第37話 女郎街

「たっ、たまらんでござろう……ユーリ殿?」


 明智は色目でお座敷のような場所に座って客引きをする女性たちを見やり、鼻息荒く声をかけてきた。


「ああ。こりゃー確かにすごいな」


 いつか観た深夜番組、『あなたの知らない世界』で紹介されていた大阪の飛田新地という場所に酷似しているこの場所は、ダンジョンから数十分ほど歩いた先にある街、ソフィアの女郎街と言われる場所だ。


 俺は昨夜フィーネアと沢山話しをしたお陰か、胸の中にチクリと刺さった刺が抜け落ちたように、心が軽くなった。

 元気になった俺を見て明智が街に遊びに行こうと誘ってくれたのでこうして来たのだが、まさかいきなり噂の女郎街に連れてこられるとはな。


 俺は当初フィーネアも一緒に行かないかと誘ったのだが、『たまには男同士で語り合う時間も必要ですよ』と言い、断られてしまった。


 多分フィーネアは気を遣ってくれたのだろう。


 真っ昼間だと言うのに女郎街は行き交う男たちで蠢いている。

 皆鼻の下を伸ばして周囲をキョロキョロと見渡し、お目当ての嬢を物色しているのだろう。


 しかし、明智ではないが本当にたまらんな。

 この場所は童貞には刺激が強すぎる。


 現に明智は先程からみっともなく内股気味で股間を押させつけている。


「ユーリ殿、ユーリ殿はどの娘にするでござるか? うふふ」

「えっ!? 入るのかよ?」

「何を言ってるでござるか! ここまで来てなんにもせずに帰ってはダンジョンマスターユーリ殿の名折れでござろう。魅鬼殿にも馬鹿にされるでござるよ」


 なぜ魅鬼なんだ?

 花魁みたいな見た目だからか?

 それとも魅鬼に何か言われたのか?


 興奮する明智に小首を傾げると、なぜか掌を上にしてこちらへ差し出してきた。


「なんだよ……この手は?」

「鈍いでござるな。金がなければ嬢を買えないでござろう? だから金をくれと言っているでござるよ。生憎それがしは金を持っておらんでござる」

「は?」


 こいつは人の金で嬢を買おうとしているのか?

 とんでもないクズだな。


「嫌に決まってるだろ! なんでお前の性処理代を俺が払わにゃならんのだ! それにお前は仮にも元王国兵だろ? 少ないながらに給料だって貰っていたんだろ? それはどうしたんだよ?」

「使ったでござるよ」


 明智は当然だと言うように真顔で俺を見やり、すぐに首を回して嬢を見据え、『でへっ』とだらしない顔を作り上げた。


「なにに使ったんだよ! お前は王国兵時代、泊まる場所も兵舎があっただろう? 飯だっていつもうちにただ飯食いに来てたじゃないか。今だって……それに何かを買った形跡もないじゃないか」

「ああー、もう鈍いでござるな! 全部嬢に貢いだに決まっているでござろう? それより早くしないと誰かに先を越されるでござる!」


 明智はどうやら俺がヒッキーになっていた間に、本物のクズに成り下がっていたらしい。

 そんなクズにはお目当ての嬢がいるのか、こっちを見ることなく手だけを差だしている。


「言っとくけどびた一文やらんぞ!」

「はぁあああああああああああああああああああっ!! 見損なったでござるよユーリ殿! 本当に最低のクズでござるっ!」


 明智は絶叫と共に身をねじり、そのまま凄まじい勢いで詰め寄ってくる。

 その眼は血走り、もはや正気の沙汰ではない。


 明智はそのまま地団駄を踏みながら頭をぐしゃぐしゃと掻き毟り、狂気地味た顔で訴えかけてくる。


「それがしはユーリ殿を親友だと思っていたでござる! 親友の恋を応援するのは親友の義務でござろう? それにでござる! それがしはここ数日ずっとダンジョンで汗水流して働いてきたでござるよ! まさか給料は出ないと申す訳ではござらんな!?」

