鬼の軍勢 七 宴の終焉

 やはりライガで迎え撃つしかない。ユニは覚悟を決めた。

 最悪の状況に変わりはないが、十人でも警備兵がいるだけさっきよりはマシだった。


「待て、何か来る!」

 腰を浮かせかけたユニをゴーマが押しとどめる。

「オーク?」

「違う! エルルが言ってる。大きいのがいるって」

 ライガの思考が割って入る。

『ユニ、上だ!』


 突然黒い影が上空を覆ったかと思うと、あきれるほど巨大な鳥が村の広場に舞い降りてきた。

 翼長は三十メートルに及ぼうかという猛禽類。〝ロック鳥〟とか〝ルフ〟と呼ばれる幻獣である。


 ロック鳥はちょっとした家ほどもある大きな箱を足で掴んでいて、それをそっと地面に下ろすと、自分は傍らの地面でおとなしく羽繕いを始めた。

 そして下ろされた箱の扉がゆっくり開くと、三つの人影が中から現れ、大門の方に近づいてくる。


 一人は少年と言ってもよい華奢で小柄な若い男だった。金髪の巻毛に青い瞳、軍の士官服を身に纏っていた。


 もう一人は背の高い(百九十センチ近かった)男。肩幅が広く筋肉質の引き締まった体つきをしている。

 限りなく銀に近いプラチナブロンドの髪を短く刈り込み、薄い唇に口髭を蓄え、片眼鏡モノクルをはめている。

 やはり士官服を着ていたが、一目で特注品と分かる上品で高価そうな生地でできていた。


 そして三人目は、……怪物だった。

 身長は四メートルを超しているかもしれない。

 筋骨隆々とした逞しい体。上半身は裸で、腰に下帯を隠すような短いスカート状の布を革のベルトで留めている。

 足元は紐編みのサンダルを履き、手には巨大な戦斧を携えている。


 それだけなら〝巨人〟と言ってもよいのだが、短く太い首の上に乗る頭は〝牛〟のものだった。

 〝ミノタウロス〟に間違いない。伝説的な幻獣である。

 こんな怪物を連れているということは、国家召喚士ということになる。


 彼らはユニたちのところへ歩み寄った。背の高い男はユニにチラリと視線を送ると、後は全くユニの方を見ずに口を開いた。

「久しいな、ユニ。息災か?」

「はい、アリストア先輩。お久しゅうございます」

 ユニは片足を下げ、膝を曲げて丁寧にお辞儀をする。


「今の私は参謀副総長を拝命しています。以後はそう呼ぶように」

「承知いたしました、参謀副総長殿。

 このような辺境にいらっしゃるとは、何かの視察でしょうか?」

 参謀副総長といえば軍でも五本の指に入る高官である。周囲の村人も警備兵も慌てて片膝をついて敬意を示す。


「ふふ、ユニ、とぼけるのはおよしなさい。困っているのでしょう?」

「はい、いささか」

「ではうちのミノスに片づけさせます。

 逃したくはないですから、あなたのオオカミたちに手伝ってもらいますよ」

『おい、〝ミノス〟って名前、そのまんま過ぎだろ。

 どういうセンスだ?』

「仰せのとおりに……」

 ユニは再び優雅にお辞儀をし、茶々を入れてきたライガの足を見えないように踏みつけた。


「この村の肝煎きもいりはおりますか?」

「私でございます」

 ヨゼフがおずおずと前に出る。

「少しお聞きしたいことがあります。役屋へ同道願えますか?」

