理想の世界でレスしたもの

 翌朝になった。だるい月曜日の始まりだ。

 昨日は久しぶりに摩夕と遊んで、本当に楽しかった。

 しかしその影響か、今日は背中や首に痛みがあった。

 そりゃそうだ。昔、おうまさんごっこをやっていた時は、まだ小学生同士。

 背中に乗せるにしたって軽いので、まったく問題はなかった。

 だが今はお互いに高校生。

 成長したせいで、見事に重くなっていたのだった。

 加えてお菓子の食べ過ぎも絶対に影響してるな、これは。

 さらに高校生になったことで少しやんちゃにもなっており、新たな楽しみ方を考えていたのだ。

 それは競馬の騎手のように、ムチを使うというものだった。

 もちろん本物のムチではなく、制服のスカートのベルトだったわけだけど。

 確かに競馬とかの際に、馬をより速く走らせるためにムチを使うということはよくある。

 でも俺は人間なんだから、そんなこと出来るわけがないだろ!

 そのせいで無理に速く走らされたため、足にも少し痛みがあり、ベルトを打たれた首にも痛みがあった。

 結局まとめれば、休めてなんかいない。

 はぁ……、いててて。

 これじゃ今週、体が持つかわからないな。

 ……いろいろ考えても時間は来ちゃうから、さっさと起きるか。

 いててて……。それじゃあさっそく一階へ。

 と思ったけど、その前にまた確認をしなくては。

 えーっと、どこか消えてはいないよな……。

 ――うん。大丈夫そうだ。

 やっぱり体が痛いことと、体が消えてしまうことは関係ないようだ。

 これで一通り確認は終わったので、さっそく一階に下りて行った。



「おはよー」


 いつものばあちゃんの声だ。

 本当に安心する。

 昨日はあれだけ苦しんでいたのでどうなったかと心配していたが、この感じなら本当に大丈夫そうだ。


「ほぉふぁほう(おはよう)」

「おはよう、ばあちゃんにまよ。というかまよも起きてたんだな」

「ふん! ふぉおへんがほ(うん! 当然だよ)」


 摩夕はそう言って胸を張った。

 そりゃあれだけ元気に遊んだらよく眠れるだろうし、ばあちゃんのことを心配しているなら、早くも起きれるだろう。

 俺との違いに少し嫉妬する。


「早く食べな~。今日は学校でしょう~」

「あっ、はいはい」


 俺は急いで朝ごはんを食べた。



 やっぱり美味かった。この味を堪能できるだけでも本当にありがたいな。


「ごっそーさん」

「もう行くのかい?」

「うん。今日は早めに行かないと、朝学習の日だからね」

「そうだったねぇ。頑張ってくるんだよぉ」

「うん。ありがとう」


 俺はさっさと支度をして、革靴を履く。


「ちょっと、これを忘れてるよぉ~」


 ばあちゃんがそう言うと、摩夕がハンカチを持って来てくれた。

 いけない、いけない。

 またやってしまった。


「ありがとう。まよ」


 摩夕からハンカチを受け取った。その表情は、双方とも笑顔そのものだ。


「ひぃっふぇひゃっはーい(行ってらっしゃーい)」

「うん。行ってきます」


 その笑顔の妹から元気をもらい、俺は学校へと向かった。

 体は痛いけれど、心はとても穏やかな朝だった。



 道中はまだガスマスクを外せないので、ちゃんとした風景を見れないが、これももう少しで普通に戻る。

 やっぱりいろいろと不便なので、さっさと元に戻って欲しい。

 しかしここから見える風景は、理想の風景のような感じもする。

 とすると、このままでもいいような気が……。

 何というか本当に複雑な状況である。

 こういうときはいろいろ考えてもしょうがないから、学校で友達と絡もう。

 どうせヒロちゃんが待っててくれているだろうから、適当にくだらない話をして盛り上がれば、すぐに忘れるだろう。

 そう思った俺は、いつもよりも小走りで学校へと向かうのだった。



 学校に着いた。

 こういう時に元気な友がいるというのは、本当にありがたい。

 俺は学校に入るなり、小走りよりもさらに速いスピードで、教室に着いた。

 ガラガラ。

 少し勢いをつけて教室のドアを開ける。


「おはよう」


 と言おうとしたのだが、ヒロちゃんの姿はそこにはなかった。

 珍しいな。俺より早く教室にいることが多いのに。

 いつもなら俺が入ってくるとすぐに「おはよう!」と、とんでもなくでかい声で挨拶をしてくる。

 毎回毎回うるさいとは思うが、それがあいつなのである。

 でも今日は一体どうしたんだろう?

