第三章 外法の村

外法の村 一 白城市

 王都リンデルシアは人口八万人ほど、最大都市の白城市(人口四十万人を超す)には及ばないが、リスト王国の首都である。王都は国の中心を成す中央平野の西端に位置し、それを守るように四つの古都が配置されている。


 四古都とは、北から黒城市、東に蒼城市、中央の白城市、南の赤城市である(王都の西側は山岳地帯)。

 名前に〝城〟がついているとおり、各都市の中心部には城があり、市街地の周囲を城壁で囲んだ城塞都市だ。


 各市は〝四帝〟と呼ばれる四軍の将が治めていた。

 王都と四古都は整備された街道(四街道)で結ばれており、さらに四古都から〝脇街道〟と呼ばれる地方道が伸び、主要都市との間を結んでいる。


 カイラ村から王都へ赴くには、まずは脇街道で辺境最初の開拓村だったトカイ村を経由して白城市を目指し、そこから中央街道で王都に向かう。


 白城市までは三日の距離。ユニとゴーマはイネ村に向かった時と同様、旅客用牛車を改造してオオカミたちに牽かせることにした。

 宿泊は基本的に野宿で、雨が降った晩だけは牛車の中で仮眠をとる予定だったが、幸いなことに二晩とも天候に恵まれた。


『ねーねー、ユニ姉ー』

『ねー』

 ジェシカとシェンカが牛車の傍らに寄ってきてユニに話しかける。


 牛車はオスのオオカミたちが牽いており、メスのオオカミたちは先行して彼らの食料にする野ウサギを狩るのに大忙しだった。


「あんたたち、母さんを手伝わなくていいの?」

 ユニが少し怖い顔で脅かす。

『ウサギ、さっき獲ったー』

『ジェシカは二羽だけー、あたし三羽ー』

『母さんほめてくれたー』

『ちょっと遊んでもいいってー』


「うちの女衆はこのたちに甘いわねー」

 ユニは「やれやれ」といったていで肩をすくめる。

 退屈した姉妹が母親たちの狩りを邪魔しないよう、相手を務めるのはあたしの役目というわけか。


『ねーねー、白城市ってトラさんいるのー?』

『トラさんでっかいのー? ほっかいどー?』

「ほっかいどー? 何それ」

 時々姉妹たちはユニの知らない言葉を使うことがある。


『うちの国のことわざー』

『ほっかいどーはでっかいどー!』

 姉妹は楽しそうにキャッキャと笑っている。


「まぁ、あたしも見たことないけど白虎はかなり大きいらしいわよ。

 でもあんたたち、トラって知ってるの?」

『父ちゃんに聞いたー』

『でっかくて強くてシマシマなのー』

『でもネコなのー』


 王国には国を守護する四体の特別な幻獣がいる。

 こくウエマク、蒼龍そうりゅうグァンダオ、白虎びゃっこラオフウ、赤龍せきりゅうドレイクで、四神獣と呼ばれていた。


 これらを召喚し、使役するのが四帝である。彼らは召喚士であるから、いつかはこの世界から消失するのだが、必ず翌年には新たな召喚士が神獣を呼び出すことに成功する。

 それはこの四神獣だけに起きる特殊な現象で、彼らの神格化の一因となっている。


 白城市を治める第一軍の将・エランは白虎ラオフウの召喚主という意味で、〝白虎帝〟と呼ばれていた。


 白城市に到着すると、城壁内の市街地へはユニとゴーマ、それにライガとエルルだけが通された。

 召喚士が幻獣を伴うのは法で認められていたので当然だったが、それ以外の七頭のオオカミたちは入城が認められなかった。


 彼らは登録された召喚獣ではなく、ライガが勝手に異世界から呼び寄せた仲間なので諦めるしかなかった。

 辺境ではオオカミたちが村の外で待機するのは特に問題となることではなかった。

 すぐ近くに森があり、オオカミたちは自力で獲物を捕ることができたからだ。


 しかし、白城市は古くから開発が進んだ中央平野の都市であり、城壁外にも〝新市街〟と呼ばれる新興街区が広がっていた。

 新市街の周辺にしても、一定規模の森林はなく野生動物はほとんどいなかった。

 獲れるとすれば、せいぜいが畑を荒らす野ウサギや野ネズミで、オオカミたちにとってはおやつ程度にしかならなかった。


 そのためユニは町に入るとまず肉屋を探し、屠殺済みの豚を一頭まるごと買い取った。

 城壁外のオオカミたちのために、ライガが巨体を悠然と揺らしながら皮を剥かれた豚を咥えて歩く姿は市民を大いに驚かせ、ぞろぞろと後をつける野次馬が現れてユニを赤面させた。


