夢の誘い 五 薬師の家

 ユニはマリサの家の調合室で椅子に座り、マリサと向かい合っていた。


 彼女は夕方のうちに村に戻り、肝煎にオークを討伐したことを報告し、耳を確認してもらい駆除証明書と親郷に対する報酬支払の依頼書を発行してもらった。


 肝煎のアリは、召喚士が来て三日で事件が解決したことで上機嫌だった。

 ユニは念のため、沼の先にある裂け目について尋ねてみた。

「ああ、沼の先の裂け目は危ないので、村の人間は近寄りません。

 ――裂け目の底ですって? そんなもん誰も知りませんよ。

 沼より先に行くなってのは、この村の人間だったら子どもだって知っていますから」


 事件の解決を直接説明するのと、打撲の湿布薬を処方してもらうためにマリサの家に行くことを告げ、ユニは役屋を出た。

 そして今、マリサの診察を受けているところだった。


 ゴーマは居間でおとなしくしているようマリサに言いつけられていたが、疑り深いユニがライガに見張りを命令しておいたので、彼は一歩も動けない状況にいた。


 ユニはマリサの前でジャケットと綿シャツを脱ぎ、上半身裸になって向き合った。

 普段陽にさらされている顔や腕は小麦色の肌をしているが、今、露わとなっている胸元から形のよい小さめの乳房、引き締まった腹部までは真っ白で、もともと色白であることを証明していた。


 マリサはユニが胸当ての下着(丈の短いコルセットのような下着で〝コルテ〟と呼ばれる)をしていないことに少し驚いたようだったが、脇腹の青黒いあざを見て納得した。

 これでは痛くてそんなものをつけていられないだろう。


「あらあらあらー、女の子がこんな痣つけたらダメじゃない。

 せっかく色白できれいな肌をしているのにもったいないわよ」

 内出血は、今では両手で覆っても隠せないほどの範囲に広がっていた。


 網の目のような青い静脈がうっすらと透ける白い乳房と、どす黒い染みが広がった脇腹は、同じ人間の肉体とは思えないほどの対照をなしていた。

 マリサはまず、ユニの右手を掴んでゆっくりと動かし、可動域を調べる。


 次に内出血している部分に手を当て、どこがどのくらい痛むかを確かめる。

 ユニが現場で自己診断をした時と同じ手順だが、「もうそれは調べました」などと余計なことは言わない。専門家の判断は尊重しなければならない。


 マリサの診断も骨にヒビは入っていないというものだった。

「湿布をしておくわね」

 マリサは棚の引き出しから陶器の壺を取り出し、中の練り薬を木のヘラですくい取ってガーゼに塗りつける。

 それを患部に当てると、上からさらしで巻こうとして、彼女は少し躊躇した。


「胸、抑える? 下に巻いたほうがいい?」

「あっ、抑えてください。揺れるの嫌いなんです」

「まぁ、あなたは動き回る人だものね。

 コルテは鯨のヒゲが入っていて硬いから打ち身にさわるでしょ?」


 マリサはユニの患部に貼った湿布を晒しで押さえ、そのまま乳房を包むように器用に巻いていく。

 きつくならないよう慎重に、そして丁寧に巻かれた晒で、ユニの胸はすっかり覆い隠され、最後に背中でキュッと結ばれた。

 これで治療は終了だ。


「うわっ、ジンジンしてきた!

 この湿布、何が調合されているんですか?」

 マリサはユニの問いに少し驚いた顔をする。


「何って、クチナシにキハダが大部分よ。

 トウガラシやショウガも少し入っているから刺激があるのは仕方ないけど、かぶれるようだったら言ってちょうだい。

 小麦粉で伸ばしてあげるから」


 ユニが服を着るのを見ながら、マリサは首をかしげる。

「あなた、本当に召喚士?

 魔導院で内服なら解熱と食当たりの薬の調合、外用なら傷薬と湿布薬くらいは最低でも習うでしょ?

