鬼の軍勢 二 追跡

 朝、ユニはオオカミの群れの前で指示を出していた。


「みんな、昨日のオークの匂いは覚えているわね。

 今日はそれ以外のオークの痕跡を探すこと。二頭一組で行動するのよ。

 もし、オークを見つけたら、絶対に気づかれないよう一頭は追跡、もう一頭はすぐに連絡すること。

 ハヤトとミナは東をお願い」


 ライガほどではないが、大柄なオスのハヤトがうなずき、一回り小柄なミナが傍に寄り添う。

 ハヤトは群れの序列二位で、青みがかった灰色の体毛をしている。

 はぐれオオカミだった彼をライガが群れに迎え入れ、ミナとペアになった。

 ミナはライガの娘で、母親譲りの赤みがかった茶色い体毛をしている。

 真面目で自らの役割をきっちりとこなす優等生だ。


「ジェシカとシェンカは南を」

 群れの中では最も小柄で若い二頭のメスがキラキラとした瞳を向け、すぐにでも駆け出そうとしている。

 二頭はハヤトとミナの娘で、群れでは一番若い二歳半の姉妹だ。

 生まれた時からユニと遊んで育ったので、ライガを除くと彼女と最も仲がいい。


「トキとヨーコさんは北をお願い」

 落ち着いた様子のオス、トキと思慮深い瞳を持つ〝ヨーコさん〟と呼ばれたメスが座ったまま静かにうなずく。

 トキもライガの子どもで父親に似た黒灰色の毛並みをしたオスだ。

 沈着冷静、穏やかな性格で、ペアのヨーコを深く愛していた。


 ヨーコは白に近い薄い灰色の美しいオオカミで、若い姉妹の次に小さい(それでも体長は百八十センチ近い)。

 あまり多くを語らないが、もともとは幻獣界ではなく、この世界に住んでいたそうだ。


「ライガと母さんヨミは村の周辺を調べてちょうだい。あたしも一緒に行く」

 ヨミはライガとペアを組む赤茶色の毛並みを持つ大柄なメスだ。

 ユニを含めてみんなから〝母さん〟と呼ばれ慕われている。

 統率力にも優れ、ライガがユニに従って群れを離れている間は群れをまとめている。序列二位のハヤトもそれに従っていた。


 群れのオオカミたちは、タブ大森林のそれぞれ言い渡された方角に向かって駆け足で散っていく。


 ユニのオオカミたちは〝幻獣〟と呼ばれる。

 この人間界とはどこか別の次元に暮らす生き物たちで、召喚士が媒介となってこの世界に呼び出し、契約によって使役することができる。


 幻獣たちには、ドラゴンのようなおとぎ話に出てくる怪物や、特殊な能力を持ったものもいれば、ライガたちのように、この世界の同種族よりはるかに高い身体能力を持つものもいた。


 共通するのは高い知性を持ち、召喚士と意思の疎通ができることだった。

 召喚士の能力は十代の後半あたりから顕在化し、満十八歳になると儀式が行われ召喚が可能となる。

 それから二十年近くは能力が継続するが、やがてそれは急速に衰えて消滅する。


 召喚士の能力が消失すると幻獣たちはこの世界に留まることができなくなり、自分たちの世界へ帰っていく。

 召喚士が死亡した場合も同様である。

 幻獣の中には高い戦闘力や特殊な能力を持つものがおり、それは国にとって他国に対する強大な戦力となった。

 したがって召喚士の発見・育成は国の命運を左右するといってよかった。


 そのため国は全国民に対し、生まれた子どもが一歳を迎える前に、召喚士の能力があるかどうかの試験を義務づけている。

 特殊な魔道具を子どもに近づけ、反応があった場合、その子は満六歳の誕生日を迎えた日に、国の養成機関に強制的に入所させられることになっていた。


 だが、年間に生まれる王国の子ども、およそ二十万人のすべてを検査しても、能力ありと認められて養成所に送り込まれる子どもは十人に満たなかった。

 そういう意味では召喚能力を持った赤子は、国にとってまさに金の卵だったが、親にとっては血を分けた我が子を引き離されることを意味していた。

 そこで、貴重な子どもたちを親が隠したり逃げ出したりしないよう、両親に高額の支度金が用意されるだけでなく、その子どもが所属する地域社会全体にも税金や使役の軽減といったボーナスを与えることで、地域に逃亡の防止のための監視をさせる仕組みとなっていた。


