鬼の軍勢 三 侵攻

 戦争において、最大の被害者は常に一般庶民である。

侵略する者たちは敵国の集落を襲い、放火し、略奪し、殺戮し、強姦する。

それが世の習いであった。


 その開拓村にも、同じような暴力の嵐が吹き荒れていた。

 村を護る太い木の柵壁は打ち破られ、村の建物のほとんどに火が放たれて、夜だというのに周囲を赤々と照らしている。

その光に浮かび上がるのは地獄絵図だった。


 村の中央部にある広場には、ひときわ大柄なオークがどかりとあぐらをかいて座っている。

 右手には焼いた肉の塊らしきものを握りかぶりついている。

中の方は生焼けなのか、焼けた肉を齧りとると、白い骨と血の滲んだピンク色の肉が現れる。

握っている右手から人の足指が覗いていて、獲物が人間の脚だと分かる。


 あぐらの上には、ぐったりとした裸の女が乗せられている。

倒れてしまいたいのだろうが、オークの左手が女の髪をぐるりと巻いて引っ張っているためにそれが許されない。


 時々思い出したようにオークが腰を揺すると、女の体が跳ね上がり「ぐぅ」というくぐもったうめき声が漏れる。

女の内腿は血で汚れ、地面には血溜まりができていた。


 そのオークの周囲には穂先を上にした槍が左右に列をなして立てられていた。

それぞれの槍先には男たちの首が掛けられ、虚ろな目で広場の狂宴を眺めている。


 その視線の先では、あちらこちらでオークが女たちを犯していた。

 若い娘だけではない。少女も、母親も、老女も手当たり次第だった。


 まだ四、五歳とおぼしい幼女が押さえつけられ、泣き叫んでいる。

己の欲望の塊をねじ込もうとしたオークは、それが無理だと知ると、腹立ち紛れに幼女を掴み上げ、柔らかな腹を喰い破り、腸をジュルジュルと吸って満足そうな笑い声を上げた。

 

 果てしなく続くかに思えた狂宴は、広場の中央にいた大柄なオークの咆哮によって突然終わりを告げた。


 彼の叫びは、何かの命令だったのだろう、ボロ雑巾のようになった女たちを投げ捨て、村のあちこちからオークたちが集まってくる。


 分厚い革の鎧を身に着けたオークたちは、大柄なオークの周囲に集まってきた。

 彼らは地面に立てられていた槍を引き抜き、掛けられていた人間の首を無造作に振り捨てると、血に濡れて光る穂先を並べて整列した。


 それは奇妙な光景だった。オークはオスもメスも、動物の革で作った下帯や腰巻きしか身に着けないのが普通だった。

 武器といえば棍棒が定番で、たまに石斧を持つくらいで、金属製の武器を生産したり使用するという文化を持っていなかった。


 さらに彼らは集団行動が不得手であり、狩りで協力をすることはあっても、隙をみれば獲物を独占しようと裏切り、いさかいを起こすことで知られていた。


 オークが武装し、誰かの命令に従って整列していたなどと話しても、誰も信じてはくれないだろう。


 だが、その夜、その蹂躙された村でそれは起こった。

 彼らの言葉で何事か命令を下した大柄なオークは、指図するように左腕を振るった。

 その手には、まだ女の髪が巻き付けられたままだったため、苦しげな呻き声ととともに女の体がぶらぶらと吊り下げられて揺れる。


 オークは女の存在を忘れていたらしく、少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに右手で女の首を鷲掴みにすると、左手をぐるりと回して女の頭をねじ切った。


