第8話 笑った奴はギルティーです。

 一体どれくらい立ち尽くしていたのだろう?

 多分、1分位だったと思う。


 俺は真夜ちゃんへと体を向けて無事を確認すると、安堵の溜息を吐き出した。

 光の壁も、もう安全だと言うように、徐々に輝きが弱くなり、消えていく。


 俺は未だ泣きじゃくる真夜ちゃんの元へと歩み寄り、片膝を突くと。

 真夜ちゃんが抱きついてきた。


「ゆう゛り゛ぐん、ごわがっだよ……」


 突然抱きつかれたことに対し、少し驚いたのだが。俺も真夜ちゃんを力一杯抱きしめて、その小さな背中をポンポンと優しく叩いた。

 まるで赤ん坊を宥める母親みたいに。


 だけど、それは俺も同じだ。

 この訳のわからない世界に迷い込み、約1時間。

 たった1時間しか経っていないというのに、1年くらい独りで暗い森を彷徨い続けていたみたいに、俺もずっと心細かったのだ。


 だから、こうして人肌に触れたとき、これまでに感じたことのない安心感を得ていたのだろう。

 俺たちはしばらく抱き合った。

 抱き合うことで互を安心させていたのだろう。


 そんな俺たちの元に、明智がやって来て、こう言った。


「二人とも無事で何よりでござる。それがしは本当に心配したのですぞ」


 まるで他人事のような明智の言動に、さすがの俺も少し呆れてしまう。

 真夜ちゃんは抱き合うことを止めて、俯きながら立ち上がると。そのまま明智の目前まで歩き、立ち止まった。


 そんな真夜ちゃんを見て、明智は何を勘違いしたのか、頬を染めて両手を広げている。

 きっと自分も抱き合い、生還を喜ぼうとしているのだろう。

 なんて馬鹿な奴なんだ。


 そんな馬鹿に天罰が下るのは、当然だった。


 ――バンッ!!


 真夜ちゃんの強烈な張り手が明智の頬に炸裂すると。

 明智は、え? なんで? と言う顔でキョトンと真夜ちゃんを見つめているが、こいつは本気でやっているのだろうか?


 大真面目だからこそ、赤く腫れた頬を摩りながら、言ったのだろう。


「どうしたでござる、真夜殿? それがしの顔に蚊でも停まっていたでござるか?」


 ――バンッバンッ!!


