成仏しません!
八柳 梨子
ああ、無念①
付き合い始めたばかりの藤本崇人との待ち合わせ場所へ向かう途中、斉藤菜々美は浮き立つ気持ちを抑えきれず、口元をほころばせながら道を歩いていた。
大学卒業後、小売業者の本社に入社してすぐ、営業部の崇人に一目ぼれして半年。同僚、後輩分け隔てなく優しく接する彼への思いは募るばかりで、ついに告白したのは一週間前。じつは崇人も自分に思いを寄せていた、と快い返事をもらい、付き合い始めたばかりだった。
そしてその日、初めて崇人の住むアパートに向かうことになり――。
(やっぱり今日、えっちしちゃうのかなー!)
崇人の日焼けした肌と引き締まった身体を思い浮かべた菜々美は、テンションが上がりすぎて信号が目に入らなかった。
(新しい下着にも奮発しちゃったし! 崇人、ドキドキしてくれるかな)
そんなことを考えながら一歩踏み出したとき、甲高いブレーキ音が耳をつんざいた。右を向いた菜々美の目に、迫りくる青いワゴン車が映る。運転手は驚愕の表情で、菜々美を見つめていた。
「……え?」
――それが、菜々美が発した最後の言葉になった。
******
(……なんでお経が?)
低い読経の声に、菜々美の眠りは妨げられた。あたりからシクシクと泣いている声もする。
(うるさいなぁ。もう少し寝ていたかったのに。……って、あれ? ここ、どこ?)
今まで寝ていたはずなのに、布団はなく、見覚えのない広い場所で俯瞰するようにたくさんの人の頭を見下ろしている。
(なんで私の写真が?)
たくさんの花に囲まれている自分の写真に気づき、菜々美は首をひねった。あれは成人式で撮った写真だ。当時のはやりで、やたら髪を盛ったスタイルにしているから、今見ると少し恥ずかしい。
(どうせなら、もっとかわいい写真を選んでくれればよかったのに……)
自分の作り笑顔は、とても不自然に見える。特に口元が。
読経している人の後ろにはたくさんの人が横並びに腰かけ、うつむいている。ふわりと移動しながら最前列に移動すると、両親と姉がいた。父は固く目をつぶり、母は泣き崩れ、姉はその肩に頭を預けて泣いている。みんな黒い服を着ていて――
(やだ。これ、まさか私のお葬式? まだ夢を見てるのかな。……そうだよね、宙に浮いているはずないし)
うんうんと一人頷き、両親の後ろに座っている人々の顔を見渡した。
(あ! 崇人!)
三列目の中央に大好きな人の顔を見つけた菜々美の身体が、テンションに合わせて高く舞い上がる。ただの夢でも愛する人に会えるのはやはり嬉しい。
にやにやしながら愛しい人のもとへと漂い、憂いを帯びたその顔を覗き込んだ。唇を固くかみしめ、血の気のない顔をして菜々美の写真を見つめている。
(悲しんでくれるなんて、嬉しい! 私のこと、好きって本当なんだねー)
相手に見えないことをいいことに、彼のほほにキスをする。すると何かを感じたように、崇人が視線を宙にさまよわせた。相手に見えていないことをいいことに、菜々美は今度は首筋にキスをする。
(ああ、もう! 早く会いたいな。……って、あれ? 私、崇人んちに遊びに行くはずだったような気が……)
自分に起きたことを思い出そうとするが、もやもやと何かが浮かんでは霧散していく。視線を下げると、自分が着ているのはデート用にと奮発して買ったライラックカラーのワンピースだ。
(そう。これを着てデートに行くはずだったんだけど。その後、なんだったかな。えーと、えーと……)
「もうすぐ23歳になるはずだったのに……。どうして……」
母のつぶやきが思考を邪魔する。
「……痛かっただろうね、あんなにひどくケガをして。テンション高く出かけていったのに……」
いつも意地悪だった姉が、涙声でささやいている。
(ケガ? 私、ケガなんてしてないけど……この夢、どういう設定なんだろう)
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