 王立魔導院と名付けられた養成所では、六歳から十二年間、国費で教育と訓練を行い、召喚士を育てあげる。

 しかし、十八歳となり召喚の儀式を行っても、必ずしも国家が望む能力を持った幻獣が召喚されるわけではなかった。


 年に十人足らずの卒業生のうち、一級召喚士(一般には〝国家召喚士〟と呼ばれる)として国に仕えるのは、一、二人いればいい方で、該当者ゼロという年も珍しくなかった。

 それ以外の〝役に立たない〟と判断された召喚士は、二級召喚士という称号だけを与えられて、院の保護下から世間に放り出された。

 中にはそのまま生まれ故郷の町や村での生活に戻る者もいたが、彼らの多くは一般兵士として軍に入るか、辺境で賞金稼ぎとして生きていく道を選んだ。

 ユニもその一人である。


 このリスト王国は、ゴンドワナ大陸東部のガザ平野西部(王国民は中央平野と呼んでいる)に王都を構え、周辺に勢力を張る国家である。


 西に急峻な山岳地帯、北に大河ボルゾ川、南には広大な岩石砂漠地帯が海のように広がることから名付けられた〝ハラル海〟、東部にタブ大森林という天然の要害が外敵の侵入を防ぎ、肥沃な平野での農業生産と、大陸の南北を結ぶ交易路の中継地点として繁栄を享受してきた。


 しかし、国が繁栄すれば人口が増加する。

 主な産業である農業は、その人口を支えるために農地の拡大が求められる一方で、農家の次男以下の者たちには独立して耕すべき土地がなかった。

 西も北も南も、国を護る要害ではあったが、農地にはなり得なかった。

 残る選択肢として、東部のタブ大森林を切り拓き農地とする以外、問題を解決する方法がなかったのである。


 そこで次々と国の東部辺境地帯に開拓村が生まれたが、ことはそう簡単に進まなかった。

 タブ大森林には針葉樹の原生林が広がっていた。巨木を伐り倒し、それを用材として家を建て、柵を囲うところまではよかった。

 地中に根を張った切り株を人力だけで掘り返し、どうにか広い平地を作り出しても土地があまりに痩せていたのである。


 これが広葉樹林であったなら、毎年の落葉が腐葉土となり、それなりに地力のある農地が生まれたのであろうが、常緑針葉樹林では落ち葉があまり堆積しない上、一年中陽光を遮る大樹のせいで下草が育たず、実のなる灌木も少ない。

 生息する虫も、それを餌にする鳥も少ない。

 同様にネズミやウサギといった小動物も少なく、狩猟も大して期待できない環境だった。


 開拓民たちは試行錯誤の末、北方諸国で盛んに行われているという牧畜に活路を見出した。

 切り拓いた土地は穀類を育てるには痩せすぎていたが、陽光を浴びた土地には雑草があっという間に生い茂った。


 ここに交易路を通じて移入した羊を放ち、その羊毛や乳、肉を生産することにしたのである。

 乳製品や羊肉を食べる文化は王国にはないものだったが、人々は抵抗なくそれを受け入れた。

 やがて家畜の糞尿と敷ワラが肥料となり、徐々に地力が上がって放牧地の一部が農地に転用できるようになってきた。


 こうして森を切り拓いて羊を放牧し、数年後に農地に転用するというサイクルが確立すると、辺境の開発に加速がかかった。

 王国の版図は東に拡大を続け、一層の繁栄が約束されたかのように思えた。

 変化が訪れたのは三十年ほど前のことである。


 千キロメートル以上続くタブ大森林の先には、東洋海と呼ばれる外洋が広がっており、北の大河ボルゾ川もこの東洋海に注いでいる。

 タブ大森林の東端、つまり東洋海沿岸近くにはサクヤ山という独立峰の活火山があるのだが、この火山が約五十年前に大噴火を起こしたのだ。


 噴出した火山灰が空を覆い、遠く離れた王国にも降灰や天候不順で農業被害があった。この大噴火の後、サクヤ山の麓に巨大な〝穴〟が出現したのである。


 王国がこの穴の存在を知ったのは、噴火の数年後だったが、その頃から辺境の開拓村でオークに襲われる被害が出始め、十数年後には被害件数が急増して大きな問題となった。

 オーク自体は南部ハラル海の先、人間が住まない密林地帯に少数生息していたが、近くを通る通商路で隊商が襲われる事件が年に数度発生するくらいで、ほとんど人間との接点がなかった。


