夢の誘い 七 夢の終わり

 マリサは語り終えると、深いため息をついて頭を垂れた。

 彼女の顔には疲労の色が浮かび、何だか急に老け込んだように見える。


「もう私はあののいる所へ行かなくちゃならないの」

 そう呟いたマリサの顔は、それでも少し笑っていた。

 ユニは何も言えなかった。


 もちろん魔導院に入った時から、召喚士の運命については承知をしていた。

 だが、実際に能力が枯渇して、消えていこうとしている者を目の当たりにするのは初めての経験だった。


 召喚士は呼び出した幻獣と契約を結ぶ。

 召喚士の能力が続く限り、幻獣の力を借り使役できる代わりに、能力が枯渇した時は幻獣の世界へ旅立たなくてはならない。

 そこで召喚士自身が新たな幻獣へと転生するのである。


 幻獣は長命ではあるが不死というわけではない。

 そして霊格の高い幻獣ほど、長命の代償として繁殖能力が低い(逆にゴブリンやオークといった霊格の低い存在は比較的短命で、繁殖能力も高い)。


 そこで彼らは自分たちの種族に新しい血を入れることを欲した。

 二つの異世界を繋ぐ異能者の魂は、二十年前後の歳月を幻獣とともに暮らすことによって、精神が深く結びつき、徐々に同化していく。

 幻獣にとって、召喚士の能力が失われる時とは、その魂が幻獣の世界に順応し、転生の準備が整ったという合図であった。


「……ゴーマさん、ごめんなさい。ベッドまで連れて行ってくれるかしら。

 少し疲れたわ」

 ゴーマは黙って席を立つとマリサの体を抱き上げ、寝室へと運んでいった。

 ユニも慌ててその後を追う。


 ゴーマはマリサをベッドに横たえると、ユニに彼女を着替えさせてやってくれと頼んだが、それを聞いたマリサはそのままでいいと断り、横になったままエプロンを外してユニに手渡した。

 受け取ったユニは、手元ですばやくエプロンを畳むと椅子の背もたれに掛け、マリサの体にそっと毛布をかけてやった。


「ありがとう。お願いついでにそこの蝋燭に火をつけてちょうだい。

 私、少し灯りがないと眠れないのよ」

 ゴーマが動くより先に、ユニが蝋燭を手に取って、居間から持ってきたランプのホヤを上げて蝋燭に火を点す。


「ロリエはね、お月さまが大好きなのよ。

 天気が悪くて月や星が見えないと、機嫌を悪くして水の中から出てこないの。

 だからかしら?

 私も暗いのが嫌いになっちゃった……」

 そう言ったきり、マリサはしばらく黙った。


 そのまま眠るのかと思ったが、微笑みを浮かべてまた口を開く。

「あのったら、私が来てくれたらたくさんお友だちを紹介するって、それは楽しみにしているのよ。

 それでみんなで歌を教えてあげるって……」

 マリサは目を開けているが、その目に、もうユニとゴーマが映っていないのは明らかだった。


「とてもきれいなの。

 お花がたくさん咲いているのよ。

 ほら、ロリエの歌が聞こえるでしょ?

 もう好きな歌だけを歌えるから、ずっとご機嫌なの……」


 そう言うと、マリサは胸の上で組んでいた手をほどき、そっと差し出すように右手をあげた。

 白く柔らかな指先が中空で何かに触れようとしていた。

 そしてその指先から、キラキラと光る粉のような粒が、はらはらと落ちていった。


 光の粒はどんどん増えてく。

 気がつくと、マリサの指はいつの間にか消えていた。

 崩壊は手首から腕、肩と広がっていく。

 ……そしてマリサの体はゆっくりと音も立てずに崩れ、消えていった。


 たった今まで人の形に盛りあがっていた毛布は、空気が抜けたようにふわりとしぼんで平らになった。

 ゴーマがそっと毛布をめくると、そこにはマリサが着ていた衣服だけが残されていた。

 枕の上には彼女の髪飾りが落ちていた。


「……逝ったな」

 ゴーマはぼそりと言った。

「ユニ、悪いがリリス先輩の服を片づけてくれるか?

