第二章 夢の誘い

夢の誘い 一 カイラ村

「お待ちぃ!」

 威勢のよいダミ声とともに、分厚い木のテーブルに「ドンっ」と皿が置かれる。

 香ばしい匂いがあたりに漂い、空き腹を刺激する。皿の上には皮付きの鶏のグリルがのっている。

 ユニはナイフで大きめな塊に切り分けると、その一つにフォークを突き刺し口に運んだ。


「パリッ」

 小気味いい音を立てて、カリカリに焼かれた皮に形のそろった白い歯が潜り込んでいく。

 香ばしい皮のあとには弾力のある肉が続く。

 豪快に噛み取り、噛みしめると、熱い肉汁と脂がじゅわりと溢れ出して口中に広がる。

 パリパリの皮は噛むほどに強い塩味と炭の香りを爆発させ、ほどよい味付けの肉と混じり合って強烈なアクセントとなった。


「うんんま!」

 ユニは感嘆の声をあげ、テーブルの上から白い陶器のビアマグを取り上げると、一気に喉へ流し込んだ。

「ごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっ………プッハアァー!」

 冷えたビールが鶏の脂を洗い流し、炭酸が爽快な刺激を喉に残して滑り落ちていく。


「ドンッ!」

 ユニは空になったビアマグをテーブルに叩きつけると、すかさず高く掲げて店員にお代わりを注文した。


「……なんつーか、すげぇな、お前」

 ユニの正面に座っていたゴーマは呆れた顔で彼女を眺めている。

 肩には鮮やかなオレンジ色の幻獣、火蜥蜴サラマンダーのエルルがちょこんと乗り、金色の美しい目でユニを見つめている。


 ライガは店から離れた外の物陰で休んでいる。入口なんかで待っていると営業妨害で店から追い出されかねない。

 エルルは小さい上にとても美しく、愛嬌のある顔立ちだったので女性客にかわいがられることが多く、出入り自由となっていた。

 ユニも構いたくてウズウズしている。ライガが見たらさぞかし機嫌を悪くするだろう。


「別にいいけど、もう少し味わって飲んだらどうだ?

 ここのビールは安くないぞ」

「いやいやゴーマ先輩、ちびちび飲んでいたらせっかくの冷えたビールが台無しですよ」

 上機嫌のユニは次々に鶏肉を口に運び、ビールが運ばれてくるのを待っている。

 形のよい唇は赤くキラキラと輝き(鶏の脂のためなのが興ざめだが)、その上にはビールの泡がまだ少し消えずに残っている。


「ビールもそうですけど、炭火焼きの肉ってのも贅沢

ですよね。むちゃくちゃ旨いですけど」

「ビールと炭火焼きは〝氷室亭ひむろてい〟の名物だからな」


 カイラ村の繁華街に店を構える氷室亭は、その名のとおり氷室蔵ひむろぐらを備えている。

 厳冬期に凍りついた沼から氷を切り出して運び込み、地下に掘った蔵におがくずとともに大量に保管することで、一年中氷が利用できるのが氷室である。

 もちろん夏の氷は贅沢品で、庶民が気軽に口にできるものではなく、貴族や富裕層が氷菓子として楽しむのに使われる程度だった。


 ところが氷室亭の主人はこの氷でビールを冷やすことを思いついたのだ。

 ビールは〝滋養をつける飲料〟として庶民の間で広まった飲み物で、基本的には年中常温で飲まれたが、夏場に井戸水で冷やしたビールて涼をとるのが好まれ、次第に夏の飲み物となっていった。