「は、はい。もちろんです」

「ユニも外が片づいたら来てください」

 ヨゼフは短い手足をバタバタと精一杯動かしてアリストアを案内していく。


 アストリアの背後に控えていたミノタウロスは大門に歩み寄り、壊れた扉に手をかけ、そのまま引き戸でもあるかのように手を横に動かした。

 バキバキという破壊音とともに土埃が舞い、扉の残骸と土嚢が吹っ飛んだ。


 ミノタウロスはそのまま村の外に出る。

 大門の前でオークの接近を阻もうと牽制していた警備兵たちは、左右に飛び退き慌てて道を譲る。巻き添えを食ったらたまったものではない。


 彼らはオークの方へ向かっていくミノタウロスの巨大な後ろ姿を茫然として見送り、突如として覚った。

「自分たちの役目はもう終わったのだ」

 そしてもう一つ、「助かった!」と。


 アリストア・ユーリ・ドミトリウス・スミルノフ。それがこの参謀副総長の名前である。

 上から世襲名(代々受け継ぐ名前。普通はこの名前で呼ぶ)、名前(ごく親しい関係の者が使う呼び名)、父姓(父の名を表す姓。この場合はドミトリーが父の名前)、家名の順となる。


 世襲名と父姓を持つことでわかるように、貴族の家柄――スミルノフ伯爵家の長子であった。

 ちなみにユニのフルネームは〝ユニ・ドルイディア〟。庶民の出自なので、いたって短くシンプルな名前だ。


 アリストアは魔導院の十年先輩で、通常最上級の十二年生がなる舎監長(院生の代表)を十年生の時から三年連続で務めたという、ユニの世代にとって伝説的な有名人だった。


 ミノタウロスという強力な幻獣を召喚し、国家召喚士として軍のエリートコースを歩んでいることはユニも知っていたが、参謀本部の副総長にまで出世していたとは驚きだった。


 アストリアが肝煎とともに立ち去ると、待っていたようにユニは金髪の少年の手を両手で握り、ぶんぶん振った。

「アラン! アラン・クリストでしょ?」


「はい、ユニ先輩。お久しぶりです」

 アランと呼ばれた少年はニコニコと笑っている。

 彼はユニが六年生の時に魔導院に入学してきた子で、歳が少し離れていたため直接的な交流は少なかったが、幼いころのアランは宗教画から抜け出してきた天使のような美少年で、ある意味アリストアに匹敵する学内の有名人だった。


「あなた、今どうしてるの? やっぱり国家召喚士?」

「はい、去年卒業してすぐに参謀本部付の連絡将校になりました。

 ロック鳥を召喚しちゃったもんですから、偵察と連絡、それに今日のような緊急時の輸送任務をさせられてます」


 アランの糊のきいた真新しい士官服の階級章には一本線に星が一つ。少尉のようだった。

(「緊急任務? 参謀本部の副総長なんて大物が飛んでくるって、どういうこと?」)

 疑問を胸にしまい込み、あくまでユニは笑顔を崩さない。

 二人が旧交を温め、院生時代の思い出話に花を咲かせている光景は、ひどく場違いなものに見えた。


「この非常時に何を呑気に話しているんだ?」

 武器がわりの農具の柄を指が白くなるほどの力で握りしめ、血走った目で外の状況を見守っていた村人たちは、腹立たしい思いで二人の召喚士を睨みつけるが、ユニのこれまでの働きを知っているだけに文句を口に出せない。


