鬼の軍勢 五 刺青の召喚士
戻ってきたライガは、顔から胸にかけてオークの返り血を浴び、壮絶な姿をしていた。
ただ、それほど呼吸は乱れていない。
ユニはライガの背に飛び乗った。柄に棒を差して槍状にしたナガサは紐で背にくくりつけてある。
両手でしっかりと首のあたりの毛を掴み、両膝でオオカミの胴体をしっかりと挟み込む。
本当はライガの体に手足を掛けられるような馬具のようなものを取り付けられれば楽なのだが、それは最初の段階でライガに断固として拒否された。
何でも〝尊厳にかかわる〟のだそうだ。
「お前が乗ってるんじゃない、俺が運んでやってるんだ」ということらしい。
ただし、この話題になると二人の間では、
「あんた、あたしのこと思いっきり落っことしたことあるじゃない!」
『あれはお前が太ったから……』
という言い争いが必ず始まるので、最近は持ち出されることがなくなった。
ハヤトやヨミたち、ほかのオオカミたちには事前に役割を伝えてある。
オークたちの周囲を動き回って牽制、そして彼らが破城槌で大門を破ろうとしたら、突入して全力で阻止すること。
指示はいたってシンプルだが、非常に難しい仕事だった。
特に毒矢がないことを早々に見破られ、破城槌を警護するオークの頭数が増えてしまったのが痛い。
それにオオカミたちが突入するのはあくまでオークの行動を邪魔するためで、本気で彼らと戦闘を交えるつもりはない。
最初の二、三度は成功するだろうが、いずれはあの大柄なオークに見破られ、対策を取られること必至である。
その前に召喚士を倒し、オークどもを元の世界に帰さないと、村が全滅することは
少し数を減らしたとはいえ、まだオークは二十人以上いる。
武装した職業戦士なら三、四人がかりで一人のオークにどうにか対抗できるだろうが、ろくな武装もなく戦闘経験もない村人たちでは、例え十人であっても一人のオークに勝てないだろう。
「侵入されたら死を恐れずに戦え」と言い残してはきたが、実際にはとても無理だろうとユニは覚悟していた。
だからこそ一刻を争う。
「ライガ、奴らを迂回して見つからないように小屋に向かって。
ジェシカとシェンカもそっち側から小屋に向かってちょうだい」
ユニは姉妹たちに呼びかける。
『えー』
『ぶー』
二匹の揃ったような不満が聞こえてくる。
「ここは危なすぎるの!
母さんやハヤトがあんたたちを気にして思い切り戦えなかったらどうすんのよ」
ユニが姉妹を叱りつけると
『じゃあ、ユニ姉と行くー』
と意外に素直に言うことを聞く。
本当はユニと一緒に行く方が嬉しいというのがバレバレであった。
ライガはユニを背に乗せ、東側の低地帯を風のように駆け抜けた。
大門前のオークたちからも、丘の上の小屋からも見えないはずだ。小屋は大門から見て北北西、約百五十メートルほどしか離れていない。
小屋は小高い丘の上にポツンと建っているので、周囲が完全に見渡せる。
麓に近寄るまでは大丈夫だろうが、そこから先は見つからずに接近することは不可能だった。
ライガとユニは丘の北側の麓、いくらか背の高い雑草や灌木が生えている茂みに伏せ、姉妹を待った。
それほど時を待たずにジェシカとシェンカが茂みに飛び込んでくる。
『おまたせー』
『来たよー』
緊張感のない挨拶をする二頭の頭を押さえつけ、ユニがライガに問う。
「召喚士はあそこだとして、護衛のオークはいるかな?」
『常識的に考えればいるだろうな』
「臭いはどう?」
『奴らの臭いだらけで何もわからん。
もっと近くまで寄らないと、護衛がいるかどうか判断できんな』
「とにかく、奴らが大門の戦況を見守っていて、こっち側に注意を払っていないことに賭けるしかないわね。
いい? できるだけ音を立てずに接近。扉はなくなっているはずよ。
ライガが先頭で突入、続いてあたしとジェシカ、シェンカが並んで突っ込む。
入ったらジェシカは右、シェンカは左に敵がいないか確認して。
敵がいたら動きを封じることが第一。
武器を持った腕に噛みついて、地面に引きずり倒してちょうだい。
召喚士はあたしがやるわ」
『何度も言うようだが、自分から危険に飛び込むことはないだろう。
お前がやられたら、俺たちの方が消えるんだぞ。
そのリスクが分からないほどお前はバカなのか?
オークも召喚士も、俺たちで片づける』
「ダメよ。
オークはともかく、あんたたちに人間を殺させたりしないわ!」
ユニの
数秒、ユニとライガは睨み合っていたが、先に視線を外したのはライガだった。
「はああああああああーっ」と仰々しい溜め息をわざとらしくつくと、目を閉じて首を左右に振った。
ユニは「こいつ、だんだん人間っぽくなってくるな」と思いながら、別の言葉をかける。
「それにライガがあたしを守ってくれるんでしょ?