 カイラ村からここまで来る道中でも、オオカミが牛車を牽いているというので相当驚かれたり冷やかされたりしていたので、ただでさえユニは精神的ダメージを負っていたのだ。


「こっ、これは……今夜は飲むしかないわね!」

 悲壮な決意を固めるユニをライガは呆れたような目で見やると、無駄と知りつつ忠告する。


『ユニ、このところビールを飲み過ぎていないか』

「バカ言わないで。カイラ村を出てから今日で三日、一滴も飲んでないのよ!」

『当たり前のことを威張るな。最近下腹がぽっこり出てきたのを俺が知らないとでも思っているのか?』


 その後数週間、白城市民の間では、豚を咥えた巨大なオオカミが小柄な少女に殴られて逃げ回ったという話が、盛大な尾ひれがついて語られることとなった。


      *       *


 その夜の宿を決め、荷物を運んでからユニはゴーマに連れられて水銀酒家という店に飲みに行った。

 それは宿から歩いて十分足らず、すでに店じまいしている食料品店の横の狭い階段を上がった二階にあった。


 木造萱葺がほとんどの開拓村と違って、白城市の建物は石造りか、木造でも壁は漆喰しっくい塗りで瓦屋根だ。

 階段を登りきり、厚い木のドアを開けると、少し照明を落とした暖かな雰囲気が迎えてくれた。


 白木の一枚板でできた長いカウンターの五席、テーブル席が二つだけの小さな店だった。

 ほかに客はいないのだが、ゴーマとユニはカウンターに並んで座る。


 店の主人らしい初老の男が柔らかな笑顔で注文を尋ねてきた。

 ユニにとっては初めての店なので、注文はゴーマに任せた。ゴーマはビールと何品かの料理を頼む。

 あまり時を置かずに細長いガラスのグラスに注がれたビールと、縦半分に切った茹で卵がのった小皿が二人前運ばれてくる。


 後でゴーマに教えてもらったのだが、〝突き出し〟と言うテーブルチャージ料のようなもので、都会の飲み屋では一般的な風習らしい。

 辺境では頑丈な陶器のマグが使われることがほとんどで、ガラスのグラスに注がれた淡褐色のビールは少し気取って見えた。


 チン、という澄んだ音を鳴らしてグラスを合わせて旅の労をねぎらうと二人はビールを喉に流し込む。

「苦っ! 何このビール?」


「ペールエールという種類なんですが、その中でも特別にホップの量を増やして苦味を強調しているのです。

 何でも南洋で航海する船乗りのために保存が効くビールとしてられたのが始まりだとか。

 最近王都や四古都でことのほか流行しております。

 辺境だとまだピルスナーが主流でしょうから、お口に合わないようでしたらそちらをお出ししますよ」

 主人が微笑みながら解説する。


 確かに今まで飲んでいたビールとはまったく違う味だった。強い苦味があるが不快な苦さではない。

 常温より温度は低いが、氷室亭ほどには冷えていない。

 それがこのビールには合っているのか、苦味の奥にあるほのかな甘味や豊かな香りが伝わってくる。


「大丈夫。これはこれですごく美味しいです」

 ユニがにっこり笑って答えると、主人は安心したようにうなずいて奥の厨房に戻った。


 目の前の小皿の茹で卵を口に運ぶ。

 外側が茶色に染まっているので、味がついているのだろうとは思ったが、食べてみると外側だけでなく、中までしっかりと味が染みている。

 しかも黄身が半熟で、ねっとりとした食感とともに濃厚な旨味が舌を包み込んでくる。


「美味しいわぁ……」

 ユニの表情は至福の瞬間を体現していた。もう一口ビールを流し込む。

 これは喉越しを楽しむ氷室亭のビールとは違う。少しずつじっくりと味わうべきものだということが即座に理解できた。

 ビールの強い苦味と豊かな香りに、しっかりと味付けされた濃厚な黄身がよく合った。


「ねえゴーマ。あなたなんでこんな店知ってるの?」

 ユニの目が少し据わっている。このビールはアルコール度数も少し高いようだった。

「ああ? そりゃ若いころによく通っていたからな。しかし全然変わっていないなぁ……」


「通っていたって……。あなた白城市に住んでいたの?」

「あれ、言っていなかったっけ?

