鬼の軍勢 四 大門攻防戦

『オークが森を抜けるぞ!』

 監視に当たっていたオオカミたちの警告を村人たちに伝えると、見張台や外壁の上で待機している男たちは一斉に目を凝らす。


 やがて村に向かって舌のように延びた森の切れ目にオークたちの姿が現れた。


 村の周囲には、約五キロにわたる開拓地が広がっている。その外縁部は放牧地、内縁部が小麦畑を主体とする耕作地帯となっていた。

 ほとんどが木立もない見通しのよい平野であるが、地形の関係で森林の生き残りが舌のように平野部に食い込んでいる。


 オークたちが現れたのは、そうした森の名残の舌先に当たる部分で、村からは一キロメートルほども離れていた。


 そのため、村人にはオークたちの細かな動きまでは分からなかったが、誰もがこれから起きるであろう戦いに固唾を呑み、武器を持つ手に汗が滲んだ。


「……おい、あいつら何をしているんだ?」

 見張台の男たちがいぶかしげな声をあげる。

 てっきり姿を現したオークたちが、村に向かって突進してくると思っていたら、奴らは森の境から動こうとしない。

 それどころか、腰をおろして休んでいるようなオークすらいる。


 ユニはオオカミたちを通してオークの動きを確認する。

『奴ら、木を伐っているようだぞ』

 その行動は、斧を太い幹に打ち込むコーンという音がこだますることで村人にも理解できた。


「オークが木こりの真似事をするなんて、聞いたことがあるか?」

「今夜泊まる小屋でも造る気かな」

「いや、薪にして火攻めをする気だろう」

 村人たちはざわつき、それぞれが勝手な憶測を話し合って不安をまぎらわそうとしている。


 四半時ほどで大きなスギの木が倒されると、オークたちがそれに群がり枝を払ったり、途中に斧を入れて丸太を造っている様子が見えた。

「ユニさん、あれは何をしとるんですか?」

 見張台の上でその光景を見ていた肝煎は、隣のユニに堪りかねて問いただす。

 周囲の男たちも納得できる答えを期待して彼女を見つめる。


破城槌はじょうつい……を造っているのでしょうね」

「何ですか、それは?」

「あの太い丸太をオークたちが抱えて突進し、門に激突させるつもりでしょう。

 おそらく五、六回もやられたら門はともかく留金がバラバラになるでしょうね。

 なるほど、そんな重いものを担いでくるわけにはいかないから現地調達か……。

 いよいよオークの考えることじゃないわね」

 

