第2話 死霊 (後半)
青々とした空は消え去っていた。
赤い色が空を制覇し、島の人間を見下すように空を覆う。
古典部の部室から神威は魔法陣を展開し、複数のデータベースを表示して死霊の位置を才人たちの脳内にバックアップする。
全データを送るには限界があるため、必要最低限の情報を抜き出した。
「今、死霊のデータを送る……確認できるか?」
「はい何とか。場所はオノゴロ島の……
神威から送られたデータを脳内に受け入れる雪音。
慣れない感じではあったが、じきに慣れるだろう。
「ああ。すぐに向かってくれ」
神武学園の玄関先にいた雪音は手持ちの弓矢を握り締めて走り出した。
「才人」
次に才人の名を呼ぶ神威。
「……なんだ?」
才人は渋々応答した。
夢の出来事が胸に響き、心が痛む。
正直会話は避けたい気分だったが、一人の女性に戦わせて逃げるようなことは出来なかった。
「岩樟公園……聞いたことあるか?」
「…………」
才人は無言で、神威の言葉を待っていた。
怖さという恐怖が、自分の口を止めていたのだ。
「昔、俺とお前で遊んでいた場所だ。取り壊される話があったが、まだ残っていたらしいな」
「……ああ」
唾を呑み込んで才人は頷いた。
神威の――次の言葉が才人の恐怖心を煽る。
そう思い込んでいた。
だが、そういう事態には至らなかった。
死霊の気配が近づいてくる。
才人は頭を振るった。
「……雪音の援護を頼む」
神威はそれだけ言い残し、通信を切る。
死霊は赤い空を舞い、雪音が弓を構えて狙いを定める。
だが、才人がまだ到着していなかった。
雪音は不安を感じて、弓を構える手が震えていた。
もし失敗したら……私は死ぬのだろうか……誰か私を心配する人はいるのだろうか? 才人はこんな私でも心配してくれるのだろうか? そんな思いが込み上げて心にちくりと痛みが刺す。
何故か、出会って間もない才人の顔がぼんやりと思い浮かぶ。
恋でもしたのだろうか?
わからない。
徐々に脳は不安という支配に迫られていくような気がする。
咄嗟に三人の女子生徒が私を取り囲む夢のような、現実的な空想が神経回路を通して夢に現れる。
最初は夢なのか、単なる私の被害妄想で生まれた幻想だと思っていた。
が、夢、幻想では無かった。
私の脳にある引き出しから無理矢理こじ開けられるようだった。
昔の体験が呼び覚まされていく。そして半ば強制的に不安を煽るように嫌な気持ちが増幅していく。
「……雪音、聞こえるか?」
神威の声が脳に響き渡る。
同時に思考がクリアになる。
ぼんやりとした曇りをかき消すように。
思いは深く入り込まずに、雪音は正気を保つことができた。
「大丈夫か?」
「ええ……私はどうしていたのでしょうか?」
「危うく死霊に飲み込まれそうになっていた。気をしっかり持て、そうしなければ脳が支配される」
「はい……あの、才人さんは……?」
雪音は脳の神経を通して、神威に言った。
「奴なら来る。それまで攻撃はするな」
神威はそうこたえる。
「わかりました」
雪音は構えた弓を下ろし、より狙いが定められるポジション――岩樟公園の高台へ通じる階段を駆け上る。
高台から眺めて、ようやく死霊と対等の位置に立っている。
だが、いくら高いところに立っていてもひどく見下されているような気がしてならない。
目の前に浮遊する死霊は赤い眼差しで雪音を見入ては口元らしきものから笑みを浮かべていた。
人の心理を抉るような目。
まるで弱った心を付け入り徹底的に潰しにかかる人間と一緒だ。
雪音の怒りの気持ちが抑えきれなかった。
「ここなら……!」
雪音は再び弓を構える。
「待て!」
「才人さんが到着する前に終わらせます」
そして矢を放つ。
矢は死霊の頭部に目掛けて飛ぶ。
頭部に矢を直撃した死霊は矢を吸収し、雪音に視線を送る――正しくは雪音がそう感じていた。
死霊は頭部の傷を再生し、右手にあたる触手が伸びる。
「失敗したの?」
雪音は目を大きく開く。
「雪音、伏せろ!」
反射的に姿勢を低くし、死霊の触手が後ろに配置されていたベンチや銅像を貫く。
肩をびくりと震わせ、雪音は後ろを振り返る。
ベンチや銅像は跡形も無く消えていき、砕け散る欠片も砂のように溶けていたのだった。
「雪音、どうして僕の指示に逆らう」
「すみません……」
「ッ!?」
「どうしました?」
「次が来る!」
神威の言葉に雪音は動揺する。
「このままじゃ避けられない!」
死霊は間を開けず左の触手が雪音を狙いを定める。
そして間隔を開けず次の一手が来る。
ここで終わりなのかもしれない。
諦めかけた雪音は目を閉じてしゃがみ込む。
その時、一瞬だけ音が静まり返る。
目を開けると、そこには男が立っていた。
「才人さん……?」
「すまない。遅れた」
才人は触手を剣で切り払い、雪音の様子を伺った。
雪音は涙目になっていた自分に気づかずに才人を見上げる。
「まだ戦えるか?」
「はい」
雪音は再び弓を構えた。
矢を放ち、光を纏う。
光は拡散し、矢は直撃する。
死霊はもがき、右の触手で赤い目を抑える。
「雪音、追撃しろ!」
