鬼の軍勢 六 援軍

 ほんの少し時を遡る。

 ユニとライガたちが小屋に向かったころ、態勢を立て直したオークたちは、大門に対して二度目の攻撃に移ろうとした。

 警護役のオークたちが鋭い槍先を揃えてオオカミたちを近づけまいとする中、破城槌を持ち上げた十八人のオークは助走に移るべく腰を落として身構える。


 それを合図にしたようにオオカミたちが左右から一斉に突入した。

 ミナとヨーコの二頭のメスは、槍の届かないギリギリのところで止まり、歯をむき出して唸り、激しくオークたちを威嚇したが、ハヤトとトキの二頭のオス、それにヨミは勢いそのままに跳躍し、驚くオークたちの頭上を飛び越した。

 そしてそのまま破城槌を持ったオークたちに襲いかかる。


 急襲を受けたオークたちは悲鳴をあげ、自らを守ろうと破城槌から手を放して防御姿勢を取った。

 襲いかかったオオカミたちは彼らを攻撃することなく、そのまま左右に分かれると槍持ちのオークたちの横をすり抜け、再び距離をとった。

 一瞬の出来事は、うろたえるオークたちと地面に放り出された破城槌を残して終わった。


 指揮官の大オークは懸命に部下たちを落ち着かせ、再び配置につかせようと躍起になって命令を下していた。

 オークたちは午後に入ってからの戦闘で、もう何度となく破城槌を抱えては取り落とすということを繰り返していた。


 持ち上げた破城槌を運ぶのはそうでもないが、一度地面に落ちた破城槌を再び持ち上げる作業は、彼らの体力を容赦なく削っていった。

 大オークは周囲で駆け回り、盛んに威嚇をしているオオカミたちを横目で睨みながら大股で先頭まで進むと、破城槌に取りついているオークたちに順々に言葉をかけていく。


 それは叱りつけるようでもあり、励ますようでもあった。

 最後尾のオークにまで声をかけ終わると、そのオークの背中を平手でバンと叩き、再び先頭に戻る。

 そして部隊に向けて大きく咆哮すると、部下たちはそれに応えるように揃って叫び声をあげた。


 オークたちの表情に再び戦意が満ちた。

 疲労を忘れたように破城槌を抱え上げ、もう一度突入態勢を取る。

 オオカミたちはそれを見て、再びオークの群れに乱入する。


 ところが、今度はオークたちが破城槌から手を離すことはなかった。襲いかかるオオカミたちを無理やり無視して破城槌を突進させる。

 槍持ちのオークはすぐに半数が反転し、割り込んできたオオカミたちに向けて槍を突き出す。

 オオカミたちはその攻撃を難なくかわして飛び退いた。


 オークたちの勢いは少しも削がれることなく、破城槌が再び大門に激突する。

 一度目と同じきしみ音のほかに、今度は「バキッ」という何かが破壊された音がはっきり聞こえた。

 大オークは勝ち誇ったように吠え、部下たちへ三度目の攻撃を命じる。


 彼はオオカミたちの攻撃の意図を一度で見抜いてしまった。

 奴らの目的は邪魔をすること。本気で戦おうとはしていないと。

 オオカミたちは為す術がなかった。

 ユニの作戦は見破られた。

 だからといって本格的な戦闘を仕掛けるわけにもいかない。数の差は圧倒的で、最大の戦力であるライガもいない。


『仕方ないわね。どうにかして隙を見つけましょう。

 飛びかかった一瞬で腕か脚に噛みついて、うまくいけば怪我で脱落させられるかもしれない』

 ヨミが提案する。

『それだけ危険が増すがやむを得ないな』

 ハヤトが賛成し、トキも同意する。

 しかし、相手の警戒も厳しい。敵の戦法が知れたのだ、簡単には隙を見せてはくれなかった。


 オオカミたちがジリジリとしながら周囲を駆け回る中、破城槌による三度目の攻撃が敢行された。

 「ズシン!」という腹の底に響くような重低音がして、扉は大きく傾いた。

 柱と扉を繋いでいた金具は完全に吹き飛び、扉は巨大な板と化してしまった。


 扉の裏に大量に積まれていた土嚢と太い丸太によるつっかえ棒が、かろうじて扉を支えていたが、すでに柱と扉の間に、子どもなら通り抜けられるほどの隙間ができていた。