 俺、魔導院を出てから十年くらい軍にいたんだぜ。配属されたのが第一軍、白虎帝配下でな」


 二級召喚士と判定された魔導院の卒院生の中には軍に入る者も多い。

 一般兵士扱いではあるが、召喚士は戦力としてそれなりに歓迎されており、最初から下士官待遇が与えられるからだ。


「もっとも俺が仕えていたのは先代の白虎帝だったがな。

 俺が三十歳になる少し前にお隠れになられてなぁ……。

 それで俺も軍を辞めたんだ」

「そうだったの……。知らなかったわ。

 あ、じゃあ白虎! ラオフウを見たことあるの?」


「二、三度な。

 お前んとこのライガもいい加減デカいが、ラオフウはライガの三倍以上あるぞ。

 ありゃマジもんで怪物だな」


 四神獣が姿を現すことは稀だ。

 彼らは王国の最高戦力で、それぞれが一軍に匹敵するといわれている。

 他国との戦争でも起きない限り出番はなく、必然的に目撃されることが少ない。

 普段はそれぞれの城の奥深く、特別な大広間で過ごしているのだと噂されていた。


「確か白虎帝の第一軍って、一万人の兵力って習った気がするけど、街中ではあんまり兵士の姿を見かけなかったわよ」

「ああ、城市に常駐しているのは三千人余りだ。

 そのうち街区で警備に当たってるのは五、六百人だから目立たないだろうな」


「残りの三分の二はどうしてるの?」

「城市の郊外に兵舎があってな、そこで三分の一は訓練を受けてるんだ。

 残りの三分の一は休暇中だ。

 四か月の訓練、四か月の勤務、四か月の休暇。そういうサイクルになっている。

 もちろん幹部将校は年中勤務だがな」


「へー、勤務が年に四か月だけって、ずいぶん待遇がいいのね」

「それがそうでもないのさ。

 勤務の時は俸給が満額支給だが、訓練期間中は六割支給、休暇中は俸給ゼロだからな」


「えっ、じゃあ休暇中の生活はどうしてるの?」

「そりゃ働くしかないだろう。

 もっともそう都合よく仕事が見つかるわけないから、兵士の組合みたいなのがあって、そこが仕事を斡旋しているんだ。

 俺の時と変わっていなけりゃ、土木や建築工事がほとんどだったな」


「それって国の財政事情?」

「ああ。戦争でもないのに大量の兵士を養う余裕はない。

 かといって何かあった時に即応できる兵士も必要だからな。

 有事の際は休暇を取り消せばいいんだ。どうだ、都合よくできてるだろ?」


「でも白虎は一個軍に匹敵するほど強いんでしょ?

 だったら兵士の数を減らせばいいと思うけど」

「兵士は必要なんだよ。

 例えば敵に占領された村を解放するとしよう。

 敵の主力は白虎一頭で駆逐できるだろうが、問題はその後だ。

 敵兵が潜んでいないか一軒一軒家探しするとして、そんな真似が白虎にできると思うか?

 住民の避難誘導、捕虜の移送や監視、死体の埋葬……人間がやる仕事は山ほどあるんだ。

 大体、一万の軍といったって、純粋な戦闘部隊は七割程度なんだぞ。

 あとは工作隊と輜重隊しちょうたいだ。こいつらがいないと戦争そのものができないからな」

「なるほどねぇ……」


 思いがけずに王国の軍制についてレクチャーを受ける格好になった。

 どうしてこんな話になったんだっけ?

 ユニは首をひねりながら苦いビールを口に含む。


 そこへ話の切れ目を窺っていたように、主人が料理を運んできた。

 肉とも違う、焼かれた白っぽい塊が五つ皿にのっている。

豚足とんそくの塩焼きでございます。

 見た目で敬遠される方もおりますが、食べると次の朝に肌がぷるぷるになると、女性客の皆さんには人気があるのですよ」

 主人がにこやかな表情で説明してくれる。


 ユニはこと食物に関しては偏見の少ない方だ。

 それは魔導院を卒業後、辺境の森で修行の日々を送っていた頃、師匠から叩き込まれたおかげだった。


 さっそくまだ熱々の豚の蹄をナプキンで包んで掴むと、脂身のように見える白い塊を一口齧り取る。


「これは……!」

 予想とはまったく違う、ねっとりとした食感だった。

 濃厚でもちもちとした塊が口の中でとろけていく。これもまた苦いビールと絶妙の相性だ。


「四帝の配下にある第一軍から第四軍までの四万人。それに王都の近衛軍三千人と国境警備軍が二千人、

 これが王国の全軍ってことになる。

 六百万の人口の国で、軍がこの規模ってのは相当に少ないんだぞ。

 うちの国の農民にかけている租税が大体五割だってことは知ってるだろ?

 これもよその国に比べると楽な方なんだ。酷い国だと六割持っていかれるからな。

 それも軍事費を削減しているおかげなんだよ……って、ユニ、おい聞いてんのか?」


 ユニはまったく聞いていなかった。

 太い豚の足先からゼラチン質の軟骨を齧り取るのに夢中で、ゴーマの話は頭の上を通り過ぎていった。

 やっと彼の呼びかけで「ん?」と振り向いたその手には、最後の豚足がしっかり握られていた。

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