 俺が触るわけにもいかんだろ」

 ユニは黙ってうなずく。

 何かしゃべったら、目に溜まっている涙がこぼれてしまいそうだった。


「お前、召喚士が逝くのを見るのは初めてか?」

 ユニは再び小さくうなずく。

 その拍子に大粒の涙が一つ、頬を転がり落ちた。


「この先何度も見ることになるから覚悟しといた方がいいぞ。

 俺もあと一年経たずに逝くことになるんだ」

 そう言うと、ゴーマは寝室の小さなテーブルの上に置いてあった箱を抱えて部屋を出て行った。


 ユニはマリサの服や下着を畳むと洗濯籠に入れて上に布をかぶせた。明日の朝一番に洗濯するつもりだった。

 やるせない気持ちを抱えたまま、とぼとぼと居間に戻ると、ゴーマが箱から手紙の束を取り出して仕分けをしているところだった。


「ユニ、お前は明日、先に親郷に帰れ。もう肝煎には報告して証明書ももらってあるんだろ?

 俺はあと四、五日こっちに残るから、すまんが警備の連中にそう伝えといてくれ」

「残るって、何をするの?」

「お前さんがオークと追いかけっこしている間にリリス先輩からいろいろ頼まれてな」


 ゴーマはため息をついて手紙の宛先の確認を続ける。

「リリス先輩が消えちまったんだ。

 村の連中には手紙を書いておいたそうだが、やっぱり俺の口から説明した方がいいだろう」


「マリサさんが召喚士だったってことも?」

「ああ、手紙にも書いてあるそうだから、もう先輩が召喚士だったことを隠す必要はない。

 それにこれまでリリス先輩が村をオークから守っていたこと、これから先はもう誰も守ってくれないことを、平和惚けした連中に理解させないとな。

 大体、寝惚けたオークに乗り越えられるような柵でこの先どうするつもりなんだか。

 それに、あのハンスって小僧のことを頼まれたからなぁ……」


 ゴーマは短い黒髪をばりばりと掻いて、天を仰いだ。

 無性にタバコが吸いたかった。エルルが嫌がるので、もう長いこと吸っていなかったのだが……。


 その夜、ユニはなかなか寝つけなかった。

 マリサが目の前で消えてしまったことはショックだった。

 眠れないのも仕方がない、そう自分に言い聞かせたら少し楽になった。


 マリサは召喚士という身分を隠して、普通の村人として生活することを選んだ。

 普通の女性として穏やかな生活を送る幸せ……。それは何となくユニにも理解できた。

 だが、そのマリサとて恋をして、愛する人と結ばれ、子を産み育てるという、〝普通の女性〟の幸せだけは拒絶していた。

 それは空しくなかったのだろうか。


 魔導院での十二年間は、ある意味召喚士としての〝覚悟〟を叩き込まれる年月だと言ってもよい。

 ある程度の年齢になれば転生してこの世を去る運命。それを覚悟するということは、すなわち人としての幸せを放棄することにほかならない。


 特に女性の場合、召喚士でありながら子どもを産むということが、どれだけの苦しみを生み出すか、魔導院では徹底的に教え込む。

 恋愛をする女性召喚士は多い。結婚する者も少ないがいる。

 そして結婚した者は往々にして〝産んでしまう〟のだ。


 そうなると、結局彼女たちは十歳前後の一番可愛い盛りに、わが子を残してこの世界から消えなければならない。

 それがどんな悲劇を生むか、実例をあげてこれでもか、これでもかとくり返し教えられるのだ。


 院に入りたての少女のころには、そんなものかと納得しているが、やがて初潮を迎え、自分が〝産む性〟であることを自覚するようになると、女性院生たちは激しく動揺する。

 それを無理矢理押さえ込むのだから、魔導院は罪深いところと言える。


 ユニは宿舎に当てられていた肝煎の屋敷の離れで、ライガの体にくるまってぬくぬくしていた。

 ずっとこのままでいたい……そんな怠惰な誘惑が襲ってくる。それを振り切ってユニは身を起こした。


 ライガが片目をあけてユニを見ている。

『どうした、眠れないのか』

「ええ、情けないけどそのとおりよ」

 ユニは溜め息をついて起き上がると、寝間着の上に薄手の上着を羽織った。

