夢の誘い 八 王都へ

「ごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっ……」

 ユニの白い喉元が上下して、冷えたビールがすごい勢いで飲み込まれていく。

「………プッハアァー!

 兄ちゃん、お代わり!」

 ユニは空になったビアマグを高く掲げて注文の声をあげる。


 イネ村の事件が解決して十日後、氷室亭の一番奥にある少し薄暗いテーブル。

 ユニのお気に入りの席で、彼女はゴーマと向かい合っていた。


 結局ゴーマが帰ってきたのは、ユニに遅れること一週間、つい三日前のことであった。

 ゴーマは村や放牧地の柵の強化の指導に当たるとともに、ハンスを立ち直らせて薬師としてマリサの後を継ぐ手助けをしてやっていたらしい。


 ユニは鶏の炭火焼きと並ぶ氷室亭の看板料理、骨付きの香草焼きに齧りついていた。

 歯ごたえのある肉からは、たっぷりの肉汁が溢れ出し、口中に羊独特の癖のある風味が広がる。

 胡椒や花山椒を主体とした数種類の香辛料が刺激的なアクセントを加えて、脂っこい肉でも飽きさせることがない。


 手にした肋骨に残った肉をカリカリと歯でこそげ取り、仕上げに指をしゃぶって脂を舐め取る。

「やっぱりオオカミに影響されてんじゃないか? その喰い方……」

 ゴーマが呆れた声で感想を洩らす。

 なまじ顔立ちが整っている、もう少し若ければ〝美少女〟と呼んでよいユニだけに、その飲みっぷり、食べっぷりはギャップが大きい。


 二杯目のビールを喉に流し込み、唇に泡をつけたままユニが尋ねる。

「よくハンスを立ち直らせることができたわね」

「なに、簡単だ。〝男と男の友情〟を築いたのさ」

「へー、どうやって?」

「汗と涙と鉄拳だ」

「うわ~、なんか臭そう……」


「ふん、お前の方も立ち直ったようだな?」

「まぁね。どのみちあたしにも訪れる運命だし、覚悟はしていたことだから」


「俺はリリス先輩が羨ましいよ」

 ゴーマがぼそりと言う。

「どうして?」

「だって、考えてもみろよ。セイレーンの世界に転生だぞ?

 きれいなねーちゃんが素っ裸でキャッキャうふふと遊んでる世界だぞ!

 すばらしい、すばらし過ぎる!」


 ゴーマは感極まったように天井を見上げる。その目尻には、うっすらと涙がにじんでいた。

 ユニは氷よりも冷たい視線を送って与太話を無視する。


「あたしもね、帰り道にライガに聞いてみたのよ。

 『あんたの世界はどんなとこ?』ってね」

「それで?」

「この世界よりずっと住みやすい、いいところだって」

「裸のねーちゃんがいるのか?」

 ゴーマの顔めがけて枝豆が飛んでいったが、易々とかわされる。


「シカもイノシシもたくさんいるんだって。

 ネズミなんか捕り放題だそうよ。

 ……いや、そういうのじゃなくて!

 ほら、お花がいっぱい咲いてるとか、何かあるでしょ?

 って言ったら、『花は食えんぞ?』だってさ」


 ユニはわざとらしくテーブルに突っ伏す。

「ああ、あたしってば、あの子オオカミたちの世界に転生したら、おやつにネズミの踊り食いをするようになるのよ!」

「……お、おう!