 戦場で場数を踏んだ警備兵たちと違い、村人たちにはミノタウロスという怪物の出現によって、村の絶望的な状況がどう変わったのかが理解できないのだから無理もない。

 警備兵たちと同じく、いやそれ以上にユニは確信していた。

 国家召喚士が現れた以上、状況は終了なのだと。


 オークが例え二十だろうが百だろうが、アリストアの幻獣は歯牙にもかけないだろう。

 それを裏付けるように、大門の外では一方的な殺戮が始まったようだった。

 オークたちの怒号と悲鳴、水袋を床に叩きつけて液体をぶち撒けるような音。それがどんどん遠くに離れていく。

 見張台や壁の上にいる者たちは別として、地上にいるユニや村人たちの視界から、あっという間にオークたちの姿が消えていく。


 オークたちはミノタウロスと対峙した一瞬で抵抗を諦めた。

 彼らの倍以上の背丈と横幅をもった怪物に挑もうとする馬鹿はいなかった。彼らは躊躇なく全力で逃げることを選択した。

 それは恐らく最善の選択だったのだろうが、同時に無駄なあがきだった。


 ミノタウロスの歩幅はオークの何倍もあり、しかも見た目と裏腹に俊敏だった。逃げるオークはあっさりと追いつかれ、ミノタウロスの戦斧の餌食になった。

 同時に反対方句へ走り出したオークもいた。

 気の毒な仲間を追いかけていくミノタウロスの姿を振り返り、わずかな希望を手に入れたオークには、ユニのオオカミたちが集団で襲いかかった。


 反対方向へ逃げたオークの頭蓋を戦斧で横薙ぎに切断したミノタウロスは、悠然と戻ってくる。

 四方からオークに噛みつき地面に引きずり倒しているオオカミたちに「ご苦労」とでも言うようにうなずくと、オオカミたちはパッと飛び退く。


 次の瞬間、ミノタウロスの右足がものすごい勢いで踏み下ろされ、絶叫とともにオークの体は半ば地面にめり込んだ。

 目、鼻、口、肛門、体の穴から圧力に耐えかねた内臓、血液、吐瀉物、排泄物が噴出し、周囲の地面に染みこんだ。

 飛び散る臓物を浴びたオオカミたちは、迷惑そうな顔つきで次の獲物に向かって走り出す。


 オークたちが見えなくなっても、ユニの頭の中には、興奮したジェシカとシェンカの実況中継がひっきりなしに鳴り響いてくるので、大体の状況が飲み込めた。


『ユニ姉、牛さんスゴイよー』

『すごいー』

『オークの首が花火みたいにポンポン飛んでいくー』

『牛さん、やっぱり〝モー〟って鳴くー、かわいー!』

『かわいすぐるー!』


『あー、オークまた逃げたー』

『空気読めー』

『キャー、牛さん斧投げたー』

『逃げたオーク半分になったー!』

 姉妹たちは壁外の惨劇を存分に楽しんでいるようだったが、見張台や壁上で警戒していた村人たちは、眼前で繰り広げられる圧倒的な暴力に顔面が蒼白となり、言葉が出ない。


『もう終わったー? オーク全滅ー!』

『牛さん仕事早すぎー』

『空気読めー』

 ジェシカとシェンカに一言「お黙り!」と伝えると、ユニはヨミを呼び出す。


「母さん、オークたちは片づいたの?」

『ええ、一匹残らず見事に全滅。まったく、私たちの苦労は何だったのかしら』

「文句を言ったら罰が当たるわよ」

『ふふっ、そうね』


 あの威力なら敵の一個大隊くらい単独で壊滅させられるだろう。

 あれでミノタウロスは高い知性と教養の持ち主で、都の王立図書館によく出入りしているらしい。

 まったく、〝一級〟召喚士様はなんという戦力をお持ちなのかしら……。


 ユニは役屋に向かった。

 扉の前に立ち、「ふうっ」と深呼吸をすると顔を上げ、ノックをする。

 院生時代もアリストア先輩は雲の上の人だった。それが今は軍の高級幹部である。緊張するなという方が無理だろう。


「入りたまえ」

 落ち着いたアリストアの声が入室の許可を与える。

 ユニは扉を開けると一歩中に入り、軍籍はないので敬礼はせずに〝気をつけ〟の姿勢をとる。

 そしてよく通る声で申告する。

「参謀副総長閣下にご報告いたします。

 村外のオークの駆逐を完了いたしました。一人の逃亡も許しておりません。

 当方の損害は皆無です」