「ねね、寝床と飯を……食わしているだろ?」


 俺はあまりの明智の迫力に思はず身を引いてしまった。

 眼前の明智は金のためなら今にも誰か殺してしまうんじゃないかもと思うほどの異常者ぶり、サイコパスと化している。


「そんなもんあの労働にまったく見合ってないでござろう! これは王国兵より悪質でござる!! 労働基準法はどうなっているでござるかっ!!!」

「…………っ」



 俺は負けた……。

 働きに見合った報酬を求められてしまったら、払わざるを得ない。


 明智は俺から金貨1枚を奪い取ると、颯爽とお目当ての嬢の元へ走り去っていってしまった。


「金貨1枚はさすがに取りすぎだろう……」


 呆然と立ち尽くし、一人置いてかれた俺はふつふつと怒りがこみ上げてくる。


 よくよく考えてみれば、王国兵を辞めて俺に付いてくると言い出したのはあいつの方じゃないか。それなのになんで俺が給料を払わにゃならんのだ。


 そっちがそう言うことを言うなら俺にだって考えがある。

 これからは寝床代と食事代を請求することにする。


 大事なお金は魔物たちの装備資金として貯めなければいけないというのに……くそっ!

 こんなことなら街になんて来るんじゃなかった。


「……帰ろ」


 俺は女郎街を一人歩き始めた。

 もちろん嬢に興味がない訳じゃなかったけど……やはり初めてのランデブーは好きな人とがいいな。


 なんて乙女みたいなことではなく。単純にいざとなったら度胸が出ないのだ。

 所謂童貞の呪縛というやつである。


 まさか俺には二つも呪いが掛けられていたとは……トホホだぜ。


 人ごみを縫うように進んでいると、


「ゆう君っ!? ゆう君だよね!?」

「へっ……?」


 突然俺の名を呼ぶ鳥の籠の嬢。

 女郎に知り合いなどいないのだがと思ったが……その姿を目にして俺は固まってしまった。


「ゆかり……ちゃん?」


 なんとびっくり玉手箱!

 俺を呼び止めたのは元カノの立川ゆかりだった。


「なっ、なにしてんだよ!?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 そんな俺にゆかりはこっちに来てと手招きをする。


 俺がゆかりに歩み寄ると、側に待機していた強面のお兄さんが「ご指名ですか」とドスの利いた声を向けてきた。


「はい。この人あたしを指名しています!」

「えええええええっ!? 何言ってんだよ! ふざけ……」


 言いかけて俺は口を閉ざした。

 目の前のゆかりが今にも泣き出しそうなほど、瞳をうるうると潤ませていたからだ。


「銀貨1枚になります。先払いでお願いします」


 接客業には不向きすぎる無愛想な声と態度。

 高いな~と眉根を寄せてゆかりを見やると、『お願い』と言うように何度も小刻みに首を縦に振っている。


 痛い出費だが仕方ないと嘆息して強面のお兄さんに支払いを済ませると、座っていたゆかりが立ち上がり、店の中へと案内してくれる。


 店内は思ったよりも広く、仕切りで区切られた部屋が幾つも確認できる。

 俺はハレンチ極まりない透け透けのキャミソール一枚に、下着がモロ見えしているゆかりの背後から声を掛けた。


「おっ、おおお、お前こんな所で働いてんのかよ!? いくらなんでもハレンチ過ぎるだろ!」

「大きい声出さないで。気付かれたら不味いでしょ」


 ゆかりはこちらへ振り返ることなくそう言うと、一番奥の部屋に入るよう俺を促した。


 部屋は殺伐とした六畳ほどの空間に、敷布団が一枚敷かれている。

 しかし、ここは異世界なのになんかこの女郎街だけ江戸時代みたいだな。


 ――ガタンッ!


 部屋の扉を閉めたゆかりが安堵したように溜息を吐き出し肩を竦めた。


 そして次の瞬間――


「ちょっ!? お前っ!?」


 露な格好のゆかりが俺の胸に飛び込んで来た。

 突然の出来事に動揺を隠せない俺に、弱々しく震えたゆかりの声音が耳朵を打った。


「ゆう君……助けて……」


 泣いていた。

 小さな肩を小刻みに震わせながら、精一杯絞り出した声は俺の頭の中を猛吹雪の雪山へと変えてしまう。


 数秒――呆然と立ち尽くした俺はゆかりの肩に手を添えて、ゆっくり引き離してその顔を覗き込んだ。


 ゆかりは瞳を野兎のように真っ赤に充血させて、涙を拭うように何度も目を擦っている。




「落ち着けゆかり。助けてくれってどういうことだ? 話してくれないと何もわからないよ」

「あたし……ううん? あたしだけじゃない。あたしたちは売り飛ばされて……無理やりここで働かされているのよ」

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