辛い過去

 振り返れば元々俺と摩夕はとても仲が悪かった。



 現在俺は高校三年生で、摩夕は一年生。

 俺は受験勉強とかでストレスが溜まっていた。

 将来の事とかよく分かんねーし、よほどのことが無ければ、大学に行けないなんてことはないだろうし。

 そして摩夕は反抗期と思春期のちょうどあいだくらいのため、メンタルコントロールが難しかった。

 そのためお互いにイライラした気持ちが、些細なけんかを生んでしまうのだった。

 お互いの気持ちとしては、俺は何よりやつの生意気な態度が気に入らなかった。

 そしてやつからすれば、とにかく俺のことが鬱陶しそうだった。

 肩と肩がぶつかれば「邪魔」と言われ、すれ違う際にも「気持ち悪い」と言われ、やつに何かを頼めば「お前がやれ」と言われ――。

 とにかく散々だった。

 確かに年齢を重ねれば、上の年齢のやつのことを気にいらなくなるのは、わからないでもない。

 でもまさかここまで激しいとは……。

 先日もただ座っていただけなのに、「どいて」と言われてしまった。

 俺がそれに対して、「なんで?」と聞くと、「いいからとにかくどけ」と言われてしまった。

 もちろんけんかに発展する。物を投げ合うくらいの激しい感じで。


「ふざっけんなよ!」

「俺の場所だろうがよ!」

「おまえに座るとこなんかねーよ!」

「ここに住んでる以上は、座るところはあるに決まってるだろ!」

「そういうのはどうでもいいですぅー!」

「テメー!」


 こうなってしまうとなかなか止まらない。お互いに譲らないから。

 ただしやめる方法が一つだけある。


「こら、こーら。もうやめなさい」


 ばあちゃんに止めてもらうことだ。

 ばあちゃんの話し方はとてもゆったりとしているので、気持ちを落ち着かせることが出来るのだ。

 そのクールダウンさせる力と、人としての情けなさを自分なりに考えることで、やっと止めることが出来る。

 もちろん許してなんかいるもんか。

 あいつが謝るまでは、いつまでも謝らんぞ、俺は。

 俺だって自分の部屋を持っているとはいえ、別の場所でくつろぎたいこともあるっていうのに……。

 もちろん他にもいろいろある。

 また部屋が狭いため、「そこを通して」と頼むこともあるのだが、その時も無視をするのだ。

 とりわけ機嫌が悪い時に限ってそうしがちである。

 会話したくないのに、わざわざ話しかけて、それで無視されるなんて――。

 もちろん話をしなければいいとは思うが、如何せん部屋が狭いためそうはいかない。

 どこかで嫌でも体が触れ合ったら、こんな変な感覚になるんだな。

 そんな感じなので妹のことを愛おしいと思ったことは、最近はない。

 はっきり言えば、いなくなればいいと思っている。

 ただ俺と摩夕の関係がこうなってしまった大きな理由としては、家族の存在もあったように感じる。



 俺たち兄妹は、最初から今の家に住んでいるわけではない。

 そして実の父親と母親とは一緒に住んではいない。

 もちろん父親も母親もいる。そしてその二人は今も健在であろう。

 しかし俺が、二人と顔を合わせたいかと言えばそうではない。

 むしろ二度と会えないというのならば、それは俺にとって大変喜ばしい事だ。

 それほどまでに俺は両親を恨んでいるのだ。

 勝手に別れやがって……。それも俺らに黙って勝手に……。

 俺が小学生の時、両親は離婚したのだ。

 のちになって父に聞いた理由は、性格のすれ違いだと言っていた。今の俺たち兄妹と同じだな。

 しかしけんかと離婚はやっぱり違う。それは小学生の頃と考えは変わらない。

 けんかはしたとしても、その後仲良く出来るし、周りの人々の噂にもなりにくい。

 一方離婚は、関係の修復はほぼ不可能である。

 また周りの噂にもなりやすく、当事者の関係者も白い目で見られやすい。

 その結果、俺はいじめられた。そして妹の摩夕も同じようにいじめられた。

 ……辛い。とても辛かった。

 自分に理由がないのに、いじめられてしまう人の気持ちがわかるだろうか?

 今でも俺はその事を思い出すと胃が痛くなる。俺が何をしたというのだ?