「そんな……、わしらはどうしたら……」

「まだ少し時間があるはずよ。

 とりあえずもっと土嚢を積んでください。

 それから弓隊を集めてください。打ち合わせをします」


 そう言うとユニは見張台を降りた。

 やがて集まってきた弓隊の男たちに作戦を伝えると、一人で役屋に入ろうとした。それをライガが呼び止める。


『ユニ、少し気になることがある。

 ちょっと奴らの側まで行って確かめてみたいんだが』


「確かめるって、何を?」

『分からん。

 だが、なんだかこう、胸がもやもやするんだ。

 答えが分かっているのに、それに気づくことができないような、とても気持ちの悪い感じだと言えばわかるか?』


 ユニは少し考えて、こくりとうなずいた。

「わかった。

 まぁ、あんたのことだから心配はないでしょうけど、それでも気をつけて」

 その言葉を聞くと、ライガはきびすを返して壁に向かって走り出した。


 オークたちが破城槌を完成させたのは夕方のことである。

 先を短く尖らせた太い丸太は一トン以上もあるのだろう、それを運ぶのは怪力を誇る彼らでも大変らしく、左右十人ずつ、二十人のオークが運搬に当たった。

 村の正面、大門から百メートルほど離れた場所まで運んだ頃にはすっかり日は落ち、オークたちはその場で火を焚き、食事を始めた。


 オークは人間と同じで夜目が利かない。

 行軍と伐採、破城槌の運搬と、かなり疲労したようで、そのまま夜を明かすつもりのようだった。

 一晩英気を養い、体力が回復したところで、一気に攻め潰す。


 敵前で野営をするなど、常識では考えられない危険なことであったが、こちらに村から打って出てオークを襲撃するほどの戦力がないことを知っているようだった。


 オークたちは彼らの言葉で大きな喚声をあげ、村に向かって挑発するような仕草を見せては下卑た笑い声をあげるなど、すっかり上機嫌だった。


 明日になれば抵抗できない弱々しい人間たちを蹂躙し、暴力の嵐と肉欲の宴で目の前の村を満たしてやる。そんな期待に満ち溢れた顔だった。


 オークたちが静かになり、夜がすっかり更けたころにライガが戻ってきた。

「遅かったじゃない?」

『ほう、寝ないで待っていたとは感心だな』

「バカね! それで気になることって何だったの?」


『まぁ、ねぐらに戻ってから話そう。

 お前も休まないと明日へばるぞ』

 ユニは見張りの者に何かあったら起こしにくるよう伝えて宿舎に戻った。


 いつもの干し草の寝床に腰をおろすと、どっと疲労が襲ってきた。

 横になったら一瞬で眠る自信がある。


「お願いだから手短に。死ぬほど眠いわ」

『連中の中にでかいオークがいただろう?』

「ええ、あいつが親玉みたいね」


『あれ、幻獣だぞ』

「――はぁ? あんた何言ってるの。

 オークを召喚して契約するなんて、魔導院のお爺ちゃんたちが許すわけないでしょ!」


『お前たちの学校のことは知らんよ。

 俺たち幻獣はな、行き遭うとお互いが召喚された者同士だって何となくわかるんだよ。

 間違いないさ。あのでかい奴は〝はぐれ〟じゃない。召喚獣だよ』

「……そんな」


 王立魔導院では院生が十八歳になると召喚の儀式を行う。

 実際に召喚されるまで、どんな幻獣が現れるかは誰にも分からない。

 強力な幻獣を呼び出した者は国の戦力として徴用され、そうでない者はユニのように二級召喚士としてせいに戻る。


 いずれにしろ召喚士と幻獣は、その時に契約を結ぶ。

 その契約によって召喚士の能力が続く限り、幻獣は現世に留まり召喚士に従う。


 召喚士と幻獣は精神の深いところで繋がり、召喚士の知識と経験が共有される。

 幻獣が召喚士と意志を通じ、人間と変わらない会話を交わせるのはそのためだと言われている。


 ところが例外が一つだけある。

 極めて稀な例だが、人類の敵対種が召喚される場合がある。


 オークのように食人を習性とする獣や〝悪魔〟と言われる種族である。