 オークは悲鳴を上げる間もなく絶命した女の頭を無造作に投げ捨てると、まだ鮮血を撒き散らしている女の体を目の高さまで持ち上げて雄叫びを上げた。


 整列したオークたちは槍で地面を叩き、唱和するように叫び声を上げた。

 大柄なオークは女の死骸を投げ捨てるとくるりと背を向け、ゆったりと歩き出した。整列したオークたちは隊形を保ったままその後に続く。


 その顔は、次の暴力への期待でテラテラと脂ぎり、笑いが張りついているようだった。


      *       *


 ユニたちの捜索は三日間続いた。

 彼女は毎晩帰ってきたオオカミたちの情報を突き合わせ、地図に書き込み、捜索範囲を絞って徐々にオークの行動を特定していった。


 三日目の夜、ユニは再び村の役屋に肝煎きもいりを訪ねた。

 事前に連絡してあったので、肝煎のヨゼフのほか、五人のおとなしゅう全員が揃っていた。

 ユニが席につくと、ヨゼフは推し量るように彼女の顔を覗き込んで尋ねる。


「どうだね、あまり成果は上がってないようだが……」

「そうでもないですよ。大体の現状は把握できましたから」

 ほお、というような表情を浮かべて村の幹部たちが次の言葉を待つ。

 ユニは持参した巻紙をテーブルの上に広げた。


 そこには村の簡単な見取り図と周辺の森や川といった地形が描かれていた。村の周囲のあちこちには×印と、そこから森の方に伸びるぐねぐねとした線が書き込まれている。


「結論から言えば、今現在、村の周囲にオークは潜んでおりません」


 安堵の溜め息を漏らす長百姓たちをよそに、肝煎が尋ねる。

「それは、我々が目撃したという情報が間違いだったということかね」

「いえ、確かに鎧のオークは出没していました。しかも二体」

 男たちの顔に驚きの表情が浮かぶ。


「この地図で×印を付けている箇所までオークが近づいていました」

「これがか? 村のすぐ近くじゃないか!

 しかもこんなに?」

 ×印は村の外壁をほぼ万遍なく囲むように書き込まれている。


「奴らは家畜も襲わんで、何をしてたんじゃ?」

「分かりません。

 二体のオークはそれぞれ北側と南側から接近して、外壁の周囲まで近づき、そのまま森に戻っています。

 森の中で彼らがねぐらとしていた場所も見つけましたが、どうも食料を持ち込んでいたようでした。

 それで家畜を襲わなかったのだと思います」


 ユニは森の中につけられた大きな三角の印を指さして説明を続ける。

「彼らはここをねぐらとして数日間同じような行動をしていたようです。

 そしてその後、北のツナギ川を渡ってどこかへ移動しています。その先は臭いが追えなかったのですが、彼らが再び川を渡ってこちらに戻ってきた形跡はありません」


 男たちは困惑した表情で顔を見合わせた。その気持を代表したようにヨゼフが口を開く。

「奴らがいないという話はいいことだ。

 だが、オークだぞ。しかも二匹だ。

 それが村を見物しただけで帰っていったって……、一体そんなバカなことがあるもんかね?」


「そうです、私もこんな行動をするオークは初めてです。

 その理由も考えてみましたが、今、肝煎さんが言ったとおりじゃないかと思います」


「へ? どういう意味だい?」

「だから、オークたちは村を見物して帰っていった。

 つまり今回の行動は偵察だったとしか考えられません」


「偵察だと? そんなことをして一体何になるというんだ?」

「まぁ、常識的に考えれば、後でこの村を襲うためでしょうね。

 それも集団で」

 肝煎と長百姓たちは再び顔を見合わせた。


「襲うって……。集団? 一体何匹で? いつなんだ?」

「どのくらいの集団かは分かりません。

 時期としては〝近いうちに〟としか言えませんが、多分私たちにはあまり時間が残されていないでしょうね」


 ユニは小さな溜め息をついて続けた。

「いずれにせよ、これはもう私の手におえる話ではありません」


 ヨゼフは驚いて抗議する。

「おいおい、待ってくれ。

 あんたがオーク狩りじゃ凄腕だってことは誰でも知っている。だからこそ今度の依頼も任せたんだ。

 最後まで責任をだな……」


 ユニは冷たい表情で肝煎の言葉を遮る。

「私のオオカミたちの戦闘力はさほど高くありません。

 私たちが得意にしているのは、はぐれたオークを探し出して追い詰め、取り囲んで倒すことです。

 オークを安全に倒せるのは多対一で当たるからで、一対一で確実にオークを倒せるのは群れではライガだけです。

 それも相手が裸で、せいぜい棍棒程度の武器しか持たない場合です。

 槍と鎧で武装した集団のオークだなんて想像したくもありませんが、もしそんな化物が現れたら、正直私のオオカミたちでは太刀打ちできないでしょうね」


「だったら、わしらはどうしたらいいというんだ?」

「すぐに親郷おやごうへ連絡をすること。

 それから……そうですね、軍に調査か進駐を要請する上申書を出すべきですね」

 ヨゼフはユニの回答に憮然とした表情で抗議する。


「ああ、そりゃ親郷には報告するし、援助も頼むさ。

 だが、軍に来てくれだって? ははっ、こんな辺境の村に?

