第38話 聞きたい言葉

 立川ゆかり。彼女と俺は元恋人だった。

 付き合っていたと言っても実際は手すら握っていない。

 それに付き合っていた期間は二週と短い。


 俺は当時、生まれて初めて出来た彼女と自然消滅という最も最悪な別れ方をし、深く心に傷を負っていた。


 そんな折、隣のクラスだったゆかりに優しくされて付き合うことになったのだが、僅か二週間という驚異的スピードで振られた。


 自分がなぜ振られたのかその理由もわからぬまま、俺はゆかりと疎遠になってしまったのだ。

 いや、ゆかりは別れたあとも何度か俺に話しかけてくれたのだが、気まずくて避けてしまった。


 そんなゆかりが今、俺に助けを求めている。


 泣き止んだゆかりから詳しい事の顛末を聞こうと、敷布団を座布団代わりに腰を下ろした。


「それで……なにがあったんだ?」


 俺は無意識にゆかりのハレンチな姿を下から上に、上から下になぞるように視線を流してしまう。

 俺の視線に気が付いたゆかりはぷーっと頬を膨らませて体を抱きかかえるように左右にねじり、頬が色付いていく。


 やっちまった。

 ついついゆかりの下着姿に眼球が動いちまう。


 肩口まで伸びた茶髪のセミロングが揺れて、耳にかけていた髪がひとふさ溢れると、サラリと音がしそうで色香を醸し、えもいわれぬ甘い匂いが深く入り込み、鼻腔を刺激する。


 まるで惚れ薬を嗅がされてしまったように頭がぼーっとして、目の前の艶っぽいゆかりに目を奪われてしまうんだ。


 いかんいかんと首を振り、『煩悩退散、煩悩退散』と何度も心の中で唱え続けた。


「ねぇ、ゆう君あたしの話しちゃんと聞いてるのよね?」

「えっ……!? も、もちろん聞いてるさ」

「じー」

「な、なんだよ」

「ふふ。ゆう君てさぁ、慌てたり嘘をつくと左の頬がピクピクって、二回痙攣したみたいに動くのよね。知らなかったでしょ?」


 知らなかった……。

 そんなことを指摘されたのも初めてだった。

 というかこいつはよく人のこと見てるよな。


 先ほどまで泣いていたのが嘘みたいに、今は悪戯に微笑みを浮かべて肩を揺らしている。


「じゃあもう一回説明するわよ」

「あ、ああ。頼む」


 ゆかりの言葉に耳を傾け頷き、今度は真剣に話しを聞いた。


 王国兵に選ばれなかったゆかりは数名の友人たちと王都を離れこの地に来たらしい。

 その目的は働き口を探してとのこと。


 俺も王都では働き先がないと途方に暮れた口なので、ゆかりたちの考えはよくわかる。

 ギルドに登録したところで王国兵が多くいる王都では依頼もほぼない。


 だからゆかりたちはこの街ソフィアにやって来て職を探したらしいのだが、結果は見つからなかったらしい。

 ならばと冒険者ギルドに登録したが、女だけということもあり、いざ魔物と戦うと考えたら尻込みしてしまったのだとか。


 それからしばらくは王様から貰った資金でやり繰りしていたらしいが、金は使えばなくなる。

 そんな時、途方に暮れるゆかりたちの前に女郎蛇のマムシと名乗る女が声を掛けてきたのだという。


『働き先がないのならわちきが面倒を見てやろう』


 その甘い言葉に誘われるがままマムシについて行くと、ここ女郎街にたどり着いたのだ。

 ゆかりたちはすぐにこれは不味いとマムシの誘いを断ったのだが、その瞬間女は豹変し、手下の男たちに囲まれてしまった。


 刃物を突きつけられ恐怖で動けなくなったゆかりたちは、引き離されるように各店舗に連れて行かれ、今に至るという。


「話しはわかったがなんで逃げ出さないんだ? 確かに店先には見張りの男が居るみたいだが、隙を付けば逃げられるだろう?」

「うん。あたしもそう考えて、一度は意を決して逃げ出したのよ。でも……」


 ゆかりの表情が一気に険しくなる。

 なにか問題でもあるのだろうか?