「よろしい」

 椅子に腰掛けたまま、アリストアは鷹揚にうなずく。

「ご苦労だったね。ユニもこちらに来て掛けなさい」


 アリストアは肝煎専用の椅子に座り、肝煎の執務机の上に図面を広げていた。

 全体に質素な家具が並ぶ中、肝煎の椅子は比較的上等なものだったから、自分は当然そこに座るべきだと自然に考えているようだった。

 一方の肝煎は、机の前に会議用の簡易椅子を持ってきて、少し居心地悪そうに座っている。

 ユニも部屋の中央のテーブルから簡易椅子を一つ運び、肝煎の隣に座った。


「さて、ヨゼフ村長。この度は大変な災難だった。犠牲も出たそうでお悔やみを申し上げる。

 ただ、我々軍としても最善を尽くしたということを理解していただけますかな?」

 〝村長〟を名乗れるのは親郷の肝煎だけである。

 枝郷の肝煎であるヨゼフにはそんな資格はない。

 それを知った上で村長と呼んだのは、年長者へのアリストアなりの配慮なのだろう。


 ヨゼフは耳まで赤くなって慌てる。

「と、とんでもございません。

 あなた様が来なければ村がどうなっていたか、考えるだけでも身震いいたします。

 ……ただ、その……」

「どうしました?」

 アリストアは軽くうなずいて「多少の無礼は許すから、話してみなさい」という意志を示す。ヨゼフは恐る恐る尋ねた。


「どうして軍の方が来てくれたのでしょうか?」

 それはユニも是非聞きたいところだった。

 アリストアは「心外だ」とでも言うように片方の眉をピクリと上げ、答える。

「民がオークに襲われそうだと軍に助けを求めたのだ。

 来るのが当たり前だろう。

 ヨゼフ村長、君はカイラ村の郡役所を通じて軍に出動の嘆願書を出したのではなかったかね?」


 そして視線をユニの方に向けると言葉を続けた。

「その嘆願書には、二級召喚士ユニ・ドルイディアの報告書が添えられていたとも聞いているが?

 なかなかに手厳しい内容だったらしいな」

 ヨゼフとユニは言葉に詰まる。


 ここで彼らが「いつもは辺境の開拓村の嘆願など無視するくせに、なぜ今回に限って軍が来たのか? それも国家召喚士という軍の最高戦力が」という疑問を口にすることはできない。


 それは軍を批判することになるからだ。

「ふふふ、まぁよい。あまりいじめるのも可哀想だ。

 私だって君たちの疑問はよく理解しているよ。

 軍の人材は有限だが、場合によっては酷使もしよう。

 だが軍の予算となるとそうはいかんのだよ。これを見たまえ」


 アリストアは机の上に広げられた図面に注意を促す。

 それは王国辺境の南東部、すなわちこの地方の地図だった。

「ここがカイラ村、こっちが君たちのケド村だ。

 そしてその北、ツナギ川を挟んで二十キロメートルくらいか、この村がダキニ村だ。

 知っているかね?」


「それはまぁ、離れていますけど隣村ですから。

 ただ親郷が違いますので、あまり交流はありませんのです」

 ヨゼフの答えにアリストアは軽くうなずいて先を続ける。

「このダキニ村が一週間前、オークの群れに襲われて全滅した」

 ヨゼフの青ざめた顔を横目にさらに話は続く。


「親郷へ急を知らせるため、外柵が破られる直前に村を脱出した男がただ一人の生き残りだ。

 彼の報告ではオークの集団はおよそ三十。革の鎧を身につけ、金属槍で武装していたそうだ。

 ユニ、君の報告書では、この村に偵察に来たというオークは北のツナギ川を渡って戻っていったそうだね。

 もうわかったようだが、ダキニ村を武装したオークが集団で襲ったという事実は、王国始まって以来の異常事態だ。

 軍は箝口令かんこうれいを敷くと同時に情報の収集に全力を挙げた。

 その数日後にダキニ村の隣村から軍への出動要請とユニの報告書が上がってきたというわけだ。

 いや、認めるよ。普通なら君たちの嘆願が握りつぶされただろうことをね。

 ユニの報告書もそうだ。普段だったら精神異常者の妄想と片づけられただろうね。

 だが、我々は武装したオークの集団という情報を持っていた。その上で君の報告書読んだらどう思う?