 誰がそんなことを期待するものかね」

「そうですね。まず軍は動かないでしょうね」

「な!……だったら、そんな無駄なことを―」


「親郷の警備兵と武器を借り、戦闘に長けた召喚士を雇ったとしても、武装したオークが集団で襲ってくれば、村にある程度の被害は出ると思うのですが」

「……まぁ、そうだろうな」


「そうなったら、復興には相当の経費がかかるでしょうから、年貢の軽減を願い出ることになるのではないですか?」

「う……うむ」

「年貢を軽減して欲しいと言ったら、役人は何て言うでしょうね?」

「……ふん、大方『なんでもっと早く報告しなかった』だろうな……」


「そういうことです。

 『お前たちがちゃんと報告していれば、軍を出して防ぐことができたはずだ』……とか何とか、心にもないことを言ってこちらの責任を追求するでしょうね。

 だから国に報告し、支援を要請したという記録を残しておいて損はないはずです」


「はぁ……いや、あんたの言うとおりだ。そうしよう。

 親郷への使者はイザーク、お前さんが行ってくれ。いいな?」

 長衆の一人、イザークは頷くと支度をするべく役屋を足早に出ていった。


 ヨゼフはユニに向き直ると、真剣な面持ちで言葉を継いだ。

「ユニさん、今回の依頼についてはこれまでの日数分、約束した料金を支払う。

 あんたがオークとの戦いに適した召喚士じゃないことも理解した。

 親郷を通して戦闘が得意な召喚士を呼び寄せることにしよう。

 確か親郷の警備兵の中にそんな男がいたはずだ。

 それはそれとしてあんたに頼みたいのだが、親郷から応援が来るまでの間、オークどもが近づいてこないか、警戒の任に当たってくれないだろうか?

 それこそあんたの得意とするところじゃろう。

 緊急の依頼だ。日当はこれまでの倍出そう。

 頼まれてくれないだろうか」


 辺境に開拓村が拓かれても、数年後に離散し、廃村となる例は多い。

 運良く地と水の利に恵まれ、開発が軌道にのった村でも、繁栄を迎えるまでには数十年の歳月がかかる。


 そうして生き残った幸運な村は、堅固な防護壁を築き、広大な耕作地と放牧地を抱えて、その地域の中核都市となる。

 そこに人が集まり人口が増加すると、やがて耕地の拡大に限界を迎える。


 肥沃な内陸盆地が過剰な人口問題を解決するために辺境の開拓に乗り出したように、これらの成功した村は、周囲に新たな開拓村を拓いて農家の二、三男を送り込んだ。

 開拓が軌道に乗るまでは、親が子の面倒を見るように新しい村に物心両面で援助を惜しまなかった。


 このような村同士の関係から、開発の元となる村を〝親郷おやごう〟、その支援を受けて成立した村を〝えだごう〟と言った。

 当然ながら親郷からの援助は無償ではない。


 枝郷の収穫が安定すれば国への年貢(およそ五割)とは別に親郷に五分(五%)を納めること、一家に一人が年に一週間程度の労役を務める決まりとなっていた。

 また、形の上では独立村の体裁をとっている枝郷であるが、重要な問題は親郷への報告が義務付けられ、その指示を受けることになっていた。


 今回のケースではユニの滞在しているケド村が枝郷で、その親郷が西に三十キロメートルほど離れたカイラ村ということになる。


 カイラ村は開村してすでに百年を超し、人口六千人以上という辺境では屈指の規模の都市であり、村という概念とはかけ離れた存在だった。

 郡役所にあたる国の出張所が置かれ、一種の私兵といえる警備兵も雇い入れていた。


 ユニがケド村の依頼を受けたのも、倒したはぐれオークの報奨金を受け取るのも、このカイラ村でということになる。


 役屋での会合が終わると、すぐにユニはオオカミたちに指示を出し、二十四時間の警戒態勢を敷いた。

 偵察を行ったオークの二体とも、北のツナギ川を渡っていることから、本隊が侵入してくるとすればツナギ川を渡河するものと思われた。


 そこで川沿いに間隔をあけて四頭のオオカミを配置し、残りの者たちは休養と食料の確保(村からの食事の提供はユニだけの契約で、オオカミたちは自給自足しなければならなかった)にあたった。