 俺は引き取ってくれた父親に助けを求めた。どうにかして助けて欲しいと。


「父さん。話を聞いて」

「僕のことを慰めて」

 しかしこれらの叫びに、父親は答えてはくれなかった。



 俺たちの父親は、仕事と家事の両立で俺らの面倒を見ることが難しかったようなのだ。


「遊んでー」

「僕とおにごっこやろうよー」

「パパー、だっこー」


 俺や摩夕は、暇があればよく父親にそう頼んでいたと思う。

 そりゃそうだ。やっぱり育ててくれた親と遊ぶのは、友達と遊ぶのとはまた違った楽しさがある。


「しょうがないな。父さんだからこそ相手してやるよ」

「今日はお前のために、手加減してやるから安心しな」

「お前はよく遊びたがるから、今日は一時間位遊んでやるよ」


 そう。こんな感じのことを想像しながら。

 現実、最初の方はこんな感じで、父親も俺ら兄妹に乗ってくれた。

 やっぱり我が子なので優しさを見せたかったのだろう。

 しかし、しばらくすると父親の解答は変わり始める。


「疲れた」

「今は忙しい」

「邪魔すんな」


 今でもよく思い出される。これを明らかに普段よりも声のトーンを落として言うのだ。

 そして大体こういうことを言いながら、近くのコンビニで買ってきたであろう缶ビールを開けているか、右肘をついて横になっているのである。


「どうして遊んでくれないのー」

「せっかく頑張って似顔絵描いたのに……」

「パパ……、嫌いだよ」


 俺の感情も、徐々にこのように変わっていく。

 普通に考えてこのような姿は、見ていて気持ちの良いものではないからね。

 今となれば、多少は父親の苦労がわかるようにもなってきたが――。

まだまだ遊んで欲しい年頃なのである。

 それなのに大人の勝手な都合で遊んでくれないとはどういうことか?

 しかも俺は離婚を理由にいじめられていたので、まともに遊んでくれる友達も少なかった。

 もちろん父親一人に責任をなすりつけるわけではないが、せめて俺の願いの一つや二つは叶えるのが当然だろう。

 それなのに、何が疲れた、だ。

 俺らのことよりも、自分のことが最優先なのか。

 そんな家庭環境で育ったせいか、俺はその頃の良い思い出はほとんどなかった。


「私ねー。旅行に行って来たのー」

「僕も、僕もー」


 こういう会話を聞いているのが、どれだけ羨ましかったことか。

 そしてそんな俺以上に影響を受けてしまったのが、妹の摩夕だった。



 摩夕は離婚した時、まだ小学生になったばかりだった。

 おまけに女子という立場であれば、さらに不快感を感じるのは明らかだった。

 そしてそこに拍車をかける学校でのいじめ。

 摩夕も俺と同様に受けていたのだ。

 だがおそらく彼女の方がより辛かったと思う。


 俺の場合も当然辛かった。

 しかし心情を考えてくれる同じような境遇のやつがたまたまいたりもした。


「辛いね」

「でも君と一緒なら大丈夫だよ」


 俺はこんな風にうまくそいつにすがりつけたため、それが心のよりどころとなった。

 しかし摩夕は不運なことに、そうした友達がまったく出来なかったのだ。

 もちろん詳しい理由はわからない。

 ただ自分の境遇がわかるには妹の年齢では難しいのだろう。

 また女子は仲間意識を大事にする性格だ。

 そうすると、このような子が好まれるのだろう。


「みんなで一緒に遊ぶから、私のところに来てー」

「かくれんぼよりもおにごっこがしたいから、今日はそっちにしよう」


 このように一部の子に着いて行くような傾向が強いのだ。

 また小学生だと、まだ周りへの配慮が少ないのである。

 つまり仲間外れにされる子が多いのが現実かもしれない。

 そんな状況で摩夕のような境遇の子がいたとしても、なかなか助けてあげられないのだろう。

 むしろ摩夕と一緒にいることで、咎められたりしてしまうと思う子もいるだろうし――。



 こうした環境が重なって、摩夕には友達がいなかった。

 だからこそ、父親に助けを求めたのかもしれない。


 それが最後の望みだったと思うから。

「パパ……、助けて……」


 しかしそんなこと父親からすれば、知ったことなかったのだろう。

 自分が疲れている状況で、他人を見れるほどの余裕なんてないというのが、父親の見解だったから。


 そんな状況になれば誰だって苦しくなる。

 離婚してしまった後からは、日に日に彼女から笑顔が消えていった。

 髪型はだんだんと乱れ、化粧も厚いものになっていった。

 正直、自分の妹でないみたいだ……。

 もちろんほぼ毎日不機嫌だしな。

 そして徐々に苦しみや怒りの矛先は、俺にも向けられていった。

 ただこれについては、なぜ?

 正直、俺も被害者なのに……。

 むしろ最初の方は、摩夕のことをかばっていたんだけど……。

 それなのに、なぜ――?