 何の事前情報もなしに、オークの痕跡だけを頼りに君は武装したオークの集団が村を襲うという結論を導き出した。

 参謀本部の若い連中は頭を抱えていたよ。〝どうしてそこまでわかるんだ?〟ってね。

 ああ、すまない。少し話がそれてしまったな」


 アリストアは椅子に浅く腰掛け直し、再び話し始めた。

「我々はこの異常事態を最優先で調査することで意見を一致させた。

 ユニの報告書から、いつこの村が襲われるのか、一刻の猶予もないことも認識された。


 だが王都から辺境まで軍を動かすのは膨大な費用と日数がかかる。

 最短の時間で最強の戦力を送り込なければダキニ村の悲劇が再現されてしまうだろう。

 もう言わなくてもわかるだろうが、そういうわけで……」

 アリストアはにやりと笑みを浮かべて話を締めくくった。

「私が来た」


 参謀本部副総長にして国家召喚士。魔導院始まって以来の逸材と謳われたアリストアの話は納得のいくものだった。


 ユニとヨゼフが顔を見合わせている様を見て、アリストアは必要な説明は尽くされたと判断した。

「言うまでもなくこの件は他言無用!

 村長は村人に徹底させるように。村の復興、犠牲者への経済的な支援は軍の責任において確実に実施されるだろう。

 愚かなお喋りがいない限りはな」

 ヨセフは真剣な顔でうなずく。ここからは彼にとっての戦いが始まるのだ。


 アリストアはユニに向き直り、柔らかな表情で語りかける。

「先ほど村長からあらましを聞きました。不利な戦力でよくここまで持ちこたえてくれましたね。

 オークの襲撃を予測したことといい、……私はあなたを過小評価していたかもしれません。

 ユニ、あなたに謝罪しましょう」

 アリストアは軽く頭を下げ、ユニを慌てさせた。


「およしください。それに私だけではこの村を守ることはできませんでした。

 おそらく最終的には村を見捨ててオオカミたちと退却していたと思います」

「それは、どうだったでしょうね」

 〝君はもっと違った対応をとったと思いますが〟と、後に続く言葉を省略したまま、彼は口調を事務的なもの変える。


「今回の件に私が出張ってきた意味はわかるね?

