理想の世界で感じる絶望

 キーン、コーン、カーン、コーン。


 もう授業が終わったのか。

 正直この日の俺は、まったく授業内容が入ってこなかった。

 そりゃそうだ。友が死んだのに、聞く余裕なんてない。

 それを察したからなのか、先生も生徒たちも俺がボーっとしていていることを、 まったく注意したりからかったりしなかった。

 だがそのせいで、まったく時間間隔がわからなかった。

 今、何時だろう?

 そうだ。それならせめてヒロちゃんに……。

 あっ……。

 こういうことをすぐに思ってしまうのも、悲しい。

 だから死んじゃったんだってば。

 死んじゃったん……だってば。

 こういうことを考えると、涙が止まらなくなる。

 そして申し訳なくもなって、激しく後悔する。

 二日前、ヒロちゃんが俺のことを起こした時に、いなくなればいいと思っていたことを思い出す。

 なぜあんなことを思ってしまったのか。

 冗談に決まってるじゃないか。

 本当に悪かったよ。

 嘘なんだから……、お願いだから戻って来てくれよ。

 こんなことを思うと、また涙があふれる。

 涙はガスマスクの中で溜まっていき、最初は顎のみだったが、そこからどんどん上がっていって、口元の方にまで溜まってしまった。

 このままでは息苦しくなるので、洗面所に行き、マスク部分を開いてそこから溜まった涙を流す。

 そして再び泣くと涙が溜まってきて、また洗面所に行く。

 今日はこれの繰り返しになってしまった。

 もちろんこの時間になって、声をかけてくれる人はいない。

 普段聞いているあの元気な声はもう聞けない。

 本当に悲しい。

 ごめんよ、ヒロちゃん。何もしてやれなくて。

 俺は帰る際、一つ前の机に手を置いて、そう呟いた。



 外の風景はいつも通りだ。

 でも話す相手がおらず、吹いてくる風が本当に冷たかった。

 俺はその頃には、様々な場所に怒りをぶつけていた。

 それはいろんな疑問が出てきていたからだった。

 まず、なぜヒロちゃんにウイルスが付着してしまったのか。

 もちろん他のやつに着いて欲しいということを、心の底からは思っていない。

 でもそれがヒロちゃんじゃなければ――。

 そしてなぜ体内に入り込んでしまったのか。

 ガスマスクをしっかりと着けていたはずだから、ウイルスが体の中に入り込むということはないはず。

 ただ今思うと、ふざけて外そうとしていたこともあったよな……。

 そして何より、どうして心臓に入ってしまったのか。

 体の中に入り込んでしまったとしても、他の部位ならば死ぬことはなかったかもしれなかったのに……。

 例えば肺に付着してしまったとしても、一つしかなくならないから、息苦しくはなるものの死ぬことはないだろう。

 骨に付着すれば最初は不便かもしれないが、軟体動物のようにグニャグニャになるだけなので、生きていく上では支障はない。

 それこそヒロちゃんなら、それを面白がるだろう。

 脳に付着をすれば、考えることは出来なくなるためバカになってしまうが、息をすること自体は忘れないだろうから、生きるのに問題はないだろう。

 ヒロちゃんなら、治った時に自分がバカになっていたことを面白がって、自分の武勇伝として話したかもしれない。

 いずれにせよこういう展開なら、うるさくて普通なら腹が立つのだろう。

 ただ今は、そんなうるさい声でもいいから、聞きたい。

 何度でも何度でも、聞きたい。

 それこそそこの角を曲がったら、いきなり「よっ!」って出てきたりしてくれ。

 そう思って角を曲がると、そんな願いもすぐに儚いものであるということを実感する。

 俺はいつもの道を見て、また切ない気持ちになるのだった。

 とにかく悔しくて悲しくてたまらない。

 単に運が悪かったという一言で、終わらせることなんて出来ないよ。

 もう少し俺自身、神経をとがらせていれば何とかなったかもしれない。

 そんなことにも気付いてやれないなんて……、俺は友として最低だ。

 ただもちろん、ウイルスが入り込むことに気付くことが難しいということもわかってはいた。

 そう思うと、なぜヒロちゃんが、なぜ体内に、そしてなぜ心臓に――。

 もう頭の中はグチャグチャだ。

 誰が悪いのか、何が悪いのか、どこにこの怒りをぶつければいいのか。



 ああああああああああ!