 この場合は契約自体が許可されない。

 儀式は魔導院の元老によって中止され、幻獣は元の世界に還り、召喚士は完全な一般人に戻る。

 そのような例は百年に一度あるかないかだという話だった。


 あのオークが召喚獣だとしたら、いろいろな事象に説明がつく。

 だが、そもそもどうやってオークと契約したのだろう。


「ほかのオークたちはどうなの?」

『あいつらは違うな。だが〝はぐれ〟とも微妙に違う』

「違うって何が?」

『臭いが……何というかオークのくさい臭い自体は同じなんだが、厚みに欠けるんだ。

 そうとしか説明できない』


「どういうこと?」

『そこまではわからんさ』


 ライガはそう答えると「話はおしまい」とでも言うように干し草に鼻面をつっこんだ。

 ユニもドサッと干し草に倒れ伏す。


 十八歳の春にライガを召喚して契約した時のことがぼんやりと思い出された。

 懐かしい、暖かな記憶だった。オークのことも考えようとしたが睡魔に勝てず、顔にかすかな笑みを浮かべたまま眠りに落ちていった。


 ジリジリするような夜が明けた。

 夜通し監視しながら交替で睡眠を取っていた村人たちではあったが、一晩で精神は擦り切れ、すっかり疲労が溜まっていた。


 オークたちは夜明けと共に行動を開始した。

 二十人のオークが破城槌を持ち上げ、そのほかのオークは槍を持って左右を警戒する。

 一番後ろにはひときわ大柄なオークが続き、何ごとが指示を出している。


 大門まで五十メートル、三十メートルと距離が詰まっていく。

 十五メートルあたりまで近づくと、オークたちの凶暴な表情がはっきりと目に映り、獣臭が漂ってくる。


 その時、見張台と壁の上でしゃがんでいた弓隊が立ち上がり、上空めがけて弓を引き絞ると一斉に矢を放った。

 弧を描いて飛び出した矢は、上から降り注ぐように先頭のオークたちを襲う。


「!」

 破城槌を抱えているオークたちは防御ができない。

 矢の大半は外れたが、先頭のオークたちはそれぞれ数本の矢を体に受け、思わず叫び声をあげて破城槌から手を離す。


 ドスンという鈍い音を立てて先の尖った丸太が落ちると、後ろのオークたちはつんのめるようにバランスを崩し、勢いがついた破城槌はそのまま地面に投げ出された。


 ところが矢を射られたオークたちは不思議そうな顔で自分たちの体を見回している。

 確かに矢は刺さっている。しかし鏃が肌に食い込んではいるものの、ただそれだけだった。


 オークたちは矢を引き抜くと、振り返って仲間たちに己の無事を叫ぶ。

 傷跡にはわずかに血が滲んでいるが、明らかにダメージを受けていない。


 オークたちは引き抜いた矢を握りしめた拳を、今度は村人たちに向けて突き出し、ゲラゲラと嘲笑した。


 そして最後尾の大柄なオークが「いい加減にしろ」とでも言うような叱咤の声をあげると、オークたちは矢を投げ捨て、再び破城槌を持ち上げて大門へ迫り出した。

 大門まで十メールを切ったところで、弓隊の第二射がオークたちを再び襲う。


 距離が近いだけあって曲射ではなく直接狙う。

 今度は命中率がよいが分厚い革の鎧に弾かれ、突き立った矢は意外に少ない。


 先頭のオークたちはそれぞれ五、六本の矢を受け、その後ろのオークにも三本の矢が突き立った。

 しかしオークたちはひるまない。刺さった矢をそのままにさらに大門への距離を詰めていく。


 いよいよ大門の目前に迫り、オークたちは腰を落とし突進の準備にかかった。

 勢いをつけて破城槌を門にぶち当てようというのだ。

 何度か激突を繰り返せば、背後に土嚢を積んだ分厚い門は破れないだろうが、両脇の太い柱に扉を固定している金具がもたない。

 そうなれば後は力ずくで侵入できる。


 弓での攻撃を諦めた村人たちは、子どもの頭ほどもある石を上から投げつけたが、オークを押し止めることはできず、ただその怒りに火を注ぐという成果はあげた。


