第3話 天地 (前編)

 4月13日。木曜日。

 授業は終わり、終わりのチャイムと同時に急いで1年B組の部屋を出る。

 才人は荷物をバックに詰めてドアを開けた。

「何急いでるの? あの人」

「えっ! キモい……」

 女子生徒の罵倒の声を耳に、才人は玄関まで走り抜けた。

 

 制服を着用したまま才人はとある女の子の言葉の通り最近建設された天地という会社に足を運んだ。

 天地は空を突き抜けるような高さのあるビルではあるが、才人はそれが迷惑であり、鬱陶しくも感じだ。

 空を覆い隠すビルはただ邪魔なだけである。が、そうは言っていられなかった。

 昨日暗闇の空間で出会ったとある女の子――少女が言っていた。

 島が大変なことになると。

 建設された五階建てのビルを見上る。

 近くで見ると、島では珍しいビルのためかその高さに威圧感を感じる。

 この威圧感が、才人は苦手としていた。窮屈で息苦しく、早く事件を終わらせたいのである。

 制服の襟を掴み、周囲を確認する。

 幸い警備員が目を離れている隙を見計らって、早歩きで玄関に向かった。

 緊張が走る――ドアは自動で開き、すんなりと中へ潜り込めた。

「疲れた……」

 才人は緊張が一気に解かれ、内心ほっとする。

 だが、いかせん釈然としない。

 ザル警備かどうかは知らないが、警備員と一瞬だけ目があったような気がしてならない。どうして俺を捕まえようとしなかったのかわからない。

 もしかしたら警備員は誰かに操られているのだろうか? 

 俺は後ろを振り返り、警備員を一瞥する。

 右から左、ビルを一周しては立ち止まる。誰かに操られているかのように、ある一定の行動パターンで動いている。

 まあおかげで天地に侵入できたのだ。きっと黒幕を引きずり出しておけばあの警備員たちも治るだろう、才人はそう考えた。

 息を切らし、口元を抑え、落ち着いた才人は辺りを見渡した。

 内部は無機質で質素な雰囲気だった。壁は全面グレー色で一見シックなイメージに見えるが窮屈さを感じさせるデザインだ。

 同時に悪感を感じる。

 恐らく死霊が住み着いているのかもしれない。

 才人は慎重に足を運ばせて、玄関から一階のフロアに辿り着く。

 驚くことに人一人見当たらない。

 赤い血が地面にこびりついて、恐らく人の血だろう、不気味で怪奇的な雰囲気が漂っていた。

 やはり少女の言った通り、天地というビルは黒に違いない。

 不安ではあるがここまで来た以上、引き返すことはできない。

 才人は歩みを進める。

 左右を見渡し、近くのエレベーターに乗る。ボタンに書かれた数字を見る限り地下1階から地下5階まで移動できるが、上の階の数字が表記されていないのだ。

 一応高層ビルに該当するビルではあるが、上層には移動できない。理由はわからないが天地は島から疎外された存在になっているように感じる。根拠は無いがそんな雰囲気を醸し出している。強いて言うなら“歪み”が生じている。