 ふと右を見ると、いつもの畑に来た。

 畑には一昨日同様、稲穂がしっかりとついており、野菜がたくさん実をつけている。

 それを見ていると、だんだん腹が立ってくる。

 どうしてお前たちは、そんな健気に実を作っているのか。

 どうしてお前たちは、病気にもかからず元気に育っているのか。

 そして、いいよな、お前たちは。

 レス病に絶対にならないのだから。

 そう考えていると、畑を思いっきり荒らしたくなる。

 目の前の稲をちぎり取って投げつけてやろうか。

 投げつければその時点で、お前は育つことができなくなるんだぞ。

 その隣のトマト。お前だってそうだ。

 お前は投げつければ、果肉が飛び散って周りに迷惑になるんだぞ。

 目の前にあるそこの車だってそうだ。

 お前だって傷つけてしまえば、もう動くことはできなくなり、ただの大きな鉄の塊となるんだぞ。

 お前らはすべて、俺ら人間によって操られてるんだ。

 俺らがその気になれば、すべて破壊することができるんだ。

 それでも、それでも、いいのか……。

 ……。


「うわああああああああああああああ!」


 さらに気がおかしくなって走り出した。

 理由はわからない。

 ただとにかく無償に走りたかった。叫びたかった。

 わかっていた。

 どれだけ暴れても、どれだけ他に八つ当たりをしても、気持ちが満たされないことは。

 ヒロちゃんはどうやったって帰ってこないのだから。



 俺はとにかく全力で走り続けた。

 途中何度か車に引かれそうにもなったし、人にぶつかってどなり声を飛ばされもした。

 しかしそういうのは気にならなかった。

 そしてなんとか家まで着いたのだった。

 だがその瞬間にあることが思い浮かんだ。

 そうだ。車にぶつかってしまえば良かったじゃないか。

 もしかしたらそれで死ぬことが出来れば、ヒロちゃんと天国でまた会えるかもしれない。

 生きているか死んでいるかなんてことはどうでもいいし、合う場所もどこでもいいや。

 会うことさえ出来れば、それだけでも俺としては嬉しい。

 また一緒になれたねって言えるから。

 また一緒にたくさん遊べるから。


 ガチャ。


「あら。おかえり」


 そんな俺の気持ちを考えずにばあちゃんが出迎えてくる。


「外で音がしたから開けたけど、入って来ずにどうしたんだい? さっきからずっとそこに突っ立っているけど」


 俺の気持ちはすぐに揺らいだ。

 少し冷静に考えれば、当たり前のことを忘れていたのだった。

 俺が死んでしまったら、誰が悲しむと思ってるんだ。

 ばあちゃんとも摩夕とも、会えなくなってしまうんだぞ。

 そんなの……、やっぱり嫌だ!

 またばあちゃんの優しい声を聞きたい。

 またばあちゃんの淹れてくれる暖かいお茶を飲みたい。

 またばあちゃんの昔の話を聞いて癒されたい。

 また摩夕と一緒に遊びたい。

 また摩夕の笑顔に元気をもらいたい。

 そして今は何より、摩夕を救ってやることが兄としての責務じゃないか。

 これだけいろんな役割や楽しみが待っているのに、それを無視して相手を悲しませることなんて出来ないよ……。

 でも、ヒロちゃん――。


「どうしたんだい? 具合でも悪いのかい?」

「……何でもないよ」

「本当かい? さっきから体が震えているけど」

「何でもないって言ってんだろ!」


 俺は適当に靴を脱ぎ捨て、猛ダッシュで自分の部屋へと上がっていった。

 ばあちゃんが後ろから声をかけていた気もするが、そんなの聞こえなかった。

 とにかく今は、誰とも話したくはない。

 一人にして欲しい。

 そんな意思表示を、身勝手に表現しながら――。

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