 「ゴッ」という鈍い音を立てて額に石を当てられた槍持ちのオークは怒りの叫び声をあげ、とっさに足元に転がった石を拾い上げると、見張台に向けて投げつけた。

 人間とは比べものにならない膂力で投じられた石は、運悪く身を乗り出していた若い男の頭に激突した。


 悲鳴をあげる暇もなく、男の右目から上はぐちゃぐちゃに叩きつぶされ、血と脳漿をまき散らしながら糸の切れた操り人形のように門の前に落下する。


 脚がおかしな方向に曲がったまま、地面に倒れ伏している仲間を見て、石を投げつける村人たちの手が止まる。

 死んだ男は去年、村の幼なじみの娘と結婚したばかりで、あと数か月で父親になるはずだった。


 迎撃する手段がないまま、いよいよ第一撃が門を襲うと村人が覚悟した時、異変が起きた。

 先頭のオークたちが突然ブルブルと手を震わせて破城槌を取り落としたのだ。


 彼らは口から泡とよだれを垂らし、一人のオークは嘔吐している。

 異変に気づいた大柄なオークが何ごとか叫ぶと、彼らは破城槌を放置し、苦しそうに倒れている仲間を引きずって後退を始めた。


「うまくいったようね」

 後退していくオークたちを見ながらユニが呟いた。

 周囲の男たちは歓声をあげて喜んでいるが、ユニの表情は硬かった。


 短弓の有効射程はせいぜい十メートル余り。殺傷力もさほど高くはない。

 オークの分厚い皮膚と皮下脂肪や筋肉を貫いて、致命傷を与えることは期待できない。


 そこで最初に有効射程外からの攻撃で油断させ、射程内に入ったところでトリカブトの毒を塗った矢の一斉攻撃を仕掛ける。

 それがユニの立てた作戦であり、ひとまずそれは成功した。


 だが、用意した毒矢はわずか一斉射分、今の攻撃ですべて使ってしまった。

 もう同じ攻撃はできないが、幸いなことに相手はそれを知らない。

 当然まだこちらが毒矢を持っていると想定して、安易な接近ができなくなるはずだ。


 いずれ何らかの対策を練ってくるだろうが、時間を稼ぐこと、それが一番重要なことだった。

 毒矢を受けた三人のオークは死なないだろうが、数日は戦力にならないはずだ。相手の戦力の一割を削ったのも大きい。


 オークたちは村から百メートルほど離れた、昨夜野営した辺りまで後退した。

 毒矢を受けたオークは傷や症状を調べただけで、そのまま放置されるようだった。


 大柄なオークの命令で十人あまりのオークがすぐに駆け出し、少し小高い丘に建っている物置小屋に向かった。


「奴ら何をする気だ……」

 村人たちは固唾を呑んで彼等の行動を見守るしかない。

 あの小屋には家畜小屋を修繕するための資材があるだけで、武器になるような物はないはずだった。


 やがてオークたちは何かの束を手にして小屋から出てきた。

「あれはかやじゃないか?」


 辺境の村の建物は、今でもほとんどがかやき屋根である。

 萱はススキやチガヤなどの総称で、大抵の村の周囲には〝かや〟と呼ばれる萱刈場がある。

 秋になると萱を刈って保存し、萱場には火を放って樹木の侵入を防ぐ。


 オークたちは、縄で縛って小屋に保管してあった萱の束を持ち出したようだった。

 萱の束は一・五メートルほどもある。

 それを抱えてオークたちは近づいてきた。村から二十メートルほどの距離まで近づくと彼らは隊列を整える。


 先頭の者が体の前で萱の束を立て、その後ろに隠れるように二体のオークが続く。

 その次のオークも同じように萱の束を楯にして二体が続く。護衛のオークたちも片手で萱を楯に、残る手に槍を構え、慎重に歩を進めてくる。


 萱の束を持った楯役のオークが矢を防ぎ、後ろに隠れた者が破城槌を抱えて突撃するつもりのようだった。


「やけに手際がいいのね」

 ユニは眉根を寄せた。

 少し太めの眉の下ではしばみ色の瞳が思慮深そうに相手の動きを見つめている。

「思ったより時間が稼げなかったのは残念だけど……想定内で動いてくれるのは助かるわ」