 それが突然、開拓村の羊をオークが襲うようになったのである。

 オークがどこから来たのか、当初は誰にもわからなかったが、ほぼ例外なく単独で出現すること、オークの〝村〟のような生活の根拠地が、どれだけ捜索しても見つからなかったことなどから、何らかの理由でどこかから迷い出てきたのではないかと推測された。


 十数年にわたる調査で、オークの出現場所はまったくのランダムで、何の法則性もないことだけが明らかになった。

 これらのオークたちは〝はぐれオーク〟、あるいは単に〝はぐれ〟と呼ばれるようになった。

 食料が豊富とはいえないタブ大森林で、はぐれオークたちは簡単に行き詰まった。


 そのまま餓死してしまう個体も多かったが、幸運にも大森林の最西部に到達できた者は、人間の飼う家畜というものを目にして驚喜した。

 大量の獲物が柵に囲われて、どこにも逃げられない状態で目の前に存在する。

 もし彼らに宗教というものがあったなら、神に感謝の祈りを捧げたことだろう。


 はぐれオークは村を襲い、羊だけでなく、時には村人が犠牲になることもあった。

 南部密林地帯に生息するオークは人間よりは大柄だったが、二メートルを超す個体はめったになかった。

 しかし辺境に出没するはぐれオークは二メートルを超す個体がほとんどで、好戦的で非常に凶暴だった。


 開拓村の訴えを受けて、当初は国も軍を動員してオークの駆逐に当たったが、いつ現れるかわからないオークのためにすべての開拓村に兵を常駐させるのは、恐ろしい額の経費が必要だった。

 いや、それより先に、食料や宿舎を負担させられた開拓村の方が悲鳴を上げた。


 そこで国は、オークに対して討伐報奨金を出すことにした。

 それまでは軍人になる以外、せいぜい野盗相手の用心棒程度しか仕事のなかった二級召喚士たちはこれに飛びついた。

 さらにオークの被害に遭った開拓村では、自分の村に優先して召喚士が来てくれるよう、独自に報奨金の上乗せを行ったので、このころ召喚士といえば〝オークを狩る者〟を意味するようになっていた。


 ユニもその賞金稼ぎの一人であった。

 もともとオオカミは群れで狩りをする。

 獲物を長時間追跡して集団で仕留めるのは最も得意とするところだった。


 ほかの召喚士がオークの襲撃を待つしかないのに対し、ユニはこちらからオークを捜索して見つけ出し、狩り殺すことができた。

 そのためユニは〝凄腕〟の召喚士として辺境では引っ張りだこになっていた。


 なお、国はサクヤ山麓の穴がオークの出現と何らかの関係があるのではないかと考え、数度にわたって国家召喚士を含めた調査隊を穴の中に送り込んでいた。

 しかし、そのいずれもが帰還しなかったため、根本的な原因の追求を断念して久しかった。


 ライガはユニを背に乗せて、ゆっくりと村の外壁の周囲を歩き回った。

 ヨミも少し離れたところを同じように地面の匂いを嗅ぎながら歩いている。

 何度かは二頭で顔を見合わせ、近寄って何かを確かめるような仕草も見せた。


 村の外壁はかなり頑丈なもので、高さは四メートル近い。

 ライガはその壁から十メートルほどしか離れていない草むらに鼻面をつっこみ、入念に匂いを確かめていた。


「オークの匂い?」

 ユニが尋ねる。

『間違いない。昨日の奴とは違う匂いだ。

 なめした革の匂いもかすかに残っているから、鎧を着たオークってのは確からしいな』


「こんなに近いところまで……。

 でもなんで放牧地の方じゃなくて、村の外壁に近づいたんだろう?」

『さあな、いずれにしろこの匂いはだいぶ薄い。

 ここに来て、しばらくうろついてから戻っているようだが、五六日は前のことだろうな』

『あたしはこの匂いの痕跡を追えるところまで辿ってみるよ』

 ヨミの声が頭に響く。


「気をつけて。あまり離れすぎないでね」

 ユニとオオカミたちはかなり離れていても会話ができるが、お互いの姿が確認できる距離までで、姿が見えないくらいに離れると、何かがあったらしいことが伝わる程度になる。

 森の入ってた三組のオオカミたちはかなり奥まで進んでいるらしく、彼らとはまったく連絡が取れなくなっていた。


『さて、俺たちはもう少し外壁の周囲を探ってみよう』

 ライガは再び歩き出した。。

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