夢の誘い 六 リリス・ドーエン

 リリスが十八歳になった日の午後、魔導院の召喚の間で儀式が行われた。院生の誰もが通る道である。

 五人の審問官が見守る中、床一面に描かれた魔法陣の中央でリリスはひざまずいていた。


 何度も練習したとおり、魔力を開放して心を空っぽにする。

 頭の中で火花が散ったように何かが弾け、鼻の奥に金臭い匂いが満ちる。


「あ、つながった……」


 突然理解した。

 自分の体を媒介として、この世と異世界が重なり合った実感があった。

 自分の意識ごと、脳の中身を引きずり出されるような感覚に襲われ、召喚した幻獣に自分の自我と知識が流れ込むのが分かった。


 リリスが召喚した幻獣は、美しい女性だった。

 長く真っ直ぐな金髪に白い肌、たわわな乳房と細いウエスト、その一方で腰から太ももにかけてはたっぷりとしたボリュームがあった。

 彼女は何も身にまとっていなかったが、不思議に肉欲を感じさせない清楚な雰囲気を漂わせていた。


 召喚主であるリリスは、魔導院のマドンナとして美少女の名をほしいままにしてきたが、その彼女がただの小娘にしか思えないほど、成熟した大人の女性であった。

 幻獣にはこうした〝人間型〟も珍しくない。


 見守っていた審問官の最長老が、ため息を押し殺しておごそかに口を開く。

「リリス・ドーエンよ、汝はセイレーンを召喚した。

 古の盟約に従い、汝は召喚せし幻獣を使役するや否や。

 契約を結んだ日から汝の力が尽きる日まで、幻獣は汝の忠実な下僕しもべとして仕えるであろう。

 汝の力失いし時は、汝は契約の成就を認め、その身を幻獣に捧げるものとする。

 異存はあるまいの?」


「私、リリス・ドーエンは召喚した幻獣と契約し、互いの義務を尽くすことを誓います」

 リリスの落ち着いた声が召喚の間に静かに響く。


 それを受けて長老の隣に座る審問官が宣告する。

「王立魔導院はリリス・ドーエンを二級召喚士と認め、非常時を除いて国家に返すべき一切の労務を免除する。

 以後は魔導院で学んだ知識を民衆に還元し、国の安寧に寄与するように」

 それは型どおりの不合格宣告だった。


 セイレーンはその歌声で複数の対象者を催眠状態にして、行動を操ることができる。

 それなりに強力な能力なのだが、出現場所に制約を受けるという重大な欠陥をもっていた。

 川や海、湧き水の泉など、よどまない清浄な水がある場所でないと彼女を召喚ができない上に、水でつながっていないと、そこから移動することができなかった(契約の儀式では例外的にこの制約を受けない)。

 審問官が協議も行わずに二級召喚士の決定を下したのも無理のないことだった。


 だが、それはリリスにとってはどうでもよいことだ。

 もともと同期八人のうち、一人でも一級召喚士が出ればよい方なのだ。

 それに召喚士と幻獣は、召喚時に強い精神的な繋がりをもつ。召喚しておいて契約を交わさない選択はあり得なかった。


 リリスは自分のこれからの人生について熟慮した。

 セイレーンは本能として歌わずにはいられない。

 それは何らかの種を呼び寄せ、惑わせてしまう。周囲に人間が住まない土地に隠れ住もうかとも思ったが、それでは生計が成り立たない。

 ほかの召喚士のように、依頼に応じてオークを狩る仕事は、セイレーンの特性上できそうになかった。


 通常、召喚士はその能力が続く限り幻獣とともに過ごす。

 短期的に召喚を解き、離れることもできるが、互いに強い喪失感に襲われるので緊急時に限られる。

 試したという者はいないが、長期間幻獣と離れていると精神に異常をきたすといわれている。

 それならば、近くにセイレーンが棲める川か泉がある村を探し、そこに定住するしかない。


 リリスは魔導院で学んだ本草学の基礎知識を生かし、薬師として生計を立てることを決意した。

 彼女は本草学でよい成績を収めていたし、好きな科目でもあった。辺境の開拓村ならば働き口も見つかるだろう。


 幸い王都の郊外にはレマ湖というかなり大きな湖があり、セイレーンを呼び出せる環境だったので、リリスは湖畔の小さな保養施設に下宿することにした。

 そこから王都に通って薬師の元で働きながら彼女は必死で学んだ。


 セイレーン(ロリエという名だった)には人間に見つからないように、そして決して人間を惑わす歌を歌わないように言い聞かせた。

 彼女はかなりうまくやってくれたが、湖で魚を獲る漁師たちの間に、水面に裸の上半身を浮かばせて歌う謎の美女の噂が流れたし、巨大な灰色熊の水死体が上がって大騒ぎとなる事件などを起こすこともあった。


 リリスは薬師の修業と同時に、彼女と同じく二級召喚士となった同級生に頼んで、辺境を渡り歩いてオーク狩りをしている先輩たちから情報を集めてもらったが、なかなか都合のよい村は見つからなかった。


