外法の村 二 神に仕える者たち

 ユニは一人で水銀酒家を出た。店に入ってきた客がたまたまゴーマの軍隊時代の顔見知りだったので、彼はまだしばらく残ることになったからだ。

 いい感じのほろ酔い気分で宿に向かうと、すっと物陰からライガが姿を現し、ユニの横につく。


『満足したようだな?』

「そりゃあもう。絶対にもう一度来て、あの豚足を食べるわ!」

『豚足? 足先はあんまり肉がついていないだろう。

やっぱり旨いのは腿だぞ』

「あんた知らないでしょ、豚足はお肌にいいんだから」

 ユニはあくまで上機嫌だ。


 数分歩くとすぐに宿に着いた。ライガは空いている馬房に入れさせてもらえるよう話がついている(辺境では希少な馬も、中央平野の都市部では当たり前に使われていた)。


 ユニがライガと別れて宿に入ろうとした時、ライガが頭を上げ、耳をぴくりと動かす。

 彼の緊張は瞬時にユニにも伝わる。


「ライガ、何?」

『今、かすかだが女の悲鳴が聞こえた。

 子どもだと思うが、切迫した感じだな。どうする?』


 答えるより先にユニはライガの背に飛び乗る。

「追って!」

 ライガも無言で夜の街に矢のように飛び出す。


 わずか数秒、距離にして百メートルも離れていない建物の高い塀を軽々と飛び越えると、庭の茂みに身を潜める。

『ここで間違いない。中で誰かが争っているようだ』

 ユニはライガから飛び降りると建物の扉を探す。


「……まずいな、ここ神舎じんじゃよね。

 ライガは呼ぶまで待機して!

 入ると面倒なことになりそうだわ」


 ユニは勝手口らしい扉を見つけると、躊躇なく分厚いブーツで蹴り破る。

 扉の内側に差されていたかんぬきがへし折れ、派手な音を立てて扉が開いた。

 中へ駆け込むとユニの耳にもバタバタという物音が聞こえてくる。


 音を頼りに薄暗い廊下を進むと、はっきりと人の争う音が洩れている扉の前に行き着いた。

 再び渾身の力を込めて扉を蹴りつけると、鍵がかかっていなかったと見えて「バーンッ!」という凄まじい音を立て、蝶番ごと扉が弾け飛んで床に倒れた。

 その轟音に驚いたのか、部屋の中で揉みあっていた人影の動きが止まる。


「何をしている!」

 ユニの裂帛の気合に、驚いて目を見開いた男の表情が凍りついた。


 その男はでっぷりと太り、黄色い僧服を着ていた。

 上半身だけを見れば貫禄ある高僧といったなりだったが、腰まで僧服をたくし上げ、だらしなく肉のついた尻と太く短い脚があらわとなった滑稽な姿だった。


 体の下には、まだ幼さの残る華奢な少女が組み敷かれている。

 男は右手で少女の頭の上にあげられた両手首を抑え、左手で口元を塞いでいるところだった。

 声も出せず身動きのできない少女は、足だけをバタバタと動かして必死の抵抗をしている。


「……聞くまでもないわね」

 そう言うが早いか、ユニは右足で男の脇腹を蹴り上げた。

「ぺきっ」

 肋骨が折れる小気味のいい音が響き、男は悲鳴をあげて床に転がる。


 ユニのブーツは特注品で、つま先には鉄のカップが埋め込んである。

 例えオークに足を踏まれても、指が潰れないようにという用心だった。

 その硬いつま先がまともに脇腹に入り、男は苦悶の声をあげて転げ回っている。


 ユニは怒りと侮蔑の表情を隠そうともせず、冷たい目でそれを見下ろしていた。

 その先には、水色の僧服を着た中年の男が二人、青ざめた顔で立ちすくんでいる。


「ち、違う、誤解だ!」

 背の高い方の男が、手で自分の顔をかばうようにして叫ぶ。

 ユニが腰からナガサを引き抜き、構えたからだ。


 そのまま男たちから目を離さないで少女を抱き起こす。

 少女は抵抗して顔を何度も殴られたらしく、右目のまわりが青黒くなってひどく腫れている。


 乾いた鼻血が口元を汚し、唇の端も切れて血が滲んでいる。

 かつてはよそ行きのブラウスだったのだろう、つやのある白い生地は埃で汚れ、引き裂かれ、わずかに膨らみかけた白い胸があらわになっていた。


 ユニのはしばみ色の瞳に怒りの炎がともり、燃え上がった。視界が赤く染まり、めまいを起こしそうだった。

「誤解?