 頭をぶるんと振って考えることを止めると、ユニは弓隊の男たちによく通る声で指示を出す。

「打ち合わせどおり、充分に引きつけます。

 合図するまでは立たないでください。矢は一本も無駄にしないこと。

 いいですね!」


 男たちは全員うなずき、さか茂木もぎに隠れてしゃがんだまま待機する。


 オークたちは放置した破城槌に取りつき、再び抱え上げようとした。

 楯役のオークは萱の束を仲間たちの頭上にかざし、上からの矢を防ごうとする。

 ユニは無言で腕を上げ、勢いよく振り下ろす。あらかじめ決めていた〝着火〟の合図だ。


 弓隊の男たちはやじりに油の染みたボロ布を巻いた矢に火種を使って着火させた。

 全員の用意ができたと判断したユニは、声を張り上げて叫ぶ。


「放てー!」

 弓隊は一斉に立ち上がり、萱の束をめがけて火矢を放つ。

 数メートルの近距離で的も大きい。ほとんどの火矢が命中した。


 萱は油分が多い。しかも屋内に保管され乾燥しているとあって、あっという間に炎を吹き出して燃え上がる。


 炎の塊と化した萱の束を放り投げ、オークたちは脱兎の如く逃走した。

 ぐずぐずして毒矢に射られることを恐れたのだ。


 矢の届かない距離まで後退すると、オークたちは怒りに震えた叫び声をあげた。

 我を忘れてそのまま突進してきそうな勢いだったが、大柄なオークがそれを上回る大声で吼えて黙らせる。

 そして再び手下どもを小屋に向かわせるのだった。


「今度はいくらか時間が稼げるかな」

 ユニの表情は相変わらず冴えなかった。


 毒矢に対して何かの遮蔽物を用意してくるだろうことは予想していた。

 その対応が思ったよりも早すぎたが、火に弱い萱だったのは幸いだった。

 ただ、相手の戦力を削ったわけではない。

 わずかな時間を稼いだだけだったが、それが重要なのだ。


「ユニさん、奴らまた来ますかね?」

 弓隊のリーダーを務めるケニスという男が尋ねる。

「来るでしょうね。今度は小屋の床板とか扉を引っぱがして、板の楯を作ってくるんじゃないかしら」


「俺たちはどうしたら……」

「あとは私のオオカミたちでどれだけ邪魔ができるか……。

 皆さんは毒矢で狙うふりをして牽制してください。

 間違っても討って出ようなんて考えないでくださいね。犠牲を増やすだけですよ」


「俺たちは何もできないってことですか?」

「その代わりもし奴らが門を破ったら、その時は刺し違える覚悟で防いでください。

 何人仲間が殺されても、決してひるまずにです」


 そう言い残すと、ユニは見張台の梯子を下りていった。

 下で待っていたライガに跨ると指示を出す。

「向こうから見えない所で壁を越してちょうだい。

 それとみんなを門から死角になる辺りに集めて。

 こっち側は母さんにハヤトとミナ、残りは向こう側ね」


 森に隠れているオオカミたちにユニの声は届かないが、ライガなら余裕で意志を伝えられる。

 これは同じ群れ同士でなければできないことらしい。


 オークたちはまだ丘の上の小屋で作業をしている。

 元々不器用であり、大工道具を持っているわけではない彼らにとって、手持ちの斧だけで即席の楯を作るのは手間のかかる仕事のようだった。


 ライガは黙りこくっているユニに声をかける。

『朝から何を考え込んでいるんだ?』

「ねえ、あの指揮官のオークは幻獣だって言ったよね」

 ユニは質問には答えずに聞き返す。


『ああ』

「なら幻獣を召喚した召喚士がいるってことよね」

『そうなるだろうな。

 ジェシカたちが言っていた人間の臭いはそれかもしれん』


「あんたはその臭いを追えた?」

『いや、オークどもの臭いが強すぎてわからなかった』


「ライガは相手が幻獣ならそれがわかるって言ったよね?」

『ああ』

「それって、やっぱり臭いとかが違うの?」

『いや、昨夜も言ったが〝何となくわかる〟としか説明できない』


「じゃあさ、母さんヨミとかジェシカたちとかはどう?