 ところがリリスが王都で学び始めて三年目が過ぎたころ、湧き水のある沼から水を引いているというイネ村の話が入ってきた。

 まだ開村して数年しか経っておらず、当然医師も薬師も不在の村である。


 リリスはイネ村に移住することを決意した。

 三年の修業といっても学校で学んだわけではない。

 働きながら技術を見よう見まねで独学しただけなので、薬師としては半人前だったが、あとは実地で経験を積めば何とかなるような気がした。


 辞める時には何度も慰留されたが、結局師匠の薬師からは餞別だといって、彼の蔵書から分厚い薬草図鑑を譲ってもらった。

 それはリリスには手が出せない高価な本だったので、涙が出るほど嬉しかった。


 彼女は知らなかったのだが、実を言うと若く美しいリリスが受付をしたり、薬師の助手として患者の面倒をみてくれたので、男性患者が倍増していたのだ。

 師匠は薬草図鑑を数十冊買ってもお釣りが出るくらい儲けていたのである。


 リリスはイネ村の親郷であるカイラ村に向かった。

 そこでイネ村の詳しい情報を仕入れてから現地に向かおうと思ったのだ。

 ところが、ちょうどタイミンングよくイネ村からオーク退治の依頼が出ていて、そこへ向かおうとしている召喚士とも会うことができた。


 その召喚士はリリスの十年上の先輩であったが、お互いによく覚えていた。リリスは事情を話し、薬師として同行させてくれるよう頼んだ。

 リリスは自分が召喚士であることを隠すつもりだった。

 召喚士と知られれば、その能力を当てにして何かと面倒ごとに巻き込まれるであろうし、近くにセイレーンが棲みつくのを村人がどう思うか簡単に想像がついたからだ。


 彼女はマリサと名を変えイネ村に入ったが、彼女が薬師だと名乗ると、こちらから売り込む前に、相手の方から村に滞在してくれるよう懇願されたのだった。

 リリス、いやマリサの家は、村人が協力して無償で建ててくれた。

 村は貧しかったが、村人は皆気のいい人ばかりで、マリサをとても大切に扱ってくれた(彼女の若さと美しさも少なからず影響していたが)。


 マリサはすぐに村になじみ、おだやかな生活を愛するようになった。

 泉の湧く沼に召喚したロリエには、オークを呼ぶ歌を一晩に一度、毎日歌うようにさせた。

 ロリエはその歌が好きではないようだったが、マリサの願いには素直に従ってくれた。


 イネ村の近くにオークが近づくと、必ずこの歌に囚われ、沼に呼び寄せられた。

 そして哀れなオークは近くの裂け目の淵に誘導されて落下し、絶命する運命をたどった。


 こうして十八年にわたり村はオークから守られ、マリサは慎ましいが不自由のない暮らしをおくってきた。

 異変が起きたのは約一年前のことである。


 ある朝、目覚めたマリサはロリエの不在に気づいた。

 村と沼は離れているが、そこにセイレーンがいないことは明らかだった。

 幻獣の不在は、多少離れていても即座に召喚主に伝わる。

 その時マリサが感じた心臓を半分えぐり取られたような喪失感は、ロリエの召喚を解いた時に感じるものと同じだったのだ。


 マリサは覚った。これは〝里帰り〟だと。

 自分がロリエを召喚して二十年、もう自分の力は涸れかけているのだと……。


 結局、ロリエは二日で戻ってきた。

 それからしばらくは何ごともなかったが、翌月、再び里帰りが起こった。

 今度は四日後に帰ってきた。それから里帰りの頻度は増し、帰ってくるまでの日数もかさんでいった。


 マリサは覚悟を決め、残された日数でできるだけの準備を整えてきた。

 そして先月、またロリエは里に帰り、それから一か月経っても戻ってこなかった。


 マリサは体調を崩すようになってきた。ぼおっとすることが多くなり、ひどく眠くなった。

 そして最近になって、時々不思議な夢を見るようになった。


 夢の中で彼女は娘時代に戻っていた。

 体には何もまとっていない全裸だったが、あまり恥ずかしいと感じなかった。

 そして側にはロリエがいた。

 二人は手をとって花が咲き誇る美しい野原を駆けまわり、きれいな泉で一緒に泳いだ。疲れると水辺に腰をおろし、一緒に歌った。


 ロリエと歌うのは楽しかった。

 彼女はこれまでマリサが聴いたことのない歌をたくさん歌ってくれた。

 マリサが歌える歌は一曲しかなかった。それはいつもロリエが歌っていたので自然に覚えた歌だった。


 マリサはもっと別の歌も歌いたいとロリエに訴えた。

「大丈夫。もっとすてきな歌をいっぱい教えてあげるから、これから一緒に歌いましょうね」

 ロリエはそう笑って言った。


 その日も朝から体調が悪く、夕方には我慢できずにベッドにもぐりこんだ。

 そして、また何度目かの同じ夢を見た。


 ハンスに肩を揺すられて目覚めたが、しばらく周囲で何が起きているのかわからなかった。

 やがて村中が蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、大勢の村人がマリサの家に押しかけてきた。

 そこで初めてオークが家に入り込んだことを知った。


「ああ、あの歌はオークを呼ぶ歌だったのね……」


 マリサは何もかも理解した。

 自分はもうロリエのいる世界に半分呼ばれていたのだ。

 そこで自分が歌ったオークを呼ぶ歌が、こちらの世界で効果を表したのだと。

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