 でも深いことを考えてもしょうがないから、ゆっくり小説でも読んで待ってるか。

 俺は自分の席に座って小説を開いた。

 このラブコメ小説面白いんだよな。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「私……、あなたのことが好き」

「俺もだよ」

 こうして二人は永遠の愛を誓うのだった――。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 あぁ、面白かったなぁ。

 のんきに小説を読み終わった俺は、その小説をバッグに戻した。

 えーっと……、あれ? まだヒロちゃんは来てないのか?

 教室は少しずつにぎやかになってきていた。

 だいぶ時間が経ったことはわかる。

 ただこれだけの生徒がいるにもかかわらず、ヒロちゃんがいなかったというのは、過去に数例しかない。

 あいつは今まで遅刻なんて一度もしたことがないので、その可能性は極めて低い。

 ならば体調でも崩したのだろうか? 風邪でも引いたのかなぁ?


 キーン、コーン、カーン、コーン。


 こんなことをいろいろと考えていたら、朝のチャイムが鳴った。

 いかんいかん。ちゃんと準備をしなければ。

 何とか朝のホームルームの準備を終えると、ちょうど先生が入ってきた。

 ……なんか足取りが重いような気がする。


「おはようございます」


 生徒全員で挨拶をする。


「うん……。おはよう」


 先生が挨拶をする。

 が、いつもよりも明らかに覇気がない。


「今日はみんなに、伝えなければならないことがある」


 生徒全員がざわつき始める。

 この感じで俺らに伝えなければいけないこと?

 冷静に考えて、給食費が盗まれたというレベルの話でないことはわかる。


「実は……」


 ここからしばらく間が空く。


「実は昨日……」

「……」

「……」

「……」

「実は昨日、我がクラスの本郷寛茂が、ご逝去したそうだ」

「……!」



 俺は自分の耳を疑った。

 正直ガスマスクのせいでよく聞こえていなかったのもあった。

 いや本当は聞こえていると思いたくなかった。

 聞き間違えているものだと思いたかった。


「どういうことですか? 先生」


 誰かがこう尋ねたことで、もう一度耳に入ってくることになってしまう。


「今言った通りだ。昨日、本郷寛茂が亡くなったんだ」


 亡くなった?

 寛茂……。ヒロシゲ……。ヒロちゃんが?

 血の気が引いて、寒くなっていくのがわかる。

 周りの音も、少しずつ聞こえなくなり始めていた。

 そんなことなんて……。


「ど、ど、ど……」


 俺は先生に聞きたいことがあった。ただそれをなかなか聞けない。

 別に遠慮しているわけではない。

 ただヒロちゃんが亡くなったという事実を否定したい。

 その思いがあったから聞けなかった。


『おい。そんなにモジモジしてるなら、早く聞いちゃえよ』


 しかし普段なら、こうして俺を促してくれるやつが目の前に確かにいる。

 それが今日はいない。

 この状況が、俺が否定している事実をより鮮明にしている。

 ただそれでも……、やっぱり……。


「おい。どうしたんだ?」


 先生がそんな俺に気付いた。

 ぶっちゃけ気付いて欲しかったが、気付いて欲しくなかった。


「ど、ど、どうして?」

「うん?」

「どうしてヒロちゃんは死んだんですか!?」


 俺は泣きそうになっていた。少しずつ現実を受け入れていたのかもしれない。

 いや、本当は違うのかも。


「寛茂はな……、レス病になってしまったんだ」

「えっ?」

「それで死んでしまったんだ」

「いや、待ってください!」


 俺は少しだけ冷静になっていた部分があった。だからおかしいと思った。

 レス病で死ぬわけがない。

 たとえ生きることに支障が出るとはいえ、鼻が無くなっても口が無くなっても、息をすることは可能だ。

 他の部位が失われてしまったとしても、死ぬというところまでは行かないはず。

俺はそう思い、先生に必死に伝えた。


「だから先生! ヒロちゃんはまだ生きてるんじゃないんですか!?」


 しかし先生の表情が変わることはなかった。そしてこう言った。


「やつはな。『ハートレス病』になっちまったんだよ」

「……!」

「ハートレス病で死んでしまったんだ」

「……」


 俺は言葉を失った。

 今までの俺のレス病に対する考えを全否定する発言だった。

 それから少しして、五日前の病院での出来事をうっすらと思い出した。

 こういう時に変に機転が利いてしまうことがあるのは、なんとも皮肉だ。

 そしてそれを思い出した後、俺は背筋が凍った。

と、同時に悔しさも募り始めていた。



 俺はここに来て、ようやくこの病の本当の恐ろしさを知ったのだ。

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