 二度目は真夜ちゃんの往復ビンタが、明智の顔面にヒットした。

 真夜ちゃんは明智のことを、殺人犯でも見るかの如く睨みつけている。


「ほんっと! 最低っ!!」


 その声音は怒りを通り越して、殺意のようなものすら感じられる。

 さすがの明智も往復ビンタに、最低と言う罵声のコンビネーションを貰い。

 数分前の己の言動を思い出したのだろう。


「申し訳なかったで……ござる」


 それはとても弱々しく、蚊の鳴くような声音だった。静寂に包まれていなければ聞き逃してしまっていたと思う。

 明智は母親に叱られた3歳児のように、地面を見つめている。


 しかし、真夜ちゃんの怒りは止まらない。

 明智が何か言う度に強烈な張り手が風を切り、何度も繰り出される。


 明智の顔は見るも無惨にどんどんと腫れ上がっていく。


 も、もちろん。真夜ちゃんが明智を殴るのは当然だろう。

 そ、それは仕方のないことだと俺も思うし……明智自身そう思っているに違いない。


 だけど、明智が真夜ちゃんを置き去りにして逃げようと言ったことを、誰が責められるのだろうか。

 少なくとも、俺に明智を責める権利はない。


 俺が明智の立場でもそう判断したと思うし、それが生き残る最善の策だったと思う。

 ただ、俺にはミスフォーチュンという一か八かの切り札が有ったというだけの、話なのだから。


 もし、その権利を持っているとすれば、真夜ちゃんくらいだ。


 だから俺は明智を庇ってしまったのだろう。

 と、言うか……これ以上続ければ明智の顔面がとんでもないことになってしまう。


 真夜ちゃんは無言で明智の頬を打ち続けているのだ。


「真夜ちゃん……ちょっ、ちょっとさすがにやり過ぎじゃないかな? それに明智もパニックを起こしていたんだよ。許してやってくれないかな?」


 庇う俺に、明智は少しカッコつけたように、言った。


「ユーリ殿……それがしは構わないでござるよ……殴ってもらって許されるのならっ!」

「あっそう」


 ――バンッバンッバンッバンッバンッ!!


「まっ、まま、待って欲しいでござるっ!」


 今しがたの明智の発言はなんだったのだろう? 明智は倍ほど晴れ上がった頬のまま、涙目で土下座していた。

 それはもう、物凄いスピードで……。


「こんなことをしても、それがしのした最低な発言は消えないでござる。でも……それがしにはこれくらいしかできないでござる。本当に申し訳なかったでござるよ。真夜殿っ!」


 俺は立ち上がり、真夜ちゃんの元に歩み寄って、その肩に手を置いた。


「俺からも頼むよ。許してやってくれないかな?」

「チッ」


 えっ……!?

 微かに短い舌打ちが聞こえたのは気のせいだろうか?