 あのオークたちが何者で、なぜあんな装備を揃えていたか、村を襲撃した目的は何なのか、調査しなければならない項目は山ほどある。

 後日になるが軍の調査団が派遣されるだろう。

 村の方々には協力してもらうことになるが、よろしいですな?」

 ヨゼフは一も二もなくうなずく。


「ユニ、君には詳細な報告書の提出を命じる。

 それも含めて今回の働きについては軍から協力金という形で十分な報奨が出るはずだ。

 カイラ村の郡役所へは話を通しておくから、どちらもそこを窓口にするように。

 それから村から君へ支払われる予定だった報酬は辞退したまえ。

 それは村の復興や犠牲者への見舞金に充てるべきだろう」


 当然ユニに異存はなかった。

「私は参謀本部に戻るが、君から何かあるかね?」

 もう必要なことはすべて伝えたので、これで終わりだと言いたげな口ぶりだ。


「あの……」

とだけ言って、ユニはちらりとヨゼフの方を見やる。

 アリストアは形のよい眉をわずかにひそめ、ヨゼフに言葉をかける。

「村長、君には今すぐすべきことが山のようにあるというのに、時間を取らせてすまなかった。

 もう村の方々のところへ戻ってかまいません。ご協力を感謝します」

 ヨゼフはぺこりとお辞儀をすると、そそくさと役屋を出ていった。

 正直、軍のお偉方のお相手から解放されてホッとしたのだろう。


 「パタン」という音がして扉が閉まり、ヨゼフの足音が完全に聞こえなくなると、アリストアは顔をあげた。

「人払いはしたぞ。それで?」


 ユニは彼の配慮に軽く頭を下げて感謝を伝えると、意を決して話し始めた。

「参謀副総長殿は先ほど、今回の件では調査すべき項目が山ほどあるとおっしゃいました。

 そのいくつかは自分から説明できます」

 「ほう」という顔でアリストアは続きをうながす。


「オークの集団には一体の大柄な個体がいて、ほかのオークたちとの外見上の差異が顕著でした。

 このオークが指揮官役で、ほかのオークに命令を下し、集団に部隊といってよい秩序を生み出していました」

 その辺はヨゼフから聞き出していたのだろう。アリストアの表情は変わらない。


「指揮官の大オークは命令を下すだけでなく、部下を叱り、励まし、状況を説明するなどして完全に部隊を掌握していました。

 私にはオークの言葉が分かりませんが、それは見ていてはっきりと感じ取れました。

 こちらの攻撃に対しても、臨機応変に的確な対応を指示していました。

 少なくともこの大オークは人間と変わらないレベルの知能を有していたものと思われます。

 一方、体格で劣るほかのオークたちは、我々の知るオークと大きな差がないように思われました」


「ふむ。つまりオークの集団にあって、未知の特殊なオークはその個体に限られるということだね。

 よろしい、そのオークの死体は持ち帰って詳しく調査しよう。後で案内したまえ」


「それは不可能です」

「なぜ?」

「その大オークは消えました。死体は残っておりません」

 アリストアの声にいらだちが混じりはじめた。

「ユニ、もう少しわかるように説明してくれないかね?」


「大オークは召喚士が呼び出した幻獣でした。

 当該の召喚士は私が殺害しましたので、大オークは元の世界に強制的に戻されたものと思われます」

「なっ……バカなことを言うな! オークを召喚しただと?」


 アリストアの顔に驚愕の表情が浮かぶ。

 常に冷静な先輩を慌てさせることに成功したユニは、無表情のまま「よっしゃあ!」と内心でガッツポーズをとる。


「もちろん魔導院がそれを許さないことは知っております。

 ですから外国から侵入した召喚士なのか、あるいは私たちの知らない召喚法が存在するのかもしれません」

「召喚士は殺害したと言ったな?」

 もうアリストアは冷静さを取り戻していたが、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「はい。参謀副総長殿に来ていただけることを知っていたら生け捕りにしていたと思いますが、あの状況では、敵の頭脳であり最大戦力でもあるオークの存在を消すことが最優先でした。ご理解ください」

「理解? ああ、理解しているとも!

 君の判断は間違っていない。

 だが千載一遇の機会を逃した私の胸の内も理解してくれるだろうね?」

「……お察しします」


「まぁいい。召喚士の死体の方はどうなんだ?