「きもっ」


 最初にこう言われた時は、さすがに耳を疑ったよ。嘘だと思いたかった。

 でも現実は非情だ。やっぱり気のせいではなかった。

 そしてそれを何度も言われた。いい加減、俺の堪忍袋の緒も切れる。


「ふざけんな!」

「なんだと!」


 こうしてけんかに発展するのだ。

 離婚する前は、決して仲が悪いというわけではなかった俺たち兄妹。

 しかし妹が俺に当たるようになってからは、どんどん仲が悪くなっていった。

 お互いに言葉遣いはどんどん悪くなり、非行に走ろうとする妹を注意すれば物を投げられる。

 そしてそこから何度もけんかに発展した。

 父親は決してそれを止めはしない。

 たまに止めに入る時もあるが、それは自分がただゆっくりしたいからという理由だったに違いないと思う。


「俺の言うことを聞け!」

「誰かお前の言うことなんか聞くんだよ!」

「うるせえ! どっか別のところでやれ!」


 俺たち家庭は、完全に崩壊していた。



 そんな時に手を差し伸べたのが、親戚のおばさんだった。

 ばあちゃんではなく、親戚のおばさん。

 しかし俺たち兄妹は、その面倒見の良さと優しさから、ばあちゃんと呼んでいるのだ。

 俺たちからすれば、ばあちゃんには本当に感謝しかない。

 離婚してから、たびたび俺たちのところに来ていたばあちゃんだったが、何度も俺たちの状況を聞いてきた。


「大丈夫だよ」


 最初はそう言うだけで、なかなか本音を言えなかった。


「でもおばさんが、ちょっとだけ遊んであげるよぉ~」

「何か悩みがあったら、すぐに言うんだよぉ~」

「今日はまよちゃんの調子が悪そうだから、長めにいてあげるよぉ~」


 しかしその熱心な姿勢に心を打たれた俺は、次第に本音を言うようになっていった。


「父さん、今日は機嫌が悪くて、それでね――」


 そういったことを何度も聞いたばあちゃんは、何とかしたいという気持ちがあったのだろう。

 ある日、自分の家に来ることを提案してくれたのだ。

 しかし俺はそれに対して、わかりましたとすぐには言えなかった。

 学費とか食費とかで、いろいろと面倒をかけることがわかっていたからだ。

 しかしそこは、ばあちゃんの機転が働いた。

 しっかりとそのことを父親と話すことを心に決めていたのだ。

 俺たちからすれば、少々怖い存在だった父親に対しても、ばあちゃんは容赦しない。


「あなたにはこの二人は預けられない」


 こうはっきりと告げたのだった。

 父親も態度が悪かったとはいえ、ばあちゃんに対して決して強く言える性格ではなかった。

 そのため、ばあちゃんに歯向かうことは出来なかった。

 その結果、俺たち兄妹はばあちゃんの家に引っ越してもらえることとなった。

 またばあちゃんの説得により、親の最低限の責任ということで、学費や食費は父親が負担することとなった。

 ありがとう。ばあちゃん。



 それからの生活は本当にありがたかった。

 料理はいつものようにばあちゃんが、畑で取ってきた野菜を使って、手作りで作ってくれる。

 本当にこれが美味しい。

 そして住んでいるところが田舎だったので、俺らの素性を知らない人ばかりだった。

 だから転校した学校では、楽しい毎日を送ることが出来ていた。

 本当に何不自由なく過ごすことが出来たのだった。

 本当にありがとう。ばあちゃん。



 しかし唯一、俺にとって気になっていたことがあった。

 摩夕のことだ。

 最悪な状況からは脱していたが、まだまだ俺にとっては不満があった。

 ただ最悪な時というのは、いつもケンカが絶えなかったからな。

 毎日のようにけんかして、お互いにアザやら傷やらをつけていた気がする。

 その時と比べればだいぶ改善はされた。

 しかしいまだにケンカはたまにするし、ほとんど会話はしていない。

 さっきも言ったが、謝らないやつに何で謝らないといけないのかって話だ。

 彼女だって新しい学校で友達もでき、有意義に暮らしていたと思うのだが……。

 もちろんまだ笑うことは出来ていた俺のことが、見ていて嫌だったのだろうとも思う。

 そして離婚してから一緒に遊んでやらなかったことは反省している。

 だけど俺だって妹のことばかり見ているわけにはいかないのだ。そのくらいはわかるだろ。

 俺としても努めて明るく振る舞っていた時期もあったというのに、この仕打ちはないと思う。

 おまけに田舎暮らしが長すぎて飽きたのか、都会に戻りたいとまで言い出した。

 別にばあちゃんに対して、感謝をしていないというわけではないし、嫌いになったわけでもない。

 ただ父親の元へと戻らなければ、やっぱり都会の方が楽しそうだというのが理由らしい。


「だって向こうの方が、ファッションとかすんごいかわいいしぃ」

「私もはやりの物に乗っかりたいー」


 こんな感じの非常に短絡的な理由で。

 もちろん邪魔者とみなしている俺とも距離を置けるというのも、理由として含まれているだろうけど。

 ちなみに最近の口癖は「金髪になりたい」

 都会を意識しての発言だろうが、俺としては勘弁して欲しい。

 田舎で金髪とか、少し飾ってるヤンキーじゃねぇか。

 もちろん本人には言わない。言うと倍返しされるから。



 そんな感じで俺と摩夕はこの関係のまま、今日に至るのだった。

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