終了のカウントダウン

 朝になった。

 今日もよく晴れた良い朝である。

 しかし、だるい。

 今日は土曜日だが、学校がある。めんどくせー。

 俺はゆっくり起き上がると、自分の部屋で制服に着替える。

 そしてここ最近日課になっている、ある確認をする。

 それはもちろん、自分の体のどこかがレスしていないかの確認だ。

 ぶっちゃけ、いつもの朝と同じような見え方である。

 体に不便があるわけでもないし、痛みもないので、多分大丈夫だろう……。

 もし何かが無くなってしまっていたら、それはとんでもないことになる。

 果たして今日は?


 頭、よし。

 目、よし。

 鼻、よし。

 口、よし。

 手、よし。

 お腹、よし。

 背中、よし。

 お尻、よし。

 足、よし。

 見た感じ、特に問題なさそうだ。良かった。

 やっぱりよくわかっていない病気になるのは嫌なので、本当にホッとする。

 摩夕がレス病になったのを目の当たりにしてからは、なおさらだ。

 ひとまず安心したので、俺はさっさと階段を下り、一階のリビングへと向かった。



「おはよう」


 俺はいつものように挨拶をする。


「あら、おはよう。ちゃんと寝れたかい?」


 ガスマスクをしているが、ばあちゃんが温かい笑顔で迎えてくれる。

 これだけでも俺としては安心できる。

 俺は大丈夫だよと言いながら、ゆっくりといつもの場所に座った。


「まだ、まよは起きてきてないんだね」

「そうみたいねぇ」

「大丈夫だよ。昨日あれだけ一緒に遊んだから、元気ではあると思うよ」

「そうだといいけどねぇ」


 やっぱりばあちゃんは心配してるんだな。

 現在親という立場だから、仕方がないのかもしれないな。


 ドンドンドンドン。


 ただそんな心配はいらなかったらしい。

 階段を下りる元気な音で、そう察した。


「ふがーーー!」


 摩夕が元気な姿を見せた。

 というかまだ般若やってたんかい!


「ほふぁほぉう(おはよう)」

「おはよう。昨日はよく寝れたかい?」


 摩夕は首を大きく縦に振った。


「それなら良かったよぉ。まよちゃんのために朝食を作ったから、早く座って食べましょう」

「ふぁーい(はーい)」


 そう言うと摩夕は、俺と向かいの席に座った。

 いつもの席だが目の前の妹が元気だということだけで、居心地が全然変わる。


「お、おはよう」


 俺が摩夕に挨拶をする。

 いつもはこう言っても無視されてしまうが――。


「ほがほぉう(おはよう)」


 今日はしっかりと返してくれた。ホッ。

 こんな当たり前の会話をすることさえも久しぶりな感じがする。

 今までは何を言っても相手にされなかったからな。

 そうした意味で今の兄妹の関係は、俺がかつて思い描いていた通りになっている。

 摩夕が生まれた時は、妹が出来たことを喜んだものだ。



 そんなことを考えていると、さっそくばあちゃんが朝食を持って来てくれた。


「簡単なものになっちゃったけど、しっかり食べるんだよぉ」


 そう言うけど、いつもばあちゃんの作る料理は手の込んだものばかりだ。

 今日は目玉焼きだったが、横には焼いたハムに焼いたウインナー、それに茹でたにんじんとキャベツが添えてあった。

 ご飯と味噌汁もついているが、味噌汁の具も様々な食材が使われている感じだ。

 さらにはグリーンスムージーまである。これも見た感じ、畑で採れた野菜をふんだんに使っている感じがする。

 これだけ用意して簡単なものって……。

 田舎の人の感覚は少し違うのだなぁ。

 ただこれだけ用意してくれるのは嬉しいので、ありがたく頂くことにしようっと。

 ……あれ?

 摩夕の方を見ると、少し面白くない顔をしていた。

 俺、何か悪いこと、した?