信頼しているわ」
『勝手にしろ!』
不機嫌そうな捨て台詞とは対象的に、ライガの尻尾は左右に大きく揺れていた。
足音を殺し、慎重に小屋にたどり着くと、ユニたちは扉のない入口側に回り込む。
小屋には風を通す鎧窓がいくつかあったが、ほとんど日の光が入らず、中は薄暗く様子が窺えない。
互いに目で合図を交わし、打ち合わせどおりまずライガが巨体を飛び込ませる。
続いてユニ、左右にジェシカとシェンカが並んで続く。
ユニは頭から飛び込み、そのままの勢いで前転した。
「ブンッ!」
重たい風切音とともにユニの頭の上を何かがものすごい勢いで通過した。
続いて風が巻き起こり、金臭い匂いがユニの鼻腔に届く。
立ったまま小屋に入っていたら、今頃ユニの胴体はきれいに二つに別れていただろう。
「ガッ!」
鈍い音がして、振り回された大斧が勢い余って柱に撃ち込まれる。
先に突入したライガは一瞬で
オークの方も柱に食い込んだ斧を引き抜く暇がなく、巨大なオオカミに押し倒されながら、どうにかライガを組み止めるのが精一杯だった。
ユニの左右では、ジェシカとシェンカがそれぞれに待ち伏せていたオークともつれあい、オオカミの激しい唸り声と、オークの野太い咆哮が小屋の中で響き渡っていた。
吐き気を催すようなオークの体臭に満ちた空気をかき分け、ユニは槍ナガサを片手に小屋の奥へ進む。
オオカミたちのことは信じるしかない。
小屋の北側の壁の前にその男は立っていた。
薄暗い明かりの中で、こげ茶色の分厚いフードつきマントを身に纏っていたが、そこからは強烈なオークの獣臭が漂ってくる。
「あなたがオークの召喚主ね。
あんな霊格の低い卑しい獣を呼び出して人の村を襲うなんて、どういうつもり?」
ナガサの鋭い刃先を突きつけ、ユニが問いただす。
怒りに燃えてはいたが、意外なほど冷静な声だった。
「……大義も知らぬ愚か者が。
腐った王国の
低い声で呟いた男の表情は、フードの影になってよく分からなかったが、ギラギラとした目の光が狂気を交え、尋常のものでないことだけは理解できた。
次の瞬間、男の右手がマントの中に滑り込み、金属の煌めきを伴って引き抜かれた。
しかし、そこまでだった。
ユニは少しの
鋭利な刃物はほとんど抵抗もなく男の喉を貫き、ユニはそのまま真横に槍を払う。
ナガサの刃先は男の頸動脈をやすやすと切断し、鮮血を撒き散らした後、主人の手元に引き戻された。
カラリと乾いた音をたてて男の手から三日月刀がこぼれ落ち、つい今しがたまで人間だった肉体は、その場に崩れ落ちてただの屍となった。
本当ならば拷問にかけてでも聞き出したいことが山ほどあった。
しかし、村の防壁が破られようとしている今、この召喚士の生命は即刻断たねばならなかった。
ユニは男の正体を確かめるように、吐き気を催す臭気を意志の力で押さえ込み、うつ伏せに倒れている男のマントを剥ぎ取った。
男の体はひどくやせ細り、頭は剃っているのか髪の毛がなかった。
マントの下の上半身は裸で、背中一面に奇怪な模様の入れ墨が施されていた。
「僧侶なのかしら?」
かつて辺境で布教活動をしていたストイックな僧侶の一団が全身の体毛を剃っていたらしいが、ユニが生まれる前の話であり、現在ではそうした僧侶を見かけることはない。
ましてや背中に入れ墨を彫っていたなどという話は聞いたことがなかった。
それ以上の詮索は今するべきことではないと判断してユニは振り返る。
小屋の中ではオオカミたちがオークの制圧に成功していた。
ジェシカとシェンカの相手はもう動けないようだったし、ライガの足元に転がっているオークの胴体には首がついていなかった。
ユニは獣臭と血臭に吐瀉物と排泄物の匂いが混じり、耐え難い空気に満たされた小屋を飛び出し、大きく深呼吸をすると大門の方角を確認する。
埃が舞い上がりよく状況が分からないが、チラリとオオカミたちの姿が見える。この距離なら彼らと直接会話できそうだった。
「母さん、そっちの状況を教えて! オークはどうなった?」
すぐにヨミの落ち着いた声が頭の中に響く。
『大きなオークは突然消え去ったわ。
でも、ほかのオークはそのまま。奴らは親玉がいなくなって混乱している』
「見込みを外した?
希望的観測だったってことか……チッ!」
ユニは自分の甘さに腹を立て、盛大な舌打ちをした。
ユニと同じく小屋から出て、新鮮な空気を味わっていたライガがすかさず突っ込む。
『若い女が舌打ちなどするもんじゃないぞ、行儀が悪い』
『お下品だわー』
『お里が知れるわー』
調子に乗ってジェシカとシェンカが囃し立てる。
ユニは手近にいたシェンカの鼻面を殴りつけて「キャン」と鳴かせると、『暴力反対ー』『ハンタイー』と抗議する姉妹を無視して大門の戦況を窺う。
『ユニ、まずいわ! 扉が持たない!』
再び頭に鳴り響いたヨミの声には切羽詰まった響きがあった。
「ライガ、村へ戻るわ! ジェシカ、シェンカも!」
すぐさま指示を出すとユニはライガの背中に飛び乗る。
「何なのよ!
召喚されたオークが呼び出したものじゃない、はぐれオークでもない。
じゃあ、あいつらは何者なの?」
恐るべきスピードで疾走するオオカミから振り落とされないように、身を伏せて背中にしがみつきながら、ユニは理不尽な怒りを押し殺そうと躍起になっていた。
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