 才人は地下1階のボタンを押して下に降りる。

「不気味だな……人が住むような場所じゃない」

 目に映る異常現象を前に、才人はそう呟いた。

 エレベーターから出て一直線の通路を走り抜ける。

 既にこの階はLフィールドが形成されて、赤い瘴気が空間に漂らせていた。まるで毒が充満しているかのように。

 体に異常はきたしていないが、才人はそのまま突き進んだ。

 その時、目の前の空間が歪む。

 黒い渦が現れる。

 人間サイズの死霊――最初に戦った死霊と同じタイプの存在がこちらを見て、鎌を向けてきた。

 才人は息を切らしながら魔法で一本の剣を召喚し、手に掴む。

「こんなところで……」

 剣を横に薙ぎ払い、死霊は怯んでいた。

 だが、手ごたえが感じない。手に重みを感じられなかったのだ。

 黒い霧が、視覚に映り込む。

 もう一度払い、剣を死霊の腹部に突き刺す。

 死霊が作り出した幻影であり、その背後にいた死霊の本体は姿を消した。

 辺りを見渡し、慎重に真っ直ぐ進む才人。

「どこにいる!?」

「ドコニメヲツケテイル」

 才人の背後に回った死霊。

 鎌を振り下ろし、才人の首を狙う。

 腰を下げて攻撃を回避し、後ろを振り返る才人は剣を縦に振るった。

 死霊は鎌で剣を受け止めて、赤い目で才人を見つめる。

「何だ……こいつッ……!」

 赤い目は人間のような眼差しで、そして嫌いな人を見てあざ笑うような酷く醜い目つきでこちらを見つめた。

「醜イ……」

 まるで蛇に睨みつけられた蛙のように、才人は立ち止まる。

 才人は咄嗟に心を閉ざして、身動きが取れなくなった。手も足も動かすだけで恐怖が襲い掛かる。

 まるで石化するように。

 腕を上げるにしても、自由が利かず麻痺した感覚に陥る。

 脳から体に指示しても動くことができない。死霊による攻撃の効果かもしれないがそれだけでは無い。

 昔の嫌な体験が脳裏に浮かび、フラッシュバックが生じて脳にインプットされ呼び覚まされていく。

 昔の同級生による言葉の暴力、神威の左目の傷を負わせてしまった罪。古傷を抉られるような錯覚が陥る。

 叫びたくても叫ぶことができない。

 才人は言葉を荒げるような真似はできず、助けを呼ぶという概念が頭には無かった。

 脳内でもがく才人は限界を達し、脱力した膝を地につけた。

 死霊はケラケラとあざ笑い、赤い目で才人を見下す。その目は人の闇を抉るような悪意のある目つきだった。

 才人は徐々に体の自由を失う。

 神威のバックアップも受けていないため、死霊の攻撃耐性が無いのは当たり前のことだった。気づいていながらも単身で突っ込んでいった不甲斐なさが身に染みていく。

 才人の脳が徐々に後悔の念に駆られていった。

 きっと昔の日本では〝自業自得〟と言われて済まされるのだろう。

 こんなところで、死ぬなんて想像も出来なかった。

 俺はここで終わるのだ。

 才人は死を覚悟して剣を地面に落とした。

 もう既に剣を持つ力さえ残されていないことに、諦めた才人は息を止めた。

 死霊は鎌を才人の首に引っかけて、口元を歪ませた。

 鎌の先端が喉元に当たる。

 ひんやりとした冷たい感触が、喉に伝わっていく。

 才人は目を閉じて、じっと耐えるしかなかった。

 じわじわと恐怖が体に伝わっていくのだった。

 いっそのこと早く殺してくれ。

 そう脳に過ぎっていた。

 その時、一本の矢が死霊を貫きもがいていた。

 死霊の呪縛から離れた才人は剣を拾い振り払う。

 傷を負い、死霊は後ろへと後退りし消え去っていく。

「才人さん、どうして一人で!?」

「勝手すぎるわよ!」

 雪音と緋色がむすっとした顔でふらついた才人の腕を支える。

 ほっとした才人は、素直に感謝しつつ身を預ける。

「女の子に……一人で来いと言われたから……」

「女の子?」

「黒いドレスを着た小さい女の子だ」

「才人……いつの間にか小さい女の子に手を出していたの?」

「勘違いしないでくれ。突然俺の目の前に現れたんだ……緋色たちは見ていないのか?」

「見たというより、神威から女の子の話を聞いていただけ」

「はい。私も」

「そうか」

「そうよ……でも、無茶が過ぎるわ」

 緋色は才人の汚れた制服を払う。

「すまない」

「本当よ、まったく……」

「でも、どうしてここに?」

 才人は疲れた目つきで、二人を見た。

「神威に聞くといいですよ」

 雪音は後ろを振り向く。

「僕たちもあの少女を追っていた。才人、お前は騙されていたんだ」

 神威が遅れてやって来る。

「どういうことだ?」

「あの少女は天地のある異常現象によって生まれた死霊に過ぎない。きっと一人で天地に送り込ませて始末したかったのだろう」

「でもどうして才人さんに?」

 雪音は疑問を抱く。

「そこまではわからん。だが、この一連の事件を起こした犯人がわかった。一年A組の神木という男だ」

「神木くんだって言うの!? とても死霊を使っていたずらするような子には見えないけど……」

「才人に恨みでもあるのかしら」

「緋色、やめてくれ。まるで俺が……」

 言いかけた才人は口を止めて、考え直した。

 確かに嫌われているかもしれない。自分に心当たりは無いが根も葉もない事実を言われることが多いのは確かだ。