 イザークが親郷に出立するのは明日の早朝、親郷に着くのは昼過ぎだろう。

 武器の運搬を後回しにして、とりあえず親郷の警備兵を急派するとしてもケド村に到着するのは早くて明後日というところか。


 両村の連絡路は獣道に毛の生えたような荒れて狭い山道であり、牛車で運搬する武器や資材が届くのは遅くなるだろう(辺境では馬が希少で、親郷に数頭いるものの王都との連絡用である)。


 怖いのは親郷がこの事態をどう受けとめるかだった。

 何しろオーク集団の襲撃は推測でしかなく、それがいつになるかも分からない。緊急性が薄いと判断されればそれだけ援助が遅くなるだろう。


 さらに最悪の場合、武装したオークの集団という荒唐無稽な話を信じてもらえない可能性だってある。


 ただ、ユニという辺境ではそれなりに信用のある召喚士の報告書が添えられているので無視はされないだろう。


 また、辺境に暮らす者たちは危険に対しては常に最悪の結果を想定して行動することが多い。

 そうでなければ生き残ることができないのだ。

 平和を享受している親郷とはいえ、骨身に染み込んだ習性まで忘れてはいないだろう。


「とにかく最低でも二日間、奴らが襲ってこなければ、どうにかなりそうね」

 目の前のリストをチェックしながら、ユニは自分を励ますように独り言を呟いていた。

 それは村にある武器の目録だったが、とても心許ないものだった。


 純然たる武器と呼べるものは槍が十本で、村の男衆役五十人にはとても足りない。

 弓だけは、ほぼ各家に一、二張ずつあったが、ウサギ狩り用の短弓でオークの分厚い皮膚を貫いて致命傷を与えることは難しそうだった。


 しかも矢が弓一張につき十本ほどしかないという頼りなさだった(村には野鍛冶がおらず、金属製のやじりは親郷の鍛冶屋から購入せざるを得ないという事情があった)。


「あとは農具で使えそうなものを代用するしかないわね。

 いや、そもそも白兵戦になった段階で勝ち目がないんだから、どうにか外壁が破られないよう備えるしかないか。

 そうなると遠距離武器に頼るしかないんだけど、弓がオモチャ並みなのが痛いなぁ。

 ……そういえば、確かカイラ村の警備兵には火蜥蜴サラマンダー使いがいたわよね……」


      *       *


 その召喚士はユニよりもだいぶ歳上で、魔導院でも顔を合わせたことがなかったから、一回り以上離れていることになる。

 だが院の先輩であることには変わりないので、カイラ村の酒場で見かけた際には挨拶に行った。


 自己紹介をしビールで乾杯をした後、どんな幻獣を使役するのか尋ねたら、〝火蜥蜴サラマンダー〟という答えが返ってきてひどく驚いたものだ。


「サラマンダーですか? 凄い!