 授業中寝ていたの?」

 マリサは笑いながら書棚から書類を取り出すと、分厚いファイルを開いて薬の配合表をユニの前に置いた。


「基礎中の基礎よ。これを書き写しておきなさい。

 辺境じゃ運よく薬師のいる村に当たるとは限らないのよ」

 ユニは傍らに置いた背嚢から小さな帳面を取り出すと、素直に配合表を書き写した。

 言われてみれば本草学の授業で習ったような気がする。


 治療を終えたあと、マリサから夕食をご馳走になり(ゴーマも一緒だった)、三人は食後のお茶を楽しんでいた。

 たわいのないお喋りがしばらく続いたあと、ユニはカップに三分の一ほど残っていたお茶を思い切ったように飲み干すと、咳払いをしてマリサに向き直った。


「この村から依頼された仕事は終わりました。

 オークは倒しましたから、当分は安心していいと思います」

 ユニの言葉にマリサは軽く頭を下げて感謝の意を示す。


「ただ、どうしてオークがマリサさんの家に押し入ったのか、なぜマリサさんを襲わずに逃げていったのかという謎は解けていません」

 マリサは首を少しかしげてユニの言葉を待つ。


「私のオオカミたちが沼の先にある裂け目でオークの骨を見つけました。

 少なくとも十年以上前からでしょう、多分二十体以上のオークがそこで死んでいます」


 ゴーマが眉をあげてユニの話に反応する。

 それを横目で見ながらユニは話し続ける。

「どういう手段かは分かりませんが、裂け目の上からオークを突き落とした結果だと思います。

 そんなことが人間にできるとは思えません。

 それが可能だとしたら、成し得るのは幻獣だけです。

 この村は十八年にわたってオークに襲われていないと聞きました。

 ……もし、この村に召喚士がいて、村を幻獣で守り続けていたのだとしたら、その説明がつきます」


 ユニはそこで少し言いよどんだ。

 だが、それは一瞬のことで、意を決したように後を続ける。

「だとしたら、十八年前にこの村にやってきたというマリサさんがその召喚士だと考えるのが妥当です。

 私のような劣等生は別にして、まともな召喚士だったら薬師を名乗っても疑われない程度の知識を持っていたはずですから。

 ――そこまでは想像がつきました。

 でもその先が分かりません。

 だから先ほど言った解けない謎は、マリサさんに教えていただくしかないと思いました。

 召喚士であることを秘密にしておきたいのなら、私は誰にも言いません。ここにいるゴーマさんも同じだと思います。

 ですから、どうか教えていただけないでしょうか?」


 一気に畳みかけるユニの顔を見ながら、マリサは黙っている。

 ただ、その顔に浮かんだ優しげな笑みが消えることはなかった。

 一方、ゴーマは天井を見上げてバリバリと頭を掻いている。

 そして「ふぅーっ」と大きく息を吐くと、ユニに向き直った。


「ユニ」

「なんですか」

「お前……バカだろ?」

「はぁ?

 なっ、なんであたしがバカなんですか!」

 ゴーマはやれやれといった表情で肩をすくめる。


「マリサが召喚士だってとこまで推理できたんなら、なんで俺に聞かないんだ?」

「聞くって……何をですか?」

「お前なぁ……。

 マリサが召喚士だったら、魔導院で俺と会ってるはずだろうが?」


「え? ……あ、あ、……ああああああああああ~!」

 ユニの顔に血が上り、一瞬で耳まで真っ赤になる。

 そうだ、マリサとゴーマは似たような年恰好だ。同級生と言わずとも、数年違いで確実に魔導院で会っているはずだ。

 どうしてそこに気づかなかったんだろう。


「じゃ、じゃぁ、二人は顔見知り……?」

「ああ、マリサ――は偽名、リリスってのが本当の名前な。

 彼女は俺の二つ上で、当時は魔導院のマドンナだったんだぜ。憧れの先輩ってやつだよ」

 ゴーマはそう言うと、微笑んでいるマリサの方を見る。


「どうします、リリス先輩。このボンクラに俺から説明しますか?」

 マリサは笑顔のまま首を横にふる。

「いいえ、私から話しましょう」


 そしてまっすぐにユニの目を見据え、マリサは自らの半生を語り始めた。

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