 氷室亭ではビールを井戸水とは比較にならないほど冷やして提供したため、あっという間に評判となった。


 もう一つの名物、炭火焼きも主人の考案であった。

 針葉樹林を切り拓いた平地では放牧や耕作が行われたが、地形や水利の関係ですべての土地が利用されたわけではない。

 そうした未利用地には広葉樹が生長し、数十年の歳月を経ると炭焼きの材料として利用できるようになった。


 辺境の特産である炭は高く売れるため、ほとんどが王都に移出されたが、氷室亭の主人は炭を安く手に入れられる生産地の利をいかし、肉を炭火焼きにすることを思いついた。

 高温と遠赤外線効果で肉の表面はカリッと、内部はふっくらと焼け、しかも独特の香ばしい風味が加わることで、この料理も大評判となったのである。


 氷室亭のビールは一般の値段よりも相当に割高だったが、近隣の村はもちろん、王都からわざわざ訪ねてくる者までいた。

 食べることと冷えたビールに目のないユニは、カルラ村を訪れるとこの氷室亭で食事をとるのを楽しみにしていた。

 この村で警備兵をしている召喚士のゴーマと初めて会ったのもこの店であった。


 二杯目のビールが運ばれてくると、待ちかねたユニは奪い取るように店員から受け取ると、一気に半分ほど飲み干した。

「言っておくがな、ユニちゃん。……奢らんぞ」

 ゴーマは念のため予防線を張る。


「大丈夫です。今は懐があったかいですから」

 冷えたキュウリに〝もろみ〟をつけてポリポリ囓りながらユニはこれ以上ないニコニコ顔で答える。

 ゴーマの肩からテーブルの上に下り、首を傾げてユニを見上げているエルルのノドを、こちょこちょくすぐると、蜥蜴は気持ちよさそうに目を閉じる。


「ってことは、例の件か?」

「そっ。ゴーマ先輩のところにも口止め料が出たんじゃないですか?」

「ああ、いい小遣いになったが……噂が広がるのを止められると思うか?」

「まー、無理でしょうね。軍だってその辺は覚悟していると思いますよ。

 武装したオークの集団が村を襲ったって噂までは仕方がない。多分肝腎のところが洩れなければいいと割り切ってるんじゃないかしら」


「肝腎のって?」

「それは言えませんよ。冗談じゃなくアリストア先輩に殺されます」

「……やっぱりな。

 村から帰る時のあいつの顔を見れば、何かとんでもないことがあったんだろうと想像はついてたよ」

 ゴーマは自分のマグからビールを一口飲んで考え込んでいたが、ユニが三杯目のビールを注文する声で気を取り直す。


「それにしてもユニちゃん、ペースが早いな。何かあったのか?」

「いやぁ、今日やっと報告書を提出したんですよ。

 この一週間それにかかりきりでストレスが溜まりまくっていまして。

 ゴーマ先輩には迷惑でしょうが、まぁ憂さ晴らしです」

「報告書程度でそこまで苦労するのか?」

 ゴーマは少し驚いたような顔をする。


 彼のような警備兵はそうでもないが、ユニのように各地でオーク狩りをしている召喚士は、軍の要請で報告書を出す機会が多いのだ。

 オークの出現ポイントや襲撃の頻度などの情報を集めているのは明らかで、軍がオーク出現の根本原因の調査を諦めていない証拠だった。

「いやいや、だって相手はあのアリストア先輩ですよ。

 綴りを一つでも間違えたら何を言われるか。


 間違いがなくたって、

 『ユニ、君には失望したよ。これが伝統ある国家魔導院で学んだ者の筆跡かね』くらいは言いそうですよ」

 目尻を横にひっぱり、口をへの字に閉じたままでアリストアの物真似をするユニに、ゴーマは苦笑いをしている。思い当たるところがあるのだろう。


「報告書を出したってことは、もうここに留まる必要はないんだな?」

「ええ、当分の間は居場所を伝えないといけないみたいですけど、禁足は解かれたそうです。

 明日にでも〝掲示板〟を覗きにいくつもりです」


 いつの間にかユニの膝上に滑り込んできたエルルを優しく撫でながら、ジェシカとシェンカがまだ仔オオカミだった頃のことを懐かしく思い出す。

 あの頃はいつもあたしの膝の上で丸まって寝ていたのに、いつの間にあんなにでかくなったのかしら……。

「それなら今日、面白い依頼が張り出されていたぞ」

 ゴーマの声でユニは我に返る。


 〝掲示板〟は各親郷に設けられているオーク退治の依頼を取り次ぐ場所である。

 枝郷でオークの被害が出ると、自分たちの親郷へ駆除の依頼を出す。

 依頼に応じた召喚士が来てくれるまでオークの被害は続く。

 二、三日に一頭の割合で羊が襲われる上に、不意に遭遇した場合は人間に被害が出るので村外での農作業もままならなくなる。


 早く召喚士に来てもらうためには報奨金を高くすればいいが、大抵は相場ということになる。

 それも親郷に運よく召喚士が滞在していれば問題ないが、運が悪いと数週間も待たされることもある。

 そんな時は親郷の警備兵が派遣されるが、ゴーマのように常駐している召喚士はとても重宝される。

 なにせ民間で働く二級召喚士は国全体で百名前後、絶対数が足りないのだ。


「面白いって?」

「イネ村っていうところからでな。

 〝村に侵入したオークの捜索、及びくすの護衛〟だそうだ」

「はあ? オークが村に侵入したって、それ一大事じゃないですか!」


「だよなぁ。

 でも〝捜索〟ってことは村から出ていったってことだし、住民に被害が出たらもっと切羽詰まった依頼になるはずだが、報酬も相場どおりで何だか危機感がないだろ?

 それに〝薬師〟の護衛って何だよ?

 オークが特定の人間を狙っているとでもいうのかね」


「ふーん……確かに面白そうですね」

 ニヤリとユニが笑う。

「だろう?

 やるかい?」

 ゴーマもニヤリと笑い返す。


「ビールもう一杯!」

 二人は同時に空のビアマグを高く掲げて店員を呼んだ。

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