失われる前兆

 一昨日もそんな感じだった。


「ただいまぁ」


 こんな風に帰ってきた俺に、摩夕は夕方に学校から帰ってきた俺のことなど見向きもしない。

 しかも先に帰って来れたのをいいことに、テレビが一番よく見れるベストポジションに、ずんぐりと座っているのた。

 とにかくその姿に気持ちがモヤモヤするというか何というか……。

 当然どいて欲しい。でもそんなこと、口が裂けても言えない。

 あぁ、もどかしい。

 こうなるとどうしようもない。

 仕方ない、二階の自分の部屋に行って暇をつぶそう。

 もう高校三年生なので、受験勉強もしなくてはいけない時期ではある

 それはわかっているけど――。

 まだ時間もあるし大丈夫でしょ。

 気にせずにさっさと好きなことをしよう。


 とは言ったものの、自分の部屋に戻ってすることは限られている。

 スマホをいじってメール、LINE、SNSをすることくらいだろうか。

 ちなみに今日のニュースは……、別に何もなさそうだ。だいたいそんな日ばかりだ。

 ニュースと言っても俺が注目するのは、そう何個もない。

 せいぜいあるスポーツ選手が大会で優勝したとか、凶悪事件の犯人が捕まったとかばかりだし。

 ここ一カ月で見ても、そんな日は五日もなかったと思う。それが普通だ。


「さてと――」


 俺が無意識に独り言を呟いて、スマホでヒロちゃんと遊びの約束でもしようかなと思った時だった。


 ドン、ドン、ドン、ドン。


 誰かが階段を上がってくる音が聞こえる。

 この音は……、摩夕だ。間違いない。

 ばあちゃんはそこそこお年を召しているので、こんな速いテンポで上がってくることは出来ないだろう。

 さらに音の大きさから、そこそこの体系だということがわかる。

 そういえば最近摩夕は、お菓子の食べ過ぎで太り始めていたな。

 よく痩せたいと言っているのに、女子というのは時々支離滅裂な行動をするので困る。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。

 これでテレビ見れるじゃん。ラッキー。

 俺はスマホを勉強机の上に投げ、さっさと下りて行った。


 下りると予想通り摩夕の姿はない。

 俺は急いで大きな灰色のソファの中央に座る。これでテレビ前の占拠完了だ。


「そんな恰好してると体に悪いよ」


 ばあちゃんが俺を気遣ってくれた。


「大丈夫だよ。俺はまだ若いんだし」

「そうかい。無理はするんじゃないよ」

「はーい」


 こうやってばあちゃんは俺のことをいつも気にかけてくれる。

 お節介に感じることもあるが、やっぱりありがたい。


「お茶も用意しとくかい?」

「じゃあ、お願いしようかな」


 ばあちゃんの淹れてくれるお茶は本当に美味い。間違いなくこの世で一番。

 俺はワクワクしながら待つことにした。

 昔は出来なかったので、こうやってゆっくり出来ていることが本当に嬉しい。

 はぁ、ごくらく、ごくらく。



 そんなことを思っていると、ばあちゃんがお茶を持って来てくれる。


「はい。どうぞ」

「あ、わざわざ座ってるところに持って来なくていいのに。机の上に置いとけば、すぐ飲みに行くから大丈夫だよ」

「あら。そうなの? 早くしないと冷めちゃうわよ」

「わかってるって」


 お茶は冷めないうちに飲めというのは、ばあちゃんの口癖でもある。

 確かに冷めたお茶は美味くないからね。

 でも今はテレビが面白いからちょっと待っててね。

 そうして俺がテレビの方に体を向けた時だった。



 ドン、ドン、ドン、ドン。


 今度は階段を下りてくる音が聞こえる。

 ゲッ。摩夕だ。

 うっとうしいこと言われる前に、早くここから離れよう。

 それこそまた喧嘩になってしまう可能性もあるしなぁ。

 というのも俺が先にテレビを見ていたとしても、摩夕は無理やり俺をどかそうとしてくるのだ。

 摩夕もテレビが好きなのは知っているので、ベストポジションで見たいのはわかる。

 でもやり方が強引過ぎやしませんか?

 ぶっちゃけ、それでどかされるほど俺の体は貧弱ではないが、うっとうしいことこの上ない。

 テレビは見たいけど、でも……、うーん。



 結局俺はあきらめてさっさとどいて、お茶が置いてある机の横の木のイスに腰掛けた。

 モヤモヤするけど、お茶が飲めるだけまだマシか。

 そんなことを思いながらお茶をすすり始めると、摩夕が姿を見せた。

 その表情は少し浮かないように見える。

 そしてそのままばあちゃんに声をかけた。


「おばあちゃん」

「どうしたんだい?」

「歯が、抜けちゃったんだけど……」



 バリーン!


 次の瞬間に、ばあちゃんは自分が飲もうとしていた湯呑みを床に落としてしまった。

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