「少し外を歩いてくるわ。ついてこなくていいから。……ごめんね」


 どうしてライガに謝ったのか、自分でも分からなかった。

 扉を開け、外に出ると思いの外冷たい夜の空気にユニは身震いした。

 空を見上げると、満天の星がこぼれ落ちてきそうなくらいに美しく輝いている。


 ゆっくりと歩を進める。雲一つない月明かりで、足もとに不安はない。

 ユニは村を囲う柵の正面入口に着いた。

 扉は閂が掛けられ、閉じられてはいたが、そこには門番の姿がなかった。


 危険と隣り合わせの辺境では、村を囲む防壁は村人の命を守る生命線である。

 どの村でも主要な出入り口には不寝番がいて、外敵の侵入に目を光らせるのが常識だった。


「なんて不用心な……」

 ユニは少し呆れながら小さな潜戸くぐりどを開けて外に出る。

 冷えた外気をかき分けるようにゆっくりと歩いていく。湿気を含んだ冷気が体に纏わりつき、ブーツをしっとりと濡らす。


 村を出て半時ほど、ユニはオオカミたちが野営している灌木低地までやってきた。

 足音を忍ばせても、どうせ彼らには自分が来たことがバレバレである。

 そのまま目指すところへずかずかと歩いていく。


 居心地のよさそうな窪みに、トキとヨーコのペアが休んでいた。

 ユニは黙ってその間に滑り込み、ヨーコの体に抱きつく。


『あらあら……。ユニ、どうしたの? 珍しいこと』

 ヨーコは尻尾をゆっくりと振りながらユニを歓迎する。

 一方、トキは察したように体を起こすと、その場を立ち去った。

 「女同士の話を邪魔するほど、俺は無粋じゃないぞ」と言いたげな後ろ姿だった。


 ユニはヨーコの体を抱きしめ、頭を彼女の喉元に押しつける。

 オオカミの体毛の表面はハリガネのように硬いが、手をその中に差し入れると柔らかく暖かなにこが密生している。


「……ねえ、ヨーコさんは元々は召喚士だったんでしょ?

 オオカミになった時ってどんな気持ちだった?」


 ユニはヨーコにだけ〝さん〟をつける。

 ヨーコがかつては人間の召喚士だったと知ってから、どうしても呼び捨てにできなかったのだ。

 ヨーコは優しげな瞳でそんなユニを見つめている。尻尾は相変わらずゆっくりと左右に振られている。


「ああ、そういうことね……。

 マリサさんだっけ?

 そんな感じだったものね」

「わかるの?」

「ええ、何となく」


「ヨーコさんは……怖くなかった?」

「それが、よく分からないの。

 ライガたちの世界に転生した時には、そこそこ人間の記憶を持っていたはずなんだけど、どんどん思い出せなくなっていくのよ。

 今では人間だったころの記憶ってほとんど残ってないの。

 でも、あんまり嫌な思いはしなかったんじゃないかしら。

 あたしは群れのみんなが好きだし、何よりトキを愛しているわ」


「じゃあ、人間に戻りたいとか思わない?」

「ええ、全然」

 ヨーコは目を細めてユニの頬を大きな舌を出して何度も舐めた。

 それは母親に体を撫でられるような安心感を与えてくれるような行為だった。


「ユニは怖いの?」

「……よく、わからない……」

 ユニの手に力が入り、肩が小刻みに震える。

 ヨーコはゆっくりとユニの顔を舐め続ける。


 あまり時を待たずにユニは小さな寝息を立て始めた。ヨーコは鼻面でユニの体を引き寄せる。

『かわいそうに、ライガは今ごろひどく寂しい思いをしているでしょうね……』


 結局、ユニが村を出たのは、翌日の昼を過ぎてからだった。

 村人を集めてマリサが消えたことを説明するのに立ち会ったのだ。

 オークを倒したこと以外、ユニが話すようなことは何もなかったが、どうしてもこの場にいなければならないような気がしたのだ。


 マリサは村の人たちに深く愛されていて、人々は彼女の消失に驚き、嘆き悲しんだ。

 中でもハンスは酷く取り乱し、地面にひざまずいて号哭した。

 それを見るのは辛かった。


 ゴーマに後を任せられるのは正直ありがたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る