 オークたちの顔に歓喜の表情が浮かび、彼らは次の命令を求めて一斉に信頼する指揮官を注目する。


 その瞬間だった。

 オークたちの先頭に立って彼らを鼓舞していた大オークの姿が、突然ゆらゆらと蜃気楼のように歪み、不鮮明になった。

 何が起こっているのか分からず驚くオークたちの目の前で、大オークの姿は急速に薄まっていき、そしてあっという間に消えてしまった。


 オークたちは完全にパニックに陥った。

 消えた指揮官の姿を求めて右往左往するさまは、少し気の毒にも見えた。


「母さん、そっちの状況を教えて! オークはどうなった?」

 ユニの声が響いた。

『大きなオークは突然消え去ったわ。

 でも、ほかのオークはそのまま。

 奴らは親玉がいなくなって混乱している』


 ヨミはそう答え、ユニたちが無事に召喚士を倒したのだと理解して少しホッとしたが、同時に少し落胆もしていた。

 大オークは確かに消えたが、ほかのオークたちは健在なのだ。

『どうやら何もかもがユニの目論見どおりとはいかないようね』

 ヨミが溜め息をつく。

『ああ、まだオークは二十数人。戦力差が圧倒的なことには変わりがない』

 トキが冷静に現状を再認識する。


『奴らが戦意を失っていればいいが……。

 ライガたちが戻ったら一度全力で突っ込んでみるか。

 あるいはそれで逃げ出してくれるかもしれん』

 ハヤトの言葉に一同が同意し、オオカミたちはユニとライガが戻るまでこのまま牽制を続けることにした。


 ところが、オークたちの様子に異変が起こった。

 いくらかの時間が経ち、わずかでも混乱から立ち直ったのかもしれない。

 オークたちは本来、極めて現実的で個人主義者である。これまでは大オークという絶対的な指揮官が存在し、それに従うしかなかった。


 その大オークが消えた今、自分たちが取るべき行動は何か?

 オークたちの脳裏にはそんな疑問が浮かび、彼らは至極まっとうな答えを導き出した。

 持参してきた食料は今朝で尽きた。今日はそれから何も口にしていない。目の前の村にはたんまりと食料があり、抵抗する手段のない人間が籠もっているだけだ。

 しかも大門の扉は破壊されたのも同然で、あと一、二回破城槌をぶち込めば確実に村内に侵入できる。

 うるさいオオカミどもも打つ手がなくなってウロウロしているだけだ。


 ここで止める手はない!

 破城槌の先頭にいたオークが叫び声をあげる。

 大オークのそれに比べれば笑ってしまうほど貫禄に欠けた咆哮ではあったが、オークたちにはそれで十分だった。

 食い物と女と殺戮が目の前で待っているのだ。

 ある意味大オークの命令に従っていた時よりも、欲望の火がつけられた今の方が戦意が高いかもしれなかった。


 オークたちは一斉に行動を開始した。

 再び破城槌を抱えて立ち上がると、扉へ向けて突進する。

 さっきまでの号令に合わせた突入に比べると不揃いで助走も不十分だったため、今度の威力はやや削がれたものだった。


 それでも激突の衝撃は扉を背後のバリゲードもろとも押し戻し、子どもが通れるほどの隙間が大人でも大丈夫なほどに広がった。

 隙間の向こうで狼狽している村人の姿がはっきりと見えた。

 もう一撃で十分だ。

 今度は大柄なオークでも楽に通れるような隙間ができる。そこからは待ちに待った宴の時間だ。


 慌てたのはオオカミたちも一緒だった。

『ユニ、まずいわ! 扉が持たない!』

 ヨミが危険を知らせる。


 丘の上からライガに飛び乗ったユニと、ジェシカとシェンカの姉妹が矢のように駆け下りてくるのが見える。

 百五十メートルほどの距離を、ライガたちは十秒足らずで駆け抜けた。

 ヨミやハヤトたちと合流すると、状況はすぐに把握できた。


 オークたちは最後の突撃を敢行しようとしている。

 ハヤトの言うように全員でこのまま突入するか、それとも村の中に戻って迎え撃つか、ユニは一瞬迷う。

 その時、信じられないことが起こった。

 扉の隙間から十人ほどの村人がゾロゾロと出てきたのだ。


「なっ! 何をやってるの、あなたたち!