 この状況でどういう誤解があると言う!」


「そっ、その娘は、けけけけ、穢れを神の御もとに持ち込んだのだ。

 だから我らがそれを清めようとしていただけだ。

 そうだ、これは清めの儀式だ!

 お前のような凡俗の輩が口出しするようなことではないぞ!」

 男は精一杯の虚勢を張って声を張り上げる。


 その間にも、床でくの字に体を曲げた太った僧侶は「むふー、むふー」と気味の悪い声で唸り続けている。


「大体きさまは何者だ!

 神聖な神舎に土足で上がり込むとは、なんたる不敬者!……」

 虚勢を張って叫び続ける男の声が一瞬途切れ、おびえ切った瞳に希望の色が浮かんだのをユニは見逃さなかった。


「!」

 予備動作なしでその場に体を沈めると、頭上で「ぶんっ!」という音とともに風が巻き上がる。

 跳ね上がったユニの三つ編みの髪先が何かに弾き飛ばされ、わずかに髪の毛が焦げる嫌な臭いがした。


 それに構わずユニは反転して相手の懐に飛び込むと、逆手に握ったナガサを振り上げる。

 何かを切り裂いた感触を感じながら横っ飛びに転がると、一瞬遅れてユニがいた場所に棒が打ちつけられた。


 「ビィィィン!」という乾いた音とともに棒は跳ね返り、再び「ぶんっ」という風切り音とともに、きれいな弧を描いて大きな影のもとへ引き寄せられる。

 ユニは転がった先で跳ね起き、ナガサを前に構えて影と対峙する。


「武僧か?」

 果たしてそこには、片肌を脱いだ筋肉質の大男が六尺棒と呼ばれる木の棒を右脇に引き寄せて構えをとっていた。


 その盛り上がった上腕筋の内側は、ユニのナガサで深く切り裂かれ、鮮血がほとばしっている。

 確かに腱を切断したはずだった。腕を上げて棒を抱え込むなど常人にできるはずがない。

 それなのに、なおも構えを崩さず微動だにしないのは、さすがに修行を積んだ僧だといえる。


 ユニは武僧から目を離さずに、後方にいるはずの僧侶たちに向かって声を張り上げる。

「私の名は二級召喚士のユニ・ドルイディア!

 それ以上戦うと言うのであれば、外に待機している私の幻獣を突入させる!

 そうなったら貴僧らの身の安全は保証しない。

 それでもやると言うなら好きにするがいい!」


 武僧はユニの言葉に対して全く動揺を見せなかったが、指示を仰ぐように視線をちらと背の高い僧侶に走らせる。

 虚勢を張っていた僧侶は、ユニの〝召喚士〟〝幻獣〟という言葉にすっかり戦意をなくしたようだった。


 慌てて武僧の方を向いて首を横にぶんと振ると、武僧はユニから視線を外さないまま、後ずさりをして無言で姿を消した。

 荒い息のまま残された僧たちに向き直ると、ユニは再び声を張り上げる。

 