「でもなんなんだ? 要は脱走に失敗したのか?」

「うん……それはそうなんだけど」


 歯切れの悪い回答。

 一体どうしたのだろう?


「ううん。一度はここから出られたのよ。だけど……あたしたちはここ女郎街からは一歩も出られないの」

「出られない? そりゃーどう言う意味だよ?」


 するとゆかりは視線を俺から外して小さく口を開けると、スっと舌出した。


「なんだ……それ?」


 俺は敷布団に手を突き、前のめりの体制でまじまじとそれを見た。

 ゆかりの舌にはドス黒い五芒星の魔法陣のようなものが描かれており、それが微かに黒く光っている。


「呪い……」


 ゆかりの口からついて出た言葉は聞き飽きたフレーズだった。


「呪いって……」

「ここソフィアの一角、女郎街を牛耳っているのが女郎蛇のマムシなんだけど、あいつの特殊な能力であたしたちは女郎街から外に出れなくなっているの。もしも女郎街から出ようとすれば舌が爆発するって言われたのよ」


 つまり……閉じ込められているってことか。

 まるでダンジョンの魔物たちのようだな。


 でも……だとすれば、どうやって助けてやればいいんだ?

 謂わばこれは罪人や奴隷に施す呪印だろう。

 それにゆかりの言ったマムシの特殊な能力というのは、間違いなく固有スキルだろうな。


 固有スキルを打ち破ることなんて可能なのか?

 呪いがある以上、ダンジョンを設置してその中に逃す訳にもいかない。

 そんなことをすればゆかりの舌が爆発してしまうかもしれない。


「やっぱり……無理だよね……ううん、気にしないで。最後にゆう君に会えただけでも良かった」


 ゆかりはとても嬉しそうに笑った。

 だけどそれはただの作り笑いだ。


 俺に迷惑をかけまいと気丈に振舞っているだけに過ぎない。

 先ほどの涙が本当のゆかりの心の叫びだったのだから。


「もう少しで時間が来てしまうわ」


 ゆかりは部屋に置かれている砂時計を淋しそうに見つめながら小さく言った。


 俺もその砂時計に顔を向けると、砂時計の砂はあと僅かですべて落ちてしまう。

 きっとあの砂が全て落ちたら、俺はここを出て行かなければいけないのだろう。


「ゆかり……」

「本当に気にしないで! あたしって昔から馬鹿でしょ? すぐに人を信じて後で後悔するのよね……あの時も、そうだった」

「え……?」


 ゆかりが笑ったかと思えば、意味深な言葉を言いながら俺を見て俯いた。


 あの時ってのはなんだ?

 今のは俺のことを言ったのか?


「ゆう君……ゆう君は凄く臆病だけどとても優しいから……あたしを助けようとマムシに挑んだりだけはしないでよね。あいつには300人以上の部下がいるのよ、びっくりするわよね。なんたってこの女郎街のボスだもの。ステータスFの……ゆう君じゃどうあがいても勝てないのよ」


 ゆかりは笑う。笑ってそう言う。

 その笑顔を見る度、俺の心臓はぎゅっと握り潰されるように鈍い痛みを伴う。


 またそうやって作り笑いを浮かべるのか?

 俺には勝てない?

 確かにそうかもな……だけどっ!


 じゃあなんでステータスオールFの俺を呼び止めたんだよ?

 なんでさっき助けてって言ったんだよ!

 なんで泣いたんだよ!!


 藁にも縋る想いで俺を呼び止めたんじゃないのか?

 1ミクロンでもひょっとしたらって希望を抱いたんじゃないのか……?


 なぁ、ゆかり……俺はみんなが期待するようなラノベ的主人公にはなれないんだけどさ。

 ボロボロになって這いつくばって、血まみれになりながらも誰かの為に戦うジャンプ系主人公なんだぜ。


 だから言ってくれよ……もう一度俺に言ってくれよ。

 その胸の中にしまい込んでしまった本当の気持ちを……。


 男ってのは頼られたりすると自分でも信じられないほどの力が出るんだぜ。

 だから言ってくれ……もう一度『助けて』って。


 ――ガタンッ!


「お客さん、時間ですよ」


 突然、ノックもなしに先ほどのガラの悪い男が入って来やがった。

 ゆかりは男を見るなりハッとして、その顔から表情が消えた。

 俺は男に言った。


「ええ、延長だ! 金なら払う。いくら出せばいい!」

「当店はそのようなサービスをしておりません。とっとと出てもらえますか?」

「延長ないって……どうせまた別の客が来るんだろ? なら一緒じゃないか!!」

「お客さん、知り合いですよね? 先程はまぁいいかとお通ししましたが、本来は知り合いのご利用は硬く禁じられているんですよ。特に……くだらんことを話し込んでるような奴はな!!」


 男が突如声を荒げて俺の腕を掴み取る。


「何しやがんだっ! 離せよっ! 離しやがれっって言ってんだろうがっ!!」


 俺は男の手を振り解こうとするが、ここでもまたステータスが俺を邪魔しやがる。


「ごちゃごちゃうっせぇーんだよ!!」


 俺は男に顔面を殴られ、勢いよく吹き飛んだ。


「ゆう君っ!?」


 意識が吹き飛びそうなほど強烈な男の一撃に、鼻血は飛び散り激痛に足をばたつかせた。


 男は追い討ちをかけるように俺へと近付き拳を振り上げる。


「やめてぇぇええええええええええっ!!」


 男の二発目が振り下ろされかけたとき、ゆかりが俺に覆い被さった。


 そして――震える体が俺に伝わると同時に、嗚咽混じりの声が……耳を塞ぎたくなる言葉が俺の頭の中に響いた。


「ゆうぐん……もう、ごごがら゛出でい゛っで……もう゛……にどど……ごごにはごな゛いで」


 俺へと覆い被さりながらグッと瞳を閉ざすゆかりを見ると、暗澹たる気持ちが握り潰されそうな心臓に矢を突き立てた。


 ――刹那。


 震えが止まらなかった。

 目の前の男が怖いからじゃない。

 殴られた顔が痛いからでもない。


 こんな時に助けてと言わせられない自分が情けなくて……悔しくて。

 昨夜散々流して当分流れないだろうと思っていた涙が、止めど無く溢れてくるんだ。


「ほら立てぇ!」

「おねがい゛……らんぼう……じな゛い゛で」


 俺は髪を掴み取られ力ずくで立たされ、引きずれれるように部屋から出された。

 だけど俺は最後の抵抗で扉の縁を掴み、泣きじゃくるゆかりに精一杯叫んだ。


「待ってろゆかりぃぃいいいいいいいいっ! 必ず、必ず俺がお前を助けてみせる! 俺は強くなって……お前にもう二度とあんな作り笑いをさせたりしない! だずげでぇっで……大声で言わせてみせるからなぁぁあああああああああ!!」


 引き離されて引きずられ、見えなくなってしまったゆかりに聞こえるように、俺は喉が引きちぎれそうなくらい叫んだ。


「ゆう……ぐん」


 ゆかりの姿は見えなくなってしまったけど、微かに俺を呼ぶ声が聞こえた。

 俺は男にゴミを捨てるように店の外に投げ出されてしまった。


 悔しくて悔しくて地面を何度も殴りつけた拳からは血が流れ、行き交う人々が何事かと視線を向けてくる。



 俺は立ち上がり走った。

 流れる涙と血を風に飛ばしながら、ダンジョンへと急いだんだ。

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