 やっぱり幻獣だと感じるの?」

『いや、あいつらは家族だろう。

 全然違うぞ。第一お前が召喚したのは俺だけだろう』

「……うん、そうよね」


 召喚士と幻獣の契約は一対一である。

 つまり召喚士が異世界から召喚できる幻獣は一体だけということになる。

 ユニが召喚し、契約を交わしたのはライガだけであり、群れのオオカミたちはライガが〝呼び寄せた〟のである。


 オオカミは群れで行動する生き物だ。

 ライガの意識では、ライガという個体は群れの一部であって、群れが揃ってこそ完全な〝個〟が成立する。


 すなわちユニに召喚されたライガは〝不完全な個体〟であって、完全になろうとするためには群れを呼び寄せるしかない。

 そのため、ライガはごく自然に群れの仲間をこの世界に呼び寄せたのである。


 何度もユニに「どうやったの?」と聞かれたが、ライガには答えようがない。

 自然にそうなったとしか言いようがないのだ。

 ある意味、これはライガの〝能力〟と言えなくもない。

 群れで生活をする幻獣の一部がこうした能力を発揮する例は、稀ではあるが知られていた。


「……ねえ、召喚士はどこにいるのかしら」

 しばらく沈黙した後、再びユニが口を開いた。


『お前みたいなバカと違って、普通召喚士ってのは安全な後方から指示を出すもんだろう』

「それでも戦況を見渡せるような場所じゃなきゃ的確な指示は出せないはずだわ。

 ……さっき毒矢を受けたあと、奴ら迷わずに物置小屋に萱を取りに行ったよね。何でそこに萱の束があるって知ってたんだろう」


『ああ、そういうことか』

「見通しのいい丘の上、姿を隠せる小屋だもんね。

 多分昨日の夜のうちにこっそり隠れたのね」


『襲うか?』

「まずは本隊に奇襲をかけてからね。

 うまくいけば指揮官だけじゃなく、手下のオークも消えてくれるかもしれないわ」

『どういうことだ?』


「あの小柄なオークたちは、幻獣じゃないけど〝はぐれオーク〟とも違うって、あんた言ったでしょ」

『それがどうした』

「あの召喚されたオークが群れのオークを呼び寄せたのだとしたら?」


 フン、と鼻を鳴らしてライガが考え込む。

 明らかに気に入らないという表情をしている。


『まぁ、オークも群れで生活する奴らだから、可能性は否定できないがな。

 あいつらがそんな仲良しさんだとは、悪い冗談だぞ』

「可能性があるなら、希望を持ったっていいでしょ?」


 ユニとライガが話し合っている間に、群れのみんなが集まってきた。

 ユニはオオカミたちに指示を出し、時が来るまで身を隠すように命じる。


 太陽は頭上を過ぎ、いくらか傾いてきた。

 オークたちはやっと盾を完成させたようだった。


 小屋の扉、棚の一部、床板を剥がしたものなど、不格好だが矢を避けるには十分だろう。

 火矢が刺さっても、炎上する前に引き抜くだけの時間を耐えられそうでもあった。


 盾を持ったオークが六人、その陰に入って破城槌を持つオークが少し減って十八人、左右で警護する槍を携えた六人のオークは片腕に盾代わりの板を結びつけて顔面を守り、あとは革鎧の防御力に命運を賭けているようだった。