 すぐに戻って!」

 ユニが絶叫する。

 出てきた男たちはみな、手に槍を持っていた。

 村にあった唯一まともな武器、そのすべてを手にしている。


 先頭に立っているのはおとなしゅうの一人、トールだった。

 彼はもう七十歳をとうに過ぎていたはずだった。

 ほかの者もみな六十代から七十代、孫のいるような男ばかりだった。

 男たちは大門の前に並んで槍を構えるとオークたちと対峙する。


「トールさん、だめ!

 止めてください!」

 ユニの叫びは哀願に近かった。太った陽気な奥さんの顔が脳裏をかすめる。

 オールはゆっくりと首を振る。

「ユニさん、わしらはこうしなくちゃならんのじゃ」

「でも、あなたたちではオークに勝てません!

 ここで死んでも意味はないんです。私とオオカミたちが何とかしますから、どうか下がってください!」


「意味がないですと?

 いんや、意味はありますのじゃ。

 ここはわしらの村ですわ。オークどもを村に入れたらどうなります?

 わしの娘が犯され、孫が食われるのを黙って見ておれと言いますのか?」

「それは分かります。

 ですから村の中で家族を守ってください!

 今ここで無駄死にすることはないんですよ!」

「それが無駄でもないのですわ。わしらが決めたことです。

 どうか黙って見ていてくだせえ」


 ユニの説得はそこまでだった。

 オークたちが待ってくれなかったのだ。

 彼らは村人たちの出現に大した感想を持ち合わせていないようだった。破城槌を抱えて最後の突貫に移る。

 村人たちはさすがに破城槌に潰される気はないようで、左右に別れて激突に巻き込まれることを避けた。


 破城槌が扉に打ちつけられ、隙間が大きく開くのと同時に、彼らは破城槌を抱えたオークたちに襲いかかり、槍を突き出した。

 しかし素人の悲しさで、その攻撃は大した成果を生み出さなかった。


 ほとんどの槍はオークの分厚い革鎧に阻まれ、わずかに二人だけがオークの体に槍を届かせることに成功した。

 一人はオークの脚に、もう一人は肩に槍を突き刺した。

 だがいずれも傷は浅く、興奮したオークの顔をしかめさせただけだった。

 槍持ちのオークたちはオオカミを警戒したままで助けにいこうともしない。


 もう大門への攻撃は十分と判断したオークたちは破城槌を投げ出し、腰の手斧を抜いて村人たちに襲いかかる。

 距離を詰められた白兵戦で、何の訓練を受けていない村人にとって槍は武器ですらなかった。


 あっという間に数人の村人が首を刎ね飛ばされる。

 手斧は面倒だと、素手で村人を殴り殺しているオークもいた。

 それは戦闘ではなく、一方的な鏖殺おうさつだった。

 十人の村人が死体となって転がるまで、十分とかからなかった。

 ユニとオオカミたちは近寄ることができずに歯がみをして見ているしかなかった。


 トールは気のいい老人だった。

 陽気で面倒見のいいおかみさんは、毒矢を作るのに水飴を持ってきてくれたが、その後で水飴を長方形に固めた〝のし飴〟を差し入れてくれた。

 田舎のお菓子だからと恐縮していたが、それはユニの大好物だった。

 あの人に自分はどんな顔で会えばよいのだろう?


 ほかの老人たちも半分以上は顔を知っていた。

 挨拶を交わした者もいれば、ユニの尻をなでてライガに威嚇され、鼻水を垂らして謝った者もいた。


 村人をほふったオークたちは歓声をあげて大きく開いた門の隙間に殺到する。

 隙間の向こうでは蒼白な顔をした男たちが手に手に鋤や鍬、鎌などの農具を手に、オークを阻止しようと待ち構えている。


 もはや猶予はない。唇が白くなるほど噛みしめていたユニはかすれた声でライガに命令を下す。

「壁を飛び越して村の中へ戻って。入ってきたオークを一人ずつ始末する。

 みんなはできるだけオークを足止めしてちょうだい」

『おい、冷静になれ。どれだけ持ちこたえられると思ってるんだ?