 ……えっ、でっ、でも、それじゃどうして国家召喚士にならなかったのですか?」


 ゴーマと名乗る召喚士は過去に何度もその質問を受けてきたのだろう、やれやれといった笑みを浮かべ、テーブルに銅貨を何枚か置いてユニを酒場の外に連れ出した。


「俺の相棒を紹介しよう」

 両手を広げて大仰なお辞儀をすると、酒場の脇の暗がりから幻獣がチロチロと舌を出し入れしながら現れた。


「え? やだ、かわいい!」

 サラマンダーは確かに〝火蜥蜴〟だった。

 素早い動きで主人の体を駆け上り肩に乗ると、大きな金色の目でユニをじっと見つめる。

 大きさは長い尻尾を入れても一メートルに満たない。本当にその辺の水辺にいそうなトカゲのサイズだった。


「もともとサラマンダーはドラゴンほど大きくなる種族じゃないんだが、こいつはとびきり小型でな。魔導院じゃ相手にもされなかったのさ。

 だがこれでも火焔の威力は結構強いんだ。オークの丸焼きくらいは余裕で作れるんだぜ」

 肩に乗った相棒の喉を指で軽く掻いてやると、火蜥蜴は気持ちよさそうに目を閉じた。


「あんたの相棒は……ハハ、デカいな」

 いつの間にかライガがユニの背後に寄り添っていた。

「大きいですけど、火は吹きませんよ。

 特殊能力はなし。大きなオオカミに過ぎないです。

 私も魔導院では審議なしの即決で二級証明書をもらいました」


「そうか、俺の相棒はエルルだ。

 体は小さいが勇敢だし、何よりいいヤツだ。そっちはライガだったっけ、まぁ…よろしくな」


      *       *


「彼ならある程度の戦力になるわよね」

 武装警備兵は、ゴーマのような二級召喚士を除けば、ほとんどが何らかの理由で除隊した元軍人であった。

 さすがに一対一ではオークに敵わないだろうが、三対一なら互角、四体一なら勝機もかなり高くなる。


 カイラ村には五十人ほどの警備兵がいたはずだ。いくらなんでも半数は派遣してくれるだろう。

 オークの数がどのくらいかは分からないが、十体程度までならどうにかなると思われた。

 あとはこちらの願望どおり、彼らが二日後に到着してくれることを祈るばかりだった。


 翌日、早朝に出立したイザークを村の者たちと見送った後、ユニは役屋に入った。

 壁の外で警戒任務の指揮を執っている母さんからの定期的な連絡は、ライガを通じてユニに伝えられ、村人を安堵させていた。


 ユニは村人たちに指示して、家畜の村内への避難、大門の補強、壁上の見張台へ投石用の石を上げたり、弓の練習をさせたりと大忙しだった。

 昼休みになって一段落したところで、どうにか役屋に戻ってぐったりしていると、トールという長衆のおかみさんが訪ねてきて、ユニに陶器の壷を差し出した。


「あの、トールの家内ですけど、言われた水飴を持ってきましたが、これでよいのでしょうか?」

 ユニは蓋をとって中を覗き込むと、笑顔で礼を言った。

「ああ、トールさんの。すみません突然。少し拝借しますね」


 ユニはテーブルの上に置いてあった背嚢から小型の乳鉢と乳棒、それに乾燥した木の根を数本取り出すと、ゴリゴリと根をすり潰しはじめた。

 おかみさんは物珍しそうに隣に座ってそれを見ていたが、とうとう好奇心に耐えきれずに質問した。

「あの、召喚士さん、それは何ですか?」

「ああ、これですか。トリカブトの根です」


「ひっ!」

 おかみさんは驚いて座っていた椅子ごとひっくり返りそうになった。

 無理もない、トリカブトといえば猛毒で知られた植物である。

「そんな危ないもの、どうされるんですか?」

「ふふふ、これはですねぇ……」


 機嫌よく答えながら、ユニはあらかたすり潰して粉状になったトリカブトに先ほどの水飴を垂らす。

 乳棒を細い木の棒に持ち替え、ゆっくりと混ぜ合わせ、さらにぐるぐると乱暴にかき回した。

 麦芽で作った水飴は、空気を含ませてかき回すと粘度が上がり、堅く粘り気のある飴に変化する。

 ユニは薄い褐色の飴を小さな木のへらですくい、集めておいた矢のやじりに塗りつけた。


「即席ですけどね。これで毒矢の完成です。

 でも、この量だと五十本がいいところかなぁ……」

「はぁ……」

 返答に困って薄気味悪そうに眺めていたおかみさんは、はっと我に返ると慌てて残った水飴の壷を手に取ると、そそくさと挨拶をして役屋を出ていった。


「なんて恐ろしい。……この飴は捨ててしまおう」

 そう呟きながらどたどたと帰っていくおかみさんをライガは片目を開けて見送っていたが、突然ビクンと体を震わせて起き上がった。


「!」

 役屋の中のユニも同時に椅子から跳ね起きる。

 頭の中に母さんヨミの〝警報〟が鳴り響いたのだ。

 扉を乱暴に開け、全身の毛を逆立てて低く唸っているライガに声をかける。

「ライガ! 母さんは何て?」

『シェンカたちからだ。オークが川を渡った。

 全員槍と鎧で武装している。数は三十以上!』

「三十ですって?」


 多すぎる!