 最後尾には巨大なオークが戦斧を片手に悠然と歩みを進める。

 最後尾までは矢が届かないと見ているのか、盾は持っていない。


 オークたちは毒矢を警戒しながら門前まで慎重に進み、再び取り残されていた破城槌に取りついた。


「ガアーーーッ!」

 予想した毒矢の攻撃がないことに不審気ではあったか、指揮をするオークが咆哮をあげて命令を下す。

 破城槌を抱えたオークたちは、盾役のオークとともに大門めがけ突進してきた。


「ドーーーンッ!」

 短く尖らせた大木の先端が、容赦なく大門にぶち当たる。

 太い丸太を連ねた扉はミシミシときしんだ音を立てるがびくともしない。

 その代わり、両側の巨大な柱と大扉をつなぐ鉄の金具がわずかに浮き上がる。


 巨大なオークが再び叫び、再度の攻撃を命じる。

 破城槌を抱えたオークたちが助走のための距離をとるため後退しようとしたその時、黒い影が暴風のように襲いかかった。


 体長三メートルを超す巨大なオオカミが矢のように迫り、跳躍すると、破城槌を抱えたまま呆然としているオークを呑み込む。

 その巨大なあぎとでオークの頭に噛みつくと、そのまま首を振る。

 オークの頭はあっさりと引きちぎられ、破城槌から手を離す隙も悲鳴をあげる暇もなかった。


 そのままの勢いでライガは隣のオークに襲いかかる。

 仲間の血飛沫を浴びて我に返ったのか、彼は大木から手を放し、自分の顔の前で腕を交差させて防御するそぶりを見せた。


 だが、彼ができた抵抗はそれだけだった。

 腰に手斧を差してはいたが、それを抜くような時間は与えてもらえなかった。

 彼の頭も腕ごと噛みちぎられ、哀れな肉塊がその場に倒れ伏した。


 二人目の犠牲者が倒れるのと同時に、指揮官のオークが怒りに満ちた叫び声をあげると、やっと警備役のオークたちが槍を水平に構えて駆け寄る。


 ライガは大きく跳躍して距離をとり、首の後ろの毛を盛大に逆立て低い唸り声をあげて威嚇をする。


 それと同時にオークたちの背後で悲鳴が上がった。

 反対側から四匹のオオカミが一斉に襲いかかってきたのだ。

 ライガほどではないが、いずれもニメートル前後と、この世界では常識はずれの大きさだ。


 オオカミたちは一人のオークに狙いを定め、背後から一斉に襲いかかり噛みつくと、そのままズルズルと引きずっていく。

 慌てた槍持ちのオークが後を追おうとすると、その間にさっと二匹のオオカミが割って入り、威嚇をする。


 彼らが睨み合っている間に、連れ去られた哀れなオークはボロ雑巾のように噛み殺され、何だかよく分からない血肉の塊となって地面にぶち撒けられた。


 槍持ちのオークたちはどっちのオオカミに対処したらよいのか混乱していた。

 見かねた盾役のオークたちが、盾の裏にくくりつけていた槍を持って加勢に入ろうとすると、見張台と防壁上で沈黙していた弓隊が一斉に立ち上がって矢を射掛けた。


 たちまちオークたちの間にパニックが起こり、一度手にした槍を放り投げて盾を構え、残りの者は争ってその陰に隠れようとした。

 指揮官役の巨大なオークだけは、最後尾で黙ってその様子を見ていたが、ややあって大斧を手に足音を響かせて前に出て、ライガに対峙する。


 背は二・五メートルほどもある。体長ではライガがまさるが、その質量は圧倒的にオークの方が上である。

 強烈な威圧感を放つオークは、ライガから視線を外さぬまま部下たちに何ごとかを命じた。


 ところが、それまで指揮官の命令に逆らうことなく従ってきたオークたちが、互いに顔を見合わせて躊躇している。


 部下たちが動かないことにしびれを切らした指揮官は、ライガから視線を外し、槍を構えた警備役にその場を任せてズカズカと先頭に向かう。

 小屋の扉を盾代わりに構えているオークの前まで進むと、片手でそれを掴んで奪い取り、そのまま放り投げた。


 盾を奪われたオークとその陰に隠れていた者たちは身を縮め、慌てて頭上の人間たちを窺う。

 ところが恐れていた毒矢は襲ってこなかった。


 仁王立ちしている指揮官にも、しゃがみこんでいる部下たちにも。指揮官はちらりと見張台の方に目をやると、向き直って激しい怒声を浴びせた。


「うわー、もうブラフがバレちゃったかぁ! 

まったく何なのよあれ、頭の切れるオークなんて反則だわ……ってゆうか、この場合は召喚士の頭がいいのか。

 ホント、嫌になる」


「もういいライガ、下がって!

 ハヤトにミナ、あとをお願い!」

 ライガが後退し、大門から死角になる壁の陰に潜んでいたユニのもとへ戻る。


 代わりにライガに次ぐ体格のハヤトと、そのペアであるミナがオークの警備兵たちを牽制する。


 オークたちが大門に突っ込もうとすれば、オオカミたちが突っ込んで両手のふさがったオークを襲おうとしているのは明らかだった。

 それを防ぐとする警備役のオークとの睨み合いが続き、門前の情勢は再び膠着状態となった。

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