、異世界と現世をつなぐのとは違って、現世同士をつなぐのはそれほど難しくないのだそうだ。

 では、同じ世界をつなぐと何が起きるのか。


 ――長官の話では、空間をねじ曲げてつなぐと転移門が開くらしい。いわゆる瞬間移動が可能になるということだ。

 ただ、簡単だといっても相当なエネルギーが必要になる。

 実際にかつてそういう実験が行われたという記録が残っているそうだが、成功した移動距離は数メートルに過ぎなかったそうだよ」


 ここでアリストアはアランの方を向いた。

「アラン、君は清新派の事件を知っていたようだから質問するが、そもそも清新派を立ち上げた人物を知っているかね?」


 アランはその質問がくるのを予期していたようだった。

「はい、アルケミス元審問長官だと聞いています」

「よろしい、君は優秀だね」

 アリストアは満足げにうなずいた。


「アルケミスは審問官から長官に昇格して三年後、七十歳を少し越えたあたりで辞任して出家した。

 出家の翌年にはもう清新派を組織している。

 彼は長官経験者であるから、当然外法印のことも知っていたはずだ。

 付け加えれば、アルケミスはかつて魔導院を卒院した人物、我々の大先輩だ」


「ちょっと待ってください、そのアルケミスって人が召喚士だったというなら、七十歳までこの世に留まっていられるはずがないじゃありませんか」

 ユニの質問にアリストアはうなずく。


「召喚士だったらそうだな。

 だが、彼は院生ではあったが召喚士ではない。

 アルケミスは召喚の儀式で魔族を呼び出したのだ。


 ――君たちも知っているだろうが魔族との契約は許可されない。彼の召喚儀式は強制的に中断され、召喚士の資格を得ないまま魔導院を卒業した。

 長い魔導院の歴史の中で召喚を認められなかったのは、彼を含めてわずか二人しかいないから、非常に珍しいケースだと言えるね。


 ――アルケミスは大変に優秀な院生だったそうだ。それこそ四帝の後継者だろうと噂されていたらしい。

 だが、そうはならなかった。

 彼の才能を惜しんだ魔導院は、研究員として院に迎え入れ、やがて審問官を長年務めて順当に審問官長になった。


 ――まあアルケミスがまだ生存している可能性は低いだろう。もし生きていたら百歳近いはずだからね。

 だが、教団の行動原理に彼の思想が影響していることは間違いない」


 アリストアは組んだ両手の上に再び顎を乗せると、ニヤリとわらった。

「長らくお待たせして申し訳なかった。

 君たちを呼び出し、依頼する、いや、率直に言おう、命令するのは清新派の本拠地を探ることだ」


 もうここまで来ると、ほとんど予想できる話だった。

「我々の見立てはこうだ。

 二十年前に国外追放された清新派は、かなり以前に王国領内に舞い戻っている。

 そして外法印を用いてオークを召喚し、あまつさえ人間の女性を使ってオークの繁殖を行っている。

 そして、今回の事件からも王国に対する反逆の意志は明らかだ。


 ――魔導院では不可能だったオークの召喚に成功するばかりか、転移門を開くことにも成功しているのは、特定の場所に蓄積している膨大なエネルギーを利用していると判断せざるを得ない。

 そして、それだけのエネルギーを生み出せる地は、そもそもオーク出現の元凶だと我々が睨んでいる〝穴〟の周辺だろうと考えている。


 ――君たちには清新派の本拠の所在とともに、可能であれば彼らの現況、兵力、狙いを探ってもらいたい」


 四人ともそれぞれに思うところがあるのか、しばらくの間沈黙が続いた。それを破ったのはゴーマだった。


「〝穴〟までは確か九百キロくらいあるんだったかな。

 アランはそこまでの運搬役だな?

 ユニはこういった探索のプロだ。この件では大っぴらに軍を動かしたくはないだろうし選ばれたのは当然だろう。

 ではそこのお嬢さんと俺はどういう役割でここにいるんだ?」


 アリストアはにこやかに答える。

「エディスは純粋な戦力だ。

 アランのロック鳥が運べる人数は限られている。

 特にユニのところは大所帯だから、あまり多くの護衛を連れていけないのだよ。

 彼女はまだ若いが、白虎帝の副官を務めている。

 戦力としては一級品、私よりも上だぞ?」

 エディスはゴーマに向かって優雅にお辞儀をする。


「それと、ゴーマ先輩には作戦の指揮をとってもらいたい。

 あなたが軍を退いた時の階級は准将でしたね。

 幻獣の存在を抜きにして、非常に優秀な将校だったと伺っています。

 参謀本部との通信が不可能な現地で、的確な判断を下せる人物としてはうってつけだと思うのですが……」


 『ええーっ、このおっさん、そんなに偉かったの?』ユニは内心の驚きを顔に出さないよう自制心を総動員する。


「それだけか?」

「……と言いますと?」

「そんな理由だったら参謀本部にだっていくらでも人材がいるだろう。

 軍としてはできるだけ秘密裏に遂行したい作戦だろう?

 俺が一年も経たずに現世から消えてしまう人間だから都合がいいんじゃないのか?」


「そこまでご理解いただけているなら何も申し上げることはありませんな」

 アリストアは満足そうに笑う。

 ゴーマはその言葉を聞いて、やはり笑顔になる。


「気に入った。下手に隠し立てされるよりは気分がいいぞ。

 報酬は期待していいんだろうな?」

「言うまでもなく」

 アリストアはほかの三人に目をやる。

「ほかに質問はないかね?」


 ユニが口を開いた。

「出発はいつですか?」

「明日の早朝、夜明けとともに。

 いかにロック鳥といえど、途中で一泊しないといけないだろうね。

 目的地周辺で君たちを降ろしたら、アランにはいったん戻ってもらう。

 一週間後に再び迎えに行って合流する手はずだ。

 何か問題があるかね?」


 ユニはわざとらしい溜め息をついた。

「ええ。ライガはともかくとして、うちのオオカミたちに空を飛ぶことを納得させるには、時間が足りるかどうか……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る