「心当たりは無い。だが、嫌われている可能性はある」

「何言っているのよ……」

 緋色は半ば少し呆れていた。

「きっと彼は才人を狙っている。もちろん僕たちも関係ないとは言えない。次に狙われるのは僕たちだ」

「そうですね」

 雪音は頷く。

「それじゃみんなで行くしかないね」

 緋色はそう言い、その場にいる皆は同意した。


 才人たちは地下2階、地下3階へと降りる。

 地下3階までたどり着くと、瘴気が視覚に映る程強く広がっていた。

 同時に才人たちの存在に気付いた死霊たちは、けたたましい叫びを上げていた。

「何よ……死霊の溜り場じゃない……」

「ええ。まるで飼っているみたいですね」

 緋色が才人の後ろに隠れ、雪音は緋色を一瞥して視線を変え、警戒するように部屋を見渡していた。

 心の中がもやもやしたが、雪音の目の前に猫が近寄ってくる。長い毛並みで、耳の大きい猫だ。

「迷子の猫ですかね?」

 雪音は膝を下ろし、猫の頭を撫でる。

「そうかもしれないね。でも、こんな場所に猫って珍しいわね」

 緋色は才人から離れて雪音の隣に立って腰を下げた。

 緋色も一緒に猫の頭を撫でる。

 その瞬間、猫の目が赤く光り始めた。

「その猫から離れろ! そいつは猫じゃない!」

「でも、どう見ても猫にしか見えません」

「野良猫かしら……ここは危険だからお姉さん達が守ってあげるね」

 神威の言葉を聞き入れず、雪音と緋色は猫に夢中になっていた。

「呑気なことを言っているんだ! 奴は猫ではなく死霊だ!」

 二人は神威の言葉を聞き、猫から距離を取る。

 猫は毛先を先立たせて威嚇する。

 そして猫が雪音に飛び交い、緋色は手元にレイピアを召喚する。

 猫は電光石火の如く突進する。

「雪音! 下がって!」

 雪音を庇うように早業の如く突き刺した。

 猫の形をかどった死霊は叫び、地に体をつけてもがく。

 全身から黒いオーラが血しぶきのように飛び散り出し、姿ともども消え去っていた。

「あまりいい気分じゃないわね……」

「すみません……」

「雪音が謝ることじゃないわ。できれば、ありがとうって言ってくれるとうれしいんだけど……」

「はい。ありがとうございます」

 雪音にお礼を言われ、緋色は頬をかく。

「だが、死霊も徐々に進化を始めているかもしれない」

 神威が言う。

「何も猫まで化けなくたって……ていうか、もしかして死霊って元々は……」

 青ざめた緋色が言うと、奥の廊下から電磁波が生じる。

 電磁波は徐々に人の形を作り、姿を見せた。

「ご明察。死霊は元々人の死から生み出した存在だ」

 目の前に一人の男が立っていた。

 男は歩き、才人達の顔がはっきり見える範囲に近づいていた。

 学生服は神武学園の制服で、くせ毛のある髪型をした男性。彼がきっと神木という男に違いない。

 その場にいる皆は警戒し、各自武器を構える。

 その姿を見た神木は笑う。

「必死だな。おい」

「馬鹿にしないでよ!」

 緋色は怒りを見せる。

「こいつはホログラムだ。攻撃しても無駄だ。それに奴は人だ。例え本物でも殺しては駄目だ」

「……ここで怒っても仕方ないね」

 緋色が感情を抑える。

「確かにそうですね」

 緋色に続き、雪音も構えた弓を下ろし、神木を睨む。

「一体ここで何をしようとしているのですか?」

「怖い顔をするな。せっかくの奇麗な顔が台無しだ」

「答えてください!」

「そうだな……元凶は僕。お前たちもわかると思うが、赤い空を生み出すLフィールドを作り死霊を生み出したのも全部僕だ。この天地を利用して悪いことをしているのさ」

 あっけらかんと宣言する神木。

「自分で言うのもあれだけど、これじゃあ僕が悪役だ」

 神木は含んだ笑いを見せた。

「今すぐやめなさい。こんなことしても何も得しないわ」

「緋色ちゃんだっけ? お前はすぐに感情的になる」

「悪いの?」

「いや、人間らしいから好きな方だ。だが、僕は別に損得で動いているわけじゃない。まして君等と違ってこの世に満足も不満も無い。それに俺は見えるぞ。お前たちは世のルールに従っているから不満を持つ。お前たちの心は負の感情でいっぱいだな」

「こいつッ! 何を言ってるのよ!」

「緋色! 落ち着け! 奴はただ挑発しているだけだ」

「わかってる……何か納得できないけど」

「神木」

「なんだ? 確かお前は……」

 神木は顎に手を当てて、思考する素振りを見せる。

「俺のことはどうでもいい」

 神木の言葉を止めて神威は言う。

「お前は天地を借りて死霊を生み出しているが、一体お前の何を駆り立てる」

「ただ島――いや、死霊で埋め尽くしたいだけだ。理由なんて無い」

「お前は人の死を冒涜している」

「死霊を殺しておいて、それを言うか?」

 ホログラムに映し出されている神木は髪を掻き上げる。

「そうだな……だが、必ずお前を追い詰めて見せる。僕は君を許せるとは思えない」

「そうかい……」

 つまらなそうに言った神木は欠伸をし、ホログラムが消えると同時に軽快に手を振るった。

 そして消える直前に視線を変えて才人を一瞥した神木。

 何故俺を見たのか、理由はわからなかった。

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