「今は公務中ゆえ、この娘を親元へ帰すに留める。

 文句があるなら参謀本部のアリストア副総長殿に申し立てよ。

 貴僧らがもしこれ以上、この娘と家族に危害を加えようとするならば、この事実を報告してしかるべき処分を下す!」


 一気にまくしたてるとユニは大きく息を継ぎ、ニヤリと笑った。

「いや、その前に私の幻獣に、貴僧らの禿頭を噛み砕くように命じよう。

 先ほどそれをさせなかったのは、神舎の権威への配慮という奴だ。

 感謝するがいい」


 そう言い捨てると、ユニは自分のジャケットを脱いで少女の上半身を包んで抱き上げた。

 そして、思い出したように振り返って付け加える。


「そこで転がっている上人しょうにん殿だが、早急に医者を呼んだ方がいいぞ。

 折れた肋骨が肺に刺さっていると、己れの血で溺れ死んでしまうからな」

 そして「むふー」という僧侶の唸り声だけが響く部屋を後にした。


 心配で外をうろうろしていたライガに、ユニは「大丈夫」とだけ伝え、少女を抱えたまま背に跨る。

 ライガは何も聞かず、再び塀を軽々と飛び越え、夜の闇に消えていった。


      *       *


 ユニは宿に戻ると裏口からそっと中に入り、驚く使用人に騒がないよう言い含めて主人を呼んでもらった。

 少女は神舎を出て以来、ずっと泣きじゃくっているままだったが、それをなだめている余裕がない。

 ユニは心の中で「ごめんね」と詫びるしかなかった。


 宿の主人が慌てた様子で奥から出てくると、簡潔に事情を説明し、この娘を知っているか尋ねた。

 主人は娘の腫れ上がった顔に驚いたが、すぐにこの子はメイという名だと教えてくれた。


 メイは少し離れた大きな文具屋の娘で、両親が夕方になっても娘が戻らないと近所中を探し回っていて、ちょっとした騒ぎになっていたというのだ。

 ユニは主人に誰にも話さないことを約束させ、メイの両親に使いを出させると、とりあえず自分の部屋にメイを運び入れることにした。


 泣いている少女をベッドに座らせると、もう安心なこと、両親を呼びにやったのですぐに会えることを、ゆっくりと優しく言い聞かせた。

 メイはまだ少ししゃくりあげていたが、何とか泣き止んでくれた。


 宿の者が湯桶にたっぷりの湯を張ってくれていたので、ユニはメイを浴室に連れて行き、汚れてボロボロになった衣服を脱がせた。


「う! ……」

 ユニは絶句した。

 再び怒りが沸騰し、こめかみがずきずきして、めまいが襲ってくる。

 メイの服を脱がすと、彼女の下着は剥ぎとられていてほとんど布が残っていない状態だった。


 まだ生えかけの薄いかげがひどく頼りなさげにあらわとなっている。

 ……そして、白い内腿が血でひどく汚れていた。


 彼女はまだ十代の前半、おそらく十一、二歳だろう。

 もう少し早く駆けつけていればこんなことにならなかったのに。

 ユニは唇をギリギリと噛んで自分の無力さを呪う。

 やはりあの坊主どもは殺しておけばよかった……。


 ただ、ユニの怒りと後悔は一瞬のものだった。

 彼女はすぐに別の理由に思い当たって少し落ち着いたのだが、それでも一抹の不安は拭い去れないでいた。

 ユニは少女に不安を与えないよう、努めて心の動揺を隠し、優しくメイを湯桶に入れて汚れを洗い流してあげた。


 湯浴みを終え、サイズには目をつぶってユニの着替えをとりあえず着せた。

 そして蜂蜜をたっぷり入れた温かいミルクを飲ませる。

 メイはやっと落ち着いたようだった。

 自分の体が血で汚れていたこと、それをユニに洗ってもらったことが恥ずかしかったらしく、弁解するように自分から事情を話し始めた。


 両親に頼まれて、新しくした売り場に貼るための御札を神舎にもらいに行ったこと。

 朝からお腹が痛くて気分が悪かったが、忙しい両親のことを思って我慢していたこと。

 神舎で賽銭と供物を供え、僧侶とともに祈りを捧げたこと。

 その時に敷物を汚してしまったこと。

 どうしてそんなことになったか分からずショックを受けているうちに、気づいた僧侶たちが激怒して奥の部屋に連れて行かれたこと……。


 ユニは自分が間に合ったのだと確信して、安堵の溜め息を洩らした。

 そしてメイの細い肩を抱き寄せ、髪の毛をゆっくりと撫でながらやさしく言い聞かせた。

「あなたは何も悪くないわ。

 少しだけお姉さんになった証拠だから安心しなさい。

 あとはお母さんに正直に話せば、どうしたらいいのか必ず教えてもらえるから」


 そんなことをしているうちに、メイの両親が駆けつけてきた。

 娘に神舎へのお使いを言いつけたのはいいが、夕方になっても帰ってこない。

 慌てた両親は神舎に迎えに行ったが、娘はとっくに帰ったと追い返されてしまい、半狂乱になって今まで近所を探し回っていたのだ。