 うん、きっと気のせいに違いない。

 真夜ちゃんはそんなことをする子じゃない。


「……うん、遊理くんが……そう言うなら……今回だけだからっ!!」


 真夜ちゃんは俺には乙女のような甘い声音で、明智には怒り狂った声音を発していた。

 それはまるで、阿修羅像のようだった。


「二人とも、本当に申し訳なかったでござるよ」

「もういいから、明智も立てよ。それよりも早いところここから移動した方がいい」


 立ち上がった明智はもう反省が終わったのか、すぐにいつもの調子で話かけてきた。

 相変わらず腹立つくらい切り替えが早いな、こいつは。


「どういうことでござるか? ユーリ殿」

「さっき大きな音を立てすぎたから、他のオークがやって来る可能性があるのと。先ほどのオークは多分、臭を嗅ぎ付けてここに来たんじゃないかな?」

「臭い……? で、ござるか……」


 明智はかなり気まずそうに、尻を掻いた。

 つまり、明智のクソの臭に釣られて来たってことだな。

 俺たちは話し合い、速やかにこの場を移動することにした。


 移動の最中、真夜ちゃんと明智が先ほどの圧縮玉ついて尋ねてきたが、不幸ポイントやミスフォーチュンのことを言える訳もなく。

 俺の固有スキルとだけ伝えた。


 その後――数時間。森を移動し続けた俺たち。

 辺りがすっかり闇に包まれ始めた頃。俺たちは森を抜け、暗闇の中にポツンと光る明かりを見据えていた。


「遊理くん! あれって街かな?」

「それがし達のように化物から逃れた者は皆、どうやらあそこに向かっているようでござるな」


 疲れきっていた俺たちの遥前方には、巨大な要塞のような街がそびえ立っている。

 街の周囲を巨大な外壁が取り囲み、そこから漏れた明かりがまるで俺たちを手招きしているようだった。


 難を逃れた者達は、皆その一点に向かって歩みを進めている。

 その光景はまるで角砂糖に群がる蟻のようだ。


「とにかく、俺たちもあの列に加わって街を目指そう」

「うん」

「そうでござるな」


 俺たちは疲れた体に鞭を打ち、群れに加わり街を目指した。

 小一時間ほど明かりを頼りに歩き続けると。街の入口らしき巨大な門が見えて来た。


 門の手前まで移動すると、生き残って居た教師が門兵らしき屈強な男に事情を説明している。


「どうやら日本語が通じるようでござるな」


 明智の言う通り。教師は確かに日本語を話しており、門兵も流暢りゅうちょうな日本語を使っていた。なぜ、日本語が通じたのか考えながら街に入ると。


 金属鎧に身を包んだ騎士のような男が、自分に付いてくるように言っている。

 俺たちは男に促されるまま後に続き、街を歩き始めた。


 壁の中は中世ヨーロッパ風の街並が広がり、中心部には目を見張るほど大きなお城が屹立する。

 俺たちは何故か皆、城に通され。舞踏会の会場になりそうなほど大きな部屋で待機するように言われた。


 皆何が行われるのかとソワソワする中、使用人らしき女性が明智にズボンを手渡している。

 明智がそのズボンを履いた直後――


「異世界からよくぞ参られた――」


 部屋を見渡せる二階部分から、どこからどう見てもザ王様と言った見た目の中年男性が、俺たちに向かって声を張り上げている。


「さぞ困惑したことであろう。しかし、我らとて同様。困惑しているのだ。我らはこの世界を救うべく、勇者召喚の義を執り行ったのだが……」


 王様は何故かバツが悪そうに口ごもり、若干目が泳いでいた。

 そして、覚悟を決めたように、こう言った。


「そなた達を喚んだ覚えはないっ! と言うのも、我らは既に数時間前に三人の勇者召喚に成功している。成功した後、何故か次から次にそなた達がこの地に参られた。つまり、我々にとっては寝耳に水という訳だ」


 はぁ……? 何言ってんだ?


「ま、早い話が……そなた達はたまたま召喚された者の近くに居たため、巻き込まれただけのようなのだ」


 王様がコクリと頷くと、場が凍りついたように静まり返り。

 次の瞬間――

 口火が切られたように不満の声音が飛び交った。


「巻き込まれたってなんだよっ!」

「ふざけんじゃねぇっ! そのせいで死んだ奴だっているんだぞっ!!」

「家に帰してよっ!」

「この責任どうやって取るつもりだっ!」

「彼氏を生き返らせてよっ!!」


 もはや暴動寸前になりかけたとき、王の傍らに居た強面の男が怒気を上げた。


「――静まれぇっ!! 王の御前で在らせられるぞっ!」


 まるでヤクザ映画を目の前で観ているような迫力に、場が静寂に包まれると。王様はお情けと言わんばかりに、こう言ったのだ。


「そなた達を元の世界に還す手段は……ないっ! というか知らんっ! しかしながら、申し訳ない事をしたと思うのもまた事実。そこで、そなた達の中から優秀なステータスを持つ者は、我が国の兵として雇おう。そうでない者には当面の生活費として、金貨1枚を支払おう」


 何言ってんだよ……この糞ジジイ。

 つーか、開き直ってんじゃねぇーよっ!


 俺たちは怒り狂う者と、泣き喚く者に分かれたのだが。すぐに兵に取り押さえられ、泣き寝入りを強いられてしまった。


 そしてこともあろうに。一人一人のステータスを宙に出現した半透明のスクリーンに映し出して、査定し始めたのだ。


 皆優秀なステータスが映し出される中、俺の番が訪れたとき……。

 誰もが言葉を失い、呆然とそれを見上げていた。


 刹那――


 その場が爆笑に包まれ、俺は恥ずかしさで顔から火が噴き出しそうになると。にやけ面の兵が無言で俺に金貨1枚手渡してきた。

 そしてすぐに城から出て行くよう促され、俺がその場を後にする直前。


 明智と真夜ちゃんの方へ顔を向けると。明智は笑いを堪えながら。


「笑ったら悪いでごさるよ、ぷっ。ぷークスクス」


 くそったれぇええ!

 テメェーも笑ってんじゃねぇーかよ!


 真夜ちゃんはこちらを見ることなく、悲しそうにずっと俯いていた。


 とにかく、今笑った奴らはギルティー!

 お前らの顔を俺は絶対に忘れはしないからな! 全員覚えてろよっ!!



 俺はそのまま怒りを堪えて、城を後にした。

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