 俺はそう思ったが、冷静に彼女の方を見ていると気がついた。

 そうだった。

 摩夕は離乳食だった。

 昨日とほぼ同じ感じの、にんじんをすり潰してお粥と混ぜた離乳食。

 今日はそれに刻んだハムが散らしてあった。

 ばあちゃんなりに工夫はしたようだ。

 しかし目の前にそれより美味しそうな料理があれば、やっぱりそちらの方に目が行ってしまうのだろう。

 もちろん、うまく噛みきれないので、目玉焼きを食べさせてやることは出来ない。

 何とも歯がゆい気持ちだ。

 俺は出来る限り笑顔を見せないようにして、そっと食事を始めた。

 それにしても……、ものすごく食べづらい。

 というのも食事をするときは、ガスマスクの通気口のところを開けて、そこから食べ物を入れなければいけない。

 その口も決して大きくはないので、箸やご飯粒、キャベツの葉の一部がガスマスクにひっつくのだ。

 少しイライラもしてくる。

 ただ前を見ると、摩夕が静かに食事を始めていた。

 少し俺の気持ちを感じ取ったのか、気を遣っているようにも見える。

 病人にまで気を遣われるとは……。

 俺は自分の立場に恥ずかしいと思いつつ、病気にはなりたくないとも感じるのだった。



 そんなことを思っていると、ばあちゃんがテレビをつけてくれた。

 ばあちゃん、ナイス。能天気ではあるけど。

 これで少しは気を紛らわすことが出来る。


「おはようございます。七時になりました。ニュースをお伝えします」


 基本的に我が家では、ばあちゃんの勧めもあって毎朝のニュースを欠かさず見ている。


「今朝、お伝えするニュースはこちらです」


 アナウンサーの言葉で、今日伝えるニュースのラインアップが出てくる。

 ちなみにアナウンサーもガスマスクをつけているが、ニュースをしっかり伝えるためか、マスクの口元のところだけは開いていた。

 すごく妙な光景である。

 しかしそんなことはすぐに頭から消えた。

 よく見ると上から二番目に気になる記事が書いてあった。


『レスウイルス 終息間近』


「ふぁっ、ひふぇひふぇー(あっ、見て見てー)」


 摩夕がばあちゃんを誘って、テレビの方を指さす。

 摩夕もすぐに気がついたようだ。


「どうしたんだい?」

「ほふぇ。ほふぇはひょー(これ。これだよー)」


 摩夕は夢中で『レスウイルス 終息間近』の記事を指さした。

 ばあちゃんはゆっくりとした口調で、その『レスウイルス 終息間近』の字を読んだ。

 妹が夢中であるのとは真逆なほど、ゆっくりとした口調で。


「あら。良かったじゃないの。そろそろ終わるのねぇ」


 ばあちゃんの顔にも、安堵の表情が見えた。

 普段のばあちゃんの声だろうが、その表情が平和な日常への足音にも聞こえる。


「まだ具体的な日にちとかは決まってないのかな? しばらく見てみようぜー」


 俺も気になったので、二人に促進をしておく。

 もう少し詳しい情報があれば欲しかったから。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 しばらく食事をしながら待っていると、『レスウイルス 終息間近』の番となった。


「今年全国で猛威をふるったレスウイルス。まもなく終息を迎えそうです」


 アナウンサーの一言で、俺は安心する。

 摩夕はなおさらだろう。



 ニュースによると、現在レスウイルスの感染はピークを過ぎたそうで、ウイルスはかなりの減少傾向にあるという。

 そのためもうすぐでウイルスは消滅するというのだ。

 レスウイルスが無くなれば、もちろんレス病は完治する。

 よってもうすぐで、摩夕の歯も元通りになるらしいのだ。


「現状、ピーク時よりの半分以下になっており、後三~五日程度で完全に消滅すると思われます」


 メディアでよく見る、官房長官の話だ。

 これは大変な吉報だった。


「もうちょっとで元に戻るんだねぇ」


 ばあちゃんがゆったりとした口調で話す。俺もガスマスクを掴み、


「これでこんなもの着けなくていいんだね。やっと楽になれるよぉ」


 思わず出た本音。だがやっぱり本当に嬉しいのは――、


「ふがっがー! (やったー!)」


 やっぱり摩夕だろう。

 やっと食べられる。

 やっとしゃべれる。

 やっと歯を食いしばれる。

 嬉しいことなんて、挙げればキリがないだろう。

 俺も摩夕が不自由していたのはよくわかったので、とにかく良かった、良かった。


「良かったねぇ」

「ふん(うん)」

「でもまだ決まったわけじゃないんだから、はしゃいじゃダメだよぉ」

「ふぁがっふぇふふぉー(わかってるよー)」


 まだしゃべれないが、だいぶ元気になったようだ。

 病は気からとも言うくらいだし、前向きな気持ちが一番だ。



 そんなことをしていると、摩夕はあっという間に朝食を終えた。

 もう離乳食にも慣れてきたのかもしれないな。


「じゃあ部屋に戻ってなさい」

「ふぁーい。ふん、ふん、ふーん(はーい。ふん、ふん、ふーん)」


 摩夕はそう言うと、のんきに鼻歌を歌いながら二階の方へと上がって行った。

 そうか。鼻歌は歯がなくても歌えるんだな。


「さてと」


 そう言って俺は再び食事を再開しようとする。


「まぁこれで、一安心できるねぇ」


 ばあちゃんがつぶやいた。

 元に戻りつつある感じが漂っているのが、すごくホッとする。


「それにしても、大丈夫かい?」

「何が?」


 突然その流れから俺に質問が来たので、少しあっけに取られた。


「元に戻ったら、色々と大変になるかもしれないからねぇ」

「何が? 今よりは全然マシでしょ」

「しゃべれるようになったら、またあんたとけんかとかしないかい?」

「……えっ?」

「いや、やっぱりけんかは良くないから、しないで欲しいんだよねぇ」

「は、は、ははははは。そ、そんなことないでしょ。今、あんだけ優しいんだから」


 と答えつつ、本当は予想外だったというのが俺の本心。


「そうかねぇ……」


 正直、ばあちゃんが嫌なことを思い出していた。

 たまにこういう現実的なことを言うのだ。

 そりゃ俺だって不安に思ってることはあるけどさ……。


「ほら。あんたは今日学校があるんだから、早く食べなさい」

「あ、はいはい」


 すっかりあっけに取られたままで、食べてなかった。

 俺はご飯をかきこむように食べ、急いで支度をした。


「じゃあ行ってくるわ」


 さっさと家を出ようとする。すると後ろから階段を駆けてくる音が。


「ひっふぇがっひゃーい(いってらっしゃーい)」


 摩夕が送ってくれた。

 とても清々しい気持ちになる。


「うん。行って来ます」


 本当に嬉しい。とても嬉しいのだ。

 嬉しいのだけど――。

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