 ユニはオークの数を多くてもせいぜい十数人と予想していた。

 別に根拠があるわけではないが、これまで村を複数のオークが襲ったことは数えるほどしかなく、複数といっても二体というのが唯一の例だった。

 同じ森で同時に複数のオークが狩られた例では最大で三体。

 どんなに集まったとしても十体を超えるのは難しいのではないかと思っていたのだ。


「どうしよう、三十人のオークじゃ本当に太刀打ちできない。

 そんなことより親郷から警備兵が来ても、この数じゃどうしようもないわ!」

「オークはあとどれくらいで来そう?」

『あと二時間くらいだそうだ』


「肝煎に知らせてくる!

 あんたは母さんに誰かを連れてシェンカたちと合流するよう伝えてちょうだい。

 追跡を替わったらあの娘たちを連れてきてって。

 直接会って詳しい話を聞きたいわ」


 ユニは役屋に駆け戻ると、心配そうに待っていた肝煎に最悪の状況を伝えた。

 肝煎は傍らの若い村人に警戒用の鐘を鳴らして外で作業をしている村人たちを呼び戻すよう指示すると、すっ飛んでいく若者を横目にユニと打ち合わせを始める。


「三十匹ってのは間違いないのか?」

「ええ、残念ながら。

 親郷の警備兵が加わっても、状況が好転するとは思えませんが、それでもオークの侵入を阻止するしか手はありません」

「確かに、中に入られたらこの村の終わりだな。

 畜生! 三十だと?

 どこからそんなに湧いてきたんだ!」


「とにかく、あいつらが〝馬鹿なオーク〟であることを祈るしかないですね」

「そりゃ、どういう意味だね?」

「おかしいんですよ。

 偵察を送り込んだり、隊伍を整えて進軍したり。

 奴らはどこでそんな知恵をつけたんでしょう?

 私たちの知っているオークなら、村の外壁を破るような頭を持っているとは思えませんけどね」

「恐いことを言わんでくれ。

 こうなったらもう、打ち合わせどおりやるしかあるまい」


 方針は単純明快、籠城してオークを壁の中に入れないことだった。

 外壁は厚みが一メートルほどあり、容易には破られない。

 壁の上には鋭く先を尖らせたさか茂木もぎが埋め込まれ、さらに棘を持った毒茨が巻き付けられている。

 この棘には名前のとおり毒があり、刺されても死ぬことはないが激しい痛みを伴う。


 この壁の上に村人を等間隔で配置し、近づくオークを弓矢で威嚇したり、よじ登ろうとするものがいれば、上から槍で突く手はずになっていた。

 特に大門の両脇には壁よりもさらに高い見張台があり、それぞれ十人ほどの村人を配置している。


 オオカミたちはオークの隙を見て、背後や側面からオークを襲い、一体ずつでも数を減らすことになっていた。


 配置の確認、武器の分配、炊き出しの指示など、やらねばならないことは山ほどあった。

 ばたばたしているうちに、ユニの頭にライガの声が響いた。

母さんヨミがシェンカたちを連れて戻ってきたぞ』

「分かった」


 ユニは駆け寄ったライガの背に飛び乗ると叫んだ。

「ライガ、跳んで!」

 無言でライガは村の広場から外壁へ向けて駆け出す。

 驚いて立ちすくむ村人たちを器用に避け、壁の手前数メートルのところから、ユニを乗せたまま一気に跳躍し、四メートルもの壁を軽々と飛び越えていった。


 村人が呆れたように独りごちた。

「何なんだよあれ。

 あんなのが攻めてきたら壁なんか意味ねえじゃねえか……」


 外壁から少し離れたところで、ヨミとシェンカ・ジェシカの姉妹と行き合った。

 ダラリと泡にまみれた舌を垂らし、ハァハァと荒い息をつきながら、尻尾はバサバサと激しく振れ、彼女たちの興奮を表している。


『ユニねえ!』

「オークの様子は?」

『あんまり近づけないないから、ちゃんとは分かんないけど、三十より少し多いくらいー!』

『みんな同じ格好。革の鎧!