 まぁ、そのなんだ……頑張れ」


 ユニはガバッと顔を上げるとニヤリと笑う。

「ゴーマは幸せよね、お望みの世界で」

「どういう意味だ?」

「素っ裸のメス蜥蜴ねーちゃんとキャッキャうふふできるわよ。餌は虫でしょうけど」

「勘弁してくれ」


 ゴーマはぐっとビールをあおると、急に真顔になる。

「ところでユニ、お前のとこにも軍から呼び出し状がこなかったか?」

 ユニの表情も瞬時に変わる。

「〝とこにも〟って、ゴーマのとこにもきたの?」


 ゴーマはすばやく左右に目をやると、小さくうなずいた。

「署名はアリストアか?」

 今度はユニがうなずく。

 ゴーマは身を乗り出してユニに顔を近づける。

「どう思う?」


「まず間違いなくケド村の件ね」

 ユニはほとんど口を動かさずに低い声で囁いた。

「だな。まぁいいさ。

 お前と一緒だと、とことん面白そうだ」

「あたしはフリーだからいいけど、ゴーマは警備兵の仕事があるんじゃないの?」


「それ、さっき辞めてきた」

「へ?」

「もう俺の先は見えている。

 だったらあと一年、好きなことをしてみたいじゃないか。

 今のところ、お前さんと一緒にいるのが一番面白い目に遭いそうだ」


 ゴーマは片手でユニの頭を鷲掴みにすると、わしゃわしゃと乱暴に撫で、体を元に戻した。

 ぐいと椅子の背もたれに体重をかけて傾けると、陶器のビアマグを高く掲げて女性の店員を呼ぶ。

 ビールと料理を注文すると、再び真顔に戻って言葉を継いだ。


「アリストアの奴も大変だな。もっと楽な生き方を選ぶ手もあっただろうに……」

 ユニは少し意外だという顔をする。

「でも、アリストア先輩は参謀本部の副総長でしょう。

 確か軍の序列でいえば七番目じゃなかったかしら。

 スミルノフ伯爵家でそこまで出世した当主はいなかったと思うけど……」


「あいつが副総長どまりのタマだと思うか?

 参謀総長が〝お飾り〟ってことは、軍じゃ常識だぞ。もう何年も前から参謀本部はアリストアが掌握している。

 だが、あいつは絶対に参謀総長にはなれない」

「……どうして?」


「あいつが召喚士だからださ。

 どんなに優秀だろうが、あと五、六年もすれば俺と同じで消えてしまう。

 軍の頭脳である参謀総長が〝ある日突然消えました〟じゃ済まないんだよ。

 伯爵家の家督だってそうだ。あいつはアリストアを名乗っているが、家を継ぐのは弟と決まっている。

 その気になれば嫁さんをもらって子どもを作り、その子に家を継がせることだってできたんだろうが、揉めごとを起こさないように独身で通しているそうだ」


 女性召喚士同様、男性召喚士も多くは独身で通す。

 四十歳前後でこの世界から消失する召喚士にとって、まだ小さい子や妻を残して消えてしまうのはあまりに無責任だからだ。

 だが、実家が裕福である場合、結婚して子を成すことがある。

 この場合は家名を存続するため、後継ぎを産ませることが目的となる割り切った結婚だった。


「お待ちぃ~!」

 テーブルにゴーマが注文した料理の皿が置かれる。

 薄茶色にソテーされた柔らかそうな塊からバターのいい香りがする。

 彩りのよい野菜炒めが付け合せに添えられている。


「美味しそうね。なんて料理?」

 興味津々しんしんのユニの問いには答えず、ゴーマは「食ってみな」と勧める。

 ユニは遠慮なくフォークで塊の一つを突き刺すと口に運んだ。


 それは肉とはまったく違った。柔らかで濃厚なクリームのような触感で、口の中でとろけた。

 柑橘系の酸味のある香りが口中に広がり、遅れてソテーされたバターの香りと塩味が追いかけてくる。


「何これ、美味しい!」

 ゴーマは「だろう?」という顔で満足気にうなずく。

「羊の脳みそだよ。

 レモンと煮込んだあと、バターでソテーしたものだが……。

 大丈夫か?」

 一応、女の子だしな、というゴーマの心配をよそに、ユニは二つめの塊を口に放り込み、「ごっごっごっ」とビールで流し込む。


「え? 大丈夫って何が?」

「……いや、なんでもない」(心配した俺がバカだった)

「多分、ネズミの踊り食いよりは文明的な食べ物だと思うわ」

 ユニは満面の笑みで三つめの塊に手を伸ばした。

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