②
自分が宙に浮いている以外は妙に現実めいた場の空気に、菜々美は急に不安になる。
(――まさか)
「そう。その、まさか」
ふいに耳元で、男性の声がした。
驚いて天井近くまで飛び上がった菜々美は、下を見下ろし、声の主の姿を探す。
「ここだよ、ここ」
また、耳元で声がした。
「ひっ」
今度は壁まで勢いよく後ずさり、菜々美と同じように宙に浮いている男性を凝視した。中肉中背だが癖のないサラリとした黒髪と、すっきりとした目鼻立ちの、まぁイケメンといってもいい部類で、二十代半ば頃に見える。が、その顔はとても不機嫌に歪んでいた。
「なんだよ、驚くことないだろ」
「驚くでしょ! あなた、誰」
訊ねながら、どこかで見た顔だと思って菜々美は首をひねる。
「誰って……お前のせいで俺までこんな目に合ってるんだからな。ふざけんなよ、飛び出しやがって」
「はあ? 飛び出すって何」
「信号無視しただろ! お前にぶつかって動揺したせいで、ハンドル操作を誤って対向車線に出ちまったんだよ! で、運悪く大型トラックにぶつかって……」
その言葉を聞きながら、耳障りなブレーキ音を思い出す。
――この音……崇人の部屋に行く途中で……
認めたくない現実に気づいた菜々美は、目をむき出して自分の遺影を凝視する。
「やっと分かった? 死んだんだよ、お前。俺を巻き添えにして。ったく、迷惑極まりない女だな」
「巻き添えって……交通事故は、たいてい車のほうが悪いじゃん」
男の口調にかちんときた菜々美は、思わず言い返してしまった。
「ふざけんなよ。赤信号無視したほうが悪いって、小学生でもわかるだろ! あほか」
男の顔がさらに歪んだ。その迫力に怯んだ菜々美は、もごもごと歯切れ悪く謝罪する。
「そりゃそうだけど……ああ、もう。す――すみませんでした……?」
「謝れば済むって問題でもないしな。俺、死んだんだし。ケガならまだしも、取返しがつかないことをしたって自覚はあるのかよ」
「自覚もなにも、目が覚めたらいきなり自分の葬式だったんだから! そんなに責められても……頭が追い付かないっていうか……。え? ということは、私、幽霊ってこと?」
菜々美は慌てて自分の足元を確認した。宙に浮いてはいるが、ちゃんと両足ともついている。そんな菜々美を睨み付けながら、男は淡々とした口調で答えた。
「そうなるな」
「じゃあ、あなたと私は幽霊仲間ってこと?」
「心底仲間とは思いたくないが、そうなるな!」
男は今度はやや切れ気味に答える。
「……でも私……」
つぶやきながら、菜々美は崇人の頭を見下ろした。
「やだ。まだ死にたくない! だって崇人とデートに行く途中だったのに! 下着だって奮発して新調したのに!」
大声でわめいても、目の前の男以外には誰にも聞こえていない様子だ。
「それはご愁傷様」
男の皮肉も耳に入らず、菜々美は崇人のもとへ飛んでいく。
「ねえ、崇人! 私、ここにいるよ! お父さん! お母さん! お姉ちゃん!」
目の前で叫んでも、誰一人として反応してはくれない。
「なんで誰も気づいてくれないのー! ああ、うちの家族に霊能者がいれば……崇人に霊感があれば……」
今まで霊感の必要性など感じたことはなかった菜々美だったが、生まれて初めて、そのことを心底残念に思ったのだった。
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