 これは負け戦だぞ』

「それでもやるしかないの。お願い、わかって」

 ライガはフンと鼻を鳴らすと跳躍に備えた。


 厚い毛皮の下で筋肉が緊張したかと思うと、ふいにそれが弛んだ。

「どうしたの?」

 ユニが不審そうに聞く。

『……幻獣がいる。どこかで会った奴だ』

「え?」


 その時だった。大門の隙間からオレンジ色の光の塊が爆発し、周囲を明るく照らした。

 次の瞬間、村に押し入ろうとした先頭のオークが二人、火ダルマとなって地に転がっていた。


 後続のオークたちは驚いて後退する。

 何人かは火傷を負っていて、一人は肩から指先までが焼けただれる重症だった。

 門の前でブスブスと音を立て、脂が焦げるような嫌な臭いの煙をあげて転がっているオークの間から、体長一メートルほどの蜥蜴とかげがチョロリと姿を現した。


 鮮やかなオレンジ色の体に大きな金色の目でキョロキョロと周囲を見回している。

 カイラ村で会ったゴーマという召喚士が連れていたサラマンダー〝エルル〟に間違いなかった。


 サラマンダーのブレスは単なる炎ではない。

 ブレスを浴びた者は外部からの熱によって燃えるのでなく、肉体の内部から発火するため消火が不可能で、致命的なダメージを負う。


 その後ろから黒い金属プレートの軽装甲鎧を身に纏い、ハルバートを手にした大柄な男たちが現れ、周囲を警戒する。

 その中にはもちろんゴーマもいた。


 カイラ村から武装警備兵が到着したのだ。

 ユニの姿を認めたゴーマは大声で呼びかける。

「よおーユニちゃん、無事だったかー?」

 ユニも声を張り上げて答える。

「ええー、何とかね。今着いたの?

 どっから村に入ったのよ?」

「強行軍でなー、たった今着いた。

 東のくぐり穴から入ったんだが……」

 そこまで言って、ゴーマは言葉を切った。

 扉の周囲に転がっている村人の死骸の正体に気づいたのだ。


「そうか……。あの爺さまたち、時間を稼いでやるから急げと怒鳴っていたが、気の毒にな……」

 そのつぶやきを聞くまでもなく、村の老人たちが命をかけて稼いだ十分という時間は、十分に意味があったのだと、ユニも村人も、誰もが理解していた。

 村の女たちのすすり泣きの声があちこちから聞こえてくる。


 遠くから怒鳴り合うことに苛立ったユニは、ライガを急かして壁を飛び越した。

 大門に行くと内側にも何人か警備兵がいたが、思ったより数が少ない。

 急いでゴーマの傍らに進むと、彼はライガを見て

「お前の幻獣は便利だなぁ」と感心している。


「それで、何人で来たのよ?」

 ユニが声を落として肝心なことを聞く。

「十人だ」

「……それだけ?

 あ、ああ、サラマンダーがいれば十分ってことね。

 だったら早いとこ残りのオークも焼き払ってくれない?」


「無理」

「え?」

「エルルは一度火を吐くと、次にブレスが出せるまで一時間はかかる」

「え、えええええー?」

 ユニは慌ててゴーマを門の内側に引っ張っていくと、物陰で声を潜める。

 エルルがゴーマの体を駆け上がり、二人の間に首を突っ込み、興味深げに首を傾けている。


「どうすんの! オークはまだ二十人はいるのよ! 全然足りないじゃない」

「しょうがねえだろ、普通こんなにいると思わねえだろう?

 せいぜい五、六匹、多くても七、八匹ってのが俺たちの予想だったし、親郷のお偉いさんも同じ考えだったぞ」


「う……」

 オークの数の予想に関してはユニも同じだったから何も言えない。

「心配するな。こっちに来る途中でオークの人数を知らせる使いとすれ違った。

 明日には増援が来るだろう」

「たった十人で、それまでオークを防げるかしら?」

「奴らはエルルがブレスを連発できないってことを知らないからな、迂闊うかつには近づけないだろうよ」


 ゴーマは楽観しているが、ユニの表情は暗澹としていた。

「それ、やったのよ」

「え?」

「私、同じようなことを毒矢でやったの。

 それであいつら炎を短時間でも防ぐ盾を用意してるのよ。

 事情があってその辺に捨てちゃったけど、今頃拾いに行ってるでしょうね」

「ははは、それは……まずいよね?」


 タイミングを見計らったように、外から警備兵が慌てた様子で走ってくる。

「おい、ゴーマ、奴らでかい木の盾に隠れて押し寄せてくるぞ!

 どうする?」

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