 無残に顔が腫れ上がっているとはいえ、命に別状がないことを確認した両親は、泣いて娘を抱きしめた。

 メイもやっと緊張の糸が解けたのか、母親の体にしがみついて号泣する。


 親子の対面を微笑ましく見守っていたユニだったが、少し落ち着いたらしい父親を部屋の外に連れ出し、メイに起きたことをかいつまんで説明した。


「あの僧侶たちには釘を刺しておきました。

 でも万一、何らかの嫌がらせを受けたら、参謀本部のアリストア副総長の名前を出してください。

 それで彼らはおとなしくなるはずです。

 副総長には私から話を通しておきますから心配いりません。

 本来ならばあの者たちを告発して糾弾すべきところですが、神舎本庁と対立して大事にするのはあなた方も望まないでしょう。

 大切なのは娘さんの将来です。分かりますね」


 父親は何度もうなずいてユニに感謝の言葉を述べ、是非ともお礼をしたいと懇願したが、ユニはこれ以上騒いで噂になればメイのためにならないと説得して親子を帰らせた。


      *       *


 王国には法制上〝国教〟とされる宗教はないのだが、国民の約七割が信仰する神聖統一教が国の儀礼、式典にも食い込み、実質的な国教になっていた。


 神聖統一教は自然崇拝の宗教で、聖典らしきものはあるがそれは神話に近く、本気で信じている者はいない。

 太陽神とその妻である月女神が主神で、火・水・風・土の四神がそれに次ぐ。

 そのほか万物に神が宿るとして、さまざまな神が存在するというかなり大らかな宗教である。


 それが多くの国民の信仰を集めているのは、現世利益をもたらす神が細分化して存在するからである。

 多くの神の中には、商売の神、学問の神、安産の神、豊穣の神、鍛冶の神、酒造の神、とにかくありとあらゆる神がいて、それぞれの分野で幸運をもたらすとされている。

 中には賭けごとの神とか泥棒の神、浮気の神までいるくらいだ。


 人々はそれぞれの職業や願いごとに応じて神々を祀る神舎じんじゃをお詣りし、金銭を捧げてお祓いを受けたり御札を授かったりする。

 特に願いごとがない時には祈りを捧げる必要はなく、○○を食べてはいけないといった守るべき戒律もない。

 そういう自由なところが支持されていた。


 ただ、神々は人が願いごとをする時、正しい行いをして祈りを捧げることを求めるとともに、清浄を好みけがれを嫌うとされていた。

 中でも二つの穢れ〝黒不浄くろふじょう〟と〝赤不浄あかふじょう〟を遠ざける、すなわち神舎に近づくことを禁じていた。


 黒不浄とは〝死〟に関する穢れで、親族に死者が出た場合、血縁の濃さに応じて一定期間のお参りを禁じられる。

 赤不浄は〝血〟に関する穢れで、女性の月経、出産を穢れとみなして参拝を禁ずるものである。


 女性蔑視も甚だしい考え方であったが、この当時は社会全体が男性優位で、女性はさまざまな社会的な制約を受けていたから、これを疑問に思う者はいなかった。


 その辺に多少の問題を抱えているとはいえ、神聖統一教はきわめてまっとうな宗教であった。

 ただし、神々に仕える僧侶たちとなると話は別だった。


 それぞれの神舎では祀る神の生誕日に祭礼を行った。

 神に捧げる踊りや歌、芝居などが華やかに催され、娯楽の少ない庶民から熱狂的な支持を受け、大勢の見物人を集めた。


 集まった人々が捧げる奉納金や、人出を見込んで出店する屋台から徴収する冥加金みょうがきん、見物人に販売する御札やお守りの売り上げは莫大な利益を生み、神舎の財力と権力を増大させた。


 そうなると上層部から腐敗していくのが世の常である。神聖統一教もその例にたがわなかった。

 対立するほかの宗教は、神聖統一教が俗世におもねるあまり腐敗した邪教だとして非難したし、神聖統一教内部からも僧侶の腐敗を糾弾し、刷新を訴える分派がしばしば発生しては潰されていった。


      *       *


 親子が帰り、一人部屋に残されたユニは疲労でぐったりとしていた。

 酔いは完全に醒めていた。気づけばもう日付が変わろうとしている。

 とっくに湯は冷めてしまったし、諦めてもう寝てしまおうと、着替えのために起き上がったところにゴーマがひょこり顔を出した。


「おう、ユニ! 今帰ったぞ」

 ゴーマは相当飲んできたらしい。顔を真赤にして上機嫌だ。


「お前、とっとと帰ったから知らないだろうが、あの店にはもう一つ名物の料理があってな、豚の薄切りをゴボウとタマネギと一緒に出汁で煮て、卵でとじるんだ。これがもう絶品でな、唐辛子を振りかけて……」


「バンッ!」

 ゴーマの鼻先で乱暴に扉が閉められ、そのまま朝まで開かれることはなかった。

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