 まさかそっちも消えたなんて言わないだろうな」

「それはさすがに。

 村から少し離れた丘の上に建つ小屋の中に残してきたままのはずです」

「まさか村の連中に召喚士のことを話してはいまいな?」


 アリストアの声が低くなる。

「はい」

「ユニ、村の外のオオカミたちに指示を伝えられるか?」

「ライガを―私の幻獣を経由させれば問題ありません」

「では、小屋の周りにオオカミたちを配置。誰一人近づけさせるな」

 ユニはただちに指示を伝える。

『母さんに行ってもらったぞ。ジェシカとシェンカもつけた』

「三頭だけで大丈夫?」

『もう敵はいないし問題なかろう。

 あいつら小屋はオーク臭いからやだーとか、ブツブツ言ってるぞ』


 ほかの人間には聞こえない会話を交わし終えると、ユニは報告を続ける。

「参謀副総長殿、ただ大オークが消えるのを見た村人は何人かいるはずです。混乱の中ですのであまり気にしていないようですが」


「よい、その程度はこちらで対処できる。

 それで召喚士はどんな奴だった?」

「時間がなくて詳しくは調べませんでしたが、中年の男性で頭を剃った僧侶のように見えました。

 ……それと背中一面に奇怪な文様の入れ墨がありました」


 アリストアは思い当たることでもあるのだろうか、何か考え込んでいるようだった。ユニはそれに構わず話を続ける。

「それともう一つ、大オークが幻獣だというのも、うちのオオカミが言い出したことなんですが、残りのオークたちも普通ではないそうです」

「どう違うのかね?」

「それがオオカミたちにもうまく説明できないそうなんです。

 ただ、私たちがこれまで辺境で狩ってきたオークとは違う種類ではないかとだけ……」


「わかった。オークの死体も一つ持ち帰ろう。

 ほかにあるかね?」

 ユニが首を振ると、アリストアは立ち上がり、役屋から外へ出る。

 扉の前で警護についていたアランに召喚士とオークの死骸の回収を命じると、アランはロック鳥が運んできた空輸用の箱に駆け戻り、黒い死体袋を持ち出してきた。


 アランがユニとすれ違おうとした時、ユニは声をかけた。

「オオカミたちに運ぶのを手伝うよう言っておいたから、使ってちょうだい」

「ありがとうございます、ユニ先輩」

 アランは満面の笑みを浮かべて礼を言い、そのまま村の外へ向かった。


 ユニがアリストアと話している間に、村の中の雰囲気は一変していた。

 オークの全滅が確認され、村が救われたことが伝わると、ほとんどの村人が隠れていた家から出て、喜びあっていた。


 親郷の警備兵が間に合うように、わずか数分の時間を稼ごうとして犠牲になった老人たちの周りでは、多くの家族や友人たちが集まっていた。

 変わり果てた姿となった者たちは即席の担架に乗せられ、それぞれの家へと運ばれていく。

 女たちのすすり泣く声に混じり、悲鳴のような叫び声があがる。


 ユニにはその場に向かい、遺族に声をかける勇気がなかった。

 ただ、こうべを垂れ、涙を流し「ごめんなさい」と呟くことしかできなかった。


 アリストアは村の中央広場、ロック鳥が運んできた箱の近くで、一人の男と会話を交わしていた。

 カイラ村から派遣された警備兵の一人、召喚士のゴーマである。


「ゴーマ先輩とお会いするのは十年ぶりくらいでしたか?

 お元気そうですね」

「ああ、お陰さんで好き勝手な人生を満喫しているよ。

 アリストア殿が出てきたってことは、相当ヤバい事件のようだな。

 何にせよ助かったよ。礼を言わせてくれ」

「ええ、現場に来て、報告を聞いたら頭痛がしてきました。

 私の想像をはるかに超えていますね。

 先輩にもいずれ事情聴取があると思いますからよろしく頼みます」

 アリストアは軽く頭を下げ、少し声を落として尋ねる。


「先輩は私の五年上ですから、来年は四十歳になるのでは……」

「ああ、魔導院を出てもう二十一年だ。

 よくもった方だろう。

 ……この間、エルルが〝里帰り〟をしたよ。

 相棒を組んで初めてのことだ。三日で帰ってきたが、二十年以上も四六時中一緒にいた相棒がいないってのは、想像以上にキツいもんだな」

「エルルはかわいらしいですからね。私のは無骨でいけません」


 二人は笑い合っていたが、すぐにアリストアが真顔になる。

「里帰りが始まったということは……」

「せいぜいもって、あと一年というところだろうな」

「そうですか……残念なことです」

「いつか力を失うのは召喚士になった時から定められた運命だ。

 消えてしまうのは少し寂しいが、後悔はないよ」

 ゴーマは笑顔を見せたが、それはやはり寂しげなものだった。


 前にも述べたが召喚士の能力は有限で、平均すると十八年くらいで能力は消滅する。

 早い者だと十五年、遅い者でも二十数年程度が限界とされている。


 能力が枯渇してくると、その兆候として〝里帰り〟が起きるようになる。

 一定期間幻獣が元の世界に帰り、召喚することができなくなる現象である。

 里帰りが始まると、その頻度と期間は徐々に増えていき、大体一年くらいで能力が消えるとされている。


 その日の夕刻、アリストアとアランは召喚士とオークの死骸を積み込み、王都の参謀本部へ去っていった。

 ユニは翌日にケド村の親郷、カイラ村へ向かい、しばらく滞在して報告書の作成にいそしむこととなった。

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