新しい友人
ジャブが顔を通り抜けるたび木島がびくっと反応するのが面白くて、菜々美はしばらくジャブを繰り出していた。幽霊になってあえて良かったことといえば、いくら運動してもまったく疲れない点だ。
いちいちぞくぞくしている木島に、崇人が不審げなまなざしを向けた。
「崇人もなにか感じてくれるかな」
一人顔を赤らめて、彼の唇にキスをする。すると崇人がぶるっと身震いをした。
「えー。なにそれ。なんか傷つくなぁ」
まるで嫌いな人にキスされたかのような反応をされたので、菜々美はふてくされる。
「初キスよ、初キス。この間するはずだった初キス! なんでそんな顔をするかな」
怯えたようにきょろきょろを見回す崇人に文句を言うが、もちろん彼には聞こえない。
しかし代わりに
「えっ……?」
と、別の方角から驚いたような声がしたので、菜々美は振り向いた。
すると人事部の篠山里美が、眼鏡の奥の目を丸くして菜々美を見つめていた。里美も菜々美の同期だが、おとなしくて地味な彼女とは、数度しか言葉を交わしたことがない。
「え?」
菜々美が言うと、里美はさっと目をそらし、何も見えていないふりをする。
「ちょっと。見えてるんでしょ? し・の・や・ま・さん!」
スキップする勢いで近づいていくと、「ひぃっ」と言って里美はさらに身を縮めて頭を抱え込んだ。
隣に座っていた人事部長の大塚が、里美の顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か? 気分悪いのか? 向こうで休むか?」
矢継ぎ早の質問に、頭を抱えたまま里美は小刻みに頷いた。
大塚に支えられながら会場から出ていく里美の後を、菜々美は宙を漂いながら着いていく。目の前で扉が閉められたが、
(幽霊だもんねー)
と笑顔で軽くすり抜けた。
大塚は葬儀場の外廊下に設置された固そうなスツールに里美を座らせて、
「吐き気は? 病院に行ったほうがいいなら……今日は一人で来てるんだよな? 俺は葬儀はが終わるまでいなくちゃならないから、ほかに誰か付き添いを頼めるような人がいれば呼んでくるが」
と言いながら困ったようにあたりを見回した。
「いえ。大丈夫です。ただ……すみません、その数珠を貸してもらえますか?」
「これか? 数珠の貸し借りはタブーなんだが……焼香のときじゃなきゃ平気かな」
もともとあまり信仰心のない大塚だったから、言われるままに里美に数珠を手渡した。
「付き添いはいいのか? じゃあ、ここで休んでいろ。葬儀は無理して最後までいなくていいからな」
「……はい……」
大塚は会場へ戻り、里美は一人きりになった。顔を上げて確認する勇気は出ず、ずっと数珠を握りしめて俯いている。
そんな里美にイライラした菜々美は、彼女の前にしゃがみこみ、
「ねえ。ちょっとひどくない、その態度。同期じゃん、私たち」
と語り掛けた。
すると里美はがたがたと震えながら数珠を握った左手を突き出し、
「立ち去れ!」
と裏返った声で叫ぶ。
そこへちょうど通りかかった年配女性は、自分が言われたものだと思って顔をしかめた。
「ええ? なあに? 失礼な人ね」
驚いた里美は、とっさに顔を上げた。
「あっ……す、すみませ……ひいっ」
謝罪しようとしたのだが、老婦人と自分の間で菜々美がしゃがんでいるのが目に入り、スツールの後ろに転げ落ちる。女性は呆れたような顔をして、その場を去った。
「大丈夫ー? 別にさ、取って食おうとしてるわけじゃないんだから、そんなにびくびくしないでよ。ねえ、見えるんでしょ、私のこと。だったら少し話を――ちょっと! 無視しないでよ!」
スツールの後ろで膝を抱えて震える里美に優しく語り掛けた(つもりの)菜々美だったが、最後はとうとう声を荒げた。
成仏しません! 八柳 梨子 @yanagin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。成仏しません!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます