第39話 威厳
痛みを堪え走って街の関所を抜けて、檻のように街を囲う外壁が小さくなったところで足を止めた。
振り返り遥か遠くにポツリと浮かぶような街を睨みつけて、袖元で目元を擦る。
未だ収まらない震え。感情はとっくに爆発していた。
憎しみの炎が体内で燃え広がり、肺を焼き心臓を炙り続ける。
「クソォォオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
俺は吠えた。理性を無くした
願わくばあの忌まわしき街よ滅んでしまえと……。
俺は街を睨みつけたまま押し殺すような声を発する。
「ダンジョンマスター……発動」
俺の声に応えるように目下の土はグニャグニャとうねりを上げて蠢き、何重にも何重にも土が土に覆い被さり形を形成していく。
巨大な洞窟への入口が出来上がると、俺は闊歩し足を踏み入れた。
薄暗いダンジョンの壁に掛けられた松明が行く手を照らし、手前から奥へかけて道を示すように順に燃え上がる。
すると、前方で壁を背にして刀を抱きかかえるように座り込む冬鬼の姿が見えた。
冬鬼は侵入者かと首をこちらに向けて血まみれの俺をその瞳に写すと、目をハッと見開き間を置かず眉間に縦皺を刻み込んだ。
「ボス……」
囁くようにこぼれ落ちた声音の後に続いて、すぐさま立ち上がりこちらに近付いて来る。
その表情はとても険しく、まるで今の俺を鏡に写したようだった。
「誰にやれれた!? 護衛についたあの人間は何をしていたんだっ!?」
ダンジョン内に雷でも落ちたのかと思ってしまうほどの声が響き渡り、怒気をはらんで幾重にも木霊する。
その爆発音のような冬鬼の声が聞こえたのか、1階層にいたと思われる魔物たちが続々と集まってきては、血まみれの俺を見るや否や牙を鳴らした。
直後――耳をつんざく魔物たちの乾いた雄叫びがダンジョン中に鳴り響く。
俺は鞘を握り締めてカタカタと鳴らす冬鬼の肩に手を置き、「大丈夫だよ」と一言呟き、転移の指輪を発動させてマスタールームへと移動した。
マスタールームに俺が帰ってくると満面の笑顔のフィーネアが、「お帰りなさいユーリ」と口にし、俺の顔を見るやその表情を凍りつかせる。
手にしていたティーポットは床に落ち、勢いよく中身が溢れた。
フィーネアは慌てて俺に駆け寄り、袖で口元の血を拭いてくれる。
俺は今にも泣き出しそうな真っ青な顔のフィーネアの震える手を優しく掴み。
「服が……汚れてしまうよ」
と、優しく微笑みかけた。
だけどフィーネアに俺の声は届いていないのか、その行為をやめようとしない。
すると――
「なんじゃお主のそのみっともない面は……飯が不味うなるではないか! さっさと洗ってこぬか!」
聞き覚えのある威厳に満ちた声と特徴的な話口調。
七つの大罪の一つ、『暴食』の魔王グルメだ。
グルメはなぜかうちのソファに座り、フィーネアが用意したのだろうと思われる食事に貪りついていた。
俺は驚き声を上げた。
「なっ、ななな、なんでお前がうちにいるんだよ!?」
「何を言うておるのじゃ。ここはそもそも儂のダンジョンで胃袋じゃ。ちゃんと仕事をしとるか査察に来るのは至極当然であろう」
グルメは自前のフォークを常に持ち歩いているのか、見覚えのある銀のフォークで眼前の肉を突き刺しながらそう言った。
そして続けた。
「と、言うのは冗談じゃ。儂がいちいち下っ端の様子なぞ見にこん」
「じゃっ、じゃあ何しに来たんだよ!」
「なに、あの日のお主の様子が妙じゃったのでな……気になって様子を見に来てやったのじゃ」
つまり……心配してくれたということか?
あの日、俺がヴァッサーゴに会いにミスフォーチュンへ行き、翌日再びグルメと顔を合わした時、すっかり意気消沈していたことを気にかけてくれたということか……。
こいつ……魔王の癖に随分いい奴だな……。
でも……考えてみれば当然かもな。
魔王とは言え他者の上に立つ者なのだから、他者を惹きつける魅力というか……器や度量があってこそ務まるポジションなのかもしれない。
そうでなければ部下が下克上を叩きつけたり、部下どうしのポジション争いが絶えないだろう。
そして俺もまた、不本意ではあるが『暴食』の魔王グルメの部下的な立場にいるのだから。
「それより早うそのみっともない顔を洗ってこんか!」
俺はグルメに言われた通り顔を洗い、ソファに腰掛けてフィーネアに癒しの炎で治療してもらった。
「で、その無様なやられようはなんじゃ?」
「明智は一緒ではなかったのですか? 明智は何をしていたのですか!?」
グルメが鼻で俺のことを嘲笑うと、不機嫌そうなフィーネアがグッと顔を近付けてくる。
その肩をギュッと掴み、まぁ落ち着いてと俺はフィーネアを隣に座らせ、二人に事の経緯を話した。
「ハッハハハハッ―― なんじゃそれは! お主はそんなひ弱そうな人間にやられておめおめと逃げ帰って来たのか。 ハハハハ、傑作じゃなぁ」
完全に人のことを馬鹿にし腐ったグルメが腹を抱えて大笑いしてやがる。
正直ハッ倒してやりたい気分だ!
「それで……そのゆかりさんという方はどうなったのですか?」
「……わからない」
ソファで笑い転げるグルメとは対照的に、フィーネアは会ったこともないゆかりのことを気にかけてくれている。
だけどグルメの言う通り、俺は自分が情けなくて俯いてしまった。
「なんっじゃその顔は?」
俯いた俺に吐き捨てるような冷たいグルメの声が突き刺さる。
「お主は人間であるが……仮にもこの儂、『暴食』の魔王グルメの配下の者であろうっ! このままおめおめとやられたまま指を咥えておるつもりなら、いっそ儂がお主の魂を喰らってやろう」
刺々しい言葉と弱者は切り捨てると言わんとする態度、そこまで言われて俺も黙っちゃいられない。
「このまま引き下がる訳ねぇーだろ!」
氷のように冷たい視線を向けるグルメに、俺はテーブルを叩きつけて声を荒げた。
自分が情けないことくらい誰かに言われなくたってわかっている。
このままゆかりを見捨てるくらいなら腹切って自害した方がよっぽどマシだ!
睨み合う俺とグルメ。
少しの間――張り詰めた空気と沈黙がこの場を包み込むと、
「良き
納得したように深く頷くグルメ。
部下という立場の俺に声を荒げられたというのに、グルメは怒るどころか微笑んでみせた。
「良いか遊理よ。お主は貧乏神の呪いによって本来の力を失っておる。それは言い換えれば酷く脆弱と言うことじゃ。しかし、本当に脆弱な者とは心が脆弱な者のことを言う。戦意を失い闘争心を無くし、牙を折られた獣ほど情けのうものはない。その点、お主はまだ見込みがある」
グルメは俺の目を真っ直ぐと曇りなき眼で見つめる。そして――。
「下を向くでないぞ遊理。俯いていても過去は消えぬ。恥を知り、己のが未熟さを痛感し、それでも立ち向かう者にだけ、時に勝利の女神は微笑むのじゃ――立ち止まる時はあれど下を見るな、上を見上げろ! そして未熟な己れに何が出来るのか思考を凝らすのじゃっ! その先で男になれ!」
全身にグワッと何かが込み上げてきて、その言葉に魂を揺さぶられる。
これが『暴食』の魔王……多くの部下の士気を上げる王の言葉か……。
いつかの、どこかの王様とはまるで違う真の王に、俺は思わず頭を下げてしまいそうだった。
「儂の部下である前に、一人の男としてけじめをつけるのじゃ。奪われた誇りはその手で奪い返し、逆に相手のすべてを喰うてやれ!」
それだけ言うと満足したのか、グルメは鉄扉を出現させてそそくさと帰っていってしまった。
「結局……あいつは何しに来たんだ……」
「謎……ですね」
だけど、余計なことを考えている時間などない。
俺にはやらなければいけないことがあるのだから。
一刻も早くゆかりを助けなければ……。
◆
俺は女郎街のボス、女郎蛇のマムシとか言う女との決戦に備えて、ミスフォーチュンへやって来た。
「それで今日は何をお求めですか? お客様」
掌を擦りながら相変わらず愉快そうなムカつく顔を見せるヴァッサーゴ。
「どうせ観てたんだろ? なら状況は把握してるな?」
「もちろんでございます」
「呪いを解く道具が欲しい」
俺の言葉に少し考え込むヴァッサーゴが口を開く。
「……呪いとは様々、それが固有スキルによる呪いであればなおのこと、解除方法は二つでございます。一つは術者本人の意志で呪いを解除すること。二つは術者の死亡でございます。ただし、後者はおすすめ致しません」
「なぜだ?」
「呪いは様々と申した通り、術者の死亡によってさらに強力になるおそれがある為でございます」
「ならどうすればいい?」
う~んと、珍しく考え込むヴァッサーゴ。
ヴァッサーゴが考え込むところを見ていると、やはり呪いを解くということは困難なのだろう。
だが、それでも解かなければならない。
俺はゆかりに必ず助けると約束したのだから。
「ではこちらの幻魔獣はいかがでしょうか?」
「幻魔獣!? なんだよその物騒なネーミングは!」
ヴァッサーゴは棚からサッカーボールほどの黒いカプセルを取り出して、俺に差し出した。
「なんだよこれ?」
「モンスターカプセルという幻魔獣を捕獲するための、謂わば封印の玉でございます。この中にはナイトメアと呼ばれる悪夢や苦痛を喰らう厄介な生き物が封印されております」
幻魔獣……そんな物騒なのを飼い馴らすことなんてできるのか?
それに、悪夢や苦痛を食べさせても呪いを解くこととは無関係な気もしなくはないのだが……。
俺はヴァッサーゴに詳しいことを聞き、幻魔獣ナイトメアを購入した。
それと再生薬を複数買い込み、ミスフォーチュンを後にする。
◆
マスタールームに戻った俺は真っ先に購入したモンスターカプセルを開封して、ナイトメアの封印を解いた。
一体どんな化物が出てくるのかと、俺とフィーネアが身構えていると。
二つに割れたカプセルからモクモクと黒い煙が立ち上り、俺は思わず手にしたそれを床に投げ捨てた。
すると――
「ムキュッゥゥウウウ」
と、煙の中から鳴き声が聞こえ、勢いよくそれが飛び出してきた。
「へっ……!?」
「これが……幻魔獣……ですか?」
俺が気の抜けた声を出すと、隣のフィーネアも睫毛を鳴らして戸惑いの声を漏らした。
何故なら俺たちの前に姿を現したのは、チワワほどの大きさのモフモフした小動物なのだ。
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