神威の声が脳に響き渡る。
雪音は脳が指示する通りにまた弓を構えて、矢を放つ。
矢は死霊の頭を貫き、死霊は黒いオーラを爆散させて散っていった。
だが、死霊は最後まで口元に笑みを浮かばせていた。
「雪音」
「はい。何でしょうか?」
「お前はお前だ。気にするな」
才人の声に、雪音はうまく口では言い表せない安心感を得た。
「はい……ありがどうございます」
雪音はそう言った。
死霊との戦いは終わり、無事、次の日を迎えた。
4月12日。水曜日。
昼の十二時。
昼休みに突入したところだ。
まだ微かに残っていた赤い空から青い空に変わり、小鳥たちが空を飛び交う。
晴々としていて、心が澄んでいく。
才人は屋上でフェンスに寄りかかりながら、空をぼんやりと眺めていた。
すると突然、肩をぽんと叩かれる。
「な、なんだ!?」
「ごめんなさい。そんなに驚かれるなんて……」
雪音は手を引いて、驚きを見せていた。
才人は思わず罪悪感を抱いた。
「すまない」
「私の方こそすみません。驚かせて……」
「いや、いいんだ。ところで俺に用があるのか?」
「はい。これをどうぞ」
雪音は学食から買ってきたと思われる焼きそばパンと紙パックのコーヒー牛乳を才人に渡した。
「一緒に食べませんか?」
雪音はそう言い、笑顔を見せた。
内心どきっとする才人だったが、仏頂面で頷いた。
「ああ」
「もしかして嫌でしたか?」
「そ、そんなことは無い」
才人は横に首を振るう。
「それじゃ食べましょうか」
才人の隣に近づいた雪音は膝を下ろし、才人も膝を下ろす。
二人は包まれているラップを取り、そのまま焼きぞばパンを口に運ぶ。
香ばしい香りとソースが絡み合って、何というか……素朴ながら美味だ。
「こうして外で食べると美味しいですね」
「そうだな。でも、いいのか? パンと牛乳代返さなくって?」
「いいですよ。お気になさらず」
茶目っ気あふれる笑顔を見せる雪音。
照れ臭くなっていた才人は思わず視線を落として、焼きそばパンを平らげて牛乳を飲み干す。
「そこまで急いで食べなくても」
「すまない」
才人は喉をとんとんと叩いては自分を落ち着かせた。
同時に扉が開いた音が耳に届く。
現れたのは神威と緋色。
「なにいちゃついているのよ!」
緋色は雪音を軽く睨み、才人に視線を移す。
「すまない。出直す」
神威は直ぐに背を向けると、緋色に腕を掴まれる。
「ちょっと。言いたいこと、あるんでしょ?」
「ああ。いいか?」
「私なら大丈夫です」
そう言って、雪音は腰を上げる。
「そうか。才人」
神威は才人の目の前に立ち、才人は合わせて立ち上がった。
だが、神威は数秒動かずに黙っていた。
「……神威?」
「来い」
「えっ!」
神威は扉に向かって歩き出した。
才人は困惑し、その場にいる二人を顔見合わせて神威の後を追った。
「どこにいくんだ?」
二階の廊下を淡々と早歩きする神威。その後を追う才人。
「着いた」
自動販売機の前に立つ神威。
「何か飲みたいものはないか?」
「いいのか?」
今日は人から何かと頂いているような気がする。気持ちは嬉しいが一体俺は何かしたのだろうか、そんな思いが生まれる。
「ああ。好きに選べ」
「それじゃ、コーヒーで」
「どのコーヒーだ?」
「えっと……ブラジルコーヒー」
遠慮がちに自動販売機の画面の右上に表示されている青いパッケージのボタンに触れる。今の時代、お金を入れて対応したボタンに触るだけで動くから便利になっている。
「お前もコーヒーが好きなんだな」
「あ、ああ」
「俺もだ」
自動販売機から缶コーヒーを取り出して才人に渡す。
缶コーヒーは冷たく、汗をかいてぼやっとしている才人には丁度良かった。缶コーヒーの口を開けてそのまま口に運ぶ。
牛乳にコーヒーと、飲んでばかりな気がするが別にいいだろう。
「お前に言いたいことがある」
神威は才人の目を見る。
「……左目の傷は気にするな」
「えっ?」
才人の顔にはあまり表情が出ていないが、内心焦りと安心が入れ混じる。
「だから気にするな」
それだけ言い残し、神威は勢いに任せて自分の缶コーヒーを飲み干し、その場を離れた。
取り残された才人は呆気にとられていた。
そんな中、才人の目の前が閉ざされ、周囲は暗い闇に包まれていた。
そして目の前に一つのスポットライトが照らされる。
「こんにちわ」
クマのぬいぐるみを手に持つ黒いドレスを着た一人の少女が現れた。
「こんにちわ」
戸惑う才人は同じ言葉を返す。
「ふふっ」
少女は笑い、
「明日一人で天地に向かって。お願い」
「天地? 最近建設されたビルのことか?」
「ええ。島が大変なことになる前に」
「大変って……どういうことだ? そもそも君は誰なんだい?」
才人は語りかける。
だが、少女はフェイドアウトするように消えて、ほほ笑んでいた。
暗闇は晴れ、自動販売機の前に立ちつくす才人。
漠然と少女の印象が脳裏に叩きつけられ、帰宅してもその存在は忘れることは無かった。
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