 武器は槍と、あと斧もあったー!』

『一匹だけうんとおっきなオークがいて、そいつが命令してるみたいだったー!』

『おっきな奴のほかは、見たことない小さいオーク!』

『でもでも人間よりは大きいよ!』

 姉妹は争うように報告する。


『あとー!』

 ジェシカが立ち上がって、ユニの肩に前足をドン! と乗せる。

『変なのー!』

 群れで一番小柄とはいえ、ジェシカが立ち上がるとユニと背丈が変わらない。


「変って、何が?』

『んとね、なんか人間の臭いが混じってた!』

「人が? まさか……本当なの?」

『オークの臭いが強くてビミョーだけど、人間が混じってるぽいー!』

 自分も立ち上がってユニに甘えたくて仕方がないシェンカも、足元でうろうろしながら訴える。


「姿は見たの?」

『見てないー!』

 姉妹の返事が頭の中でハモる。

 人質でも連行しているのだろうか。

 ちょっとやっかいだなと思うが、とりあげずこの件は頭の片隅にどかしておく。


 それよりも指揮官役のオークがいて、小柄なオークに命令しているという情報の方が気になった。

 少なくともこの隊長は〝馬鹿なオーク〟ではなさそうだ。


「あとどのくらいで来そう?」

『多分一時間!』

 再び姉妹のユニゾンが響く。

 オオカミたちの声は実際の音声ではないのに、それぞれの声質が違って聞こえるのが面白い。

 「重いってば!」と言いながらジェシカの前足をどかし、ユニは次の指示を出す。


「母さんはみんなを指揮して監視に当たって。くれぐれもオークに気づかれないようにね。

 あたしから指示が出るまでは手を出さないのよ。いいわね!

 それと、人がいるとしたらどういう状況なのか確認してちょうだい」

 ヨミはうなずいて、まだユニと遊びたそうにしてぐずぐずしている孫娘たちを追い立てるように森へ戻っていく。


『ユニ、あんまり無茶しないのよ』

 ジェシカたちの甲高い声と違って、母さんヨミの優しい声は落ち着いたアルトだ。


「あたしたちは村に戻ろう。

 ライガ、もう一回お願い」

 ユニは再びライガの背に乗って大門の前まで駆け寄ると、上の見張りに着地点の周囲を空けてくれるよう頼んだ。


「よし!」

と声をかけると、ライガは数メートル戻ってから一気に加速し、再び跳躍して大門を飛び越えた。

 壁の内側に着地すると、こわごわと見ていた村人たちのどよめきが起きる。

 心配そうに駆け寄ってきた肝煎に手早く状況を説明すると、再度念を押す。


「とにかく相手の出方を確認するまでは、手出しをしないでください。攻めてくるからには何か壁を突破する策を考えているはずです。それが何か分かったら、全力で邪魔をする……情けないですが、今の私たちの戦力ではそれ以外の手はありません」


 村人たちは不安な顔で再び迎撃の準備に取りかかった。

 ユニは役屋の前の水汲み場で桶を逆さにして腰をおろすと、腰の刃物を抜いた。

 それは先の尖った片刃の包丁に似た形をしているが、包丁よりは一回り大きく、厚い造りをしている。


 狩猟民たちが〝ナガサ〟と呼ぶ山刀である。

 ユニはこれを二本腰に差していて、左腰のナガサは木製の柄、今抜いた背中の方に差しているそれは金属製の柄で、中が空洞となっている。


 ユニがいつも持ち歩いている木の棒をこの柄にねじ込むとぴったりとはまった。

 柄に空いた穴に目釘を打ち込んで固定すると、蔓で丁寧に柄を巻いていく。これで片刃の短槍となる。


 ライガはその作業を見ながら不満そうに鼻を鳴らす。

『お前、前線に出る気満々だな。

 召喚士ってのは安全な後方から指示を出すもんだって学校で習わなかったのか?』

「あいにくその授業は居眠りしてたに違いないわ」


 ユニはにやりと笑うと立ち上がり、ポンポンと服の埃を払った。

「自分の身は自分で守るわ。

 それにジェシカとシェンカをいじめる奴は、いつだってお姉ちゃんがお仕置きしてやるのよ」


 ライガは「はあああああっ」と大げさなため息をついた。

 オオカミにもため息がつけるのかとユニが驚くくらい、見事な嘆息だった。

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